まずは、新聞記事からメモです。。。
「清張/秘めた郷土愛実感/佐木隆三さん」
(2009年01月28日朝日新聞記事)
「工業の町」という印象が強い北九州だが、松本清張をはじめ、森鴎外や火野葦平(あし・へい)、岩下俊作ら、昔からゆかりの作家が数多くいる。そんな作家たちを紹介する北九州市立文学館の館長で、自身も作家の佐木隆三さん(71)に、清張を育んだ土壌や郷土愛などについて語ってもらった。(聞き手・宋潤敏)
――北九州市は多くの作家を輩出していますね。
北九州は、工業の町というイメージが強いですが、労働者のプロレタリア文学に代表されるように、文芸活動が非常に盛んだったところなんです。清張さんも若いころから、八幡製鉄所(現新日鉄)の文学好きの職工たちと交流し、短い作品を書いていたようです。
私も製鉄所に勤めていたころ、映画「無法松の一生」の原作となった「富島松五郎伝」を書いた岩下俊作さんが代表をされていた「創作研究会」に所属していました。清張さんは、岩下さんの弟と同級生で非常に仲が良かったそうですし、その縁で、戦後は岩下さんの自宅で行われていた勉強会に欠かさず参加されていたようです。
――清張作品の中で、最も感銘を受けたものは。
「黒地の絵」は今でも最高傑作だと思っています。私が岩下さんの勉強会に行き始めたころに発表された作品ですが、すごい作家だなと思いました。
50年7月に小倉で起きた黒人米兵集団脱走事件を題材にしていますが、6人の米兵に妻を強姦(ごう・かん)され、報復のために執念を燃やす男が物語の中心になっています。
事件当時、私は八幡に住んでいて、国籍不明機が侵入したとの空襲警報を2回聞いています。その時の緊張感は覚えていたのですが、米兵の集団脱走があったことは知りませんでした。進駐軍の占領下だったので全く報道されないし、新聞も書けなかった。清張さんがこの作品を発表されて初めて、集団脱走事件が知られるようになりましたね。
でも、この作品がすごかったのは、なぜ集団脱走したのか、ということがきちんと描かれているところです。当時、黒人兵は常に、戦場の最前線に投入されていたわけです。ひどい事件を告発すると同時に、その裏にある黒人に対する差別もきちんと浮かび上がらせる視点に感服しました。
――実際に清張さんに会ったことは。
職業作家になろうと上京した67年にお会いしました。編集者を通じて、「遊びにおいで」と誘われまして、自宅におじゃましましたら、開口一番「お母さん元気?」「八幡はどんな具合?」「岩下さん、どんな様子?」と聞かれたのを今でもよく覚えています。
作家でも、けんもほろろな扱いを受けた人は多かったらしいんですけれど、一面識もない私に、北九州から出てきたというだけの理由で、気を使って頂きました。2回目に訪れた時は本を5冊貸して頂きました。その多くが、少年犯罪などに関する研究書でした。当時はまだ、私は犯罪小説を書いていなかったころなのですが、私の将来に何か感じられるところがあったんでしょうか。
――清張さんは実は、郷土愛が強かったのかもしれませんね。
清張さんは、不遇だった小倉時代についてあまり多くを語られなかったと言われる人も多いのですが、私はそうは思わない。清張さんは北九州市の図書館開館を祝って蔵書千冊を贈っていますし、母校の小学校には立派なグランドピアノを寄贈されている。
地元の青年会議所から依頼された講演会を無料で引き受け、1500冊の著作すべてに自らサインをしてプレゼントもされている。私は図書館に本を送ったことなんてなかったなあ。そういう律義さには驚かされるし、あまり知られていない一面ではないでしょうか。
――佐木さんも事件を題材に多くの作品を書かれています。清張さんと通じる部分もあると思いますが。
日本の小説の歴史の中で、清張さんが初めて社会的背景を背負った犯罪動機を大事にする推理小説を書かれ、その後に大きな影響を与えたことはまぎれもない事実です。
ただ、私はあまり、米軍の特務機関の仕業ということになっていく「日本の黒い霧」シリーズは、清張さんの傑作とは思わないんです。
私は推理小説ではなく、裁判を傍聴して現実の事件を書いていますから、多くの人が絶賛するほどには、「日本の黒い霧」は評価していません。そういう考えを持っている私だからなのでしょうが、「黒地の絵」が清張さんの最高傑作だと確信しています。
◆メモ
「黒地の絵」 50年7月11日に旧小倉市(現北九州市)で起きた黒人米兵約250人の脱走事件を題材に書かれた小説。事件では、城野補給基地から集団で脱走した米兵が繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦(ごう・かん)を繰り返したとされる。翌12日に鎮圧したとも、市街戦の末、15日に鎮圧したとも言われている。
脱走兵らは朝鮮戦争の戦場に送られる恐怖感から、脱走したとされるが、逮捕者はその後、戦地の最前線に送られ、ほとんどが戦死したと言われている。一般人を巻き込む大事件だったが、連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制のため、ほとんど報道されなかった。
岩下俊作(1906~1980) 旧小倉工業学校(現小倉工業高校)卒業後、八幡製鉄(現新日鉄八幡製鉄所)に勤務。代表作は、映画「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」。同製鉄所の創作研究会の代表も務めた。
◆ さき・りゅうぞう
37年、朝鮮咸鏡北道生まれで、北九州市在住。小説家、ノンフィクション作家、北九州市立文学館館長。オウム真理教の一連の事件や広島女児殺害事件などの法廷取材でも知られる。著書は「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」(直木賞受賞)など多数。
http://mytown.asahi.com/oita/news.php?k_id=45000000901280005
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昨日は夜、夕飯あと、ダンベルを振って自宅から紀伊国屋書店新宿本店まで歩く。道のりは往復10キロほど。ここのところ毎晩、夕食を済ませてから寝るまでの間のどこかで一時間以上歩くのを日課としている。
紀伊国屋書店では、松本清張さんの未完の遺作『神々の乱心』上・下(文春文庫)と同じく『文豪』(文春文庫)など。
『神々の乱心』は、早瀬圭一さんの『大本襲撃』(毎日新聞社)関連。
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画像は曽々々祖父が正面向きで写っている一枚です。先日、ふんにゃら先生が下さいました。
先生、有難うございます。