カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

ホルスト・シュタイン氏逝去

2008-07-30 16:41:36 | Weblog
 ホルスト・シュタイン氏ご逝去とのこと、残念です。。。

ホルスト・シュタイン氏(NHK交響楽団名誉指揮者)逝去
(時事通信ニュース)
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2008072900408
NHK交響楽団によると、27日、スイスの自宅で死去、80歳。
ドイツ・ブッパータール市生まれ。50年代、カラヤンらのアシスタントとして研さんを積み、62年、「パルジファル」でバイロイト音楽祭デビュー。ウィーン国立歌劇場第1指揮者、ハンブルク州立歌劇場音楽総監督などを歴任し、ワーグナー指揮者としての名声を築いた。日本では73年にNHK交響楽団を初めて指揮した。(了)(2008/07/29-12:34)

 ****

N響名誉指揮者、ホルスト・シュタインが死去
(7月29日11時17分配信 産経新聞記事)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080729-00000922-san-ent
ホルスト・シュタイン氏(ドイツの指揮者、NHK交響楽団名誉指揮者)27日、スイスの自宅で死去、80歳。
28年、ドイツ西部のエルバーフェルト(現ブッパータール)生まれ。ウィーン国立歌劇場首席指揮者、ハンブルク国立歌劇場音楽総監督などを歴任。62年からドイツのバイロイト音楽祭にたびたび登場し、ワーグナー指揮者として世界的な名声を獲得した。日本では73年、NHK交響楽団を指揮し、75年から同楽団名誉指揮者となり、98年まで客演を続けた。
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高橋たか子さんの『土地の力』

2008-07-29 08:32:29 | Weblog
 二三年前に、四谷の書店「サンパウロ」東京本店で求めて未読だった高橋たか子さんの『土地の力』(女子パウロ会)。エッセイのようでもあり、小説のようでもある一冊を、急に読みたくなった。
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細川俊夫氏と辻邦生氏

2008-07-28 20:45:44 | Weblog
 細川俊夫氏の弦楽四重奏曲第2番「原像」(1988年)をこの間初めて聴いた。2008年7月23日(水)の晩、渋谷ステュディオで開催された『ナイトセッション』の中でである。これは作曲家の川島素晴氏らが主唱されて行われた特別な現代音楽イベントで、細川氏の曲は最後の方で演奏された。
 曲は、神の顕現に始まり、神の退場に終わる―そのように私には感じられた。ここでいう「神」とは、西洋の神ではなくて東洋の神のことである。
 そういえば、片山杜秀氏が奇しくも『音盤博物誌』(ARTES)の中で次のようなことを述べておられた。

**以下引用部分**
(前略)辻邦生の文学が、あまりに典型的な「留学生文学」なら、細川の音楽は、それとすっかり同型的な「留学生音楽」ではあるまいか。そして、細川の仕事は辻の営為を、異分野で、十五年かニ十年遅れで、後追いしたものといえないか。(中略)辻邦生は、絵に描いたような近代の文学者であった。近代とは端的にいえば神なき時代である。神というのはすべてを知るから神であり、それがいなくなって空白が生じたとすれば、そこを人間が埋めなくてはいけない。でないと、世界がさみしくなる。人間がすべてをわかりきり、神になりかわりたくなるのだ。(後略)
**以上引用部分**

 面白い指摘だ。

 その晩、辻さんの大長編『背教者ユリアヌス』を無性に読みたくなった。
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宇多さん

2008-07-28 01:17:16 | Weblog
 宇多喜代子さんの第五句集『象』(角川書店、2000年7月)に、つぎのような作品があるという。

八月の窓の辺にまた象が来る  宇多喜代子

 それを知った日、つぎなる五七五七七が浮かんだ。

象の来る八月の窓辺に宇多さんは天皇とおなじ名にて待ちをり

 宇多さんの上の句は、「悼 中上健次 六句」の一句という。中上健次氏は1992年逝去。
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Harp and Flute ニ長調

2008-07-26 20:52:53 | Weblog
 今日は、朝からお寺のお手伝いに。お寺での法事の予定が珍しく入っていなかった今日は、いつもながらに本堂や寺務所の掃除をとことんさせていただくとともに、お昼頃、さいたまの霊園での納骨式をつとめさせていただきました。
 夕方、お寺を辞して、ひさしぶりに池袋のヤマハへ。一時間だけピアノ室を借りて、最近生まれたばかりの甥っ子のために降りてきたハープとフルートのためのメロディ(Harp and Flute ニ長調)の譜面作りを少々。やはり、一時間だけでは時間が足りませんでした。。。
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SIOフィル ドリームコンサート

2008-07-24 14:48:29 | Weblog
演奏会情報から、メモです。。。

*****

SIOフィル ドリームコンサート

日時:2008年8月26日(火)19:00開演(開場18:15)

会場:府中の森芸術劇場どりーむホール
(京王線・東府中駅下車・徒歩5分)
〒183-0001
東京都府中市浅間町1-2
TEL:042-335-6211(代表)

全席自由/入場無料
(但し、未就学児の入場は不可)

[曲目]

モーツァルト作曲 歌劇『フィガロの結婚』序曲

メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64(*)

ベートーヴェン作曲 交響曲第五番ハ短調Op.67「運命」

 ☆☆☆

指揮:汐澤安彦氏

ヴァイオリン独奏(*):民谷香子さん

SIOフィルハーモニックオーケストラ
(コンサートマスター:三溝健一氏)
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ポニョの飛行

2008-07-21 03:46:03 | Weblog
 久石さん作曲の『崖の上のポニョ』サウンドトラックアルバムを聴いていると、『ワルキューレの騎行』のパロディがあったり、映画『シザーハンズ』の音楽パロディがあったり、ラヴェル(?)風のフレーズが出てきたり、リヒャルト・シュトラウスの歌曲(?)風の音楽が登場したり、と楽しいです。久石さんは、音楽史の作曲家系譜から見ると、黒澤映画でさまざまな音楽パロディを披露した早坂文雄さんの孫弟子にあたられるわけで、そのことを再確認させてくれるアルバムにしあがっているようです。
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岩城宏之さんの俳句作品

2008-07-20 20:57:06 | Weblog
 石寒太氏の編になる『命の一句』(徳間書店)に、2006年に亡くなった指揮者岩城宏之さんの「最期の俳句作品」という一句が収録されている。

春浅しまだまだヨハンシュトラウス  岩城宏之

 岩城さんが、才筆を揮(ふる)われていたエッセイばかりか、俳句まで嗜んでおられたとは知らなかった。

 びっくりです。
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導かれてポニョへ

2008-07-20 00:21:49 | Weblog
 昨日はお昼過ぎまでしごとでした。しごとが終わって、夕方からの横浜みなとみらいホールでのヨハネ受難曲のコンサートに、当日券を買ってぜひ聴きにいきたいと思いました。横浜だったら渋谷駅経由だろうと、大学正門前から渋谷駅へ循環しているバスに飛び乗ったのです。そのバスに乗れば、大体一時間以内には渋谷駅に行かれるはずで、そうするとそこから横浜方面行きの電車に乗ってコンサートには十分間に合うかなと思っていました。バスは空いていて、ほっとして椅子に座ったのが運の尽き。どこから湧いて来るのか強烈な睡魔に襲われ、気が付いたら私のバスは、大学正門前バス停に着くところでした。循環バスゆえ、丸々往復してしまったのでした。もはや横浜のコンサートに出かけようという気力は潰えてしまいました。とりあえず大学正門前バス停で下り、自分にやや呆れながら、シャツのポケットを探って携帯ラジオのスイッチを入れました。すると、イヤフォンから流れてきたのが、♪ポーニョ、ポニョポニョ・・♪のうた。「今日から公開です」とのこと。導かれるように、池袋の映画館へ。

並んで見ました。

素晴らしい深いストーリーに感動しました。

人目も憚らず泣きました(。。。。。単に涙腺が弱くなっているだけかもしれないです)

よかったです。
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今宵の「ヨハネ受難曲」

2008-07-19 13:54:27 | Weblog
メモです。。。

2008年7月19日(土)
横浜みなとみらいホール・大ホール
http://www.yaf.or.jp/mmh/schedule/200807.html

「サウンドブリッジ合唱団演奏会」

J,Sバッハ:「ヨハネ受難曲」全曲
18:00開演/当日指定¥2,000
サウンドブリッジ事務局 045-402-5909

横浜みなとみらいホール
〒220-0012
横浜市西区みなとみらい2-3-6
Tel:045-682-2020 Fax:045-682-2023
e-mail:mmh@yaf.or.jp

 ***

この作品には『マタイ』のようなドラマティックな展開はなく、終始静かで地味な音楽があるだけである。それだけに、歌手、演奏、指揮者の力量がもろにでてしまう難曲である。聴き所は色々とあるが、全体を通していえば持続する緊張感、そして合唱の彫りの深さといえようか。
細かく見ていくと、敬虔な慎みに満ちた深い調べの聴かれる最後のコラールの前、「憩え、聖なる亡骸よ」が、曲中最大の聴きどころと言えるかもしれない。 ここでは、「Ruht wohl」と歌われる調べが再現され、それがエコーのように伴奏と同じ旋律を奏でる。このとき多くの聴衆は、「世界にこれ以上深い音楽はない」ときっと感ずるだろうと思う。  

 *****

指揮者の内藤彰氏のブログより
2008年07月3日の日記
http://www.naito-akira.com/archives/40

―「ヨハネ受難曲」の演奏にあたって一言(サウンドブリッジ合唱団のプログラムノートのために)日記

 毎度のことで申し訳ございませんが、私は他の多くの方々のようにプライベートの生活上のことをよそ様が読んで面白い、あるいは興味ある内容で書くことが苦手です。
 そのためいつも同じような内容になってしまいますが、今回も、あるアマチュア合唱団の本番(7月19日・横浜みなとみらいホール)のために書きました、素人さん向けのプログラムノートです。私の考えの一端を素人さんにも分かるように書いたつもりです。

今宵の「ヨハネ受難曲」の演奏にあたって一言(by内藤 彰)

 バッハはご存知のように今から三百年ほど前に活躍した作曲家で、ヘンデルと共に芸術の分野ではいわゆるバロックと言われた時代の代表的作曲家の一人です。
 ここ三百年間における自然科学の進歩は人類史上でも最も著しいと言われていますが、クラシック音楽界も同様で、バロック時代以降楽譜や楽器の進歩も手伝って急激な進歩を遂げてきました。
 何しろまだ当時はピアノという楽器は存在せず、管楽器も弦楽器も現在と比べかなりレベルの低いものでした。楽器の進歩はその後二百年ほど続き、二十世紀になってほぼ現在と同じ完成されたスタイルになったといわれています。
 しかしそれとほぼ時を同じくして今度は演奏法に大きな革命が起きました。オーケストラの中でヴィブラートをかけ始めたのです。二十世紀になるまでは、すなわちロマン派の音楽のころまでは、オーケストラの演奏上ヴィブラートは存在しませんでした(独奏楽器としては、現在のような発達した輝かしいものではありませんが、ところどころポイントの箇所でヴィブラートもどきの飾りをつけていたことはあったようです)。
 現在レベル如何に関わらず世界中のオーケストラで行われるようになった、このヴィブラートを休みなくかけられるだけかけてしまうというスタイルは、美しくもありその華麗さはそれまでの演奏史上に類を見ません。
しかしその反面で、すべての曲が同じヴィブラートの音色に染められ、そのためにそれまで受け継がれてきた大切な個々の時代、国、作曲家による特有の伝統的演奏スタイルは、ことごとく破壊され失われていったのです。
 もちろん十九世紀に活躍したブラームスもワーグナーもマーラーも自分の曲にヴィブラートがかけられて演奏されるなどということはまったく想像だにしないまま、少なくても今よりはピュアで澄んだ軽い響で演奏されることを前提に作曲していました。その前提に立って考えますと、現在多くの人が彼らの曲に対して持っているであろう重厚で堂々と華麗に演奏されるイメージと、作曲家立会いで行われた初演当時のそれとの間には、かなり大きな違いがあったことが容易に想像されます。
 もちろん彼ら以前のモーツァルトやベートーヴェンはなおさらです。
 しかし二十世紀も半ば以降になるとそういった歴史上の変遷もすっかり忘れ去られ、ヴィブラート中心の演奏があたかも昔からの伝統や様式に基づいた演奏法であるかのごときイメージが広がっていきました。
 そしてその演奏スタイルは残念ながらいまだに世界中で受け入れられています。
 こういった音楽史実に基づかない演奏法の流行は非常に嘆かわしい現象であると同時に、クラシック音楽界の発展にとっても大きな損失だと私は常々考えています。
 幸いにも二十世紀末頃になって、ようやくこの憂える現象からクラシック音楽界を救うための運動、すなわちできるだけ当時演奏されていたスタイル、作曲家の本来意図した演奏様式に基づいた演奏法に戻そうという運動が世界中で湧き上がってきました。
 変な譬えですが、もし時代劇の中で、イケメンの侍が背広を着て七三の髪で登城するとか、あるいは夜は蝋燭か提灯の明かりしかなく暗いはずなのに、それじゃ画面が綺麗に写らないからといって、天井からは蛍光灯がこうこうと照ってそれがスクリーンにまで映っているという、そういう時代考証のでたらめな映画を見たとしたら皆様はどうお感じになられるでしょうか。
 二十世紀の後半以降の、すなわち私たちが現在巷で耳にする華麗で重厚なオーケストラの響きは、少なくてもロマン派以前の曲の立場からすれば、まさにその映画同様、時代考証(時代様式)の欠如したとても奇異なものと言わざるを得ないのです。それがたとえどんなに美しく響いていたとしても(その時代の響でも作曲家の意図通りでもない故)。
 今宵は極力バッハの時代の演奏法に近づけるように、当時の演奏法、すなわちヴィブラートは極力かけず、そのかわりに当時の表現方法として代表的な慣習、例えば長めの音符は真ん中を常にのびのびと抑揚を持って膨らませまたすぐに抜いて演奏するとか、大きい音のまま太く演奏し続ける現在の演奏法は極力ひかえる等々、オーケストラも合唱も一生懸命様式に気を配って演奏しようと思っています。
 うまくいくかどうか分かりませんが、まずは試みてみるということが大切です。サウンドブリッジ合唱団は、アマチュアですが、だからこそ撃沈覚悟でプロもなかなかやれない高級なことにチャレンジできるのです。
 オーケストラからも皆様には聴き慣れない音色が聴こえて来るかもしれませんが、これが当時の音色に近い演奏であるとお思いになってお楽しみくだされば幸いです。
 なお独唱の皆さんには、ヴィブラートが多少はかかったとしても、極力控え目かつ幅の狭い、当時に近い音色で歌っていただくようお願いしてあります。(了)
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