カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

短歌連作。

2022-11-29 04:40:35 | Weblog

タイトル:生きてゐると。
 
悲しみの種子は殖えてゆくばかり 夢見の合間に栗鼠は水飲む
 
悲しみは乗り越えてゆくもの 壽ぎのメールに返事はやはりなかりき

ウィーン中央墓地リゲティの墓をおもひながら もうあんな奴らなんか知らんぞもう

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とある姥捨伝説より。

2022-11-26 04:53:33 | Weblog
短歌メモから。。

ニシオギクボ交通バスは七十台 駅前から青梅街道(とおり)までを埋(う)めゐて

「UMMEI(運命)」とふ法被着たるあまたの老婆(オバ) バスに乗せられ墓場(やま)へと向かひぬ

午後十時八分に最後のバスは出でつ 駅前にもどる夜の閑散(しづけさ)

高速道路(こうそく)を七本乗り継ぎ八時間 バス列は谷間(たにあい)の墓場口(やまくち)に到(つ)く

赤きカーペットを教祖は進みぬその先のマイクとマイク支へ係員

「この墓場(やま)で死ぬも往(い)きるもあなた次第」マイクの教祖は金歯で宣(のたま)ふ
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昨日。

2022-11-25 02:27:28 | Weblog
昨日は、朝の出勤途上に濡れた落ち葉で愛車がスリップしガードレールに衝突。スピード出ておらず自他に怪我なかったのが幸いも、愛車前部のライトや前輪タイヤが壊れてしまい、修理に出さなければならぬ羽目に。朝早かったため取り敢えず仕事場へ壊れた愛車を押して引いていく。

三十年来の趣味の調査研究課題の一つの松濤権之丞泰明実父解明問題の調査ターゲットは、いろいろ考えて、やはり、伝承の山崎庄兵衛範古さんだけでなく、泰の字を名前に持つ前田斉泰さんも外せないのではとの思い強まるこの頃。胸奥では近頃、一柳慧先生の大河ドラマ『翔ぶが如く』オープニングテーマ曲がどういうわけだか頻りに鳴る。
今朝は、胸奥でチェロとオーケストラの瞑想曲が流れた。取り敢えずメモしてみた。
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寒い。。

2022-11-23 19:05:32 | Weblog

今日は朝からいちにちずっと雨で今までになく寒かったが、なんでも12月下旬の気温だったとか。寒いと身体が自然と縮こまるが気分も萎えがち。仕事の後、尋常でない寒さから垂れて来る洟啜りながらジュンク堂書店へ行き、ご担当の方にPOP文案メモをお届けした。
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帷子さんと土井さん。

2022-11-21 15:43:11 | Weblog

今日はいちにち休みで朝から身体休め。

西澤健一先生 やりなおし和声教室(1)禁則の意味 https://youtu.be/BrDOqKew7TE @YouTubeより

を視聴のあと、懸案のPOP文案メモ作りのために、歌誌『塔』11月号を手に取り、読み始む。特集は〈連作を考える〉。仲間ゆえの手前味噌とかお世辞とかでなく、じつに見事な企画構成で、いずれも筆力横溢な〈連作を鑑賞する側の文章〉5篇と〈連作を作る側の作者の言葉〉4篇とを並べて、読み応え十分。とりわけ〈作者の言葉〉の帷子つらねさんの文章『アーチ』が出色。イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』のフビライ汗とマルコ・ポーロとの橋の挿話から始めて、ぐいぐいと読み手を惹き込む筆力は見事。一頻り堪能したあと、次いで、p116の山下洋先生選歌欄の土井恵子さんの一連へ。5首目。

夏休みの児にはあらねど網を持ちキオビエダシャク追いかけ回す/土井恵子

誌面では〈網〉が〈綱〉になっていた。ありがちな誤植。

七音の〈キオビエダシャク〉に目を引きつけられた。何だろうと調べてみると、大事な葉を食べてしまう害虫の蛾らしい。早期駆除が必須とのこと。知らなかった。

それから、今号巻頭近くの吉川主宰の『青蟬通信』〈微妙な歌の変化を読む〉に感銘を受けた。 吉川主宰の前掲文中より。
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ぐしゃぐしゃ。

2022-11-21 03:48:22 | Weblog

ぐちゃぐちゃではなくて、ぐしゃぐしゃという音に近い。これまで心のなかにあった大きな熱が一気に冷めた感覚を持て余して、何から手をつければ良いのやら道筋を見失って混乱の淵に放り出され、まったく途方に暮れた状態にあるようだ。仕事から戻って今日こそやらなければとの冷静な思考もたしかに片隅にはまだ多少あるも、それを横目にしながら懸案にさっぱり手をつけられず、そんな自分をもどかしく思っている。まことに厄介極まりない。

昨日は、仕事中の胸奥で突如、なんの前触れもなく、一柳慧先生作曲の1990年の大河ドラマ『翔ぶが如く』オープニングテーマ曲が流れてしばし耳を傾けた。改めて、これも素晴らしい名曲の一つであったと思った。

https://youtu.be/cs6lJ8eevWA

新海誠監督が原作・脚本を務め、2022年に制作されて公開となったアニメ映画『すずめの戸締まり』があちらこちらで話題に挙がっている。日本各地の廃墟を訪ねながら、災いの原因となる“扉”を閉じていく少女の解放と成長を描く、涙なくしては見られない、傑作ロードムービーとのこと。 機会があったら見てみたい。

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何故。

2022-11-18 00:08:04 | Weblog

松濤権之丞泰明に関する家の伝承のことを改めて思い浮かべた。その父親は〈図書家から庄兵衛家に入って加賀藩の家老になった人物〉という。つまり山崎庄兵衛範古のことだ。そして、〈妾腹だったために生まれるとすぐに寺へ預けられて寺で育てられ、住職の姓と家紋を貰った〉という。これについては違和感ありありだ。つい先日、国会図書館でいくつかの関連史料を入手して山崎庄兵衛家、山崎権丞家、山崎図書家の系図を紙に描いてみて暫く眺めたが、跡継ぎ途絶えて家名断絶することを極度に恐れて血を受け継ぐ者を幼いときから養子に迎え入れることを頻繁に積極的に行ってきた一族のように見えるのに、何故、山崎庄兵衛範古は松濤権之丞泰明にだけ山崎の苗字を名乗ることを許さなかったのだろう。仕事から帰ってきてバタンキューしかける頭のなかで、しばしもやもやもやとそんなことを思った。

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いろいろと。

2022-11-17 04:08:22 | Weblog

短歌メモから。

大方は主観的に評価さるるなり絶対的な基準などなくて

飛行石青く輝く壁いちめん多胡兵衛厠をひかりは包みて

多胡兵衛厠に最終搭乗アナウンス 宇宙駅の朝はいつものやうに

放屁して腰を浮かさば水流る 多胡兵衛発案の自動水洗

厠の名にその名遺してゐるばかり 本光寺墓地に日差しは下りて

多胡兵衛の来孫水桶持つて来る 本光寺墓地の通路の森閑

手を合はせそつと墓石を撫でたのち来孫つつと立ち上がりたり

山門を潜りて階段下りてゆく背中を見送るあまたの眼差し

財産も勲章も何も遺さざりき 多胡兵衛厠に名を遺すのみ

宇宙駅を足早に通るビジネスマン 多胡兵衛厠にチャックを下ろす



先一昨日朝にそそくさと短歌十首書き付けて投函済ませてしまった原稿控えを漸くいま見直すと、それはいつものことながらあちらこちらがいろいろひどくて、今回も少々落ち込みつつどこぞに改めて送れるわけでもないのに今更な手直し。POP文案メモ作りを早くやらねばと気は急くもなかなか進まず。今日もこれから仕事。

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山崎家。

2022-11-14 16:54:25 | Weblog

山崎七郎左衛門吉延は加賀藩士山崎庄兵衛家(越前山崎氏)家祖の山崎長徳の父親と言われ、山崎吉家の弟であったとも言われる人物だが、岡山県成羽に伝わる近江山﨑氏の家譜に〈近江山﨑氏から七郎左衛門吉延が越前山崎氏に養子入りした〉という伝承が記されているらしいも、加越能文庫の『山崎家譜』にそれを裏付ける記述見当たらないので、これはつまり、近江山﨑氏出身の七郎左衛門吉延が越前山崎氏の山崎吉家の妹と結婚して越前山崎氏に婿養子入りした可能性も考えられるのかもしれない。

いちにち休みの今日は、昔日の山崎一族のことをずっと頭の片隅で考えていた。思えば2011年8月30日、その前夜の仕事の後、山崎権丞家・図書家墓所に眠る方々へ無性に手を合わせてお参りしたくなって、渋谷から加賀温泉行き夜行高速バスに飛び乗り、石川県加賀市大聖寺神明町にある本光寺をお訪ねした。階段を上がって山門を潜った先の境内墓地の一画に山崎権丞家・図書家の人々は眠っていた。そこは、2007年の大地震で倒れてしまった古い石塔や墓石がまだそのままになっていて、眠っている方々にはお気の毒だったが、かと言ってどうすることもできず、取り敢えず手を合わせて来た。そんなことをしんみり思い出した。
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昨晩は。

2022-11-13 02:06:52 | Weblog

昨晩は、仕事から帰って来て、NHKFM放送のマエストロ井上道義先生指揮NHK交響楽団演奏会のラジオ中継番組をちょこっと聴いて、番組解説を吉松隆先生がなさっていることに非常なる嬉しさ懐かしさを覚えつつ、気付けばそのままバタンキューしてしまった。そのおかげなのか、束の間の夢見がじつに穏やかで平和で崇高なものだったような気がする。久々に胸奥で短歌のようなものが流れるのも感じ取れた。今日も朝から仕事。


今日は、朝のラジオ番組で、

「朱鷺によせる哀歌」吉松隆:作曲
(演奏)新日本フィルハーモニー交響楽団、(指揮・ピアノ)井上道義
(13分35秒)
<カメラータ・トウキョウ CMCD-50011-12>

が放送されるらしいので、すこぶるたのしみに録音予約の操作をしておく。

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