セルバンテスに『模範小説集』という短編集がある。国書刊行会から出ている訳本は全12編のうち8編載っており、そのうち3つは岩波文庫の『セルバンテス短編集』に収録されている。いいトシして若い妻をもらった老人が彼女をほぼ監禁みたいな状態にしておくが、こういう状況だとたいていは裏をかかれて笑いものにされるのが定石(代表『セビリアの理髪師』)、これも例外ではない。『ガラスの学士』、振った女に飲まされた薬のせいで、自分の体がガラスでできているという狂気におちいった、しかしそれ以外では至極賢明な学士をめぐる騒動。
『血の呼び声』、裕福な紳士が妻子と共に散策していると、悪い取り巻きを連れたいい家の放蕩息子がすれ違う。その放蕩息子は紳士の美しい娘に目をつけ、彼女を即座に拉致して慰み者にする。気がついた彼女は冷静に部屋の様子などを観察して十字架を証拠品としてこっそり奪い、目隠し状態で解放される。家族たちの同情で迎えられた彼女はあとで男児を産み、父の甥ということにされる。たいそう利発で美しい子に育ったルイスを祖父母は溺愛する。
ルイスが7歳のとき事故にあい、ゆきずりの夫妻がたいへんよくしてくれる。ルイスが彼らの一人息子に似ているという。ーーとくると推察されるように、この夫妻の息子がルイスの父親であったのだ。真相を知って、縁談があると息子を呼び寄せてーー。
ーーこれでハッピーエンドでいいのか~~~っ!?
そりゃな、嫁入り前の娘が操を奪われたとなっては、修道院入りか、責任とって嫁にもらわれるしかしないと面目が立たないという理不尽がまかりとおっていた世界だとはわかるがな。
恋焦がれたあげくに思いつめて犯行におよんでしまったというわけでもなくただの衝動、犯行後に後悔・反省したとか、あとから情がわいたとか、その後も忘れられなかったとかいうこともまったくなし、同情の余地なし。
そして、本人も親も恥じ入る描写皆無、被害者さえも恨みを表明しない。
強○犯を責める部分がま~~ったくないのだ! 少なくとも現代人はこれを読んであっけにとられるのが正しいと思う。
同じ本の『麗しき皿洗い娘』、
二人のボンボンが旅の途中で泊まった旅籠には美しい娘がおり、片方の青年は彼女に夢中になってずるずると長逗留してこっそりと口説く。 その町の司法官の息子もその娘に熱をあげている。旅籠の主が司法官に、あれは、とある高貴な婦人がひそかに産んだ子であると打ち明ける。 結局、もう一人のボンボンの父親がかつて高貴な未亡人に夜這いをかけて出来た子であることを明かして、つりあう身分ということでハッピーエンド。
ーーそういう夜這いは強Xというんだろう、犯罪だろう・・・。
作者セルバンテスに石を投げる意図はないが、いくつか読んだ「名誉劇」の理不尽さ(いずれ言及する)なんぞに比べればはるかに穏やかな展開であるが、ツッコミはいれたい。
別のレベルのツッコミ。
やはりセルバンテスの長編『ペルシーレスとシヒスムンダ』は、いわくありげな絶世の美男美女が兄妹と称していて、しかしやはり兄妹ではなかった。なんとかランドの王女がアイスランドの宮廷に預けられていて、そこの王子と恋仲になっていたということが終盤でやっとわかる。
ーーなんでアイスランドに王子なんだ、かつてのローマと同じく、王を戴かぬことを誇りにしていた国なのに。1200年ごろのドイツの『ニーベルンゲンの歌』ではブリュンヒルトがアイスランドの女王という設定だった。デタラメ書いても許されるくらい、13世紀のドイツ人にも17世紀のスペイン人にとってもアイスランドは遠い異世界だったのだろうか。
『血の呼び声』、裕福な紳士が妻子と共に散策していると、悪い取り巻きを連れたいい家の放蕩息子がすれ違う。その放蕩息子は紳士の美しい娘に目をつけ、彼女を即座に拉致して慰み者にする。気がついた彼女は冷静に部屋の様子などを観察して十字架を証拠品としてこっそり奪い、目隠し状態で解放される。家族たちの同情で迎えられた彼女はあとで男児を産み、父の甥ということにされる。たいそう利発で美しい子に育ったルイスを祖父母は溺愛する。
ルイスが7歳のとき事故にあい、ゆきずりの夫妻がたいへんよくしてくれる。ルイスが彼らの一人息子に似ているという。ーーとくると推察されるように、この夫妻の息子がルイスの父親であったのだ。真相を知って、縁談があると息子を呼び寄せてーー。
ーーこれでハッピーエンドでいいのか~~~っ!?
そりゃな、嫁入り前の娘が操を奪われたとなっては、修道院入りか、責任とって嫁にもらわれるしかしないと面目が立たないという理不尽がまかりとおっていた世界だとはわかるがな。
恋焦がれたあげくに思いつめて犯行におよんでしまったというわけでもなくただの衝動、犯行後に後悔・反省したとか、あとから情がわいたとか、その後も忘れられなかったとかいうこともまったくなし、同情の余地なし。
そして、本人も親も恥じ入る描写皆無、被害者さえも恨みを表明しない。
強○犯を責める部分がま~~ったくないのだ! 少なくとも現代人はこれを読んであっけにとられるのが正しいと思う。
同じ本の『麗しき皿洗い娘』、
二人のボンボンが旅の途中で泊まった旅籠には美しい娘がおり、片方の青年は彼女に夢中になってずるずると長逗留してこっそりと口説く。 その町の司法官の息子もその娘に熱をあげている。旅籠の主が司法官に、あれは、とある高貴な婦人がひそかに産んだ子であると打ち明ける。 結局、もう一人のボンボンの父親がかつて高貴な未亡人に夜這いをかけて出来た子であることを明かして、つりあう身分ということでハッピーエンド。
ーーそういう夜這いは強Xというんだろう、犯罪だろう・・・。
作者セルバンテスに石を投げる意図はないが、いくつか読んだ「名誉劇」の理不尽さ(いずれ言及する)なんぞに比べればはるかに穏やかな展開であるが、ツッコミはいれたい。
別のレベルのツッコミ。
やはりセルバンテスの長編『ペルシーレスとシヒスムンダ』は、いわくありげな絶世の美男美女が兄妹と称していて、しかしやはり兄妹ではなかった。なんとかランドの王女がアイスランドの宮廷に預けられていて、そこの王子と恋仲になっていたということが終盤でやっとわかる。
ーーなんでアイスランドに王子なんだ、かつてのローマと同じく、王を戴かぬことを誇りにしていた国なのに。1200年ごろのドイツの『ニーベルンゲンの歌』ではブリュンヒルトがアイスランドの女王という設定だった。デタラメ書いても許されるくらい、13世紀のドイツ人にも17世紀のスペイン人にとってもアイスランドは遠い異世界だったのだろうか。