『三百藩家臣人名事典』第三巻(新人物往来社)の289ページ~290ページより。
山崎権丞(大聖寺藩家老)
延享三年(1746)~文化元年(1804):山崎権丞家の五代、晩年、無一と称した。(中略)文化元年十月、五十九歳で没した。大聖寺の本光寺に葬られる。二男が家を継ぎ六代権丞(了夢)となる。(以上)
********
静岡県静岡市清水興津の教敬山耀海寺に今も残る「松濤家之墓」(亡くなった松濤権之丞を最初に埋葬したお墓)の墓石には、権之丞法名の院殿号やその妻「安子」の名前と一緒に「松濤一歩」の名前が刻まれています。この「一歩」が「権之丞」のことなのかどうなのか、家伝のはなしのなかには「一歩」に関する確たる伝承が何もなくてこれまでずっと謎のままでした。
仮に松濤権之丞が、実は山崎権丞家出身の「山崎範古」の子で、苗字は継げなかったけれども山崎権丞家ゆかりの「権丞」の名前をもらえたと仮定すると、さまざまな可能性(?)が浮上してきます。たとえば、年代的に範古は無一と称した五代権丞の子と考えられますので、耀海寺墓石の「一歩」は松濤権之丞から見た祖父「無一」にちなんだ命名と考えられなくもありません。。。
いったいどういうことなのか、いろいろな史料にあたって検証してみたいです。。。。