椎名町駅近くの住宅地にあるその中華屋さんは、長年中華料理店を経営されてきた老齢のご主人が、頭を呆けさせないための趣味としてひとりで切り盛りされていて、店の名前を入り口にもどこにも出しておらず、それでもどのメニューもお値段お安く美味しくいただけると客層から評判で、カウンター七席のみのその店の料理を求めて、常に入店待ち客の行列が絶えないとネット情報で見た。仕事休みの今日、ランチを頂きにその中華屋さんへ出掛けてみた。店の名前は中華処タカノさんという。開店直後のタイミングに間に合ったせいか、外で待たされることなく隅っこの七席目に座ることができた。今回は焼肉定食と餃子を頂いた。頗る堪らなく美味というほどの大感動はなかったがなかなかの美味でお腹とこころが満たされた。ごちそうさまでした。そのあと、久しぶりにジュンク堂書店池袋本店へ寄った。いつもお忙しい短歌ご担当Iさんのお姿をお見かけすることは残念ながらなかったが、「現代思想」10月臨時増刊号〜総特集:宮﨑駿『君たちはどう生きるか』をどう観たか〜を入手。一冊丸々が多様な筆者陣による多彩な作品論集で、すごく面白い。自分のかねてから描きたい物語のタイプが、トールキンよりも宮﨑さんの方により近い感覚があるので、いろいろと参考になりそうで、楽しみ。
昨晩は、仕事から帰ってきて、片山杜秀先生がMCを務められるNHKFM『クラシックの迷宮』〈特集:作曲家野田暉行没後一年〉が始まったので、じっくり傾聴。そういえば、池内友次郎、矢代秋雄の系譜の直系弟子の野田暉行先生は、先日ご逝去された西村朗先生のお師匠になるけれども、西村先生は、晩年近くの久石譲さんとの対談番組の中で〈(ご自分が池内友次郎系譜に連なっていることが)自分にとって大迷惑だった〉と述懐されていて、ほおおと思ったものだった。それはそれとして、野田先生作品も西村先生作品も私は好きで、これからも機会があったら聴かせて頂きたいと思っている。
今日もこれから仕事。
今日もこれから仕事。
休みの昨日は、11月1日発売というユリイカ坂本龍一さん追悼増刊号情報をネットでチェック。どういうわけか突如お腹を下して、出先周辺のあちらこちらでトイレに駆け込む始末。おかげでお腹の中の悪いものを全部出せた感じ。結局、持ち歩いているノートに短歌メモも譜面メモもさっぱり書けなかった。帰宅してからはショスタコーヴィチの交響曲10番を聴き続けた。
『塔』10月号p199。姉川さんの発言に〈作者は想像を重ねることで生きやすい世界を構築したのではないかと思います。〉とあるが、これ、大事な〈い〉が抜けているのではないだろうか。〈作者は想像を重ねることで生きやすい世界を構築したいのではないかと思います。〉でないと、ここの意味が通らないような気がしてならない。。
12年ぐらい前に〈代役ハウス〉という小説もどきを書き掛けたことがあった。
代役ハウスは、とある町外れに辛うじて建つおんぼろアパートである。今では周囲をすっかり整理されてしまって隣り合う建物も何もなく寂しく寒い景観を晒しているけれども、昔はこのアパートの隣にはなかなか立派な劇場があって、そこの楽屋とアパートとは地下通路でつながっていた。芸術好きで人柄の大らかだった老大家は、アパートが出来て最初の住人募集を音楽学校や演劇学校に積極的に掛けた。そのおかげで、それらの学校で勉強中の歌手の卵やらヴァイオリン弾きの卵やら、役者志望の卵やらがぞろぞろと住み着いて、常にキャスト、スタッフに不満たらたらな劇場監督が伝声管を使いアパートへ「至急代役求む」と叫ぶと、たちどころに代役が調達できてしまう便利なアパートになった。そんなところから、いつしかこのアパートは代役ハウスと呼ばれるようになった。代役ハウスは地下一階地上五階建て。劇場でリハーサルや公演が行われる日、楽屋への連絡口とつながっていた地下一階廊下突き当たり、裸照明に照らされた床の上は、劇場監督からのお声掛かりを期待するアパート住人たちで賑わった。劇場監督からいつお呼びがかかるかわからないので、皆思い思いに、壁にもたれたり床に座ったり、詩集を携えたり毛糸の編み物を持ち込んだり、おしゃべりしたり楽器練習をしたり、じつに様々だった。楽器といえば、代役ハウス二階廊下にはあの著名な声楽家Pが退居の際に置いていったというアップライトピアノがあった。そんな代役ハウスで起こったある事件のことを書いてみたいと思う。それを知っているひとは今ではもう滅多にいないかもしれないが、あの頃は少しだけ週刊誌ネタや新聞記事になって騒がれたぐらいだ。それがひいては劇場廃止のきっかけとなったのだ。(続く)
代役ハウスは、とある町外れに辛うじて建つおんぼろアパートである。今では周囲をすっかり整理されてしまって隣り合う建物も何もなく寂しく寒い景観を晒しているけれども、昔はこのアパートの隣にはなかなか立派な劇場があって、そこの楽屋とアパートとは地下通路でつながっていた。芸術好きで人柄の大らかだった老大家は、アパートが出来て最初の住人募集を音楽学校や演劇学校に積極的に掛けた。そのおかげで、それらの学校で勉強中の歌手の卵やらヴァイオリン弾きの卵やら、役者志望の卵やらがぞろぞろと住み着いて、常にキャスト、スタッフに不満たらたらな劇場監督が伝声管を使いアパートへ「至急代役求む」と叫ぶと、たちどころに代役が調達できてしまう便利なアパートになった。そんなところから、いつしかこのアパートは代役ハウスと呼ばれるようになった。代役ハウスは地下一階地上五階建て。劇場でリハーサルや公演が行われる日、楽屋への連絡口とつながっていた地下一階廊下突き当たり、裸照明に照らされた床の上は、劇場監督からのお声掛かりを期待するアパート住人たちで賑わった。劇場監督からいつお呼びがかかるかわからないので、皆思い思いに、壁にもたれたり床に座ったり、詩集を携えたり毛糸の編み物を持ち込んだり、おしゃべりしたり楽器練習をしたり、じつに様々だった。楽器といえば、代役ハウス二階廊下にはあの著名な声楽家Pが退居の際に置いていったというアップライトピアノがあった。そんな代役ハウスで起こったある事件のことを書いてみたいと思う。それを知っているひとは今ではもう滅多にいないかもしれないが、あの頃は少しだけ週刊誌ネタや新聞記事になって騒がれたぐらいだ。それがひいては劇場廃止のきっかけとなったのだ。(続く)
仕事のあとの帰り道、郵便局に寄って懸案ものを投函し、神保町の三省堂書店本店へ足を伸ばした。考えてみたら、ここのところの書物渉猟と言ったら北森鴻先生の文庫本を求めてブックオフへ何度か行ったのみで、本当にいつぶりと反問したくなるぐらいに新刊本の並ぶ文庫棚の前に立つのは久しぶりで、数多の書名を眺めながら気分がぐいぐい昂揚した。そんな中で講談社文庫が立ち読み防止のため一冊一冊ビニルに包まれているのを発見し驚いた。坂本龍一さん、万城目学先生、西村賢太先生の文庫本を購入。帰宅してラジオを聴いていると、家の外で突如凄まじい雷鳴が轟いて、大きな音を立てて滝のような雨が降り出した。そういえば、もうすぐ十一月だというのに今日の陽射しや空気にはなんとも往生際の悪い蒸し暑さを少々感じていた。季節が明らかにおかしい。いったいどうなってしまっているのだろう。。。
昨日はいちにち休みだったので、いろいろなものをぱらぱら見つつ考え考え某懸案書きに取り組んだ。主観的な思いや直感をどのように客観的な言葉へ乗せたらよいか随分と悩んだ末に、とは申せ結局お粗末稚拙ながらなんとか仕上げた。今日それを投函の予定。本件今月末日必着で最悪明日には投函せねばならぬと思っていたから、少し安心。今日はこれから仕事。
今朝は、朝の支度をしていると、バーンスタイン作曲『チチェスター詩篇』第2楽章の美しい音楽が唐突に胸奥で流れ出した。そのあと、濁声の作曲家がピアノを弾いてウェスト・サイド・ストーリーのナンバーのSOMEWHEREを唸りながら作曲している様子が、なぜだか浮かんできた。今日もこれから仕事。
胸奥のもやもやはあれど、短歌も詠めず、譜面メモも書けず。何かしらの自己満足の生産的なことをせねばと思えば思うほど心は窮して八方塞がりになる。今日もこれから仕事。