昨日、しごとから帰って来て、予約録音したラジオを再生しながら、面白くてぐいぐい引き込まれた番組がふたつあった。一つは、TBSラジオの安住紳一郎アナウンサーの日曜天国(ゲストみうらじゅん氏)、もう一つはNHK FMのきらクラ!(ゲスト小沢健二氏)。こころがぱあっと晴れて明るくなった。
ある日突然急に短歌を詠みたくなって手近なチラシ裏に書くようになった。好き勝手に詠んではあちらこちらに投稿を繰り返しているうち、憧れの河野裕子先生のいらっしゃるところで詠みたいなあ、と切実に思い始めた。そんなとき、偶々、憧れの河野先生から〈よかったらうちの会に来ませんか〉と思いがけずお誘いが来た。あまりにびっくりしてしまって、〈申し訳ありません。いったんしばらく考えさせてください〉とお返事して、どうしようか考えた。そのうちに、先生が重たいご病気になられたことを知り、あわてて先生の短歌の会に入れて頂くことにした。晴れて先生に毎月作品を見て頂けることになった。河野先生は私のつくる短歌を〈変な歌、妙な歌〉と呼ばれて心底から面白がってくださった。これがあなたの作風なのだからこのやりかたで作り続けなさい、人真似に走ったら駄目ですよ、といつも仰有ってくださった。先生亡きいまも、やはり、これまで同様先生に読んでいただくつもりで、私は作品を作り続ける。先生はあちらからいつも私の作品を見てくださっているはず。。
北村太郎氏の詩句を思う今朝。。以下は、北村太郎氏の詩『雨』のことば。
春はすべての重たい窓に街の影をうつす。
街に雨はふりやまず、
われわれの死のやがてくるあたりも煙っている。
丘のうえの共同墓地。
墓はわれわれ一人づつの眼の底まで十字架を焼きつけ、
われわれの快楽を量りつくそうとする。
雨が墓地と窓のあいだに、
ゼラニウムの飾られた小さな街をぼかす。
(『北村太郎詩集』所収)
詩人北村太郎氏の墓所。世田谷区北烏山・妙祐寺 。
祖父も父もそれぞれ母方の苗字を継いでいるのであれだが。。。昨晩、たまたま遊び心で苗字検索サイトみたいなところで、父方の祖父方の曾祖父方の本家の苗字を名乗っている人数を調べてみたら、今の日本では百人ぐらいしかいないということを知った。そんなに少ないのか、、と驚いた。
今朝見た夢のメモ。ある歌会に出掛けてそこからの帰り道。道でオール巨人・阪神師匠にたまたま遭遇し、これはサインをお願いしたいとあわてて鞄のなかを探すも原稿用紙しかなかったのでそれを取りだし〈ファンです。この紙にサインを頂けませんか〉とお声を描けたら、近くのラーメン屋の机で快く書いてくださることに。ラーメンを注文し、まず巨人師匠が原稿用紙一枚にさらさらと文章を書かれて、〈即興小説ですねん。この続きは阪神さんが書きますから〉と阪神師匠に渡された。僕は完成が楽しみでわくわくしている。。そこで目が覚めた。
今朝の短歌メモから。
運河橋でカフカの父を追ひ抜きぬ 私の掌の中の蓬饅頭
赤帽子を被りてアパート玄関にをり 昨日まで貴婦人の犬の二匹は
葬列がゆくりとアパートを出でてゆく 自転車置き場の冷えたる鉄管
亡き〈樋上大作〉のノオトに短歌は三首のみ カフカの父と貴婦人のうた
〈樋上大作〉はあちら岸を見てゐたかもしれぬ 運河橋の上の一つの眼球
〈事故だつたんです……〉電話口で誰かが呟く。葬列は去りたるも、一つの眼球はアパートの上