カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

平野さんと吉原さん。

2018-05-30 17:36:37 | Weblog
しごと休みを頂いた今日。昼間、久しぶりに池袋ジュンク堂書店へ。目的は、平野さんの『文学界』に発表された新作小説のチェックと、吉原幸子さんの詩集のチェック。ついでに、俳句短歌コーナーに寄ってT副店長さんとご担当Tさんにご挨拶し歌誌『塔』の売れ行きを少々確認。3月号4月号がよく売れていたみたいで少しほっとしました。
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塔5月号より。

2018-05-30 10:57:07 | Weblog

塔5月号より。作者名敬称略。


大好きなゆふべを母は歩きゐし水よりも濃きかげを曳きつつ 千名民時


上向いてプラネタリウム観る我もまたプラネタリウムのなかの人 うにがわえりも


子どもなら何も思わず読んだのか「圧迫・気絶の後に針刺す」 椛沢知世


そして、〈3月号真中さん選歌欄評〉記事より。


乗る駅に落としてください溜息と今日の私の重い言葉を 北山順子

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歌誌『塔』5月号豊穣祭。

2018-05-30 09:46:50 | Weblog
歌誌『塔』5月号の特集〈豊穣祭〉に入会20年目の梶原さい子さんがエッセイを寄せられていて、〈欠詠なしなので〉と書いていらっしゃる。そういえば私も、2001年2月に入会してその年の6月号初掲載以来欠詠をしないで来た。ただ、梶原さんと決定的に違うところは、梶原さんが毎月かならず粒揃いの十首を作られてきたのに対し、私は粗っぽい数首しか作らなかった月がだいぶあるところだ。。しかしともかく、17年続けてきたことはどこかで誰かに胸を張れることかもしれない、と思う。
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先生。

2018-05-30 07:32:56 | Weblog

私にとって、創作においての〈先生〉は、私の背中を遠くからでもいつも押して励まして下さる存在。〈ああ、作りなさい〉〈こう、作りなさい〉と身近に事細かに指示される方ではなくて、どこにいらっしゃっても〈あなたの作りたいように作りなさい〉とニコニコと温かく見守って下さる方が〈先生〉。そういう意味で、有り難いことにたくさんの〈先生〉が居てくださる。

ただもしも、誰かから、あなたにとっての短歌創作における〈先生〉のお名前を二人挙げよ、と問われたら、やはり、河野裕子先生と日高堯子先生のお二人のお名前を挙げるかもしれない。歌誌『塔』五月号に、村上さんの素敵な歌集の書評を日高先生がご執筆されているのを見つけて、先生のお名前と温かいおことばがひたすら懐かしくて仕方がない。


私も頑張らねば。

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12首。

2018-05-29 11:42:58 | Weblog
短歌メモです。。。


ブルネグロ飛行男爵邸跡のあの日のケチャップ染みたる聖書

西塔を取り壊さむと重機五台 国境検問所にて停めらる

あの朝の悲劇を忘るることなかれ ブルネグロ飛行男爵墜死の

当主亡き小国に大国やつて来る サンタのやうなマスクを被(かぶ)つて

ブルネグロの血統は全てゐなくなりぬ 空に小鳥は歌つてゐても

にこやかに鋼鉄の仮面が手を振りぬ 駅前通りの軍事パレード

西塔の可動式屋根に一輪の潜航艇型薔薇は咲きをり

地図の上(へ)のラー油バーガー滲(し)みよりも小さき国家(くに)なり中世以来

姫様をひそかに匿ひし《青の騎士》 庭園地下の水番小屋に

朝のカフェに新聞記事は切り抜かる「《王党派メロン》に強制捜査」

《親方》は目を瞑りをり二十杯目のウィンナコーヒー店員に入れさせ

《親方》の携帯電話はブラックベリー 着メロはいつもマルセイエーズ
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とにかく。

2018-05-28 01:35:19 | Weblog

〈死ぬまでにはいつかきっと、小さな頃から気付けばいつも頭のなかで明晰に鳴っている交響曲とチェロ協奏曲を一つずつ譜面に書き上げられるはず〉と漠然と信じていられたのは、その頃自分が若かったからなのかもしれぬ。しごとをしてきて疲れたからだを寝床に横たえて、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番なぞを聴いていると、残り時間の少なくなってきた手触り感がやけに妙に生々しく身巡りに降りて来て、正直空虚に回転するばかりの焦りの念が喉元を苦しくする。本当に、人生とは思い通りに行かないものだといつもの繰り言を呟いて目を瞑る。何のための人生なのだろうか。何のために生まれてきたのだろうか。この世界の時間はその生真面目さを表現したらまったく冷酷なくらいに正確無比に終わりへと進んでいく。忘れがちだが、この世界には夢だけでなく明らかな終わりがあり、終わりは必ず来る。目を瞑る。とにかく眠りたい。

 

Je pense, donc je suis.

この世界での終わりが来たら、たしかに存在してきたあらゆるどんな思いも音楽もことばも物語も消滅してしまう。存在とはそういう不確かなものなのだ。

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取り敢えず。

2018-05-27 07:46:30 | Weblog
あまりに鮮明だったこの夢をご本人にお伝えしようかとまで考えてしまった今朝の夢。夢占いだと逆の〈よい方への変身・さらなる成長・隆盛〉のことを伝える意味が強いかもしれぬとのこと。取り敢えず。某短歌会の大きな歌会がどこかのホテルの広い部屋であって、会場に早々と到着して着席していると、偶々隣りに心なしか少々青ざめてうち沈んだ感じの板橋のOさんと主宰夫人が来られてすうと座られた。挨拶する私にお二人がこっそり打ち明けられることには〈じつは主宰の主人が先刻亡くなりまして…前主宰にはお伝えしましたが〉と。青天の霹靂の私は〈え、ご病気かなにかでご入院でもされていたんですか!!?〉と聞き返す。〈ええ、実は体調崩してまして。心配されると思い、皆さんにはお伝えしていなかったのですが…〉。私もショックで青ざめてしまう。元気だった頃の主宰のさまざまな言葉や笑っている表情が私の脳裡に回転し始める。ちょうどそのタイミングで、やはり青ざめた感じの前主宰が部屋に入って来られるのが見えた。。という夢。
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また目を閉じる。

2018-05-27 04:05:45 | Weblog
遅く帰宅して、用を済ませて就寝。深夜に不意に目覚めて服部さんの『胸の振り子』をしばし胸のなかで唄う。武満さんがひそかに〈代作〉されたという数多の歌謡曲の一つは、やはりこれかな、と思い、また目を閉じる。
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ユリアヌス。

2018-05-26 17:59:33 | Weblog

しごとのあと。前回払い込みからもう半年が経過したのかと時の速さにびっくりしつつ短歌会費を振り込み送金。今夏の辻展は、ユリアヌスの由。実際に行かれるかまだわからぬも、楽しみです。
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今さら。

2018-05-25 07:54:53 | Weblog
墓なきは死んでをらぬことかもしれぬ 彼(か)のひとはけふ二百五十歳

という一首を歌誌『塔』2006年5月号に出したことがある。そうしたら、ネットの辺境の一隅で誰かが、この一首の〈彼のひと〉を〈モーツァルト〉と読めない輩は怪しからんみたいなことをほざいたらしい。今さらなのだが、〈わからん奴は怪しからん〉なぞとほざく輩こそが怪しからんと私は思うのだ。読みなんて、正解なしの百人百様。そうだからこそ、これまで私は短歌の読みを楽しみつづけている。
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