元号が変わっても、政治・経済のとんでもない〈悪い輩たち〉はまったく払拭退治断罪されていないのだが、現実の世の中はいったい誰にズル賢く騙されてなにを浮かれ騒いで本質を見失っているのだろうと、ただただ白けて冷ややかに眺めているだけ。。
軍服を着た元探偵の男を主人公にした物語をぼちぼちと。
世界を破滅に陥れる者は悪をなす者ではない。ただ何もせずそれを眺めている者である。
アルバート・アインシュタイン
元号が変わっても、政治・経済のとんでもない〈悪い輩たち〉はまったく払拭退治断罪されていないのだが、現実の世の中はいったい誰にズル賢く騙されてなにを浮かれ騒いで本質を見失っているのだろうと、ただただ白けて冷ややかに眺めているだけ。。
軍服を着た元探偵の男を主人公にした物語をぼちぼちと。
世界を破滅に陥れる者は悪をなす者ではない。ただ何もせずそれを眺めている者である。
アルバート・アインシュタイン
夜半に目覚めて、歌誌『塔』4月号の〈塔創刊六十五周年記念評論賞選考座談会〉記事の、森尻理恵さんの応募作〈短歌が記憶した東京〉に関する議論を開き、やりとりを興味深く読んだ。とりわけ面白かったのがこの部分。
p115上段。
〈前略〉
澤村さん:ところどころ面白い歌があって、東京駅の歌で石川美南さんの「波は内へ内へと寄せて漂着のヤン・ヨーステン転じて八重洲」、そうだったのか!とやはり思うんですよね。これ本当にそうなんですか?
松村編集長:そうなんですよ、八重洲の語源がね。
〈後略〉
こちらは思わず胸のなかで補足する。石川さんのこの一首の面白さは、豊後に漂着したヤン・ヨーステンが徳川家康から屋敷を拝領してここに住んだことを由来として地名「八重洲」が生まれた史実を、まるで今の東京駅の八重洲にヤン・ヨーステンが直接「漂着」したかのように詠んでいるところ。石川さんの頭には当然、そもそも東京駅近くの日比谷が長く東京湾の入江であったことがあったはずで、それと〈旅〉の縁語〈駅〉=〈東京駅〉を即連想させるものとしての「八重洲」を巧く詠み込んでいるところがユニーク。
面白い。面白いといえば、伝説のヤマカズさんが指揮されたマーラー巨人。
あの輩たちが、国民の頭から森友・加計問題やら諸々の大事な問題を忘れさせるために打ち上げた、馬鹿げた新元号狂騒曲の余波で、いよいよ平成の日数のなくなったここ最近、巷間では平成を振り返ることがやたらと流行っているらしい。こちとらはそんな軽薄な流れに易々と便乗して回顧してやるものか、阿呆くさ、と苦々しく冷ややかに鼻ほじくっておった。しかし、しごと休みを頂いた今日は、何となく脚が巣鴨へ向いた。巣鴨といえば、曹洞禅宗総禅寺に手塚治虫氏の、そのすぐ近くの日蓮宗慈眼寺に芥川也寸志氏の墓所がある。昭和が終わって平成が始まって間もなくの1989年、まず1月31日に芥川也寸志氏が亡くなられ、そのあと2月9日に手塚治虫氏が亡くなられた。ちょうど大学受験の真っ最中だった私は、おふたりの逝去に大きなショックを受けた。滑り止めに受けることにしていた某国立大へ向かう列車のなかでは、あたまのなかで繰り返し芥川さんの交響曲第一番第4楽章が流れ、鞄の中の参考書の間には手塚さんの『陽だまりの樹』があったのを覚えている。
今日は久しぶりにお参りさせて頂いた。
川島先生から教えていただきました。
国会図書館のデジタルアーカイヴより。
山田耕筰著『私の観た現代の大作曲者』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971863
歴史的な大作曲家たちの生き生きとした生のエピソードがすごく興味深くて面白いです。
今朝は、クラシック音楽好きなたくさんの人々と一緒に、どこかの食堂みたいな広い部屋にいて、カルロス・某という少年ながら天才的に巧いチェロ奏者を中心に結成された〈カルロス弦楽五重奏団〉の残した名演奏レコードを聴く催しに参加している夢を見た。
☆☆☆
ある方が引いていらした金子光晴さんの詩に、今朝は偶々出会った。
☆
〈紋〉金子光晴
九曜。
うめ鉢。
鷹の羽。
紋どころはせなかにとまり、
袖に貼りつき、
襟すぢに縋る。
溝菊をわたる
蜆蝶。
……ふるい血すぢはおちぶれて、
むなしくほこる紋どころは、
金具にさび、
蒔絵に、剥れ、
だが、いまその紋は、人人の肌にぬぐうても
消えず、
月や、さゞなみの
風景にそへて、うかび出る。
いほり。
澤瀉。
鶴の丸。
紋どころはなほ、人のこころの
根深い封建制のかげに
おくふかく
かゞやく。
二
日本よ。
人民たちは、
紋どころにたよるながいならはしのために、
虚栄ばかり、
ふすま、唐紙のかげには、
そねみと、愚痴ばかり、
じくじくとふる雨、黴畳、
……黄疸どもは、まなじりに小皺をよせ、
家運のために、銭を貯へ、
家系のために、婚儀をきそふ。
紋どころの羽織、
はかまのわがすがたのいかめしさに人人は、
ふっとんでゆくうすぐも、
生死につゞくかなしげな風土のなかで、
「くにがら」をおもふ。
紋どころのためのいつはりは、正義。
狡さは、功績。
紋どころのために死ぬことを、ほまれといふ。
をののく水田、
厠のにほふ
しっけた一家。
虱に似た穀粒をひらふ
貧乏。
とっくり頭の餓鬼たち
うられるあまっ子。
疫病。
ながれるはげ椀。
霹靂のころげまはる草原の
つちけいろをした顔、顔。
——「怖るべき紋どころ」をみあげる
さかさまな眼。
井桁。
三つ菱。
むかひ藤。
扇面にちらす紋どころは、
ならぶ倉庫や、
鉄扉。
煙突の横はらにも染めぬかれ、
或はながれる、
銀翼にもある。
紋どころをもはや、
装飾にすぎないといふものは、
神のごとく人が無礙で、
正しいものは勝つといふ楽天家共である。
紋どころを蔑むものの遺骨よ。
おまへのひん曲った骨は、
紋どころにあつまる縁者におくられ、
紋どころを刻んだ墓石の下に、
ねむらねばならぬ。
☆
〈蛾〉金子光晴
1
月はない。
だが月のあかるさにみちてゐた。
寝鳥ははこばれる。
うとうとしながら森とともに、
どこをさまようてゐるのかもしらず。
空は、塩田のやうだ。
地はあんまり暗い。
あんまりしづかだ。
ものがなしい、だが、めづらしげなこの世界の狭間、人間のたどつたはじめての岸辺。
コロンブス一行も、めぐりあはなかつた、
うなされた窓、窓。
ねぐさいつゆくさの床に、夜もすがら枝をつたうておちる夜霧のしづくをきいた。
帆柱はおしすヽむ。あらたな悲しみの封緘を截る、ものうい、いたいたしげなあかつきさして、むなしくも。
2
たらふくな生血を飲んだ土の、
吐く息のなまぐささ。
あけにまみれた蝮〔まむし〕と
ほたる袋。
輪廻のやうに這ひまはるもの、思想よ、
そのふるい根はふとくはびこつて、
はてなく地の闇をまさぐつた。
始にも終にもであふことなしに、
死すらもとゞくによしのない、
ものとそのこだまのつゞく世のかぎり、
沼の底泥ふかく沈んだ金、
銀の魚くづどもにふれるやうに、
そのはてが苦難につながる快楽に、
僕らは膚ふれた。
なんといきいきとのがれてゆくものどもか!
ふかい闇、霧をへだてて、
みじろぎながら、ぢつとうかゞつてゐるものら。
希望を装ひながらまだこない不しあはせたち、むらがる観衆の顔、顔。
腰の折れた扇子のやうにばたばたやりながら夜の蛾は、月のない月のあかりにうかれでた。
おもい、しめつぽい家紋のついたひろ袖を、
そらごとめいてうちひろげ、
溺れまいとでもするやうに、
からくもとび舞うた。
いきることのあぶなつかしさ。
夢をもちはこぶことの無謀さよ。
3
蛾よ。
なにごとのいのちぞ。
うまれでるよりはやく疲れはて、
かしらには、鬼符、からだには粉黛、時のおもたさを背にのせてあへぎ、
しばらくいつては憩ふ、かひないつばさうち。
やぶれたはなびらのふしまろび。とりすがる指の力なさ。末路王、肥えた閹者のなれのはて。
すぎ去つた虚妄の夕照りにしかすぎぬゆくての壮麗に欺かれ、
さそひ出されたもののむなしい遊行。
蛾よ。
あゝ、どこにかへつてゆくところがある?
草や木は、鬱々とひろがり、
ふかいりしたものどもは、
たがひにまさぐりあふ。
こゝろを越えて憂愁は、みなぎりわたる。
だが、月はない。
人がおほかたねくたれてゐるひまに、
どつかでふり捨てるつもりで、
全重量をせなかにのせたまゝ大地は、
ぬすびとのやうに疾走してゐる。
そして、追放者、嫖客など、夢なかばに目ざめたものばかりが待つてゐる。
まだほど遠いしののめを。
みしらぬくにのあたらしい刑罰を。
うつくしい難破を。
昭和二十年七月 山中湖畔にて
自分から見て、両親2人、祖父母4人、曾祖父母8人、高祖父母16人、曾々々祖父母32人、曾々々々祖父母64人、、、と増えていくご先祖の人数。ご先祖のうちの誰かひとりでも欠けていたら、今の自分にはなっていないという不思議。この人数を考えると、自分にバトンタッチされている命の重みに圧倒される。
さくらばな散りゆく庭の舞台にて遠祖らの舞ふ宝生能楽
もうひとつ。
詞書〈今朝のラジオ録音再生。〉
平尾さん〈砧〉、矢代さん〈ピアノ協奏曲〉ばかり。シェーンベルク〈ペレアス〉まではなかなか届かず