『早坂文雄の作曲ノート1』
『早坂文雄の作曲ノート2』
『早坂文雄の作曲ノート3』
著者:中嶋恒雄(山梨大学名誉教授)
著書:季刊CMC[音楽文化の創造]1999・№13、1999・№14、1999・№15
〈要点〉
早坂文雄が生前に創作のための覚書として残したぼうだいな日記体のノートから、その断片を紹介し、現在我々が抱えている、音楽における課題解決の手掛かりを提供している。
(発行)
財団法人 音楽文化創造
(℡)03-5256-2766
メモです。。。
ベイエリア在住映画評論家町山智浩氏のアメリカ日記
「2013-01-29日本最速試写つき!タランティーノ監督『ジャンゴ繋がれざる者』秘宝」
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20130129
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悪人。
その日、昼過ぎに千駄ヶ谷の木工所の手伝い仕事が終わって今日一日分の日当をポケットに突っ込んで、夕方まで国際きのこ狩り連盟の友人たちと東京の代々木公園できのこ狩りを楽しんだ。そういえば、代々木公園隣りにある国際きのこ狩り連盟の会員控えの間には、アメリカのジョン・ケージという人と日本の武満徹(武満はなんと読むのだろう、、、ぶまん、だろうか)という人の肖像画が並んで掛かっていて、「きのこ狩り愛好者の神」と讃えられているけれども、彼らがどういうひとたちだったかよく知らない。秋になるときのこ飯が格別に美味い。きのこにはいろいろあるけれども、どのきのこも美味いと思う。久しぶりのきのこ尽くしの夜飯のあと、二階や隣りの部屋の住人の気配が珍しくしてこなくてこれは貴重なしずかな夜だと思い、絶好の機会だからと宇宙空間に枝や葉を千年間拡げる大樹から雨滴がひっきりなしに滴っている様子を卓袱台の前に正座し瞑目してイメージしていると、ゆくりなく雨音が屋根を打ち出した。ありゃりゃ風呂屋に行っておくんだったと目を開き、立ち上がって窓のカーテンをずらして外を覗こうとすると、五十冊ほどの積ん読書の峰が二つ三つ、がさりと崩れ落ちた。畳に散らばったシリトーやマードックやジュネやセルバンテスや莫言を呆然と眺めていたら、サンダルを突っかけて足早に引き摺るように歩く音がアパートの廊下に入ってきてこちらのドアの前で止まり、「の、じ、ま、はーん、おるかえー?」としわがれた甲高い大家の声がドアを叩いたので、「おるでよー、おばはん、こないになんやね?」とドア越しに訊くと、「ささきはんが大変なんや。ちとすぐに来てくれんかねー」といつものように語尾を伸ばした。ささきはんというのは大体いつも大家の家の玄関先の床几で日本酒をやりつつ近所の囲碁愛好者と囲碁打ちを楽しんでいる好々爺で大家の旦那みたいな男であるが、背中に立派な鯉の刺青を入れている。大家のところに二十数年前に地上げ屋としてトラックで乗り付けてきて、どう大家が言いくるめ手懐けたか不明だがそのまま転がり込んで居座ってとうとう旦那として住み着いてしまったという話を聞いたことがある。大家と一緒に急いで家に行くと、玄関の扉がなくなっていてタタキの靴やらサンダルやらが乱れているのが見えた。家の中は見通し良く吹きさらしになっていた。「ささきのおっちゃんはどないしたのや?この玄関は?」と大家を振り返ると、大家は「トラックで身体のでかい兄ちゃんたちが来てささきはんが玄関に出て行ったのやけど、そのうちにささきはん、扉に乗っけられて兄ちゃんたちと行ってもうたんや。どこへ行ったかわしにはようわからんわ。」と途方に暮れたように言った。「駐在はんにはおばはん、もう言うたのか?」「いんや、まだ誰にも言うとらん。のじまはんにまず見てもらおと思うたんや。」「ほうか、じゃ、すぐに駐在はんも呼びなはれ。」「ほうやね。すぐに掛けてくるわ。」大家はタタキにサンダルを脱ぎ捨てると小走りに奥へ電話を掛けに行った。駐在所というのは駅の近くにあり、大家の家からは少し距離がある。
東京新聞記事(20130129)【鎌倉文士も舌鼓「うなぎ老舗」閉店惜しむ声続々…】
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013012990110536.html
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松村禎三氏の言葉。
すぐれた音楽はどんなポピュラーな小品でも、無音のところから立ち上がって、生まれてきたばかりのような新鮮な気配をもって始まるのである。ヨハン・シュトラウスの《美しき碧きドナウ》は前奏の後、ド・ミ・ソという音を拾って旋律が始まる。ふるえるほど美しい。ドミソの音型で始まる楽曲は過去に山のように無数にある。しかしここでのドミソはそれまで聴いたことがない旋律として全く新しい瑞々しい顔をして現れるのである。これこそ“前衛”ではないであろうか。松村禎三(『真の前衛精神を求めて』1999年11月より)