興味深いのでメモさせて頂きます。。。
織田作之助 著「夫婦善哉 完全版」(雄松堂出版)
四六版 定価1,890円(本体1,800円+税5%)
ISBN: 978-4-8419-0467-3
あの名作「夫婦善哉」の幻の続編が今、明らかに─
舞台は大阪から九州・別府へ
しっかり者の女房が駄目夫を支える“浪花の夫婦愛”は健在、ホロリとさせる佳品
「本書構成」
夫婦善哉 正編
続 夫婦善哉
続 夫婦善哉(直筆原稿影印版)
解説 日高昭二(神奈川大学教授/日本近代文学)
大阪の庶民の暮らしを描いた無頼派作家、織田作之助の代表作「夫婦善哉」の続編が60年ぶりに発見された。改造社を創業した山本家が99年、大量の生原稿を出身地の鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)へ寄贈したものの中に所蔵されていた。紅野敏郎・早稲田大学名誉教授らの研究グループの調査でその存在が分かり、現在は同市の川内まごころ文学館に所蔵されている。続編原稿は200字詰め原稿用紙99枚で、題は「続 夫婦善哉」。
「夫婦善哉」は、1940年、戦前に隆盛を誇った出版社「改造社」の雑誌「文芸」に掲載された作之助の出世作。大阪・曽根崎新地の芸者だった蝶子が、若旦那の柳吉と駆け落ちして結婚。剃刀屋や果物屋、カフェなど職を転々としながら、甲斐性なしの夫を妻が支える姿を、当時の庶民情緒とともにしみじみと描いた。最後に夫婦が法善寺境内でぜんざいを食べる場面は有名。55年には森繁久弥さん、淡島千景さん主演で映画化。演劇や文楽などでは現在でも人気の演目。
今回、執筆されたものの、掲載を見送られた幻の続編を、正編はもちろん今回発見された続編直筆原稿の影印版、さらに日高昭二教授の解説とともに収録。より織田作之助作品の世界が楽しめる充実の一冊となる。
http://yushodo.co.jp/press/meotozenzai/index.html
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《別府で「事変」遭遇 消えた痴話喧嘩・・・》
(神奈川大学教授 日高昭二氏)
「続夫婦善哉」の原稿が、鹿児島県・薩摩川内市内の改造社創業者・山本実彦家から発見された。200字詰原稿用紙99枚の完成原稿で現在、「川内まごころ文学館」に所蔵されている。
「夫婦善哉」の原稿類については、5種類の原稿用紙132枚に記した草稿(大阪府立中之島図書館織田文庫所蔵)が残されている。また、「続夫婦善哉」と題名が付けられ、「八日の宵宮雨が降り、九日の本祭におし」とだけ記された草稿一枚も存在する。それによって、織田作之助に続編を書く意志があったことがつとに知られていた。
「夫婦善哉」は、同人雑誌「海風」(昭和15年4月)に掲載の後、改造社の第1回「文芸推薦」受賞作品として、昭和15年7月号の「文芸」に再掲された。この経緯からすれば、続編も同誌に掲載されるのが自然であるが、その形跡はない。つづいて作之助は同誌9月号に短編「六白金星」を送るが、検閲にかかって削除となり、そのため頁が「129頁から162頁へ飛んで」(「編集後記」)しまうという結果になる。さらに、単行本『夫婦善哉』(昭和15年8月創元社)も、風俗紊乱を理由に編集者が警告を受けている。これらをあわせてみると、続編の掲載はむずかしかったであろう。
「夫婦善哉」といえば、匂い立つような食べ物の記述といい黒門市場・先日前の雑踏のざわめきといい、大阪の風俗や地誌を抜きにしては語れない。ところが「続夫婦善哉」の舞台は、驚くことに大分県の別府になっている。帝塚山学院大名誉教授の大谷晃一氏の調査によれば、柳吉と蝶子のモデルは、作之助の次姉千代夫妻で、下寺町に開いたカフェ「サロン千代」が道路拡張で立ち退きとなり、別府で小料理屋をしていたという。作之助は、一度そこを訪れており、物語がいずれ別府にまで及ぶことは、当初から構想にあったのかもしれない。その別府で、柳吉と蝶子は、理髪店向けに化粧品や刃物を扱う店を開く。柳吉の放蕩や競馬通いも収まり、蝶子も行商などして支えるが、町には出征兵士を見送る光景がみられ、「いつか事変が」始まっていた。蝶子は国防婦人会の支部幹事を務めたりするうち、弟の信一も応召となり、千人針を届けるが、肋膜の病で帰郷を命じられる。折から金属類の使用制限や禁止という物資の統制があって、たちまち店は立ちゆかなくなる。正編を彩っていた、勘当された駄目男と芸者あがりの女による痴話喧嘩は、さすがに影をひそめている。新聞・雑誌が声高に叫ぶ「国民」の「覚悟」という言葉の前では、そうならざるをえないともいえる。いずれにしろ、これで執筆が「事変」以後であることがわかるが、戦後の書簡には「続夫婦善哉」を書く旨の文句もあり、これも気になるところだ。
法善寺横町の「正弁丹吾亭」の前に、行きくれてここが思案の善哉かな」と記した作之助の句碑が立っている。「続夫婦善哉」の出現で「行き暮れて・・・」の意味がにわかに表情をかえるようだ。映画や舞台も含めて、人々の記憶に生きている「夫婦善哉」のイメージは、この原稿によって、間違いなく変わるだろう。
http://yushodo.co.jp/pinus/69/meoto/index.html
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「織田作、横光らの直筆原稿刊行へ 鹿児島の文学館が所蔵」
(2007年04月03日朝日新聞記事)
鹿児島県薩摩川内(せんだい)市の川内まごころ文学館が所蔵する雑誌「改造」関係の直筆原稿約7000枚の全容が明らかになった。織田作之助の短編「夫婦善哉(めおとぜんざい)」の未発表の続編を始め、横光利一の長編「上海」、大佛次郎の史伝「ドレフュス事件」など、90人の作家らの息吹を伝える作品が236点。近代文学研究の第一級資料だ。調査している早稲田大名誉教授の紅野(こうの)敏郎さんらが2日、東京都内で発表した。
「改造」は1919年に改造社が創刊した総合雑誌。大正デモクラシーの潮流に乗って急進的な編集方針を取り、大正から昭和にかけて「中央公論」と共に言論界で主導的な役割を果たした。文芸にも力を入れて新人の登竜門とされた。
55年に廃刊となり、同社を創設した故山本実彦の遺族が99年、出身地の薩摩川内市に寄贈した。直筆原稿は「改造」のほか、「女性改造」「短歌研究」などの雑誌や、「日本文学講座」などの単行本のものもある。一部は同文学館の常設展や収蔵品展で公開されており、紅野さんら研究者が解読・分析を続けていた。
主な直筆原稿は井伏鱒二「波高島(はだかじま)」、幸田露伴「蒲生氏郷」、小林多喜二「工場細胞」、瀧井孝作「無限抱擁」、谷崎潤一郎「芸術一家言」、火野葦平「敵将軍」、武者小路実篤「或(あ)る男」など。文学者以外にも伊藤野枝、賀川豊彦、堺利彦、英国のバートランド・ラッセルらが名を連ねる。
紅野さんは「近代文学史や思想史を彩る著者の直筆原稿がこれほど大量に残っていたのは研究史上の一大事件だ。推敲(すいこう)過程をたどることによって得られる情報は計り知れない。検閲を配慮した伏せ字も復元できる」と語る。
推敲の跡は個性に富む。よく寝転がって原稿を書いた直木三十五は速筆で知られ、原稿もほとんど手直しがない。対照的なのが、この「改造」コレクションの白眉(はくび)とされる「上海」。全7章のうち4章の原稿が残っていた。加筆と削除の跡はすさまじく、横光が新感覚派の文体創出のために格闘した様子がうかがえる。
改造社の雑誌「文芸」40年7月号に発表された織田の出世作「夫婦善哉」は、芸者の蝶子が気の弱い若だんなの柳吉と駆け落ちし、たくましく生き抜く姿が描かれている。今回、未発表作と判明した「続夫婦善哉」は本編から1年後の設定で、2人が大分県別府市に移り住んでからの生活が描かれている。未発表作と判断した神奈川大教授の日高昭二さんは「織田の著作権継承者と協議した上で、『夫婦善哉』と合わせて完全版『夫婦善哉』の形で刊行できたら」と話す。
また、約7000枚の直筆原稿はすべて写真撮影を終えており、画像データを収めたDVDと研究書が、それぞれ東京の雄松堂出版から9月に刊行される予定だ。
http://book.asahi.com/clip/TKY200704030128.html