すっかり忘れていたが、10年ぐらい前に〈代役ハウス〉という小説もどきを書き掛けたことがあったのを思い出した。
代役ハウスはイタリアのとある町外れのおんぼろアパートである。今ではそのアパートの周囲はすっかり撤去されてしまって更地だけれども、昔、このアパートの隣にはなかなか立派な劇場があって、そこの楽屋とアパートはつながっていた。アパートには、学校を出たばかりの売れない歌手やらヴァイオリン弾きやら、役者志望やらがぞろぞろと住み着いていて、常にキャストに不満たらたらな劇場監督が伝声管を使いアパートに向かって「至急代役求む」と叫ぶとたちどころに代役が調達できてしまう。そんなところから、いつしかこのアパートは代役ハウスと呼ばれるようになったわけだ。代役ハウスは地下一階地上五階建て。劇場でリハーサルや公演が行われる日、楽屋への連絡口とつながっていた地下一階廊下突き当たり、裸照明に照らされた床の上は、劇場監督からのお声掛かりを期待するアパート住人たちで賑わった。劇場監督からいつお呼びがかかるかわからないので、皆思い思いに、壁にもたれたり床に座ったり、詩集を携えたり毛糸の編み物を持ち込んだり、おしゃべりしたり楽器練習をしたり、じつに様々だった。楽器といえば、代役ハウス二階廊下にはあの著名な声楽家Pが退居の際に置いていったというアップライトピアノがあった。そんな代役ハウスで起こったある事件のことを書いてみたいと思う。それを知っているひとは今ではもう滅多にいないかもしれないが、あの頃は少しだけ週刊誌ネタや新聞記事になって騒がれたぐらいだ。それがひいては劇場廃止のきっかけとなったのだ。(続く)
昨日の昼間は、さまざまな用事を片付けるべく出掛けた。用をしてまた外に出ると、先程までの雨が冷たい雪に変わっていた。とにかく寒い一日だった。考えてみると、コロナ禍で随分長いこと実家に帰れていない。この正月も帰れなかった。なので、その分、母とは電話で実にたくさんのいろいろな話をしている。そうすると思い出されるのが、病気がひどくなる前の父とも同じようにしたらよかったということ。話を聞いて欲しい、誰かと話をしたいと盛んにシグナルを送って来ていた父に、もっとたくさん時間を作って話を聞いてあげたらよかった、話をすればよかった、という反省は消えない。もはやどうにも取り返せないもやもやがずっと心の底にあり続ける。
ところで、近頃の母との話のなかでは、母の本当の生い立ちの話に絡めて、母も私もこれまで行ったことがなかった大垣のこともよく出てくるようになっているのだけれども、東京・大垣間をわずかな本数ながら往復していたJR東海道本線の夜行快速「 ムーンライトながら」が車輌老朽化からついに廃止となってしまったニュースが、やはり、もやもやと胸奥で寂しくかなしく響いている。
記事メモ。。昔も今も、ハンナ・チャンさんのこの演奏が私のなかではコル・ニドライのいちばん最高の演奏と思っています。そんなハンナ・チャンさんですが、マエストロ・デプリーストさんに指揮法を師事して、最近は、She has now shifted her musical focus to conducting, away from cello performances.(チェロ演奏から離れて、専ら指揮活動にシフトしている)だそうです。
https://youtu.be/G2fL4SGcJYU
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/7d/9ff41608ab388ef1aec884097d2b5745.jpg)
今日は、明治39年1月27日生まれの祖父115歳の誕生日だった。祖父は、昭和16年に満州へ渡り、昭和19年に東満総省牡丹江市北区東聖林街で病没したと聞いている。ロシア民謡風フレーズを勝手気ままに胸奥で鳴らしてみた。
おじさんが点鬼簿にはたきを掛けている
私が生まれたとき
ストラヴィンスキーもショスタコーヴィチも
ハチャトゥリヤンもブリテンも
矢代秋雄も武満徹も みんな
生きて こちらの岸にいたけれども
気が付いてみれば みなさん
あちら岸だ
風が吹いて 誰かの笛が鳴る
ながく ながく ながく
誰かの笛が鳴り続ける
とまらない
昨日のこと、職場の玄関外でちょっとした作業をしていると、隣りの老人ホームで俳句講座の講師をなさっているというホトトギス系俳人の先生が偶々いらして、「ちょっと早く着いてしまって時間ができたので散策がてら伺いました。すこし見せてくださいね。この石碑は何ですか。」とお尋ねされたので、しばし職場に纏わる歴史の話をさせて頂いた。さらに俳句の話にもなって、私が好きな俳人として田中裕明さんのお名前を挙げたら意外にもご存じなかった。裕明さんにはこんな句集がありまして、と『田中裕明全句集』とメモ紙に書いて厚かましくも差し上げたら、〈後でネットで調べてみます。ありがとうございます。〉と大層喜んでくださった。
夢を見た。遠くの町から自転車で走ってきて、どこかの駅前商店街のシャッターの閉まった理髪店前に駐輪して近くで用事をしていた。用事が済んで理髪店前に戻ると、乗ってきた自転車が見当たらなかった。撤去されたか盗まれてしまったらしい。途方に暮れて寂しく夕暮れの駅前に佇んでいると、改札口から懐かしい人たちがたくさん出てくるのが見えた。同時に、駅前商店街のスピーカーから、バッハのブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調第二楽章が流れてきた。あまりのタイミングの良さに、思わず涙がこぼれそうになった。そういう夢だった。
もう日付が変わっているから、本当は23日なのだけれども、頭の中はまだ昨日の続きをやっている。昨日の仕事帰りは、どういうわけか、突然にバッハのアリア(ウィルヘルミ編曲で有名なG線上のアリアの原曲)が聴こえ出してずっと鳴っていた。そのことと関係があるのかどうかわからぬも、寝ていて唐突に、オーケストラのワルツからやわらかな祈りのうたへの連携が聴こえ出したので、取り敢えずメモしてみた。
今日は、2010年1月23日に亡くなった江口浩司さん(江口夜詩さんのご長男)のご命日。