カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

やってくる瞬間(メモ)

2006-07-31 22:24:33 | Weblog
 メモです。

新実徳英 著『風を聴く 音を聴く ~作曲家がめぐる音宇宙~』(音楽之友社,2003年刊)60ページより。

***

 (前略)やってくる瞬間というものがある。音の闇に一条の光が差し込み、やがておぼろげな形が顕れてきて、ある瞬間、くっきりと像を結ぶ。
 作曲家はそれをすばやく把みとる。
 何が像を結ばせるのか作曲家たちは知らない。けれどその瞬間がくるのを知っている。ときには長く待たねばならないこともわかっている。ピアノや五線紙を前に悶々と時を過ごしたからといってそれがやってくるとはかぎらないのである。
 逆になんの努力もしないのに、忽如としてそれが顕れることもある。と思われるのだが、じつは自分でも気づかぬうちになんらかの努力をしているのかもしれない。私たちは潜在意識やそのさらに奥深く起こっていることを意識したり操作したりすることができないのだ。
 その仕組みのほんとうのところは誰にもわからないので、これを天啓とかインスピレーションとか呼んでいるのである。(後略)
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日録めも

2006-07-31 08:05:46 | Weblog
 日録メモから。

 昨日は、学校の後、池袋ヤマハへ。ドーヴァー社の廉価版スコア特価コーナーを覘くと、エルガーの代表作のひとつ「ゲロンティアスの夢」のフルスコアが出ていました! 付いていた値段表とドル表示とを比べてみるとまだまだ高かったので、買いはしませんでしたが、しばらく立ち読みしました。エルガーの譜面は音を想像しやすいので好きなのですが、やはりいつか、この曲の名演といわれるレコードを実際に聴いてみたいものです。その他気になった本。ウォルター・ピストンの書いた「和声学」教科書の全訳本。○万円もするのですぐには買えませんが、いつか欲しい一冊です。その後、テルーのうたのメロディに引かれるように「ゲド戦記」鑑賞へ。なんとなくナウシカや千と千尋やハウルを彷彿とさせるシーンが多く出てきたのはご愛敬なのかもしれません。作品全体で云わんとしているメッセージは、この時代にふさわしい、なるほどと思えるもの。ネタばれになってしまうので、これ以上は書きませんが、なかなかよい作品だと思いました。
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ある家族写真の風景から(メモ)

2006-07-30 00:41:41 | Weblog
 メモ。ある家族写真をめぐって。

永田先生の歌集『無限軌道』(1981年刊)より。

倒立し皆一様に笑いおり蛇腹写真機の中の青空  永田和宏

***

 この一首を読むとなぜか思い出すのが次の一節です。

                ☆

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 と頗(すこぶ)る不快そうに呟(つぶや)き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺(しわ)を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。
 (後略)

                ☆

 これは、云わずと知れた、太宰治の有名な小説『人間失格』の冒頭です。

***

 永田先生の一首にも、太宰治が描いたような屈折がないわけではないのですが、永田先生の場合、結句の「青空」がそれを見事に打ち消している(あるいは、「中和」している)ような気がします。

 惹かれる一首です。
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詩とメロディの関係(memo)

2006-07-30 00:01:54 | Weblog
 昨日の朝のTBSラジオ「永六輔その新世界」で永さんが話していたことから、メモです。

***

 (前略)

(永さん):僕は、中村八大さんやいずみたくさんと歌を作ってきましたが、八大さんのときといずみたくさんのときとで歌の作り方がちがいました。八大さんのときは、最初に八大さんがピアノで曲を作って、僕がピアノの脇に立ってそのメロディに言葉を乗せていきました。「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」などはそうです。いずみたくさんとのときは、僕がはじめに詩を作って、それをいずみたくさんに渡していました。たとえば「見上げてごらん、夜の星を」がそうです。

 (後略)

***

 詩とメロディの関係。昔から興味のある問題なので、永さんの話を興味深く聞いていました。

 そういえば、前にテレビ番組で阿久悠さんが話しているのを聞いたのですが、阿久さんは、たとえば、ピンクレディのヒット曲を書くのに、まず都倉俊一さんからメロディをもらってそこに言葉を乗せていったのだそうです。

 はじめに詩ありきか、はじめにメロディありきか。どちらが先かで最終的に歌の出来に差が生じるものかどうかはよくわかりません。

 興味を惹かれる問題です。
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創菓工房アランチャのロールケーキ(メモ)

2006-07-29 15:23:09 | Weblog
 今朝のTBSラジオ「永六輔その新世界」。「乙女探検隊」コーナーのゲストは、作家北杜夫氏の娘さん、エッセイスト斎藤由香さんで、梅ヶ丘・東松原界隈を案内されていました。

***

 (前略)

(斎藤さん):。。。ところで、梅ヶ丘のあたりはおいしいケーキ屋さんが多いことでも有名なんです。「アランチャ」のロールケーキは、間にプリンが挟まっていて、すごく人気があるんですね。

 (後略)

***

 メモ。

 「創菓工房アランチャ」。

(以下、アランチャの情報です)

http://plaza.rakuten.co.jp/PARINYA/diary/200507010000/

 京王井の頭線 東松原駅から歩いて4、5分の住宅街の一画にあるお店です。店内には喫茶スペースもあります。

<一言>
ケーキセット735円(ホットドリンク注文時)
ケーキセット787円(コールドドリンク注文時)

<詳細情報>
店名:創菓工房アランチャ
電話番号:03-3323-5578
住所:東京都世田谷区松原6-11-7 パールハイツ1F
最寄駅:京王井の頭線 東松原駅
営業時間:10:00~20:00
定休日:月曜
喫茶スペース:あり
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羊は安らかに草を食み(memo)

2006-07-28 09:39:19 | Weblog
 メモ。

 今朝ラジオをつけると、J.S.バッハ作曲「羊は安らかに草を食み」(カンタータ第208番《狩りだけがわたしの喜び(狩のカンタータ)》BWV208 より)をやっていました。

「カンタータ第208番“狩りだけがわたしの喜び”BWV208 から 第9曲“羊は安らかに草を食み”」(バッハ作曲)(4分13秒)
(ソプラノ)エリーザベト・フォン・マグヌス
(管弦楽)アムステルダム・バロック管弦楽団
(指揮)トン・コープマン
<ERATO WPCS-10595>

 これは、バッハが領主に献呈するために作曲した音楽だそうで、「羊は安らかに草を食み」とは、「よい為政者の下では領民たちは安心して暮らすことが出来る」という意味。この領主の素晴らしい人柄をバッハが称えたものだそうです。思わず、「この曲を今朝放送しているということは、もしかして、いまの政治状況、時代状況に対する。。。。。。」と勘ぐってしまいました。

 ところで、この曲については、ピアニストのレオン・フライシャーが、《アルバム『トゥー・ハンズ』2004.11/25発売記念インタビュー》の中で、「(前略)この2年ほど私は《羊は安らかに草をはみ》を今の時代に対する答えとして、一種の解毒剤として演奏し続けてきた。(後略)」と語っています。

http://columbia.jp/fleisher/index2.html

(以下、その全文の引用です)

▼レオン・フライシャーが語る▼

 この30年か40年を乗り切るために私が必要としたのは、手の数、指の数というものをあまり重視しないで、音楽を音楽たらしめているその根本に立ち戻ることだった。それは、管楽器のための1本の旋律だろうと、1つの手のための旋律だろうと、両手で弾いているように聴こえる1つの手の旋律だろうと関係なく音楽というものを考えるこということ。言い換えると、楽器編成は重要でなくなり、音楽の中身、内容がより大切になる。楽器編成はそれほど重要なものではなく、むしろ、中身の延長であり、続きであるように思えてくる。そういう考え方は、ある意味、このアルバム『Two Hands』という1つの出来事全体を包んでいる栄光とか高揚感を否定することになるけれども、たぶんこのアルバムの性格を最もよく表していると思う。

〈J.S.バッハ:2つのコラール〉
 このバッハの2つの曲は私にとってマントラ(ヒンドゥー教の呪文)音楽のようなものだ。私たちが一種の"ゾーン"(幻覚状態)に入るのを助けてくれる。
 この2年ほど私は《羊は安らかに草をはみ》を今の時代に対する答えとして、一種の解毒剤として演奏し続けてきた。《主よ、人の望みの喜びよ》は、バッハという音楽の神殿のもう1つの側面を表している。
 
〈「夜の音楽」について〉
 今回のプログラムに入れたいくつかの作品は私自身のモチーフによってつながっている。それは、悪夢の感覚を呼び起こす音楽というつながりだ。「夜の音楽」が何を意味するのかは、あまりはっきりとは言いたくない。その本質的な要素の1つが夜の予測不可能性だからだ。暗闇、陰、生まれるかも知れないロマンス、あるいは夢のような状態に入っていったり…最後は月光について瞑想して終わる。ショパンの《夜想曲 変ニ長調》を入れたのは母の好きな曲だったから。《マズルカ》のここでの役割は《夜想曲》を響き的に補うことで、私はこの曲を弾くのが大好きだ。ドビュッシーの《月の光》は、ショパンがポーランドの夜の音楽であるのに対してフランス版の夜の音楽。録音チームの1人に話したように、私の目標は、月光というものを、それが私たちに及ぼすすべての効果を含め、私に可能な限り完全に表現することだった。

〈シューベルト:ソナタ 変ロ長調D.960、遺作〉
 ある意味、シューベルトのこの曲は私が音楽的に大人になったことを表すものだ。というのも、これは私がシュナーベルから離れたあとに、というか彼から追い出されたあとに私が学んだ初めての大きな作品だからだ。この曲をシュナーベルの前で弾いたことは一度もなかったし、当時はテープレコーダーなどもなかったから、彼がレッスンのたびに教えてくれた驚くべきことの数々--スタジオを出る時の皆の足元はまるで酔っ払いのようにふらついていた--はすべて失われてしまった。彼の話を少し書き留めたりもしたが、それを永遠にとっておく方法はなかった。その後の2年ほどの私は救命具なしに大洋に投げ出された人間そのものだった。その苦境から逃れるために私が選んだ手段の1つがフランスに行くことだった。1950年、ユージン・イストミンと私は古いオランダ客船、フェーンダム号の1等のチケットを予約し、パリに向かった。イストミンはカザルスの伴奏をする予定があり、私はただ彼にくっついて行ったようなものだった。パリに着いたあと、私はこの変ロ長調のソナタを弾くようになった。一種、神聖な作品に思えた。そしてこの曲を学び始めた私にすごいことが起こった。その時、私は物事をどうやるべきかという問題、選択に直面したのだが、すると、あのマックスウェルハウスのコーヒーのCMに出てくるパーコレーターから小さな泡が立ち昇るように私の頭の中にちょっとした思いつきが生まれ、それからシュナーベルの言葉を思い出したのだ…そうやって頭の中に小さな思いつきが少しずつ生まれるようになって、私は彼が言ったことを何ひとつ忘れていないのだと分かった。単に表面に出てくるかどうか、姿を現すかどうかの違いしかなかったのだ。私に分かったのは、シュナーベルもこうして解決していたのだろうということ、そしていろいろな可能性が、私に話しかけはしないけれども、さっきの思いつきと同じように私の所にやって来たということ--逆のことをやってみようじゃないかと。そうしたらそれがうまくいった。言い換えると、学ぶというプロセスのすべてがこのシューベルトの変ロ長調のソナタとともに始まった。
 まるで私が好きだった昔の映画のようだった。確か『テスト・パイロット』という題で、ジミー・スチュワートかクラーク・ゲーブルだったか忘れたが、彼が戦闘機のテストをし、超音速飛行の実験をする。飛行機を音速で飛ばしながら垂直に急降下させることで、音速の壁を越えようというわけだ。その会社のパイロット全員がそのようにし、地面に激突して死んだ。最後にクラーク・ゲーブルの番がやって来る。彼は急降下した。でもすごいのは機体が激しく振動を始めた時。「振動している」と彼は地上に連絡する。それまでのパイロット全員がやったのは操縦桿を手前に引いて機体を引き起こすことで、それで彼らは死んだ。その時クラーク・ゲーブルは思いついた。逆をやったらどうだろうと。彼は操縦桿を前方に倒した--それが彼の命を救い、音速の壁を破ることができた。
 この物語が私の生涯を導いてきた--シューベルトの変ロ長調ソナタを弾き始めた時も、それが終わったあとも。
 シューベルトのこのソナタの演奏歴について話すと、公開で演奏するようになったのは1951年から52年にかけて。また演奏するようになったのはつい最近のことで、21世紀になってから2回か3回演奏したことがあり、そのあと2003年10月にカーネギーホールで演奏した。
 私はいつも自分に演奏できるレパートリーを探している--ボトックス[訳注:フライシャーの持病ジストニアの治療に使われるボツリヌス毒素]を使っても、できないことがあるので。この曲は演奏可能な範囲内にあるように思えた。
 この曲は前にも録音したことがあり、今回のヴァージョンは少しだけ違っている。以前、大きく外れた音を弾いたことがあったが、それは私が元にした楽譜に実際に存在した音符だった。今度の録音ではそれが訂正されているほか、前とは違う音符が2つか3つある。その最初の録音はColumbiaでの私の初めてのソロ録音だった。

☆☆☆

 アメリカの生んだ正統派ピアニスト、レオン・フライシャーが40年ぶりに行ったソロ録音が、ヴァンガード・クラシックスより届けられました。
 フライシャーは、10歳でシュナーベルに才能を認めら世に出て以来、カーネギーホールでのリサイタル、エリーザベト王妃国際コンクールでアメリカ人としては初めて優勝、グラミーに3回ノミネートされるなど天才ぶりを発揮しましたが、神経障害、ジストニアのため右手が使えなくなり、1965年、37歳の時に第一線から退かざるを得ませんでした。
 以後は左手のピアニストとして、あるいは指揮者、教育者としての活動を行ってきました。また、小澤征爾に乞われてタングルウッドで要職も務めました。
 最新医学による治療の成果が実り、ついに両手による演奏が可能となり、本作の録音にまで至ったのです。アルバムタイトルは、ずばりTWO HANDS。両手のアップによるジャケットもそのものです。
 このアルバムが発売されるやいなや、アメリカでは大評判になり、ニューヨーク・タイムスやワシントンポスト等に一成に書き立てられるほか、NBC等のニュース番組にも取り上げられました。
 パッハ、ショパン、スカルラッティ、ドビュッシーの小品と、シューベルトの最後のソナタを収めたこのアルバムには、両手でピアノを弾く喜びに溢れ、若い頃のバリバリの演奏とは一線を画する、深みをたたえたフライシャーのピアニズムが記録されています。

(以上、引用おわり)
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わが鼻歌・エルガー

2006-07-27 10:30:30 | Weblog
画像:エルガー作曲『威風堂々』第1番のトリオの部分の自筆譜。(http://www.elgar.org/3pomp-a.htm

 メモです。

 最近、何気ないときに、エルガーが書いたメロディを鼻歌することが多くなりました。エルガーの作品では、『威風堂々』、『チェロ協奏曲』、『交響曲第1番』、劇音楽『星の光の速達便(The starlight express)』等が好きです。エルガーの音楽の持ち味は、たとえば『交響曲第1番』第1楽章のテンポ表示のところに「アンダンテ。気品をもって気取らずに素朴に」と書いてあるように、「気取りのない気品」なのだと思います。

***

《名曲スケッチ》サイト
http://www.geocities.jp/mani359/mei0505elgar.html


『行進曲 威風堂々』作品39・第1番 ニ長調(作曲 E・エルガー)
Pomp and Circumstance,Op.39 No.1 in D major Military Marches(E.ELGAR)

 エルガーの軍隊行進曲『威風堂々』は全部で5曲あります。
 5曲中、一番人気のあるこの第1番は1901年に作曲され、同年の10月19日にリヴァプールでアルフレッド・ロードウォルドの指揮で初演されました。初演から3日後の1901年10月22日、ロンドンのクイーンズホールでの演奏会では、熱狂した聴衆のために合計3回も演奏させられたそうです。
 また、時の英国国王エドワード7世はエルガーに、「君は、いずれ世界中に知れ渡る”ふし”を作曲したね」という御言葉を賜ったという有名な逸話が残っています。国王が絶賛したのはトリオ(中間部)の美しいメロディのことで、さらに国王はこれに歌詞をつけるよう勧めました。
 エルガーはこの言葉に応えて翌年、エドワード7世のための『戴冠式領歌(作品44)』の第7曲終曲にA.C.ベンソンの詩をつけて『希望と栄光の国』として、この旋律を使いました。この『希望と栄光の国(Land of Hope and Glory)』はのちに独立した歌曲に編曲され、イギリスの第2の国歌として愛唱されているそうです。
 イギリス人はよくシェークスピアから言葉を引用しますが、この曲の原題『Pomp and Circumstance』もシェイクスピアの『オセロ』第3幕オセロのセリフ『Farewell the neighing steed and the shrill trump, The spirit-stirring drum, the ear-piercing fife, The royal banner, and all quality, Pride, pomp, and circumstance of glorious war! (〈前略〉・・・・誇りに思え、輝かしい戦いの盛儀盛宴よ!)』からとられているそうです。
 ミリタリー・マーチの開始に相応しい勇壮な序奏から一気に気分を高揚させてくれ、その後もグイグイ引っ張られますね。そして悠々と登場するトリオの威厳、風格は、まさに王者、勝者をイメージさせる黄金のメロディといえましょう。

「エドワード・エルガ-(1857-1934)」

 イギリス中西部ののどかな農業地帯、ブロードヒースの田舎家に生まれた。旅回りのピアノ調律師でのちに楽器店の経営者となったエルガーの父親は、カトリック教会のオルガニストも務める多芸多才の音楽家だった。エルガーは15歳で学校教育を終了し、音楽家になりたいという願いを持ちながらも弁護士事務所で一年過ごし、その後は近所でヴァイオリンやピアノを教え、父の後を継いでカトリック教会のオルガニストなども経験した。
 彼は、家から120マイル離れたロンドンにも積極的に出かけ、積極的に進歩的な作曲家の音楽を聴いた。それはベルリオーズ、シューマン、ワーグナー、ブラームス等で、エルガーの作風に影響を与えるようになった。また、愛妻家としても有名で、89年に結婚してから特に名曲を生み出していった。

◆主な作品
管弦楽/エニグマ変奏曲、行進曲『威風堂々』、愛の挨拶、序曲『コケイン』
交響曲/第1番 変イ長調、第2番 変ホ長調
声楽曲/ゲロンティアスの夢、十二使途
弦 楽/序奏とアレグロ

***

 一昨日は、エルガーの『威風堂々』第4番のトリオのメロディを頭の中で盛大に鳴らしながら江戸川橋を自転車で走っていたのですが、急に、未知の『威風堂々』第6番(???!)と思うような、エルガー風のトリオのメロディが浮かんできました。忘れてはまずいと思って慌ててポケットの紙にメモしました。そのメロディを、昨日、ヤマハ音楽教室高田馬場センターのピアノで実際に音にしてみました。。。久し振りの生ピアノで指がまったくまわりませんでしたが、なんとなく『威風堂々』第6番らしい曲(?)として完成しました。。。やっぱり、生のピアノはいいものです。面白かったです。

 それにしても、エルガーの音楽は、時代を超えてどうしてあんなに魅力的なのか本当に不思議です。私はこれからもエルガーを鼻歌し続けるつもりです。
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本(メモ)

2006-07-25 22:09:55 | Weblog
 メモ。

 今日、学校の生協書店で購入した三冊。

津島佑子 著『火の山―山猿記』(上・下)(講談社文庫)〈解説・中上紀〉
アレックス・カー 著『美しき日本の残像』(朝日文庫)〈解説・司馬遼太郎〉

火の山―山猿記〈上〉
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062752964/250-3015058-3401058?v=glance&n=465392&s=gateway

火の山―山猿記〈下〉
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062752972/250-3015058-3401058?v=glance&n=465392&s=gateway

美しき日本の残像
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022642408/250-3015058-3401058?v=glance&n=465392&s=gateway
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ボケーっとした思い出

2006-07-25 15:32:28 | Weblog
 「正直なところ、あれは何だったのだろう」という話です。

 昔話になりますが、小学校4年生ぐらいまで、先生や親などの大人たちから「ほらほら、なに、ボケーっとしているの!!」と急に怒られることが多かったです。こちらとしては好きこのんでボケーっとしたつもりはなかったので心外でしたが、大人たちから見ていると、明らかに私の表情がぼんやりするのがわかったようです。
 「ボケーっとしている」状態について、いま思い返してみると、それは、「無の境地」に入り込んだみたいに世界が固まってしまう感覚に似ていました。その当時は、その現象の原因が何なのかと考えたことはありませんでしたが、今振り返ってみると、あれは、幼児期特有の(?)、一種の「脱魂現象」(?)みたいなものだったかもしれません。
 私以外にもきっと同じ体験の持ち主はいらっしゃるだろう、とそんな気がするのですが。。。。
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短歌メモ

2006-07-24 20:14:11 | Weblog
  ショスタコーヴィチを聴いて音楽批評のレポートを仕上げながら四首――

鳥安の暖簾をくぐる夜はいつもどこかで戦争(いくさ)のニュースは流れて  河村壽仁

レバ刺しをつるりと食つて萩焼(はぎ)猪口(ちよこ)で百遍口まで運んだかも知れぬ  河村壽仁

バクオンに夜(よ)は剥がされて死者たちは割れたる海を渡つてゆきたり  河村壽仁

兎の眼は赫かつたつけ 幽霊坂を運ばれてゆく朝のギューニュー  河村壽仁


(追加二首)

レバノンの朝 鏡は割れてゐつ 晩祷のハープが港に百台  河村壽仁

その朝も微笑むがごとき空はありてバーベキューセットを打ち砕く球  河村壽仁
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