短歌メモから、です。
時過ぐるもなほ解決できてをらぬことありと気づく夜(よ) まだ四時四十四分
昨晩、Amazonから三木稔氏の『日本楽器法』(音楽之友社)を漸く手に入れた。名著なのに値段が高すぎるのが問題。一昨日は、背中の件で病院にかかったあと、上野の音楽スタジオで何年ぶりかで三時間ピアノに触った。もともと弾けていなかった腕が格段に落ちていておはなしにならないほど指がまったく回らなかった。日々たゆまぬ努力の継続が大事と実感。
苦しくつらいことに直面したとき、ひとはその苦しくつらいことのみをついつい見てしまって視野が狭くなるために、苦しくつらいことを生じさせている仕組みや原因にまでなかなか思いが至らない。苦しくつらいと悲しんでいるひとが目の前にいたら、心から寄り添ってあげられるひとになりたい。
塔短歌会でご一緒の川田一路さんから上梓されたばかりの歌集『NEXT ONE』(角川書店)を頂いた。そのなかの一首。
繁みある沼地でバスは左折して坂をのぼれば墓地がひろがる 川田一路
この「墓地」は、もしかすると象の墓場のような〈バスの墓場〉なのかもしれない。降りたった寂しい駅前のロータリーで発車寸前のおんぼろバスを見つけ、息切らせて漸く乗りこむも、そのバスが終点の手前で突然エンジンを咳き込ませるとおもむろに左折して寂しい坂を進んでゆく光景が目に浮かんでくる。
繁みある沼地でバスは左折して坂をのぼれば墓地がひろがる 川田一路
この「墓地」は、もしかすると象の墓場のような〈バスの墓場〉なのかもしれない。降りたった寂しい駅前のロータリーで発車寸前のおんぼろバスを見つけ、息切らせて漸く乗りこむも、そのバスが終点の手前で突然エンジンを咳き込ませるとおもむろに左折して寂しい坂を進んでゆく光景が目に浮かんでくる。
今朝、オーケストラを指揮することになった夢を見て目が醒めた。コンサートのタイトルは〈サンサーンスの朝昼晩〉で朝昼晩になぞらえたサンサーンスの三つの作品を演奏するらしい。私にとってはどれも初めて聞くタイトルばかりなので事前にスコアを見ておきたくて周囲のひとに訊くも、譜面はすでに指揮台にセットされているから見せられないと言われる。一瞬絶句して固まる。指揮者は初見で譜面を見ながら振らなければならないらしい。そういうものなんですよ、このコンサートは、と言い放たれて、もう何でも来いや、と心が決まる。コンサート司会は山本直純氏で、ステージに出ていかれた。ステージ袖で待っているところで目が醒めた。
遠藤周作氏に『哀歌』という作品があってそのなかの一節だったかあるいはちがったか、いま記憶が定かでないのだけれども、〈華やぎの後ろには哀歌が流れていた。〉の一文と、オーボエとストリングスで奏でられる美しい音楽が、今日は一日中頭から離れなかった。
今宵は、東京のふたつのホールでほぼおなじ時刻にフェドセーエフ指揮N響とテミルカーノフ指揮読響がそれぞれの定期でショスタコーヴィチ『交響曲第1番』を演奏する特別な晩ゆえ、空気の振動がいつもと違う感じがします。非常にわくわくします。
久石さんがTBS番組「兼高かおる世界の旅」テーマ音楽をいつ頃作曲されたかということ。偶々久石さんの仕事をまとめた某サイトを覗いていたら、TBS番組「兼高かおる世界の旅」テーマ音楽(1981年作曲)とあった。しかし、この番組のWikipedia解説記事を見ると、オープニングテーマ音楽を映画『80日間世界一周』テーマ曲から二代目オリジナルテーマ曲へスイッチしたのが1978年のようで、1978年ないしその前年の作曲なのかもしれない。