カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

よいお年をお迎えください。

2010-12-31 07:17:30 | Weblog
みなさま、今年一年、有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。

どうぞよいお年をお迎えください!


《卯年にちなみ》
寝台車の窓から覗きし夜のホーム ウサギを抱きてじつと立つてゐた
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30日

2010-12-30 22:11:51 | Weblog
昼間、年賀状書きに勤しんだ後、夕方からお寺内々の忘年会へ参加。楽しくて美味しかった会がひけて、帰途、池袋ジュンク堂書店に立ち寄り、三階の俳句短歌コーナーへ。歌誌『塔』を置いて頂くことで平生お世話になっているご担当のYさんに、今年のお礼と来年へのご挨拶。明日は夜分からお寺へ出勤の予定。それまで年賀状書きです。
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團さんの『悲しみ』

2010-12-30 07:14:37 | Weblog
今朝の夢は、本当にそういう作品がのこっているのかどうか知らないのですが、團伊玖磨さんが若き日に作曲されたという歌曲作品(?)『悲しみ』に関するものでした。以下はメモです。私はどこかのラヂオ局の番組を聴いていました。その番組に出演されている作曲家の團さんが、若き日に訪れた田舎の町で少女の書いた『悲しみ』という短い詩に出会って作曲された話を語られ、実際にラヂオからその哀しくも美しい歌曲が流れます。どういうわけだか、ラヂオを聴取している私の手元には團さん手書きの『悲しみ』の譜面があり、私は音符を追いながら聴いています。。そういう夢でした。
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地震の夢

2010-12-28 05:19:49 | Weblog
今朝、大きな前兆地震とその後の大地震に遭遇する夢を見て目覚める。夢のなかで私がいたのはどこかのビルのなか。みんな冷静に「やっぱり来たね」とか「とうとう来たね」とか言い合っていました。





以下は、つい先頃おわった某歌会に出した一首です。

さりさりと葉を踏む音が道にあり小池家どんぶりに日差し かたぶく


『オバケのQ太郎』に登場する「ラーメン好きな小池さん」のどんぶりが秋の日に照らされているところを詠んでみました。
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ファラダ伝説。

2010-12-27 05:32:41 | Weblog
今朝の短歌メモから、です。


お守りは紅き花を咲かせてをり岬の突端ファラダの庭に


ガフガフと海鳴りする夜を町びとはファラダが泣きをるとひそと話せり


冬の陽はファラダの靴を照らしつつ岬の霧笛が聞こえてゐたよ
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けふ

2010-12-26 17:39:52 | Weblog
夕方までお寺。帰り、後楽園近くのコンビニで、つたっぺさんから教えてもらった日経新聞を購入。文化面、永田先生の記事。
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百術は一誠に如かず。

2010-12-26 06:24:14 | Weblog
病気のために非常に若くして亡くなってしまった祖父は大学の卒業アルバムの寄せ書きに「元気と誠を信条として」と書いていました。これは祖父の好きだったことばらしいです。その孫である私も「誠」ということばが好きです。今朝たまたまダイヤルを合わせた菅原文太氏のラヂオ対談番組で聴いた「百術は一誠に如かず」。番組ゲストの小沢一郎さんの座右の銘だそうです。


百術は一誠に如かず。

すごくいいことばだと思います。
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チェロ

2010-12-25 06:27:16 | Weblog
今朝起きたら、チェロのうたがずつと鳴つてゐました。
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短歌メモから。

2010-12-25 02:56:50 | Weblog
短歌メモから、です。


冬の陽はファラダの靴を照らしつつ岬の霧笛が聞こえてゐたよ
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メモ(「一歩」について)

2010-12-24 17:12:30 | Weblog
『三百藩家臣人名事典』第三巻(新人物往来社)の289ページ~290ページより。

山崎権丞(大聖寺藩家老)
延享三年(1746)~文化元年(1804):山崎権丞家の五代、晩年、無一と称した。(中略)文化元年十月、五十九歳で没した。大聖寺の本光寺に葬られる。二男が家を継ぎ六代権丞(了夢)となる。(以上)

********

静岡県静岡市清水興津の教敬山耀海寺に今も残る「松濤家之墓」(亡くなった松濤権之丞を最初に埋葬したお墓)の墓石には、権之丞法名の院殿号やその妻「安子」の名前と一緒に「松濤一歩」の名前が刻まれています。この「一歩」が「権之丞」のことなのかどうなのか、家伝のはなしのなかには「一歩」に関する確たる伝承が何もなくてこれまでずっと謎のままでした。

仮に松濤権之丞が、実は山崎権丞家出身の「山崎範古」の子で、苗字は継げなかったけれども山崎権丞家ゆかりの「権丞」の名前をもらえたと仮定すると、さまざまな可能性(?)が浮上してきます。たとえば、年代的に範古は無一と称した五代権丞の子と考えられますので、耀海寺墓石の「一歩」は松濤権之丞から見た祖父「無一」にちなんだ命名と考えられなくもありません。。。

いったいどういうことなのか、いろいろな史料にあたって検証してみたいです。。。。
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