今宵は北さんの『幽霊』を読み直しています。
【前史】
1986年10月12日のサントリーホール開館に伴う「こけら落とし」企画の一つとして、1986年10月15日から1987年2月まで5回に亘って行われたオープニングシリーズ「国際作曲委嘱シリーズ」(監修:武満徹)。
作品を委嘱された作曲家(委嘱作品)は、武満徹(《ジェモー》)、ヤニス・クセナキス、イサン・ユン(「交響曲第4番」)、ジョン・ケージ(《エトセトラ2》~4群のオーケストラとテープのための)、シルヴァーノ・ブソッティの5名。
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【昨夜】
東京都交響楽団第739回定期演奏会〈日本管弦楽の名曲とその源流-15(プロデュース:一柳慧)〉
2012年8月28日(火)19:00 サントリーホール
指揮/下野竜也
ピアノ/舘野泉
ケージの作品は311前の日本を、一柳さんの二つの作品は311後の日本を表すものとして選ばれたそうです。
○ケージ:エトセトラ2(4群のオーケストラとテープのための)(1986年12月初演)
【指揮/下野竜也、大河内雅彦、松村秀明、沖澤のどか】
この作品の4群のグループは、それぞれ、京都を訪れたケージが美しくて静謐な竜安寺石庭で見た4つの岩をイメージしているそうです。
ステージ上にはステージ中心点に向かってそれぞれ向かい合う形で4つの指揮台が配置され、その指揮台の周囲にと各グループの演奏者用いすが配置されている。思い思いの私服の演奏者および指揮者たちがてんでばらばらにステージ上に登場ししずかにそれぞれの持ち場につく。拍手はなし。
まず、中心となる指揮者下野氏の腕振り上げの合図によって、テープ音楽(さまざまなノイズ)がスタート。
(片山杜秀氏による解説文より)
http://www.tmso.or.jp/j/topics/detail.php?id=344
(前略)
《エトセトラ2》には、ケージの美学と哲学が反映され尽している。オーケストラは全く対等な4つのグループにバラバラにされ、その一つずつに別々に指揮者が付き、それぞれのタイム・テーブルに従って勝手に演奏する。一人の指揮者が交響楽団を完璧に統率するというのは、ケージからするととてつもなく暴力的で抑圧的に見える。だからそれを勝手でバラバラな4グループに解体し、通常のひとまとまりのオーケストラのイメージを壊して、演奏者にも聴衆にもより脱中心的で平和的なオーケストラのかたちを考えて貰おうというわけだ。
すると、それぞれのオーケストラは何をやるか。間欠的にトゥッティ(総奏)を1発ずつ鳴らす。全体の演奏時間はおよそ30分と定まっており、その中で第1群は25発、第2群は40発、第3群は50発、第4群は28発のトゥッティを響かす。そのトゥッティは曲が始まって何分何秒で1発目、2発目と、楽譜に厳格に指定されている。音の高さも強さもちゃんと書いてある。指揮者は時計で計りながらトゥッティの鳴らし時を合図する。演奏開始後、たとえば第1群は0分12秒、0分24秒、0分36秒……、第2群は0分32秒、0分40秒、1分12秒……、第3群は0分24秒、1分00秒、1分30秒……、第4群は0分55秒、1分17秒、1分28秒……、という具合。
しかし、それらのトゥッティはぴたっと合わせて鳴らすようには書かれていない。多くのパートが指揮者の合図よりも一瞬前か後に音を出せと指定されている。音高もグリッサンドを掛けて楽譜の指定よりも高い方か低い方にずらして鳴らせと要求される場合が多い。管弦楽を4群に解体しているだけでもバラバラ感十分なのに、さらにずれて歪んで壊れそうな具合にトゥッティを出すようにすることで、ゆるさ・脆さを増幅する。もちろん何分何秒でどんなコードを鳴らすかとか、どのパートが前や後ろにずれて弾くかというのは、ケージが占って決めているのだろう。
そうやって、のべ 143発のトゥッティが30分のあいだに散らされる。平均すると10秒に1発もない。ウェーベルンも驚くほど希薄だ。が、それだけではない。あいだの空白を埋めるようにオーケストラのメンバーは独奏者になり、ケージの用意した独奏用の譜面を演奏者個々のかなり自由な裁量でもって弾く。それからもうひとつ、ケージが《エトセトラ2》を作曲中に仕事部屋で録音した日常の音風景が再生される。目をつぶって聴いていると、コンサートホールだかケージの部屋かなんだかさえ分からなくなってしまうのである。
このようにして《エトセトラ2》はオーケストラを、指揮者の統率のもとに作曲家の完璧に書き込んだ音のイメージを再現し押しつけようとする鉄壁の集団から、いちばん遠いところに運んでゆく。何ともちゃらんぽらんで気ままな世界。そういう音楽を味わうことで、音楽家も聴衆も、誰もが誰にも何も押しつけず勝手に質素に自由に生きてそれで満足というユートピアの理想に目覚めるかもしれない。この作品はそういうことを期待している。
30分きっちり経過して、演奏終わりの合図は、指揮者下野氏が両手を合掌したとき。テープもストップ。演奏者および指揮者たちはしずかにステージ上から袖へ退場。
○一柳慧:ピアノ協奏曲第5番「フィンランド」-左手のための(世界初演)
○一柳慧:交響曲第8番「Revelation2011」(オーケストラ版初演)
一柳さんの二つの作品。どちらも「2011年3月11日・日本」が重要なモチーフで、戦災以来の未曾有の大災害に直面した作曲家の心情そのままを表した、かなり調性音楽に近くて非常に聴きやすい<レクイエム>の音楽と言えるかもしれません。
「フィンランド」は、中で北欧民謡が使われているとかそういうことはなく、一柳氏が「ひとびとに差別心が少なくて文化的にも精神的にもじつに素晴らしい国」と讃える「フィンランド」の心象イメージに日本の将来への希望を力強く仮託して美しく描いた作品。
「Revelation2011」は、その冒頭で、不気味に鳴動する低弦のモチーフの上で高音の木管やピアノが美しく鳥のさえずりを表す、東日本大震災の予兆から始まり、日本人の苦悩があるときは激しく美しく歌われます。激しいオスティナートも非常に印象的でした。交響曲とタイトルされていますが、ピアノが大活躍するので、そういう意味では「ピアノ協奏曲」のようでした。
どの曲も素晴らしい演奏で、こころが震えました。出掛けられてよかったです。
さてさて。仕事に行かなければならない。
今日はこれからお寺のお手伝いです。行ってきます。
非常に忙しかった昨日一昨日。私は二日ともお寺のお手伝いをさせて頂いた。そして今日は休み。明日になったらまたお寺のお手伝いをさせて頂く予定。ここ一週間ばかり体は激しく疲れているのにちっとも眠れていない感じの日が続いて参っていたが、今日は終日久々にうつらうつらできてここのところちゃんととれていなかった睡眠が少しとれた感じ。すっきりした。
さて例のはなし。『齋藤秀雄・音楽と生涯』(編集・発行 財団法人民主音楽協会、昭和60年初版)という本の、「第五章・思い出の齋藤秀雄先生」に岩城宏之氏が寄稿されている「真の師、不肖以前の弟子」という一文。そこに岩城さんは、芸大三年のとき直純さんからお前の指揮はあまりにも下手くそでなっていないから齋藤秀雄先生という偉い指揮の先生が目白でプライベートの教室をやっているからそこに行って勉強しようと説得され、見学のつもりで出掛けたらまんまと直純さんの口車にのせられて齋藤指揮教室一年生として入門することになり、毎週日曜の朝、熱心に通うことになった。そして、その最初の三ヶ月は「たたき」の訓練だけをひたすらやらされて次に「しゃくい」に進んだものの、齋藤先生は音楽のことをさっぱり教えてくれない。直純さんをはじめとする高弟たちがかわるがわる岩城さんのところに来てしぼるだけ。岩城さんはそれに耐えられなくなって、あんな師範たちにたたきやしゃくいでしぼられるために先生に入門したつもりはありません、音楽を教わりたかったです、それに先生の指揮ぶりも昔から好きではありませんでした、なのでもうやめさせて頂きます、と齋藤先生に手紙を書いた。すると齋藤先生はその数日後に岩城さんを喫茶店に呼び出し、「本当に才能のある奴は僕の顔に泥を塗ってでてゆく。いつまでも僕にくっついているのは駄目な奴だ。君も僕を踏みつけてでてゆくために、まだもう少し僕のところで勉強しないか。僕に泥を塗るには君はあまりにも僕を知らなさすぎる。」と話しをされ、翌週から岩城さんは、午前中にシャクイやセンニュウの一年生対象のレッスンを受けて、午後はおそくまで残って、久山さん、小澤さん、直純さんの三高弟対象の特別レッスンに仲間入りさせてもらえることになった。そこでは様々な交響曲についての本当のレッスンが行われていて、岩城さんは「一生のうちで最も勉強し、学んだ時期だった。」と書かれている。そして、この一文はこう締めくくられている。「先生の指揮は嫌いだ、とまで言った若者を引き止め、こうまでやってくださった齋藤先生に、今でも涙が出る。本当の弟子だったとは言えないかもしれないが、ひとからはどう見えようと、ぼくはぼくなりに、先生から学んだことを実践しているつもりである。」
ということは、やはり岩城さんも齋藤秀雄門下だった。。ということか。そもそも「門下」とは如何なる意味なのだろう。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/2f/7ebbd75f72ea6daa3bcba818a9fb246b.jpg)
昨日は休みを頂いて幾つかの用事を。ひとつはジュンク堂書店池袋本店に短歌コーナーご担当のT野さんをお訪ねし、歌誌「塔」返品伝票発行お願いとそれに付随する事柄の認識確認の打合せ。もうひとつは家や自分の事情に関すること。そして三つ目は、サントリーホールのドナトーニ作品コンサートへ。
ドナトーニ作品コンサート。休憩時間後半に岡部真一郎氏×杉山洋一氏のスペシャルトークがあり、興味深かったです。1992~2000の八年間ドナトーニに師事された杉山洋一氏は、エサ・ペッカ・サロネンとならぶドナトーニ高弟で、晩年のドナトーニの惣領弟子。ドナトーニについて杉山氏は、誰に対しても"与える"大きなひとだった。私は彼から音の意味を教え"与え"られた、と言われていました。そして、ドナトーニ作品の特色を、音楽のセンチメンタリズムを求めるものではなくて、音楽の建築物を見るもの、とも。
面白いコンサートでした。
サントリーホール大ホール
19時開演
サントリー芸術財団サマーフェスティバル2012〈MUSIC TODAY21〉
フランコ・ドナトーニ~生誕85年記念~
〈管弦楽〉
指揮・杉山洋一
管弦楽・東京フィルハーモニー交響楽団
〈ドナトーニ作品に関するご参考記事〉
川島素晴氏「フランコ・ドナトーニの初演作品を集めて」(現代音楽シリーズeX.13に寄せて)
http://www.komp.jp/vol.13.pdf