カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

題詠blog2008 が明日から

2008-02-29 19:25:48 | Weblog
 題詠blog2008というイベントが明日から始まります。主催者の方から100個のお題が一番から百番まで発表されて、参加者は、番号順に歌を作っていきます。今年の百のお題からはたしてどんな物語や登場人物が引き出せるのかなというのが、今から楽しみです。
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買ってはいけないというレビューがたくさん。

2008-02-28 10:20:45 | Weblog
 映画化されたそうです。アイディアがユニークなので、面白い読み応えのあるきちんとした文学作品に仕上げる手立てはいくらでもありそうに思えるのですが、シェフの腕があまりにもひど過ぎたということなのでしょうか?

 636件のレビューの内容を見てびっくりしました。買ってはいけないというレビューがたくさん。日本人の国語能力低下への警鐘は以前から鳴らされていましたので、今更驚きません。。。勿体無いです。。。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E9%AC%BC%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%93-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E6%82%A0%E4%BB%8B/dp/4344405137/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1204161094&sr=1-1
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今日の富士山のことなど

2008-02-27 23:12:26 | Weblog
 今日は山梨県のお寺巡りの遠足(築地の学校の卒業遠足)があり、富士山のそばまで行ってきました。素晴らしい富士山でした〓。
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題詠blog2008

2008-02-26 15:18:56 | Weblog
カームラ山題詠ブログ出走記録所
http://ka-murasan.at.webry.info/

題詠blog2008
http://blog.goo.ne.jp/daieiblog2008
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memo

2008-02-25 11:17:21 | Weblog
興味深いです。。。

早稲田大学高等研究所フォーラム
シンポジウム「縁起の東西-聖人・奇跡・巡礼-」
http://www.waseda.jp/jp/event/index.html

日時 2008/3/19(水)13:00-17:00
会場 戸山キャンパス36号館3階382教室
対象 学生・教職員・一般
参加申込み費用 入場無料・直接会場へ
主催・問合せ 主催: 早稲田大学高等研究所
協力:寺社縁起研究会・巡礼記研究会

◆シンポジウム概要
司会:黒田 智(早稲田大学高等研究所助教 日本中世図像学)
13:00 開会の挨拶 宮島 英昭
(早稲田大学商学学術院教授/早稲田大学高等研究所副所長)
パネリスト報告
13:10 「日本の寺院縁起と僧伝・霊験譚―東大寺・長谷寺縁起の周辺―」
藤巻 和宏(早稲田大学高等研究所助教 日本宗教文学)
「南アジアの寺院縁起―ヒンドゥー教シヴァ・リンガ崇拝の神話と巡礼―」
山口 しのぶ(東洋大学教授 南アジアの儀礼・図像)
「中世ヨーロッパの修道院建立譚
―10~12世紀南ネーデルラントの事例を中心に―」
青谷 秀紀(日本学術振興会特別研究員 西欧中世史)
休 憩
コメント・討議
14:20 「聖地の継承と再構築に関する言説と行為
―聖徳太子信仰をめぐる託宣と巡礼の視点から―」
近本 謙介(筑波大学准教授 日本中世宗教文芸)
「サンスクリット語圏の拡大と聖域の形成
―中世期南アジアの聖典と聖地という視点から―」
杉木 恒彦(早稲田大学高等研究所助教 南アジア密教史)
「コンスタンティノープルの奇跡―総主教アタナシオスに注目して―」
橋川 裕之(早稲田大学高等研究所助教 ビザンティン帝国史)
休 憩
講 演
16:00 「一神教と寺院縁起」
松原 秀一(慶應義塾大学名誉教授 中世フランス文学)
17:00 閉 会

 ***

◆シンポジウムの趣旨
 仏教語の「縁起」とは、因縁によってあらゆる物事が生起することを意味している。この世のすべての現象は無数の原因(因)や条件(縁)が相互に関係しあって成立しており、これらなしには結果も存在しえない。そこから転じ、物事の起こる起源や由来を「縁起」という。つまり寺社縁起とは、寺社の創建由来を説く言説・文献のことである。
 日本の寺社縁起は、文学・歴史学・思想史・美術史・宗教学・民俗学等、様々な学問領域から言及されることはあるものの、それ自体が研究の対象とされることは少ない。日本思想大系『寺社縁起』(岩波書店、1975)や奈良国立博物館監修『社寺縁起絵』(角川書店、1975)の刊行により基礎資料が提供されたことを一つの契機とし、寺社縁起そのものを対象とした研究も徐々になされるようになってきたが、縁起を持つ寺社は膨大な数に上り、また、それぞれが複数の縁起を持つこともあり、全体像を見据えた総体的な視点による研究は、いまだなされていないというのが現状である。
 一方、日本国内の縁起研究者にはほとんど認知されていないが、他地域においても縁起に相当する言説・文献が存在する。それらを検討することにより日本の寺社縁起研究を相対化することが可能となるのみならず、それぞれが重要な研究対象となりうるはずである。寺院や神社、あるいは教会や修道院といった宗教施設、およびそれらを中心とした聖なる場所―聖地・霊場。その起源と来歴を語り伝える営みからは、地域や宗教を異にしていても、少なからぬ共通点を見いだすことができよう。
 本シンポジウムは、日本・アジア・ヨーロッパにおける縁起を比較し、特に「聖人」「奇跡」「巡礼」という三つのトピックに注目して考察を加える試みである。直接的な影響関係は想定せずに、こうした点から見いだすことのできる、縁起が作られ語られる際の宗教的心性の闡明を目的とする。一方で、これらの地域にまたがる影響関係の可能性にも迫るべく、異なる宗教圏での説話の交流についての講演を配し、シンポジウムでの討議の、さらなる深化・相対化を目指す。と同時に、扱う地域の相違のみならず、文学・宗教学・歴史学という異なる学問領域の研究者による報告と討議によって、従来の比較宗教学や比較神話学とも異なる、学際研究の新たな可能性を問うことにも繋がると考えている。(了)


 ***

 その他メモ。。。


「南インド料理専門店ダバインディア」
住所:東京都中央区八重洲2-7-9相模ビル1F
Phone:03-3272-7160

http://www.dhabaindia.com/

営業時間:
(月~金)
11:15-15:00(L.O. 14:30)
17:00-23:00(L.O.22:00)

(土・日・祝)
12:00-15:00(L.O. 14:30)
17:00-22:00(L.O. 21:00)
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今朝の短歌メモから

2008-02-25 09:53:22 | Weblog
 今朝の短歌メモからです。。。

春疾風(はるはやて)吹く商店街の路地裏に文字汚れたるチラシ寝てをり
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山梨県のお寺ツアー

2008-02-24 20:39:05 | Weblog
 築地の学校の卒業遠足企画で、企画言い出しっぺの私が幹事(添乗員、案内人)になって山梨県のお寺ツアーに行くことになりました。今週の水曜日決行です。ただいまそのための仕込み準備でばたばたしていますが、なかなかそれも楽しいです。
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たつぷりと(メモ)

2008-02-23 21:12:05 | Weblog
 今日は、しごとが終わったあと、春一番の吹くなかを池袋の古書往来座に出掛けました。岩波新書二冊、小林恭二著『短歌パラダイス』と、間宮芳生著『現代音楽の冒険』を購入。間宮さんの本は、「日本的」音楽とはなにか? へのヒントになりそうな話題がいっぱいの面白い一冊。小林さんのは、ざ・べすと・おぶ・短歌入門書と私が考える一冊。なぜこれらの名著がどちらも品切絶版のままなのか、かねてよりずっと疑問に思ってきました。。是非とも復刊のご検討をして頂きたいものです。。
 さて、小林さんの『短歌パラダイス』の巻末には、巻中の歌合参加者の方々の自選五首が掲載されています。河野裕子先生の自選五首には、なるほどやはり、といううたばかりが並んでいます。

逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと  河野裕子

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか  河野裕子

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり  河野裕子

しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす  河野裕子

てのひらに載るほど遠景の夫(つま)子らを紅梅の木ごと掬はむとせり  河野裕子

 私は、河野先生の三首目の「たつぷりと」のうたが非常に好きです。じつはこのうたは、私が短歌を始めたいと思ったきっかけになった一首です。短歌関係書のいろんなところでお目にかかりますが、いつ見ても素晴らしい一首と思います。いつか乗り越えてみたい一首です。
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トトロの住む家にて

2008-02-22 18:29:10 | Weblog
 きょうは、仕事のあと、すこし時間があったので、杉並区立杉森中学校グラウンドに隣接するところにあるという「トトロの住む家」まで足をのばしてみました。画像の通り、こじんまりとした品のよいお宅でした。
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本からの引用メモ(「読む」ことの本質とは)

2008-02-22 10:37:22 | Weblog
 本からの引用メモです。。。

 吉川宏志著『風景と実感』(青磁社、2008年1月刊)12―13ページより。


 (詩や歌を読む行為は)クラシック音楽を演奏する行為とも似ているのかもしれない。たとえばピアニストは、バッハの残した楽譜(音符という<記号>で書かれたテクスト)に合わせて、自らの指を動かしてピアノを弾く。そのとき演奏者は、楽譜を通して、バッハの身体の動きをなぞっていることになる。死者であるバッハの身体の動きを蘇らせることによって、演奏者はバッハと<対話>しているのである。
 楽譜には、作曲者のイメージの十分の一ぐらいしか書くことができない、という話を聞いたことがある。作者が<記号>で表現できるのは、省略を重ねたほんのわずかな部分だけなのである。
 けれども、その<記号>をじっくりと読み込むことにより、作者の身体感覚を、読者の身体のなかで蘇らせることができる。作者の声を、読者の心の中にリアルに響かせることができるのだ。それが「読む」という行為の本質なのではないだろうか。
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