メモです。
新実徳英 著『風を聴く 音を聴く ~作曲家がめぐる音宇宙~』(音楽之友社,2003年刊)60ページより。
***
(前略)やってくる瞬間というものがある。音の闇に一条の光が差し込み、やがておぼろげな形が顕れてきて、ある瞬間、くっきりと像を結ぶ。
作曲家はそれをすばやく把みとる。
何が像を結ばせるのか作曲家たちは知らない。けれどその瞬間がくるのを知っている。ときには長く待たねばならないこともわかっている。ピアノや五線紙を前に悶々と時を過ごしたからといってそれがやってくるとはかぎらないのである。
逆になんの努力もしないのに、忽如としてそれが顕れることもある。と思われるのだが、じつは自分でも気づかぬうちになんらかの努力をしているのかもしれない。私たちは潜在意識やそのさらに奥深く起こっていることを意識したり操作したりすることができないのだ。
その仕組みのほんとうのところは誰にもわからないので、これを天啓とかインスピレーションとか呼んでいるのである。(後略)
新実徳英 著『風を聴く 音を聴く ~作曲家がめぐる音宇宙~』(音楽之友社,2003年刊)60ページより。
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(前略)やってくる瞬間というものがある。音の闇に一条の光が差し込み、やがておぼろげな形が顕れてきて、ある瞬間、くっきりと像を結ぶ。
作曲家はそれをすばやく把みとる。
何が像を結ばせるのか作曲家たちは知らない。けれどその瞬間がくるのを知っている。ときには長く待たねばならないこともわかっている。ピアノや五線紙を前に悶々と時を過ごしたからといってそれがやってくるとはかぎらないのである。
逆になんの努力もしないのに、忽如としてそれが顕れることもある。と思われるのだが、じつは自分でも気づかぬうちになんらかの努力をしているのかもしれない。私たちは潜在意識やそのさらに奥深く起こっていることを意識したり操作したりすることができないのだ。
その仕組みのほんとうのところは誰にもわからないので、これを天啓とかインスピレーションとか呼んでいるのである。(後略)