みなさま、今年もありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えくださいますように。
明くる年もどうぞよろしくお願いいたします。
詞書〈申年に一首。〉
ぶなの樹のうへに猿らはしづまりてやうやう明けゆく空を見てゐる
歌柄は人柄、とか、歌のリズムはいのちのリズムに直結している、とか色々聞く。要は生命エネルギーと歌詠むパワーが繋がっているということだろうか。申年短歌がどうしても出来なくて途方に暮れている。そもそも、歌の詠み方すらさっぱり忘れてしまったようだ。昨夜はしごとから戻って身体はすっかり疲れきり、それでも取り敢えず、まずは兄のところの来春高校卒業するいちばん上の姪っ子の進路決定という喜ばしいメールへの返信を打ち、身体横たえてTBSドラマ『赤めだか』を横目に見つついつの間にか意識飛び番組はとうに終わったのにそのまま寝入ってしまっていたことに気付いて慌てて風呂浴びる。寝床に戻ってあらためて伊集院氏のラジオを点け、そのあと、シベリウスの『大洋の女神』『ポヒョヨラの娘』『交響曲第6番』『交響曲第7番』を聴く。それにしても、歌って、どうやって詠んだものやら。明日もしごと。
ここのところなかなかピアノスタジオに出掛けることがなかったのですが、休みの今日は、ピアノスタジオで久々に本物のピアノを二時間半ばかり触ることができて、日頃のフラストレーションが少しだけ晴れました。まことに、本物の楽器の響きの素晴らしさをあらためて実感できた有り難いひとときでした。
今宵の〈浄夜〉のコンサート会場近く。こちらの二冊をパラパラして短歌脳覚醒を促しつつなんとか申年短歌を捻りださむとする年の暮れの深夜。。本当に、イメージヒントとなる言葉がなにひとつでてこないときは何のストーリーも作り出せない。。言葉の代わりに乱れ打つピアノのワルツがどこからか聴こえてくる。
そういえば「安」が〈今年の漢字〉に選ばれたが、「安」は不安の「安」でもある。昭和初期、〈ぼんやりとした不安。〉と遺書に書き残して芥川龍之介は自裁してしまったが、あの時代、耳をしっかり澄ませているひとには得体の知れないなにやら恐ろしい怪物の足音が聴こえ始めていたかもしれない。
乱れ打ちワルツのスケッチの一頁目。
そして、フルートはしずかにファの音をどこまでもどこまでも伸ばしてゆく。
トナカイがくしやみをしつつ珈琲屋ネオンの前を橇引きてゆく
夜が明けたあと、24日の夜は、芸大澤和樹先生門下生のみなさまによるフレッシュコンサート。午後7時から。芸大第6ホール。楽しみです。
詞書(昨晩ラヂオで放送された野坂昭如さん追悼特別番組〈野坂さんからの手紙〉の録音を今朝聴き終へて、ラヂオ放送に切り替へるとシベリウスの〈フィンランディア〉が丁度始まるところだつた。そのあと続いてブルッフの〈コル・ニドライ〉が鳴つた)
真白なお粥啜りつつ祖国愛とは何だらう。反戦平和を貫くこと、そしてこの深き霧の向かうから〈独立〉を果たすこと、あくまでも穏やかにおだやかに、やさしく微笑みながら
森番は三等官Sに食堂の方をゆび差す〈いそげ〉と小声で
明日死ぬかもしれぬと言はれてもスープに浮かぶトマトとチキン
三等官Sの失踪届を役場は受理したり。Sは、〈男〉の昔の名前だ
森の番号でしか呼ばれないなか、〈男〉もそのうち〈すべて〉を忘れた