メモです。
『小野茂樹片片』(小野雅子 著)ながらみ書房
1970年5月7日・小野茂樹・34歳の不慮の死。没後35年『黄金記憶』『羊雲離散』二冊の歌集の回想にこめられた愛惜―。結社「地中海」のグループ誌“青嵐”に連載された、珠玉の短編集。
〔定価1050円(税込) 46判並製カバー装〕
[ながらみ書房]
http://www6.ocn.ne.jp/~nagarami/
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以下は、『NHK短歌』2005年7月号の《福島泰樹の名歌発見》からの引用です。
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(前略)
その夜、小野(茂樹)さんは、行きつけの銀座五丁目のバー《Virgo(ヴィルゴ)》のカウンターに凭(もた)れヴィヴァルディの『四季』を聴きながら、ウヰスキーを傾けていた。傍らには、(歌人の)小中英之がいた。
時計はすでに(1970年)五月七日午前一時を回っていた。四丁目の角で、小中は、船橋の自宅にタクシーで帰る小野さんを見送った。数分後、小野さんは霧の路上に放り出されていた。行年三十三歳。この人を喪った現代短歌の喪失は、計り知れない。微笑の美しい人であった。
「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」。小野さんの生前に出版された唯一の歌集『羊雲離散』中につとに名高い一首である。
少し前、小野さんは、遠からず訪れるであろう自身の死を予見するかのような歌を発表している。このリズムの軽やかさの中に、生のいらだちはみられない。
尋常の朝を迎ふるごとくにてこのけざむさになべては死せむ 小野茂樹
とほきわが羊のこころひたひたと霧のもなかを帰りはじめぬ
濃き霧のかなたの眠りおもふときただよふごとし覚むるひとりは
新しいビルが林立する銀座五丁目、旧三原橋三十間堀沿い。そこだけが懐かしい界隈の(銀座の土を残した)路地に入ると、《Virgo》は昔のままにあった。畏友を失い悲嘆に暮れる小中と連れ立って何度となく私はこの店に通っている。(中略)
あれから三十五年目の五月。小中英之もすでに幽明界を異にしてしまった。雲の上で戯れ、微笑する二人が見える。さらば、青春の無聊(ぶりょう)を分かち合った友よ!
(後略)
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《日田三隈高校校歌》(作詞:小野 茂樹)
http://iris.hita.net/~city/bun/scl/smko.htm
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日田三隈高校校歌の作詞者・「小野茂樹」氏。短歌作品「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ」の作者として著名な小野茂樹さんと同一人物なのかどうかについて興味を惹かれて、日田三隈高校の先生に伺ってみたことがありますが、「校歌制定当時の資料が学校になにも残っていない」そうで、真相を教えてはいただけませんでした。
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星-sei-さん&せいたかさんの短歌ページから。
http://www.urban.ne.jp/home/sei97/uta/ono1.htm
<やや折り目くづして少女の坐るよりわれは樹となる街なかの原 小野茂樹>
「地中海歌集第1『群』(1958年地中海社刊)所収。『傾斜』の中の一首。
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http://www.ne.jp/asahi/tityukai/tanka/SIGEKI/keisha.html
小野茂樹初期作品「傾斜」―地中海歌集第1『群』(1958年地中海社刊)より―
『傾斜』(143首) 小野 茂樹
斜め射す日のたはむれてわが影をひととききみが手に遊ばしむ
入試けふ了へたる友の電話にて話しをるこの電灯の寒さ
葉洩れ日をかひなに受けてゆく道に感覚は己れを離れてあたらし
新しきページをめくる想ひしてこの日のきみの思念にむかふ
荒立てし足音をわが痛みとし夜の階段を踏みしめてゐつ
安らぎし呼吸にみちて夜空まるし灯の上にまた灯を積みし街
存在はかくかたむきてわが机の瓶にして見ゆるバラ香ぐはしき
開く瞬間のドアに映りし表情は惨めだつたなとホームを歩く
昨日得し知識を述べ来しさびしさに影偏平に靴先に伸ぶ
五線紙にのりさうだなと聞きてゐる遠き電話にはずむきみの声
待ちながら打消して来し表情をそのままにきみ薄明に立つ
夏の夜を吹きぬけてゆく風にゐて同じ星を探すわれと母
ひつじ雲そのおのおのが朝の日に丸く肥つて秋空である
これまでもわれの力を奪ひつつ背伸びして去りし姿をいとしむ
ふと立ちてきみそのままに離れたり何を信ぜむと心渦巻く
きみに似し人妻あれば満員の電車にその子をかばひて立てり
ここにわが誕生を得し思ひにて深更を織るざはめきを聞く
引伸ばしてみしとき写真の一隅に黒きはきみの手袋と知る
薄紙に境(さかい)してわれらあり破らむとためらへばきみ去る足音す
呼気に飛ぶ埃のひとつこの中に宇宙があるかも知れぬと目で追ふ
ある高さの音のみここに響き来る凍りし雪の距離を弾みて
きみは大人でぼくは子供であろうとするこの安心感がどこまで続くか
感動を暗算し了へて風が吹くぼくを出てきみに君を出て僕に
惑ひわが生に及びて息苦し炎は小さき虹をまとへり
夕暮れはきみを避けつつ深み来ぬ明日を待つときわれら稚し
星抜けし一隅があり空にして彼の暗闇にいこひを得たり
気をつかひ話し来し夜もともどもに深き傷あり星落ち易し
せめて同じき調べに心つながむとわれらのあやふく茶房の扉押す
壁高く彫りし名にまで及ぶ焔渦巻けばこれを神と呼ばむか
髪いじる手に光ありわが前にきみただ明日の人として立つ
沈みゆく夕日の速度を受けとめてきみのひとみはふくらみ続く
言ひ過ぎて黙しあへるを隙としてそこより夜が二人を分つ
夕闇がゆらりと揺れていま入りし灯にまるまると肥るビルあり
すべて道は湖(うみ)に陥ちゆく傾むきに街を容れざる心を誘ふ
こだはれば一言も燃えて日のごとし駅は茜へ電車を発(た)たす
ひさびさに丘に来にしが夜となりぬ土をゑぐりて日の沈む音す
蹠(あなうら)に見えざる世界を仮想せしピタゴラスあり月あはや落つ
明き葉をふかざる内に伐られたりここなる不幸は呻きももたず
語るほどに光れる位置をうつす雲視線をたぐり寄す力あり
透きとほる空と思へば碧き色は地に蹲まる町に沈めり
冬の日を一杯に吸ひし町並みは夜はつぶさに輝きかへす
囲はれし園もたがはず冬なりきしきりに波紋の浮く池がある
冬の日が落ちてしまひぬすがすがと去ればこの池凍りはじめむ
常に岐路の苦しきをのみ選び来し如しときみに乾きたる笑み
噴き上ぐる眼もわがものと誓はせし夜がありてより汝に怖れらる
夕空の深みをすべて受け容るる上澄みをもつ池が残れをり
風にアドバルーンの文字が歪みをり時をり低き日ざしを反射(かえ)し
透明に巻きこむ渦に似し眼ありわが反応を測りてゐたり
広告塔が蔵ひこみたる夕日にて久しく山の呼吸を聞かず
稜線に沿ひつつ上り来し霧のいくたびわれらを地(つち)より離す
廊きしむ響きの曲りてゆきしかば風に揉まるる雪の音きく
たつ霧のその空洞を思ひをり白き中より戸を繰る音す
石彫りて雪もち上ぐるかたちなす天邪鬼とも羅漢とも見ゆ
登り来し社の庭より梅林を外れて木棉を染むる家見ゆ
梅見むと町より人の連ね来しこの昼中を棉晒す村
実を採ると花枝折られゐる畔くろく曲りて青野街道へ出づ
この傷を過ぎてしばしを晴るる山に歩みを止めて日を沈ませむ
たはむれに丘に連れ来し少女には夕日に染みし噺などせむ
丘の上に連れ来し少女に語らせて夕日に染まる息をみむとす
没りし日を封じたる眼のふり向きてわが顔にとがむる色を見むとす
丘に立てば黒く流るる海峡に陥ちむ傾斜を灯の埋む見ゆ
星出でしがために夕べの空緊り少女はわれを待つ背を向けぬ
われを仰ぐときのみ微笑を消す少女街路樹太き街にて知りき
電車登る坂が下より昏れて来ぬ二人して想ひ出さむとの名あり
水底に貼つきゐたる木洩れ日を鮒出でてその鱗に受けぬ
底抜けし提灯を下げし店出でて汝が靴はその丸き灯を踏む
橋梁が夜を巻き込む弧をもてりきみの殺意をいとしみ佇(た)てば
朝空を揺らしてわれら別れたりどこでも新聞を売る朝なりき
死を測るこころとなりてやうやくに抱けば弾む少女を得たり
華やかにアパートの玄関が位置したり闇を踏みしく汝が素足あり
板ガラス負ひて町ゆく男あり背より逆さに駅とほざかる
橋に来て男の捨てし屑ガラス大学祭の灯のごとく散る
想ひ出となれるを訝り汝が裸いま焼きつくる陶器がここに
揺れてまた新たにネオンが書き直す文字をみてをりきみと幼く
日に触れし原鉱のもつ脆さともきみの文より拾ひしことば
商売を描きて明(あか)く屋根のうヘネオンは己が幅に雨降らす
風が断つ炎のごとく別れ来て鋪道に蜘蛛の巣を浴びにたり
木の実摘むといへば嘘でも美しく夕日錘りとなりて今日を曳く
葉にあやふくおほはれてしまひさうな灯が周りの空を照らし上げゐき
父想ふ心をもちて男への愛を測ると髪長き少女
海に立つ赭き岩ありこの村の墓石が寄りあふかたちにて占む
油塀曲りてゆけば授業終へし聾学校あり鐘も鳴るなく
日だまりを羽虫が浮きつ沈みつす石庭のいだく因循に耐へ
くろぐろと盛りあがりつつ銀杏立つきみ来ししるしに低く疵つき
海荒れて来し風の中この朝を改札駅夫が鋏を鳴らす
山肌を蟲が抑へつけてゐたり営みが秋に大きくかはる
低く日が薙ぎ照らすときふたり話す声吸ひてきみの服地は厚し
親が子にほの光りして詫ぶるなり雨を落せる四角き窓に
額ぶちの中をくぐれる山に似てこの山柔き草育てゐむ
わづかなる傾斜に住みて耕せり水ひかりつつ田より田に落つ
古きひびまで延び止まる罅光りそこが話を食ひとめてゐる
山に樹がさびしき格子縞作るだれと登りて来し日も昏く
人をいれれば弾けてしまふやうな町初めに川を流してをりぬ
曲り角が多いので川につけられし名は風が吹き散らして呉れる
深く引く眼をきはめむときみの裏にまはれば朱く芽吹く木々立つ
暗く軒を伸べたる町に始動かけて置かれし夜のオートバイ光る
きみが汚れてみえる夜にて乗り捨てし電車は布地のやうに消えゆく
菜にそそぐ軽き雨足われら長き列にゐて樹を落つる滴を算ふ
いつも早き刻(とき)指すとけいを持つきみに譬へて語る海ひびく潮
ユダが背ひし十字架は生木かもしれぬその葉が睡りを覚ますかもしれぬ
波かへるたびに渚が傾きてこの砂大陸棚につづかむ
夕明る水平線の向うにも続く海黄なる貝をそだてて
ととのひし反省を抱きしことあらずこの夜も暗き空より霧らふ
明き夜の町に出でしが灯に繋ぐ無数の差込みソケット並ぶ
やや折目くづして少女の坐るよりわれは樹となる街なかの原
壁塗りこむ手間を省きてゐる仕事みやりつつ壁もわれも夜となる
描きてゐる内に育ちし名画など信ずるものか木には枝ばかり
蜘蛛の死にともなふ挿話灌木に崩み残さるる巣が乾くなり
ぼくの眼を待ちて選ぶがこれよりのならひとならむきみを粧はす
塑像を愛する日も何処にか秘めてゐむ紅を散らさずきみは装ふ
台風を海にはなちてにはかなる冷えを呼びたる蔭おほき陸(をか)
店ならぶ街の低みは灯ともせり地のにぎはひが沸き出づるなり
わが思ひが生くる姿勢を与へしかその日よりきみ色を択ばず
雨は重き白土をのみ残すべし環状線路より高く整地す
気楽に椅子を並べておくことは部屋の朝(あした)の意志でもあらむ
水を汲むことに譬へて嫁ぎしなり終車にひとり醒めつつ空し
追はざれば訣れとなりぬ綱うちて道修繕(なほ)さむと莚を敷けり
坂に沿ふ空溝に今朝水くだれり堰かれしもののいきほひ新し
もろく求め合ひて人の中に人生れむ空かくばかり晴れつつわたる
地に浅く塩となりつつまみれゆく骨粉ときにわれにかかはる
家混めるなかに畳職人の畳に霧吹く音なまなまし
木々生きて光りあふとき落ち継げる滝の中ほど幅太くなる
肉厚き児を生みたりと。伴ひて帰らむか麦など播くを教えむ
海に入る傾斜を削ぐが町造る歴史となりぬ土のなほ赤く
風乾く東京に根を張りながら樹の種子おほく土にとどかず
酔ひて時計の響く電話をかけしといふいつまた聞かれむわがまとふ音
入り組みし枝それぞれに空を断つかくゆがめつつ人を見るのか
友は牛鍋やを継ぐと。帰り来てわが家が雨に輝いてゐる
商ふは何ならむ運河に沿ひ低く並べる窓に電話器目立つ
斧入るる方に倒れし木の話、馴れし平和に怖れつつ聞く
禦ぎなき女となりしもうべなはむ鳥打ち当り死すとふ操車灯
紙の芯にむかひて燃ゆる火のごとく静かなるべしきみの妻の座
古く椀より人生まれ来る伝へあり暮れれば駅は器(うつわ)のごとし
橋下より分散和音(アルベージュ)、人に浸み入りていくさは歌ひ捨てられやうぞ
何を掠めゆきしか木窓にふかぶかと空ありて雲ほどけつつ飛ぶ
屋根に生えたる草。夕焼の中でひつきりなしに種子を飛ばせり
若き木は空(あ)きたる天へ葉を伸ばすため高ぐらき林でありき
葉を小さく空へ満遍なくおきてこの国日照るは年四分の一と
家に射しをれば光静かなり人が犠牲を待つは変らず
角々が沈む畳の部屋二つうち抜きくれぬわれふりの客
厚き板の一枚を置く橋はむかし廓に通ふ水夫(かこ)も踏みけむ
墓を背に暮らして村の屋根低し卑屈なり生くる強さといふは
海へ岩を断ち切り基地となしたれば墓石の背に水浸みしたたる