メモ。コンサート情報です。
【東京藝術大学オーボエ専攻の学生さんによる同仁教会演奏会】
(入場無料)
日時:2006年2月22日(水)17時半開場/18時開演
会場:同仁キリスト教会(東京メトロ有楽町線「護国寺」駅6番出口より徒歩8分)
《プログラム》
第一部:バロック時代に書かれたオーボエ作品。
第二部:ロマン派から近代フランスのオーボエ作品。
☆
同仁キリスト教会のこと。
同仁キリスト教会, 〒112-0015 東京都文京区目白台3-10-9, TEL03-3943-1879 FAX03-3943-1882.
☆
《躁鬱なのんのん日々:教会》
http://gooh.cocolog-nifty.com/index/cat1428592/index.html
(前略)
文京区にある同仁キリスト教会の主日礼拝に行ってみた。この教会は日本ではとても珍しいユニヴァーサリストという教派なのです。この教派の教義は私の宗教観に最も近いので、行って見たかったのです。
受付で「初めてこちらに来ました」というと、聖書と讃美歌集を渡されました。礼拝堂に入って、華美ではないけど落ち着いた美しさのある印象を受けました。
週報と礼拝プログラムをみると、おお、礼拝でハープ演奏があるんだ!さすが高級住宅地の教会だ。
・・・礼拝の感想としては、他のプロテスタントと同じような感じでした。せっかくの教義の良さが出ていない礼拝内容でした。午前11時と朝遅くからの礼拝であるのだけど、礼拝堂の規模に比べて礼拝に出席する人が少ないです。近所にカトリックの東京カテドラルがあるからでしょうか?
(後略)
☆
『ユニヴァーサリスト』
キリスト教の一派で、合理主義的理由で三位一体説を認めず、イエスを「見習うべき最高の弟子」と考えている。教義の面からアリウス派 としばしば比較される。。。そうです。
*
『アリウス派』
アレクサンドリアの司祭アリウス(250ごろ~336)によって唱えられたキリスト論に組みする一派。アリウスは,聖父の神性を重視し,〈神のみは始まりをもたずに存在する〉という立場から,聖子キリストは父なる神の被造物である,と聖子の人性を強調した“聖子従属説”を主張し,アレクサンドリア司教アレクサンドロスによって,321年に破門された。そこで有力な教会政治家ニコメディア司教エウセビオスに助けを求めたので,教会全体を巻き込む論争になった。皇帝コンスタンティヌスは調停を試み,325年にニケーア公会議を召集,アリウスとその同調者の破門を決定,アリウスらは追放された。だが彼の死後,皇帝コンスタンティウス2世がアリウス説を信奉したこともあって,教勢は一時むしろ盛んになったが,徐々に正統派に吸収され,4世紀末からは,ゲルマン人のあいだに7世紀まで残存するにすぎなかった。
*
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%B4%BE
アリウス派(ありうすは)は、アレキサンドリアの司祭、アレイオス(アリウス、250年頃 - 336年頃)の教説を信奉する古代キリスト教の一派である。
三位一体を否定し、父なる神と子なるイエス・キリスト、および聖霊は全く異なる(ヘテロウシオス)とする説は一時、東方で支持者を得るがニケア公会議で異端とされた。アリウスの死後、3派に分裂しつつも皇帝コンスタンティウス2世の支持を得るなど勢力を保っていたが、カルケドン公会議で再び異端を宣告された。
それでもゲルマン人のヴァンダル王国・東ゴート王国などでは強い勢力を持ち、これらの諸王国では正統とされたアタナシウス派が迫害されるほどであった。しかし、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世によってヴァンダル・東ゴートが滅ぼされ、フランク王国のクローヴィスがアタナシウス派に改宗すると、アタナシウス派に押されて勢力としては消滅した。しかしながら少数派として生き延び、イギリスではアイザック・ニュートンがアリウス派であるとされている。アリウス派の一派は教父ウルフィラにより西ゴート人に伝道されている。
アリウス派の宗教遺構としてラヴェンナのアリウス派洗礼堂およびサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂があり、世界遺産に登録されている。
【東京藝術大学オーボエ専攻の学生さんによる同仁教会演奏会】
(入場無料)
日時:2006年2月22日(水)17時半開場/18時開演
会場:同仁キリスト教会(東京メトロ有楽町線「護国寺」駅6番出口より徒歩8分)
《プログラム》
第一部:バロック時代に書かれたオーボエ作品。
第二部:ロマン派から近代フランスのオーボエ作品。
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同仁キリスト教会のこと。
同仁キリスト教会, 〒112-0015 東京都文京区目白台3-10-9, TEL03-3943-1879 FAX03-3943-1882.
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《躁鬱なのんのん日々:教会》
http://gooh.cocolog-nifty.com/index/cat1428592/index.html
(前略)
文京区にある同仁キリスト教会の主日礼拝に行ってみた。この教会は日本ではとても珍しいユニヴァーサリストという教派なのです。この教派の教義は私の宗教観に最も近いので、行って見たかったのです。
受付で「初めてこちらに来ました」というと、聖書と讃美歌集を渡されました。礼拝堂に入って、華美ではないけど落ち着いた美しさのある印象を受けました。
週報と礼拝プログラムをみると、おお、礼拝でハープ演奏があるんだ!さすが高級住宅地の教会だ。
・・・礼拝の感想としては、他のプロテスタントと同じような感じでした。せっかくの教義の良さが出ていない礼拝内容でした。午前11時と朝遅くからの礼拝であるのだけど、礼拝堂の規模に比べて礼拝に出席する人が少ないです。近所にカトリックの東京カテドラルがあるからでしょうか?
(後略)
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『ユニヴァーサリスト』
キリスト教の一派で、合理主義的理由で三位一体説を認めず、イエスを「見習うべき最高の弟子」と考えている。教義の面からアリウス派 としばしば比較される。。。そうです。
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『アリウス派』
アレクサンドリアの司祭アリウス(250ごろ~336)によって唱えられたキリスト論に組みする一派。アリウスは,聖父の神性を重視し,〈神のみは始まりをもたずに存在する〉という立場から,聖子キリストは父なる神の被造物である,と聖子の人性を強調した“聖子従属説”を主張し,アレクサンドリア司教アレクサンドロスによって,321年に破門された。そこで有力な教会政治家ニコメディア司教エウセビオスに助けを求めたので,教会全体を巻き込む論争になった。皇帝コンスタンティヌスは調停を試み,325年にニケーア公会議を召集,アリウスとその同調者の破門を決定,アリウスらは追放された。だが彼の死後,皇帝コンスタンティウス2世がアリウス説を信奉したこともあって,教勢は一時むしろ盛んになったが,徐々に正統派に吸収され,4世紀末からは,ゲルマン人のあいだに7世紀まで残存するにすぎなかった。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%B4%BE
アリウス派(ありうすは)は、アレキサンドリアの司祭、アレイオス(アリウス、250年頃 - 336年頃)の教説を信奉する古代キリスト教の一派である。
三位一体を否定し、父なる神と子なるイエス・キリスト、および聖霊は全く異なる(ヘテロウシオス)とする説は一時、東方で支持者を得るがニケア公会議で異端とされた。アリウスの死後、3派に分裂しつつも皇帝コンスタンティウス2世の支持を得るなど勢力を保っていたが、カルケドン公会議で再び異端を宣告された。
それでもゲルマン人のヴァンダル王国・東ゴート王国などでは強い勢力を持ち、これらの諸王国では正統とされたアタナシウス派が迫害されるほどであった。しかし、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世によってヴァンダル・東ゴートが滅ぼされ、フランク王国のクローヴィスがアタナシウス派に改宗すると、アタナシウス派に押されて勢力としては消滅した。しかしながら少数派として生き延び、イギリスではアイザック・ニュートンがアリウス派であるとされている。アリウス派の一派は教父ウルフィラにより西ゴート人に伝道されている。
アリウス派の宗教遺構としてラヴェンナのアリウス派洗礼堂およびサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂があり、世界遺産に登録されている。