カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

きょう

2009-01-30 21:22:02 | Weblog
 夕闇を過ぎて運転席の先の窓の外は暗闇。昼間から降り続く雨滴がガラスにつき、車内灯に照らされてガラスを白く染めている。朝から雑司が谷と鬼子母神とが頭の中でごっちゃになって、ゾウシガヤのシはなんだったかな、子だったっけ、としきりに考えながら鼻のあたまを掻いていると、都電のワンマン電車は面影橋停留所を出て、終点早稲田に向かって走り始めた。
 仕事を早めに切り上げさせてもらって、夕方ぎりぎりに滑り込んだ後楽園近くの文京区役所戸籍課では、なにひとつ収穫がなかった。旧本郷区役所は戦災で全焼してしまい、私の必要な書類はひとつも残っていないのだそうだ。
 丸の内線で後楽園から池袋に出て、ジュンク堂に寄る。ただ券を使って初めて四階喫茶店でお茶。そのあと、鬼子母神まで歩いて近くの停留所から都電に乗る。
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茶福楼

2009-01-30 09:47:16 | Weblog
 日記です。

 早稲田山吹町にある中国茶カフェ「茶福楼」。昨日、仕事終わりに見つけて初めて入る。おすすめの鉄観音を頂く。今までこれほどおいしいお茶は飲んだことがないと感心してしまうくらいにまろやかでほんのりとあまい。そのお店のミストレスMさんは、青森県のご出身。Mさんが小さな頃に亡くなったお祖母さんは「神様」と皆から呼ばれるアイヌ系シャーマンだったそうで、Mさんもその血を受け継いで幼少の頃から数々の不思議な(Mさんにしてみると、当たり前の)体験をされてきたという。そんな話を二時間あまり興味深くいろいろ伺う。

茶福楼日記
http://chafukuro.blog.shinobi.jp/

茶福楼
http://hp.did.ne.jp/cha-fukuro/
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柚木圭也歌集『心音(ノイズ)』

2009-01-29 21:27:22 | Weblog
 メモさせて頂きます。

終日を花の雨降るこの街をつひにやさしきてのひらとして  柚木圭也(歌集『心音(ノイズ)』本阿弥書店)

象の昼、犀のゆふべのそののちを河馬は歩みぬ真夜(まよ)ひき連れて

展(の)ばしたる腕のその先なだらかに動きつづける死までの時間

もし死んだらきみは泣くかな新出しのキャベツ千切りしやきしやきと咬む

途中下車してキーマカレーを購ひにゆくわが足取りもわが生ならむ
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笹井宏之さん、アインシュタイン博士

2009-01-29 14:21:21 | Weblog
 メモ(引用)させて頂いたいくつかの記事から。。。

 ***

れんげさんの日記「2008-07-28 ゆっくり生きる」
http://d.hatena.ne.jp/rennge/20080728

 西日本新聞コラム「あなたに会いたい」(2008年7月24日付)は、歌人・笹井宏之さんを紹介している。
 朝は何時に起きますか という記者からの質問に、
「十時くらいにのそっと起きて、朝を食べそのまま昼ご飯になって、調子が良ければ散歩して、本か漫画を読んで夕ご飯。夜、一息ついて音楽聴いたり短歌を作ったり」
と答える笹井さん。短歌を作り始めたのも、何となくだそう。睡眠障害や自律神経の失調で、高校もやむなく中退、療養生活に入られたそうだ。

 ふと、自分をふり返って、「ゆっくり生きる」ということを忘れていたことに気づく。
 いつも、「やらなければいけないこと」を優先するあまりに、「今を生きる」とか、「楽しむ」ことを、忘れていた気がする。

 (中略)

 ゆっくり生きよう。
 今を楽しもう。
 こどものときみたいに。

 ***

アガスティア メールマガジン 第156号
ピース オブ ネットワーク [No 168] 2006 年 12 月 26 日発行
件名: スーパー仏教 入門 ~序章12~
http://www.agasthiya.com/melma/backnumber.html

釈迦は、転生輪廻を越えてこの時空を越えた仏が顕在化した姿であるブッタに帰依し、この人間界に仏の言葉を広めていくことが唯一無二の悟りへの道であると語りました。『悟り』とは理屈ではなく、体得していくものという考え方がその根底にあります。
ブッダの言葉を人に語ることによって、その人自身が仏の言葉と一体となっていくのです。そして最後に、その人自身が仏となります。これを『即身成仏』といいます。神とは『自分自身とは何かを考えつづけている宇宙自身のこと』です。その宇宙に対して、ブッタはその答えを語っているのです。そう考えてみると『宇宙とはその本質にある、仏が人間になった仏から自分とは何かを聞くもの』ということができます。探求するものと教えるものとは同じひとつの仏なのです。
アインシュタインは、その死期間近な頃、『私は次に生まれ変わったとしたなら、仏教僧になりたい』と語ったといいますが、彼の意識の根底にはこうした宇宙の本質にいる仏に答えようとする意志があったのかも知れません。

 ***

温泉津西楽寺のサイト「人生ナビ日々あらたに」
http://www.imacoco.net/index.html

の中の、

「住職ノート」記事:「アインシュタインが聞く」
http://www.imacoco.net/5pagehtml/j_note/j_note.html

あの有名な物理学者 アインシュタイン博士が来日された折、博士が仏教の話が聞きたいということで、浄土真宗の僧侶である近角常観師が 博士と対談しました。
そのときアインシュタイン博士が
「仏さまとはどんな方ですか?」
とたずねました。
すると 近角先生は、おもむろに あの「姥捨て山」の話をはじめられました。
ご存知の通り 日本では、その昔 食糧事情の貧しい時代には、一定の年令になれば、年老いた親を山の中に捨てるという悲しい歴史がありました。村の決りですから、そむく事はできません。息子は母親を背負い、いくつもの山を越えて、人里離れた 奥深い場所へと向かいます。
そしていよいよ、別れの時、母親が 息子に
「おまえは こんな山奥まで来た事はないだろう。迷わず家まで帰れるか?」
とたずねます。
「もうすぐ、日も暮れる。 私は背負われながら、来る道中に 手を伸ばして木の小枝を折っては、下に落としておいた。だから、通ってきた道には 必ず小枝が落ちている。もし、分かれ道で迷ったら、小枝の落ちている道を選んで 行くがいい…。そうすれば、必ず里のわが家の灯りが見えるはずだ。どうか無事に帰っておくれ…」
と言って、わが子に手を合わせました。
ここまで話して、近角先生は、アインシュタイン博士にいいます
「この母親のすがたこそ、仏さまの姿であります」
と。

母親は、山の中に置き去りにされたなら、山坂を越えて家に戻るだけの足腰はありません。
きっとその日の夜のうちに 凍え死ぬか狼の餌食となるばかりです。
そんな状況の中、母親は息子の心配をします
つまり 今、まさに自分を捨てんとするものを 見捨てることが出来ないのです。
自分を殺そうとするものを 生かそうとするのです。これこそ、仏さまの お慈悲だと言われたわけです
私たちは、 とても仏さまのようにはいきません。
自分を大切にくれる人を 大事にします。そうでない人は 粗末にします。
あるいは、今 相手を 手伝って助けているのは、また今度 お世話になるかもしれないからっだったりします。
仏さまは、大きな大きな(こんな私たちの はかりをこえた)おはたらきでもって 私たちをつつんでいてくださいます。
拝んだから、助けてくださる。拝まないなら、捨てられるなどと、私たちの小さな心で、仏さまの大きな心をはかってはなりませんね。
仏さまを 拝まない時も 拝まれていました。
拝まない人も、拝まれているのです。(了)
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いろいろ。

2009-01-28 17:14:59 | Weblog
いろいろ。

「第17回松本清張賞」

推理小説から時代・歴史小説まで幅広いジャンルの小説で時代を画した松本清張氏の業績を記念した、公募の長篇小説賞です。対象は、ジャンルを問わぬ良質の長篇エンターテインメント小説です。既成の枠組みにとらわれない、新鮮で生き生きとした作品を期待しています。
【選考委員】伊集院静・大沢在昌・桐野夏生・小池真理子・夢枕獏の各氏(?)。
【応募規定】
・募集対象 ジャンルを問わぬ長篇エンターテインメント。日本語で書かれた、自作未発表の作品に限ります。
・枚数規定 400字詰原稿用紙300~600枚(ワープロも可。各頁40字30行、縦書きで印字。右端を細紐で綴じ、400字詰換算枚数を付記してください)。表紙に、題名、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号、職業を明記のこと。なお、筆名の場合は本名も記して下さい。(これらの個人情報は、候補作・受賞作の発表、該当応募者への連絡のために利用し、選考後、直ちに廃棄します)
・応募資格 プロ、アマその他の資格を問いません。
・応募先 〒102-8008東京都千代田区紀尾井町3-23 文藝春秋ビル内 (財)日本文学振興会 松本清張賞係
・応募締切 平成21年11月頃?(当日消印有効)。 正賞は時計、副賞は500万円。
・発表 「オール讀物」平成22年6月号(?)誌上に発表。受賞作は(株)文藝春秋出版局に委嘱し、単行本として刊行されます。
・その他 応募作品は、一切返却いたしません。必ず控えのコピーをおとりください。二重投稿は、失格とします。
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いろいろ

2009-01-28 12:01:33 | Weblog
 まずは、新聞記事からメモです。。。

「清張/秘めた郷土愛実感/佐木隆三さん」
(2009年01月28日朝日新聞記事)

 「工業の町」という印象が強い北九州だが、松本清張をはじめ、森鴎外や火野葦平(あし・へい)、岩下俊作ら、昔からゆかりの作家が数多くいる。そんな作家たちを紹介する北九州市立文学館の館長で、自身も作家の佐木隆三さん(71)に、清張を育んだ土壌や郷土愛などについて語ってもらった。(聞き手・宋潤敏)

 ――北九州市は多くの作家を輩出していますね。

 北九州は、工業の町というイメージが強いですが、労働者のプロレタリア文学に代表されるように、文芸活動が非常に盛んだったところなんです。清張さんも若いころから、八幡製鉄所(現新日鉄)の文学好きの職工たちと交流し、短い作品を書いていたようです。
 私も製鉄所に勤めていたころ、映画「無法松の一生」の原作となった「富島松五郎伝」を書いた岩下俊作さんが代表をされていた「創作研究会」に所属していました。清張さんは、岩下さんの弟と同級生で非常に仲が良かったそうですし、その縁で、戦後は岩下さんの自宅で行われていた勉強会に欠かさず参加されていたようです。

 ――清張作品の中で、最も感銘を受けたものは。

 「黒地の絵」は今でも最高傑作だと思っています。私が岩下さんの勉強会に行き始めたころに発表された作品ですが、すごい作家だなと思いました。
 50年7月に小倉で起きた黒人米兵集団脱走事件を題材にしていますが、6人の米兵に妻を強姦(ごう・かん)され、報復のために執念を燃やす男が物語の中心になっています。
 事件当時、私は八幡に住んでいて、国籍不明機が侵入したとの空襲警報を2回聞いています。その時の緊張感は覚えていたのですが、米兵の集団脱走があったことは知りませんでした。進駐軍の占領下だったので全く報道されないし、新聞も書けなかった。清張さんがこの作品を発表されて初めて、集団脱走事件が知られるようになりましたね。
 でも、この作品がすごかったのは、なぜ集団脱走したのか、ということがきちんと描かれているところです。当時、黒人兵は常に、戦場の最前線に投入されていたわけです。ひどい事件を告発すると同時に、その裏にある黒人に対する差別もきちんと浮かび上がらせる視点に感服しました。

 ――実際に清張さんに会ったことは。

 職業作家になろうと上京した67年にお会いしました。編集者を通じて、「遊びにおいで」と誘われまして、自宅におじゃましましたら、開口一番「お母さん元気?」「八幡はどんな具合?」「岩下さん、どんな様子?」と聞かれたのを今でもよく覚えています。
 作家でも、けんもほろろな扱いを受けた人は多かったらしいんですけれど、一面識もない私に、北九州から出てきたというだけの理由で、気を使って頂きました。2回目に訪れた時は本を5冊貸して頂きました。その多くが、少年犯罪などに関する研究書でした。当時はまだ、私は犯罪小説を書いていなかったころなのですが、私の将来に何か感じられるところがあったんでしょうか。

 ――清張さんは実は、郷土愛が強かったのかもしれませんね。

 清張さんは、不遇だった小倉時代についてあまり多くを語られなかったと言われる人も多いのですが、私はそうは思わない。清張さんは北九州市の図書館開館を祝って蔵書千冊を贈っていますし、母校の小学校には立派なグランドピアノを寄贈されている。
 地元の青年会議所から依頼された講演会を無料で引き受け、1500冊の著作すべてに自らサインをしてプレゼントもされている。私は図書館に本を送ったことなんてなかったなあ。そういう律義さには驚かされるし、あまり知られていない一面ではないでしょうか。

 ――佐木さんも事件を題材に多くの作品を書かれています。清張さんと通じる部分もあると思いますが。

 日本の小説の歴史の中で、清張さんが初めて社会的背景を背負った犯罪動機を大事にする推理小説を書かれ、その後に大きな影響を与えたことはまぎれもない事実です。
 ただ、私はあまり、米軍の特務機関の仕業ということになっていく「日本の黒い霧」シリーズは、清張さんの傑作とは思わないんです。
 私は推理小説ではなく、裁判を傍聴して現実の事件を書いていますから、多くの人が絶賛するほどには、「日本の黒い霧」は評価していません。そういう考えを持っている私だからなのでしょうが、「黒地の絵」が清張さんの最高傑作だと確信しています。

 ◆メモ 
 「黒地の絵」 50年7月11日に旧小倉市(現北九州市)で起きた黒人米兵約250人の脱走事件を題材に書かれた小説。事件では、城野補給基地から集団で脱走した米兵が繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦(ごう・かん)を繰り返したとされる。翌12日に鎮圧したとも、市街戦の末、15日に鎮圧したとも言われている。
 脱走兵らは朝鮮戦争の戦場に送られる恐怖感から、脱走したとされるが、逮捕者はその後、戦地の最前線に送られ、ほとんどが戦死したと言われている。一般人を巻き込む大事件だったが、連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制のため、ほとんど報道されなかった。
 岩下俊作(1906~1980) 旧小倉工業学校(現小倉工業高校)卒業後、八幡製鉄(現新日鉄八幡製鉄所)に勤務。代表作は、映画「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」。同製鉄所の創作研究会の代表も務めた。

 ◆ さき・りゅうぞう 
 37年、朝鮮咸鏡北道生まれで、北九州市在住。小説家、ノンフィクション作家、北九州市立文学館館長。オウム真理教の一連の事件や広島女児殺害事件などの法廷取材でも知られる。著書は「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」(直木賞受賞)など多数。

http://mytown.asahi.com/oita/news.php?k_id=45000000901280005

 *****

 昨日は夜、夕飯あと、ダンベルを振って自宅から紀伊国屋書店新宿本店まで歩く。道のりは往復10キロほど。ここのところ毎晩、夕食を済ませてから寝るまでの間のどこかで一時間以上歩くのを日課としている。

 紀伊国屋書店では、松本清張さんの未完の遺作『神々の乱心』上・下(文春文庫)と同じく『文豪』(文春文庫)など。

 『神々の乱心』は、早瀬圭一さんの『大本襲撃』(毎日新聞社)関連。

 *****

 画像は曽々々祖父が正面向きで写っている一枚です。先日、ふんにゃら先生が下さいました。

 先生、有難うございます。
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生命の回廊

2009-01-27 10:01:08 | Weblog
 生と死のあはひには、ひるがをがぽつんと咲いてゐるらしいです。。。

 若すぎる死者の話をすることは悲しいことです。

 ***

 独特の世界観を感性豊かに描出してみせた作品群から、将来を大いに嘱望されていた若手歌人のおひとり、笹井宏之さんが、重症インフルエンザによる心臓麻痺のため亡くなられました。享年26歳。

 ご生前にお会いする機会はありませんでしたが、その独特の透明な感性で紡がれた作品を目にする機会がいろんなところで頻繁にあって、その作品とお名前に注目していました。

 笹井さんは短歌だけでなく、音楽も作られていました。

【SaSa-Note】
―笹井宏之楽曲集 ―
http://www.geocities.jp/yasmibito/

■笹井宏之作曲「生命の回廊」(5分04秒)4.63MB
 私のたましいの、すべて。(笹井さんのコメント)

 ***

 短歌にも音楽にも有り余るほどの才能をお持ちだった笹井さんの急逝が残念でなりません。心からお悔やみを申し上げます。


もはやもう戻らぬことを知つてゐる紙はさびしく湿りてぬくもる  河村壽仁

 合掌
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駅間(えきま)の時間

2009-01-26 00:11:07 | Weblog
 短歌総合誌『短歌』(角川書店)2月号巻頭作品の河野裕子先生の「駅間(えきま)の時間」(30首)から10首、メモさせて頂きます。

この家に君との時間はどれくらゐ残つてゐるか梁よ答へよ  河野裕子

残すほどの何があらうかこんなにも短い一生(ひとよ)は駅間(えきま)の時間

乗り継ぎの電車待つ間の時間ほどのこの世の時間にゆき会ひし君

どこにどう運ばれゆくのか夜の電車雪が降りゐる 駅名も見えず

体力をつけるためにただ食べる今は食べられることを頼みとなして

食卓兼仕事机を拭きながらこの居心地が君との暮らし

こんなにも男は疲れて帰りくる鞄を置いてしばらく棒立ち

もの言はず疲れて寂しくゐる人に椅子の背にまはり紅茶を淹れる

傘さして帰りて来たる娘には傘のやうなる誰かの気配

わたしらはその人を知らず大きな傘を娘にさしかけ歩きゐる人
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昨日の朝、寝床のなかで

2009-01-23 12:35:11 | Weblog
 昨日の日記に書くことだったかもしれません。

 昨日の朝、寝床のなかで目覚めたとき、私は汗をかいていました。夢の中の私は、目前に迫ったピアノの発表会の出番を前に、バッハの曲(夢の中で必死に読んで練習していた譜面をなんとなく今でも憶えていますが、バッハに本当にあんな曲あったかなという印象が今は強いです)をきちんと弾けるようになれなくて、焦っていました。最後には、仕方ないからオリジナルの即興演奏してお茶を濁そうか。。。とまで考える始末。

 現実の私はピアノの発表会に出たことなぞ一遍もないのですが、実際にやっていらっしゃる皆さんは、ああいう苦しみを味わっていらっしゃるものなのだろうと思いました。夢のことながら、胃がしくしく痛くなりました。
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ひとと別れるときに

2009-01-22 23:24:25 | Weblog
 ひとと別れるときに、ふと脳裏に浮かんでくる短歌(うた)があります。

よい人とよい街にゆきよい花を育ててしんしん泣いたりしてね  東直子(歌集「春原さんのリコーダー」)

 このうたの含まれた東さんの自選五十首は、NHK短歌の2月号テキストのなかで読むことができます。
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