メモ。河野裕子先生の異星人やUFOの歌。
時どきは異星人のやうな気になりて試験管びつしりのこの研究室(ラボ)を訪ふ 『紅』
UFOの乗組員のさびしさは秋のほほづきのやうなひのくれ 同
あまづたふUFOや幽霊を疑はず玉子抱へて坂のぼり行く 『歳月』
UFOの基地のやうにぞ仄ひかる角の一棟貝類研究所 『歩く』
一昨日の夜に見た夢。薄明のがらんとした部屋の真ん中のテーブルに一冊のノートがぽつんと開かれてあり、そこに〈白村江(はくすきのえ)〉とだけなぜか書いてある、というもの。起きてから、なぜ〈白村江〉なのだろうと頭を捻るも、よくわからぬ。
2016年1月25日(月)付け朝日歌壇より。
糸へんに冬という字の哀しかり雪はしずかにただ降りつづく (福島市)美原凍子
〈終〉という字のことを詠まれた一首。絶え間のない雪降りを背景に、なにかがいまだに終わっていない哀しみなのかもしれないし、あるいは、すっかり終わってしまった哀しさなのかもしれない。寡黙なのに饒舌。静まりが深みをもたらしている。
今朝の月があまりに見事に円くて白かったので、思わずカメラを向けて写真に撮ると、それはじつにじつに遠くて小さかった。月から見た私たちもあんな小ささなのだろうと思いながら、カメラを仕舞い、部屋に還った。
先日は、母を誘ってボリショイ劇場芸術監督トゥガン・ソヒエフ氏指揮のNHK交響楽団サントリーホール定期演奏会へ。曲目は、グリンカ『ルスランとリュドミーラ』序曲、ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』、チャイコフスキー『白鳥の湖』抜粋。指揮者の思いをオーケストラが丁寧にひとつひとつ汲み上げ応え尽くし最大限に盛り上げた、まことに素晴らしい演奏でした。心が洗われました。
昨日は、朝、鹿児島の兄たちから東京の雪を心配して早々に見舞いメールが届いた。雪国の方たちから見たら、たかだかそんなもので大仰な、と笑止千万なことでも、東京に雪が降り少しでも積もるとまさしくそこは地獄の三丁目辺りの様相になってしまう。それが東京の雪道。雪の日はなるたけ外出したくない。が、昨日の私の手元には、その朝書き上げたばかりの大至急の京都宛郵便物があった。積雪して頗る歩きにくく滑りやすいなか、とにかく、冷たいみぞれ雨に打たれて全身濡れそぼちながら郵便局本局へ向かわねばならなかった。。で、ようやく投函。。欠詠しないで済んで少しほっとした。
今朝の短歌メモから。
詞書〈あれから21年。〉
そのお城にはしづかな部屋がありましてひつそり黙つてしまつた〈時計〉たち掛かる
ギター抱へ姫さまうたふ優しき歌、無数の進まなくなつてしまつた〈時計〉たちに
死の後(のち)もその名を思ひて語ること、好きだつた歌をひとりうたふこと
亡き人らのアルバムに庭の光差す 卓上には新しき水差し置かれて
昨晩遅くまで掛かって書いた短歌詠草10首の草稿、今朝見直すもあまりにひどく即座に破棄。今朝あらためて書き直す。
河野裕子先生は〈欠詠はあきまへん。なんでもよいから、とにかく出し続けることが大切。出しなさい〉とよく仰有っていました。だから、私も、下手でもなんでも、『塔』には2001年6月号以来欠かさず出詠してきました。しかし、今回の1月号が来て、出詠締切日程はあと3日後の20日必着だからとにかく急いでがむしゃらに今から詠草10首揃えて清書して投函を、といつものように思う自分と、出詠郵便は速達NGだしもう〈欠詠しない〉に拘ることはしなくてよいんじゃないか、時間なく作るよりもじっくり納得できる作品が出来たときに出詠したら、との心の声も。。。これからしごとです。