今日は休み。久々に、朝、池袋のビアノスタジオに出かけて一時間半ばかりピアノに触れさせてもらいました。持っていった楽譜やスケッチ譜面を実際に弾いてみると、転調の間違いにきづいたり新たな面白い発見があったり。あっという間でしたが、じつに有益で濃密なひとときを持てました。
今日は休み。久々に、朝、池袋のビアノスタジオに出かけて一時間半ばかりピアノに触れさせてもらいました。持っていった楽譜やスケッチ譜面を実際に弾いてみると、転調の間違いにきづいたり新たな面白い発見があったり。あっという間でしたが、じつに有益で濃密なひとときを持てました。
作品への好奇心というのか、近頃無性に松本清張さんの『水の肌』や『黒い福音』(どちらも新潮文庫)などを手に取って読みたくなってきている。しごと帰り、足はジュンク堂書店池袋本店に向かいたかったが、我慢我慢。家に帰って留守中に録音した大瀧詠一さん追悼ラジオ番組を聴く。薬師丸ひろ子さんの『探偵物語』の主題歌が大瀧さんの作曲だったとは知らなかった。早稲田の先輩で最大限の気持ちであなたが尊敬したいひとをふたり挙げなさいと訊かれたら寺山修司さんと大瀧詠一さんのふたりの名前をたぶん答えるような気がしている最近。奇しくもどちらも東北のご出身。中上健次さんは紀州を隠国(こもりく)と呼んだが、東北も一つの隠国だろう。奥行き感覚が半端なくある。どこまでも深い。それは煌めく光でもあるし漆黒の闇でもある。そういえば、昼間はたしかに長くなったが、しごとから戻ってひょいと気付けば外は真っ暗。
富澤赤黄男さんの俳句より。
自転車がゆきすぐそのあとを闇がゆく 赤黄男
寺山展から帰ってくると、ポストにジュンク堂書店からの封書が届いていました。毎月納品させて頂いている歌誌「塔」納品受領書が中に。私はそれをファイリングします。秋に一年分まとめて請求書を起こすので、ペラペラでちっぽけな納品受領書ですがぞんざいには出来ません。その流れで、久々にジュンク堂書店池袋本店に足を向けることにしました。まず行くのは最上階の音楽書コーナー。伊福部さんの『完本管弦楽法』を椅子に腰掛けて二時間ほどじっくり立ち(?)読み。そのあと、エスカレーターで二階の短歌コーナーへ。懐かしい『うたう☆クラブ三周年記念・穂村コーチ本』(短歌研究社)が新刊の棚にどういうわけかあって、パラパラ読み。実は、そういえば、この本、私の歌が2001年7月の第二回に掲載されていたことを唐突に思い出しチラ見するも、今と全く作風のちがう自分の作品に我ながらおどろいてしまいました。こんなだったっけ、という印象。
短歌メモから。
詞書〈その『日録』によれば、「窮鼠、猫を噛む」は本来、「九曾(きゅうそ)、根胡を噛む」と表記するのが正しいといふ〉
十三代将軍御側(おそば)の御役目(おやくめ)として御屁改(おへあらため)、九曾(きゅうそ)勘左衛門あり
九曾家は大陸渡来の医家にして勘左衛門の母は七十歳(しちじふ)
母の漬けたる瓜をぽりぽり食みながら勘左衛門は坐して書を読む
勘左衛門の登城は明け方、ひと仕事終へて朝飯前に帰宅す
古書店に『九曾勘左衛門日録』あるも、その朝私の財布に銭なし
仕方なく店内に『日録』手に取りて憶えて店の外(と)にて書き留む
〈死後〉堀口大學
私の死んだ後(あと)に
一人が私の歌を歌うかも知れぬ
私の知らぬ一人が……
一人がこれ等の歌の中に
彼みずからの愁(さび)しさを見出(みい)で
やさしく小声に
私の名をつぶやくかも知れぬ
私の知らぬ一人が……
敗者であり
弱者であり
そして私の知らぬ一人が
私の死んだ後に
これ等の悲しい歌によって
私を愛してくれるかも知れぬ
私の知らぬ一人が……
堀口大學氏のこの詩を時折なにかの拍子に心のなかでつぶやくとき、私はなんとも言えない不思議な温かみが胸に兆してくるのをいつも覚えるのです。