メモです。。。
2008年7月19日(土)
横浜みなとみらいホール・大ホール
http://www.yaf.or.jp/mmh/schedule/200807.html
「サウンドブリッジ合唱団演奏会」
J,Sバッハ:「ヨハネ受難曲」全曲
18:00開演/当日指定¥2,000
サウンドブリッジ事務局 045-402-5909
横浜みなとみらいホール
〒220-0012
横浜市西区みなとみらい2-3-6
Tel:045-682-2020 Fax:045-682-2023
e-mail:mmh@yaf.or.jp
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この作品には『マタイ』のようなドラマティックな展開はなく、終始静かで地味な音楽があるだけである。それだけに、歌手、演奏、指揮者の力量がもろにでてしまう難曲である。聴き所は色々とあるが、全体を通していえば持続する緊張感、そして合唱の彫りの深さといえようか。
細かく見ていくと、敬虔な慎みに満ちた深い調べの聴かれる最後のコラールの前、「憩え、聖なる亡骸よ」が、曲中最大の聴きどころと言えるかもしれない。 ここでは、「Ruht wohl」と歌われる調べが再現され、それがエコーのように伴奏と同じ旋律を奏でる。このとき多くの聴衆は、「世界にこれ以上深い音楽はない」ときっと感ずるだろうと思う。
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指揮者の内藤彰氏のブログより
2008年07月3日の日記
http://www.naito-akira.com/archives/40
―「ヨハネ受難曲」の演奏にあたって一言(サウンドブリッジ合唱団のプログラムノートのために)日記
毎度のことで申し訳ございませんが、私は他の多くの方々のようにプライベートの生活上のことをよそ様が読んで面白い、あるいは興味ある内容で書くことが苦手です。
そのためいつも同じような内容になってしまいますが、今回も、あるアマチュア合唱団の本番(7月19日・横浜みなとみらいホール)のために書きました、素人さん向けのプログラムノートです。私の考えの一端を素人さんにも分かるように書いたつもりです。
今宵の「ヨハネ受難曲」の演奏にあたって一言(by内藤 彰)
バッハはご存知のように今から三百年ほど前に活躍した作曲家で、ヘンデルと共に芸術の分野ではいわゆるバロックと言われた時代の代表的作曲家の一人です。
ここ三百年間における自然科学の進歩は人類史上でも最も著しいと言われていますが、クラシック音楽界も同様で、バロック時代以降楽譜や楽器の進歩も手伝って急激な進歩を遂げてきました。
何しろまだ当時はピアノという楽器は存在せず、管楽器も弦楽器も現在と比べかなりレベルの低いものでした。楽器の進歩はその後二百年ほど続き、二十世紀になってほぼ現在と同じ完成されたスタイルになったといわれています。
しかしそれとほぼ時を同じくして今度は演奏法に大きな革命が起きました。オーケストラの中でヴィブラートをかけ始めたのです。二十世紀になるまでは、すなわちロマン派の音楽のころまでは、オーケストラの演奏上ヴィブラートは存在しませんでした(独奏楽器としては、現在のような発達した輝かしいものではありませんが、ところどころポイントの箇所でヴィブラートもどきの飾りをつけていたことはあったようです)。
現在レベル如何に関わらず世界中のオーケストラで行われるようになった、このヴィブラートを休みなくかけられるだけかけてしまうというスタイルは、美しくもありその華麗さはそれまでの演奏史上に類を見ません。
しかしその反面で、すべての曲が同じヴィブラートの音色に染められ、そのためにそれまで受け継がれてきた大切な個々の時代、国、作曲家による特有の伝統的演奏スタイルは、ことごとく破壊され失われていったのです。
もちろん十九世紀に活躍したブラームスもワーグナーもマーラーも自分の曲にヴィブラートがかけられて演奏されるなどということはまったく想像だにしないまま、少なくても今よりはピュアで澄んだ軽い響で演奏されることを前提に作曲していました。その前提に立って考えますと、現在多くの人が彼らの曲に対して持っているであろう重厚で堂々と華麗に演奏されるイメージと、作曲家立会いで行われた初演当時のそれとの間には、かなり大きな違いがあったことが容易に想像されます。
もちろん彼ら以前のモーツァルトやベートーヴェンはなおさらです。
しかし二十世紀も半ば以降になるとそういった歴史上の変遷もすっかり忘れ去られ、ヴィブラート中心の演奏があたかも昔からの伝統や様式に基づいた演奏法であるかのごときイメージが広がっていきました。
そしてその演奏スタイルは残念ながらいまだに世界中で受け入れられています。
こういった音楽史実に基づかない演奏法の流行は非常に嘆かわしい現象であると同時に、クラシック音楽界の発展にとっても大きな損失だと私は常々考えています。
幸いにも二十世紀末頃になって、ようやくこの憂える現象からクラシック音楽界を救うための運動、すなわちできるだけ当時演奏されていたスタイル、作曲家の本来意図した演奏様式に基づいた演奏法に戻そうという運動が世界中で湧き上がってきました。
変な譬えですが、もし時代劇の中で、イケメンの侍が背広を着て七三の髪で登城するとか、あるいは夜は蝋燭か提灯の明かりしかなく暗いはずなのに、それじゃ画面が綺麗に写らないからといって、天井からは蛍光灯がこうこうと照ってそれがスクリーンにまで映っているという、そういう時代考証のでたらめな映画を見たとしたら皆様はどうお感じになられるでしょうか。
二十世紀の後半以降の、すなわち私たちが現在巷で耳にする華麗で重厚なオーケストラの響きは、少なくてもロマン派以前の曲の立場からすれば、まさにその映画同様、時代考証(時代様式)の欠如したとても奇異なものと言わざるを得ないのです。それがたとえどんなに美しく響いていたとしても(その時代の響でも作曲家の意図通りでもない故)。
今宵は極力バッハの時代の演奏法に近づけるように、当時の演奏法、すなわちヴィブラートは極力かけず、そのかわりに当時の表現方法として代表的な慣習、例えば長めの音符は真ん中を常にのびのびと抑揚を持って膨らませまたすぐに抜いて演奏するとか、大きい音のまま太く演奏し続ける現在の演奏法は極力ひかえる等々、オーケストラも合唱も一生懸命様式に気を配って演奏しようと思っています。
うまくいくかどうか分かりませんが、まずは試みてみるということが大切です。サウンドブリッジ合唱団は、アマチュアですが、だからこそ撃沈覚悟でプロもなかなかやれない高級なことにチャレンジできるのです。
オーケストラからも皆様には聴き慣れない音色が聴こえて来るかもしれませんが、これが当時の音色に近い演奏であるとお思いになってお楽しみくだされば幸いです。
なお独唱の皆さんには、ヴィブラートが多少はかかったとしても、極力控え目かつ幅の狭い、当時に近い音色で歌っていただくようお願いしてあります。(了)