オーケストラの平和への祈りの音楽が胸奥の暗がりの底で鳴っている感じがして、五線ノートを取り出し開いて、しきりに暗がりを覗き込み音の塊へ耳を澄ますも、喉元に引っ掛かった小骨のようにすんなり聞き取り書き留められず、いったんノートを閉じた。
朝からまたしごと。
昨日から、ウクライナでロシア軍侵攻大規模戦闘始まったとのひたすら恐ろしくてこの上なく悲しいニュースの数々がニュースサイト画面を覆っていてことばを失う。昨日という日付はこれからの世界史では悲劇の日として永遠に刻まれてしまった。
そういえば、311という日は、2011年以降では東日本大震災の鎮魂の祈りの日になったが、1984年、映画『風の谷のナウシカ』が封切られた日でもあったということを偶々思い出した。
日付の意味ということを寝床でしばし思った。
記事メモ。。この佐藤先生の音楽にも映画そのものにもあらためて非常に心揺さぶられて涙が湧いてきて仕方ありません。描かれている世界観に惹かれます。
昨日は、仕事の後、歌誌『塔』1月号POPご対応の御礼感謝も込めて谷中福丸饅頭でささやかなお茶菓子の手土産をしつらえ、池袋のジュンク堂にちょこっと立ち寄って、ご担当のTさんへ2月号POP文案メモを手渡し。「具体的な中身の書かれたPOPがあるとお客様の受け止め方がだいぶ違うので文案すごく嬉しいです。1月号と同じようにPOP作りますね」と仰有って下さった。
ところで、なんで今頃と思われるかもしれないが、お恥ずかしながら、最近、ストラヴィンスキーが滅法面白くて仕方がない。だいぶ若い頃に読んだ指揮者の岩城さんのエッセイのなかに、「20世紀の大作曲家を三人挙げるとすれば、バルトーク、ストラヴィンスキー、武満になるだろう。」というような一節が、たしかあった。この一節を読んだとき、ほおお、と思い、そんなものかな、とやや冷めた感じで受け止めた。正直、その当時、ストラヴィンスキーの凄さ佳さ面白さが今一つわかっていなかったのだ。が、いまは岩城さんのご意見に大いに賛同したい。すごくよくわかる気がする。とにかく、近頃はストラヴィンスキーが面白くて仕方がない。
1996年2月20日に作曲家武満徹さんが亡くなられた。この日は火曜日だった。その前日の2月19日(月)、大雪が降って奥さまも誰もお見舞いに訪れることができなかったため、武満さんは病室で一人静かにラジオを聴いたり本を読んだりされていたらしい。そんななか、偶然にも、NHK-FM放送からバッハの「マタイ受難曲」全曲が流れ始めた。「マタイ受難曲」は、武満さんが平生から特別な思いで愛聴愛奏されていた曲だったので、武満さんはこの放送を〈病床の自分への神の恩寵〉と受け止め、深い感動とともにしみじみ聴かれたという。その翌日、病室へ来られた奥さまに、武満さんはしみじみと深い感動をもってその「マタイ受難曲」を聴かれた話をなさったのだという。
夢から覚めた寝床で、先日のラジオ放送から録音した金川真弓さんのヴァイオリン独奏、尾高さん指揮NHK交響楽団の演奏による、バーバー作曲『ヴァイオリン協奏曲』を再生し、しんみり耳を傾けた。バーバーのこのコンチェルトは、つい先年、神尾真由子さんのヴァイオリン独奏、原田さん指揮NHK交響楽団でも演奏されていて、これもラジオ放送で聴いてすこぶる感動したものだったが、今回もまことに素晴らしかった。金川さんのヴァイオリンの、やわらかでこの上なく自在で美しい歌いぶりから、なんとなく、ドイツ語の〈Sehnsucht〉([ゼーンズフト] [女] (―/..süchte) ([英] longing) ⸨nach j-et3⸩ (…への)あこがれ, 思慕; 郷愁.)を思い出した。おかげさまでまことに心の洗われるひとときになった。