小学校の時分、父と風呂に入るとき、父がしばしば歌ってくれた歌があります。それは、与謝野鉄幹作詞の「人を恋ふる歌」。旧制三高の寮歌。父は旧制三高の卒業生ではなかったけれども、若き頃に貧乏しながら京大人文研で勉強した日々があったと聞いているので、きっとその時代に覚えて愛唱していたものかもしれない。「妻をめとらば才長けて見目麗しく情けある、嗚呼われコールリッジの鬼才なくバイロン・ハイネの熱なきも、石を抱きてなに歌(うと)う、芭蕉の寂びもものならず」と父は上機嫌に歌い、小学生の私にも、この歌詞おぼえて一緒にうたおうや、なあ、と言い、何べんも繰り返し風呂場で歌ったことを思い出します。
「11歳の頃の初作品です」
「ふーん、まあとくに才能を感じさせるようなところはないねえ」
「……、僕も同感です」
というようなやりとりがあったのだとか。
西村朗氏の初作曲小品、興味深いです。
昨晩は仕事終わりが遅くなって、帰り振り込みに立ち寄った銀行ATMで、18時以降は預け入れにまでATM利用手数料を取られることを知って呆れて凹む。たかが手数料も、されど手数料。操作回数嵩めば結構な金額になる。どう考えてもその理不尽さが理解できず。その日の振り込みを諦めて、愛車のペダル漕いで、久しぶりにジュンク堂書店池袋本店に向かう。角川『短歌』11月号を見る。特集は、角川短歌賞発表。Y・H氏の受賞作『忘却のための試論』が面白かった。巻頭の小池光氏の『森』三首にこの上なく惹かれた。
詞書〈巣鴨駅の近く〉
仕事終はり線路の際なる窓ありて新しき医院の扉敲きぬ
計り終へて体温計返しながら「平熱35度なんです」とやつと伝へぬ
あすの朝も仕事の予定ありたれば高熱時の対応を紙にメモせり
詞書〈薬をのむ〉
病院の洗面所にてみづを酌むアニー〈トゥモロー〉口遊みながら
やは肌の熱き血潮に触れもみでさびしからずや道を説く君 晶子
頬になかれてなミたは熱しかにかくニあくかれこころおさへかねつも 鉄幹
今日は休日、久しぶりに早稲田に出かけ、前の職場の同僚上司と近況報告しあいつつ一緒にランチ、しばし談笑のときを持ったあと、ちょうど中央図書館で開催中の『ひとがうたをつくるとき~万葉集から校歌まで~』展を見てきました。
部屋の天井から降りてきたそのシンフォニーはまるで室内楽の音楽のように単音で紡がれていった。朝、私はしづかにそのシンフォニーに耳を傾けた。。と、ウェーベルンが言ったことがあったかどうか、私は知らないのだが、ごみ袋を左手に持って家を出ると、ちょうど家に入りかけの隣家の奥さんと目が合ったので、周章てて会釈をして、玄関脇のゴミ集積コーナーを抜けて、バス停に向かったのだ。
川田一路さんの歌集『NEXT ONE』(角川書店)を今朝は開きました。
煮えたぎる熱湯のなか端正に震えつづける湯豆腐の白 川田一路
結句の最後に置かれた「白」が見事です。眼前にさあと浮かんできます。