歌誌『塔』六月号より。
背伸びして柱時計のねじを巻く父の仕事の踏み台のこる/相馬好子
朝ごとに父が日課としている柱時計のねじ巻き作業。その柱時計は先祖代々の家のシンボルで、家中を見渡せる柱の高い位置に据えられているのかもしれぬ。家長としての父は、そのねじ巻き作業を矜持をもって行ってきたが、老いて背の縮んできた父にとって柱時計に手を伸ばして作業をすることはだんだん困難になってきているようで、いつしか踏み台を持ってきて使うようになり、最近ではさらにその上で背伸びもしているようだ。しかし、そのことで決して弱音を吐かない父。あの柱時計のねじを巻くのは家長であるオレの仕事だぞ、と父はいつも言う。ねじを巻き終わると、父は踏み台をヨイショと元の場所へ持ってゆく。そんな父の姿を、作中主体はハラハラしながらも誇らしく愛おしく見守ってきた。そんなある日、父は踏み台を戻し忘れた。いや、バランスを崩して踏み台から墜落してしまって病院へ担ぎ込まれてしまい、踏み台を戻せなくなったのかもしれぬ。結句〈踏み台のこる〉の余韻が実に深くて雄弁。
背伸びして柱時計のねじを巻く父の仕事の踏み台のこる/相馬好子
朝ごとに父が日課としている柱時計のねじ巻き作業。その柱時計は先祖代々の家のシンボルで、家中を見渡せる柱の高い位置に据えられているのかもしれぬ。家長としての父は、そのねじ巻き作業を矜持をもって行ってきたが、老いて背の縮んできた父にとって柱時計に手を伸ばして作業をすることはだんだん困難になってきているようで、いつしか踏み台を持ってきて使うようになり、最近ではさらにその上で背伸びもしているようだ。しかし、そのことで決して弱音を吐かない父。あの柱時計のねじを巻くのは家長であるオレの仕事だぞ、と父はいつも言う。ねじを巻き終わると、父は踏み台をヨイショと元の場所へ持ってゆく。そんな父の姿を、作中主体はハラハラしながらも誇らしく愛おしく見守ってきた。そんなある日、父は踏み台を戻し忘れた。いや、バランスを崩して踏み台から墜落してしまって病院へ担ぎ込まれてしまい、踏み台を戻せなくなったのかもしれぬ。結句〈踏み台のこる〉の余韻が実に深くて雄弁。