カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

歌会は。

2018-01-31 09:35:07 | Weblog

歌会は、先人の優れた作品や歌論のことも当たり前に参加者同士で語り合える場でないと物足りない。歌会に出ている作品に即した批評・議論の中から、へえ、そういう過去のすてきな短歌作品があるんだ!とか、こんどその面白そうな評論を読んでみよう!とか思えたらもっともっと歌会が楽しくなるはず、と思う。


休みの本日。今朝は、ラジオからシマノフスキの書いたヴァイオリン協奏曲第1番と交響曲第4番を聴いた。シマノフスキの音楽にはロマンティックな美しさだけではない軽妙なウィットがある。そこにすごく惹かれる。

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くまさん。

2018-01-30 06:51:35 | Weblog

なんとも無茶で荒唐無稽な頼みだったかもしれない。何年も前のことだが、某所で偶々お会いした不思議な能力をお持ちという方に「できたらでよいのですが、曾々々祖父の実父がどういう人物だったか、その姿とか名前とか、なにか見ることはできますか?」と伺ったことがある。その方は「わからないけれどやってみましょう」としづかに眼を閉じた。しばらくして、眼を開いて「くまさん、、、?」と言われた。その父親というひとは熊のように体格のよいひとで、家族から〈くまさん〉と呼ばれていたみたいですね、それ以上はわからないのですけれども、とぽつりと呟かれた。不思議な気持ちがした。話はそれだけだった。しばらく忘れていたが、最近なぜだか、頻りにこの〈くまさん〉を思い出す。

 

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ト短調と思ったけれども。

2018-01-27 06:33:02 | Weblog

今朝は、久しぶりにヴァイオリンが聴こえた。ト短調かな、と思ってメモしたけれども、紙に書いてみてなにか違和感がある。なぜだろう。

 

ここのところずっと、高安先生の一首を祈りのように胸の内で呟いている。

湖(うみ)にわたすひとすじの橋はるけくて繊(ほそ)きしろがねの韻(ひびき)とならん  高安國世『湖に架かる橋』(1981年)

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バークレー。

2018-01-24 22:01:02 | Weblog
夜、Wikipediaから偶々知ったトリビア。〈バークレーの高校に入学したフィリップ・K・ディックは、アーシュラ・K・ル=グウィンと同じ高校の同学年(1947年卒)だったが、当時は互いを知らなかった〉らしい。今朝は、ニュースの影響かもしれないが、どこかの風光明媚な湖畔のホテルに滞在していると広大な湖の対岸の火山が噴火して火山灰が降る夢を見た。
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小林幸子先生。

2018-01-24 03:58:44 | Weblog
昔に読んだ小林幸子先生の歌集『シラクーサ』(2004年刊)の中の「バスは死んだ」と付題された一連のことをいまでも時折思い出します。こういうふわふわとした不思議な時間を掬い上げた一篇の小説を無性に読みたくなります。。





〈バスは死んだ〉 小林幸子


てのひらの蜘蛛を窓より放ちしが肢がいつぽん残つてしまふ


高島屋前からバスに乗つて北極にゆくゆめをみてゐき


枇杷の花ひつそりと咲く停留所に待ちつつバスは死んだと思ふ


目覚むれば不思議なゆめを見てゐたといふはずなりし静かな身体
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加賀藩を考える。

2018-01-23 15:42:42 | Weblog
メモ。

長山直治著『加賀藩を考えるー藩主・海運・金沢町ー』(桂書房、2013年刊)の「第一章・藩主の諸相」の「三・慶寧の二度の退京」の辺りは、禁門の変周辺の加賀藩の動向を史料に基づいて詳細緻密に検討されていて甚だ興味深い記述多し。
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旧事諮問録など。

2018-01-23 14:45:20 | Weblog
メモ。

旧東京帝国大学史談会編『旧事諮問録(新装版)』(青蛙房、平成19年刊)には、池田遣仏使節団の派遣にいたる顛末、フランスでの交渉の様子、一行の横浜帰港後のことが使節団一行の人名列挙してかなり具体的に語られているが、その語りのなかに一員の松濤権之丞泰明、横山敬一などの名前はなし。また、徳田寿秋著『軍艦発機丸と加賀藩の俊傑』(北國新聞社、平成27年刊、30ページ辺り)によれば、加賀藩主前田斉泰は、鎖港談判使節団が横浜を出発した事実ならびに使節団一行全員の名前(外国方松濤権之丞泰明の名前を含む)を、蒸気機関修繕のため品川沖に係留中の加賀藩軍艦発機丸乗員を通じ〈江戸での浮説〉として報告を受けていた可能性あり。
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雪。

2018-01-23 10:46:13 | Weblog
昨夜の短歌メモから。

ここにも雪、あちらにも雪降る。しづもりて夜(よ)はひたすらに時を降り積む
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夢を見た。

2018-01-21 06:43:31 | Weblog
どこかの音楽大学の、春ののどかな昼間。声楽家の野々村逸子先生の研究室をお訪ねして目下作品研究中の某物故作曲家の声楽作品について教えて頂いていたら、間もなく定年退官される作曲家の野々村逸夫先生が飄々と訪ねて来られた。両先生、偶々名前が一字違い同士も父娘とか夫婦とか兄妹とかではなくて赤の他人ながら、しかしよく馬が合って学校では時間があればいつも親しく楽しく語り笑い合われる仲で、この日もたちまち両野々村先生の楽しいお話が始まり、私はそのお話に耳を傾けている。。という夢を見た。
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(メモ)前田斉泰さんと能楽。

2018-01-19 15:43:36 | Weblog
 横浜能楽堂の本舞台は、明治8年(1875年)、現在の東京国立博物館に程近い東京・上根岸の旧加賀藩主・前田斉泰の隠居所の一角に建てられたものです。

 斉泰は自ら天皇の前で能を舞うほどの能楽愛好者として知られ、明治14年には「能楽社」を組織し、明治維新前後の騒然とした世相の中で、能・狂言の復興に尽くすなど、近代の能楽史に大きな足跡を残しています。

 それまで能・狂言の総称であった「猿楽」に代わり「能楽」をいう言葉を普及させたのも斉泰です。 斉泰は明治17年に亡くなりました。

 その後能舞台は大正8年(1919年)に旧高松藩主・松平家に譲られ、東京・染井の松平頼寿邸に移築されました。
 その後は昭和40年(1965年)に解体されるまで「染井能舞台」として親しまれました。

 解体された後は、部材として保管されていましたが、市内在住のシテ方観世流能楽師・田邊竹生さんから横浜に寄贈されました。
そして平成8年、横浜能楽堂の開館にあたり本舞台として甦ったものです。
(横浜能楽堂パンフレット解説を引用)
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