カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

(メモ)角川短歌、南原先生のシンポジウム

2006-08-31 21:28:11 | Weblog
毎日新聞記事

<角川短歌賞>澤村斉美さんの作品に

 第52回角川短歌賞(角川書店など主催)の選考会が30日、東京都内で開かれ、澤村斉美(まさみ)さん(27)の作品「黙秘の庭」に決まった。澤村さんは京都市在住で、京都大大学院の博士課程に在籍(休学中)。同人誌「豊作」に所属し、「塔短歌会」編集委員。
(毎日新聞) - 8月31日3時28分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060831-00000020-mai-soci

角川短歌賞を塔短歌会の澤村さんが受賞されたそうです。

澤村さん、おめでとうございます!

***

 以下、上とは無関係な整理メモです。。。

 短歌について、自分があるマンネリズムに陥っていることを強く感じるとき、いったい自分は何のために短歌会に所属しているのだろうか、また、なぜ短歌を作ろうとしているのだろうかと自問することがあります。。。

 たぶん、メーリング歌会とか生の歌会とか、刺激的な歌会の場があるから短歌会に所属し、短歌という表現形式にいくらかの希望や救いを乗せられると感じているから短歌形式を捨てていないのだろうと思います。

 。。。しかしそれにしても、表現の器として、俳句ではなくて、なぜ「短歌」を選んだのか、自分でもよくわかりません。「短歌を詠みたい」と最初に強く思ったときの、そのもやもやとした感じの正体がいったい何だったのか、いまだに謎です。。。

**

 先日の南原先生に関するシンポジウムの番組放映のことと、当日配布資料の頒布について。
 以下、その情報を転載させていただきます。

9月2日(土)17:00~17:54
NHK BS2 BSフォーラム
「東大と日本が生まれ変わった日~戦後初の東大総長南原繁の言葉を考える」

 尚、当日配布した資料を、何かの制約で販売は出来ないので、寄付という形式で、希望者には頒布するとのこと。一口1500円の由。

(頒布の情報の詳細)
http://www.nanbara.net/donation.php

資料ご希望の方へ: 寄付受付

「8月15日と南原繁を語る会」実行委員会では、資料ご希望の方へ一口1500円(送料+手数料を含む)の寄付を募っております。

寄付してくださりました方には、非売品の当日用資料(南原繁資料+『天皇と東大』資料+立花隆による紹介文)の残部を差し上げます。
残部僅少となりました場合は、このページでご案内します。

寄付の受付期限は9月末日です。
資料は、受付後2週間以内に発送する予定です。

下記の項目を記入し、
「8月15日と南原繁を語る会」事務局
nanbara@utp.or.jp
宛にメールでお申込ください。

折り返し同封の振込用紙にてお振込下さい。

<記入項目>
* 氏名
* 郵便番号
* 住所
* 電話番号
* 寄付口数(1500円×●口)
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佐藤さんの、「老少女」の歌(メモ)

2006-08-31 21:02:23 | Weblog
 メモです。

老少女サドル傾け乗るときの鬼塚薬局前のトラブル  佐藤通雅(歌集『アドレッセンス挽歌』所収)

 映画『ハウルの動く城』の主人公のことを思い出させるのは、「老少女」ということばです。ここでは、おそらく悲劇的なトラブルが詠われているとおもわれます。しかし、どこか「喜劇」への転化が行われているのも感じます。
 気になる一首です。
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短歌メモから

2006-08-31 09:46:22 | Weblog
 短歌メモです。

木漏れ日に照らされて無線受信機ありお城の庭の馬小屋のうら  河村壽仁

食堂へ向かう廊下に丑三つ時トルコ帽男は女の声して 河村壽仁

*【トルコ帽(トルコぼう)】
 トルコや中近東諸国の人々が愛用している帽子で、つばなしの円筒形で、上がやや狭まっているのが特徴。英名では「フェズ」といい、これはもともとフランス領モロッコの都市の名に由来するという。本来は暗赤色か黒のフェルト地でつくられ、帽子の上に黒か紺、空色の絹製房飾りが付く。

ラーメンは「サッポロ一番」 噛み切られたつゆの素(もと)の袋が点々(てんてん)  河村壽仁
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高木東六さんのことなど

2006-08-30 14:01:32 | Weblog
《作曲家の高木東六さん死去、102歳 TV番組で審査員》
(2006年08月25日19時26分朝日新聞記事)

 戦前、戦後を通じてポピュラーやクラシックの作曲家として活躍、テレビ番組「あなたのメロディー」(NHK)、「家族そろって歌合戦」(TBS系)の審査員などとしても人気のあった高木東六(たかぎ・とうろく)さんが25日午前0時5分、肺炎で死去した。102歳だった。通夜は27日午後7時、葬儀は28日正午から東京都千代田区神田駿河台4の1の3の東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)で。喪主は長男律朗さん。連絡先は横浜市中区山下町1の赤い靴記念文化事業団。
 現在の鳥取県米子市生まれ。東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)を中退し、パリのスコラ・カントルムでピアノを学んだが、現地で知り合った山田耕筰の勧めで作曲を志した。戦後、二葉あき子が歌って大ヒットした「水色のワルツ」が代表曲で、作曲数は2000とも言われる。歌番組での講評は好き嫌いがはっきりし、軽妙な語り口も親しまれた。
 朝鮮の民族音楽にも関心が強く、再三現地で採譜した。48年初演のオペラ「春香」は日本オペラ草創期の代表作で、02年のサッカーW杯日韓共催を機に完全再演された。
 「愛の夜想曲」などのエッセーで文筆家としても活躍。高齢者の女声合唱団「ザ・シワクチャーズ横浜」を率い、90歳を超えて活動を続けた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0825/001.html?ref=rss

***

《ふるさとの音楽家》
http://www.pref.tottori.jp/doyo/artist/takagi/takagi.htm

高木 東六(たかぎ とうろく)
●プロフィール
 明治三十七年、米子市に生まれる。神父の父の影響で幼少時代から聖歌に親しみ、二人の姉からオルガンと教会音楽を学ぶ。
 大正十三年に東京音楽学校に入学するが、昭和三年に中退し、翌年パリ国立音楽院に入学する。一年後、スコラ・カントルム音楽院に入り、ダンディに作曲を学び、七年に卒業するが、帰国後はピアノ独奏会を開き、フランスの作品を多数紹介する。
 昭和十六年作曲「朝鮮舞踊組曲」は、満州新京交響楽団応募作品で第一位に入賞し、中でも『朝鮮の太鼓』は文部大臣賞を受賞する。
 作品は、オペラ「春香伝」を初めとして、管弦楽曲、室内楽曲、ビアノ曲、歌曲、舞台音楽と多岐にわたり、昭和二十五年に大流行した「水色のワルツ」はあまりにも有名で、シャンソン、ポピュラー曲も多い。

●主な作品
おやすみなさい よいおへんじ ハイ チップタップロンロン
ちょっぴりちょっぴりちょっぴりな ござるござるよ
春のシャンソン

***

《歴史探訪社》サイト
多彩な顔ぶれが奏でる珠玉のメロディー
高木東六 百歳記念名曲アルバム
http://www.rekishitanbou.com/CDtakagitouroku.htm

 1904年(毎時34年)7月7日、鳥取県米子市に生まれる。父は日本ハリストス正教会の伝道師で、幼い頃から聖歌に親しむ。
 幼少期を母の郷里の茨城で過ごし、12歳から関東大震災で被災する19歳まで横浜に住む。
 1924年(大正13年)、東京音楽学校(現東京藝術大学)ピアノ科に入学。
 1928年(昭和3年)、学園紛争に巻き込まれるなどして卒業目前で中退。
 同年12月から1932年春にかけてフランス留学。
 パリ国立音楽院のアルマン・フェルテ教授にピアノのレッスンを受け、1929年、パリ・スコラ・カントルムに入学。
 ピアノをポール・ブロー、作曲をヴァンサン・ダンディ教授に学び1932年に卒業。・
 帰国後すぐ東京でピアノ独奏会を開いて好評を博す。
 フランスの作品を多数紹介すると共に朝鮮のリズムに魅かれ、関連の作品も多数手がける。
 作曲作品は約2000曲。朝鮮の古典文芸を題材にした「春香」や「唐人お吉」のオペラを始め、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲、舞台音楽、シャンソン、ポプラーなど多技に渡る。疎開先の長野県伊那市で作曲した「水色のワルツ」は1950年(昭和25年)に大ヒットする。
 シャンソンの普及、ラジオ、テレビの音楽番組の審査員、日本音楽著作権協会理事などでも活躍。横浜市鶴見区在住で、神奈川県文化章、横浜文化章受賞。勲四等旭日小綬章を受章。1997年(平成9年)米子市の市民栄光賞を受け、2004年には伊那市の「高木東六先生記念碑」が建立されると共に名誉市民に選ばれる。

***

「水色のワルツ」
http://www.rekishitanbou.com/takagitouroku/cd1.wmv

 高木東六さんの作品では、「水色のワルツ」があまりにも有名ですが、若き日にヴァンサン・ダンディに作曲を師事されたという氏のオペラや管弦楽曲にすごく興味を惹かれます。機会があれば是非聴いてみたいです。。。

 同様に、高木さんと同じく名前に数字の入っている中村八大さんが若き日に作曲されたという「ピアノ協奏曲」や、いずみたくさんが作曲されたという、数曲あるといわれる「交響曲」(氏の作品表
http://www.allstaff.co.jp/contents/allstaff/izumitaku.html
によると、

1971年「ラプソディ イン セブンティーズ」

1974年「悲しみの終わるときまで(カンタータ)NO.1」

1975年「悲しみの終わるときまで(カンタータ)NO.2」

1986年 能管とチェンバーオーケストラの為のコンチェルト「無」

「Rhapsody of the 1980's」(ミュージカル歌麿をモチーフとした作品)

の5曲が存在するようです)もいつか聴いてみたいです。

 これらの曲を、いつかNAXOSのCDの日本人作曲家シリーズの「秘曲集(?)」あたりで取上げていただけたらうれしいです。。。。。。



 高木東六さんのご冥福を謹んでお祈りいたします。
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N響定期公演(メモ)

2006-08-29 18:32:46 | Weblog
 「開演前ロビーコンサート」のプロコフィエフの五重奏曲と、「メインプログラム」の尾高さんの交響曲第1番が、とくに面白そうです。

 以下、メモです。

NHK交響楽団サイト
http://www.nhkso.or.jp/schedule/regular_2006_9.shtml

NHK交響楽団第1574回(2006年9月定期Aプログラム)Concert No.1574
2006年9月2日(土)開演06:00 PM Sat 02 Sep 06:00 PM
2006年9月3日(日)開演03:00 PM Sun 03 Sep 03:00 PM

指揮:外山 雄三
Yuzo Toyama, conductor

〔N響創立80周年記念 正指揮者シリーズ〕
1・尾高 尚忠/交響曲 第1番(新発見の第2楽章を含めて演奏/第2楽章は世界初演)
2・マーラー/交響曲 第5番 嬰ハ短調

NSO 80th Anniversary Concert / Permanent Conductors Series
Hisatada Otaka Symphony No.1 (incl. newly discovered 2nd movement)
Mahler Symphony No.5 c-sharp minor

***

〔今月の「開演前の室内楽」〕《9/2(土)17:15pm~/9/3(日)14:15pm~》
[出演]
和久井 仁(ob.)、山根孝司(cl.)、青木 調(vn.)、山田雄司(va.)、今野 京(cb.)
[曲目]
プロコフィエフ/五重奏曲ト短調作品39
[場所]
NHKホール2階北側ロビー

(曲目解説など)
http://www.nhkso.or.jp/schedule/pdf/pamph06Sep.pdf
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memo

2006-08-29 10:42:46 | Weblog
 メモです。

 ちょっと気になることを書いているサイトがありました。。。

《悠華抄 がん編》サイト
http://hituzuri.blogspot.com/

(以下、引用させて頂きます。。。)

 がんと診断されれば、余程の緊急を要さないかぎり、ベットや手術の都合で、1週間や2週間は入院や手術を待たされます。
 ただ、がん治療は、病院や地域によって大きく格差がございますから、担当医の意見を唯一無二と受け容れず、入院や手術までの間に、がんやがん治療についての知識を蓄えて、自身でご自分のがんを研究しておく必要があります。

1.お薦めのサイト

がんサポートキャンペーン
http://www.nhk.or.jp/support/

がんのweb相談室
http://2nd-opinion.eee.ne.jp/

2.お薦めの本

医者に聞けない抗癌剤の話 癌とわかったらすぐ読む本
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031384100&Action_id=121&Sza_id=C0

チャートでわかるがん治療マニュアル
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031486900&Action_id=121&Sza_id=C0

働きながら「がん」を治そう
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031589073&Action_id=121&Sza_id=A0

*スキルス胃がんについて
http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/kennkou/010717n.html

 胃がん全体の約10%を占め、比較的若い人、男性より女性で特に30代、40代の女性に多くみられます。
 女性ホルモンで大きくなるといわれており、妊娠・出産の時期に重なっていると、がんが急激に悪化します。
 普通の進行胃がんはがんの病巣が火山の噴火口のように盛り上がっていることが多いのに対し、スキルス胃がんは胃全体に横に広がります。隆起部がないため、見つけにくいのが特徴で、毎年、集団検診でバリウムを飲んで検査していても見つからず、また胃カメラでも発見しにくいため見つかった時には手遅れということが珍しくありません。非常にたちが悪いがんです。
 過去に堀江しのぶというグラビアアイドル(23歳)、アナウンサーの逸見政孝(48歳)、森徹という過去の長野オリンピックのモーグル代表選手(25歳)を死に至らしめたのはこのスキルス胃がんなんです。

*****

「火曜日, 7月 18, 2006」
「王監督は胃がん」を読む

 素人の私に言わせれば、到底、納得も得心もいかない、というのが今回の新聞記事や医師の会見をテレビで見た感想です。

《王監督手術主治医会見 「順調」にファン安堵 術後に自力で歩行 「早めに退院できそう」》

 17日に慶応大学病院(東京都新宿区)で胃の腫瘍(しゅよう)の手術を受けたプロ野球・福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督(66)の医師団が18日、同大医学部で記者会見した。執刀した北島政樹・同大教授らは、胃の早期がんだったと明かし、「根治性と、早い社会復帰を考えて腹腔鏡(ふっくうきょう)手術を選んだ。一般的には10日ぐらいで日常生活ができるだろう」と述べた。
 医師団によると、王監督は今月6日に入院して精密検査を受けた結果、胃の上部を中心に直径5センチの浅く広い腫瘍があったため、全摘出を選択。17日に腹腔鏡手術を行った。手術は午前9時40分から9時間に及び、その結果、早期がん(ステージ1b)と分かった。
 腹腔鏡は体へのダメージが少なく、今回は最大直径1.5センチの穴を6カ所と、胃を摘出するための4センチの開腹で済んだ。そのため術後の回復も早く、18日朝には一般病室に戻り、既に病室内を歩行。監督は痛みも訴えず「信じられませんね」と話しているという。
 現場復帰については「当初の予定より早まるだろうが、経過を見て慎重に判断したい。責任感の強い方なので、私たちは抑制をかけないといけない」との見通しを示した。
 ソフトバンクの孫正義オーナーは「心からうれしいし、ご家族もほっとされていることと思う。日本中の人々が回復を心から祈っていた。昨夜、手術成功と聞いて涙が出そうになった。ぜひゆっくりご静養いただきたい。病院関係者と医師団には心から感謝申し上げる」とのコメントを発表した。【錦織祐一、高木昭午、田中義郎】
  ◇  ◇
 【ニューヨーク高橋秀明】王監督の手術が成功したことを受けて、日本人大リーガーが17日、それぞれの思いを口にした。城島健司選手(マリナーズ)は「ぼくのヒットより数段、喜ばしいこと。ユニホームを着てすぐにでも動き出しそうなので、それが心配」と笑いながらも、恩師を思いやった。野球の国・地域別対抗戦で優勝を喜び合ったイチロー選手(同)も「しばらくゆっくりしてほしい」と体調を気遣った。左手首骨折からのリハビリに取り組んでいる松井秀喜選手(ヤンキース)は「一日も早く治ることを祈っている」と語った。
(毎日新聞) - 7月18日13時6分更新

**

 テレビでの司会者やコメンテーターはさも初期のがんの様に言っていましたが、記事にある「胃の上部を中心に直径5センチの浅く広い腫瘍があったため」という記述、これは、素人目に見ても「スキルス性胃がん」を示しているように受け取れる書き方で、心配です。

《王監督は胃がん、手術は成功 担当医が会見》(中日新聞記事)
http://www.chunichi.co.jp/00/spo/20060718/eve_____spo_____000.shtml

 プロ野球ソフトバンクの王貞治監督(66)が17日に受けた胃の全摘出手術について、担当した慶応大医学部の北島政樹教授ら医師団は18日午前、東京都新宿区の慶応大信濃町メディアセンターで記者会見し、早期の胃がんだったことを明らかにした上で、手術は成功したと語った。
 医師団によると、がんは胃の上部から中部にかけ約5センチで再発を防ぐために胃のすべてを摘出。リンパ節1カ所に転移していたが切除し、他の臓器に転移は認められなかった。王監督は手術直後は集中治療室(ICU)に入ったが、18日朝には自室に戻った。医師の問い掛けに「特に痛みはない」と答え、既に室内を歩いているという。
 手術は17日午前9時40分から始まり、同午後6時47分に終了。開腹手術ではなく、腹腔(ふくくう)鏡を使った手術だった。脇腹など7カ所に穴を開け、体内にカメラを入れモニターで観察しながら行うため、傷が小さく、術後の回復が早いとされる。
 今後の治療は病理診断の結果を待って検討。退院や現場復帰の見通しに関し、北島教授は「一般的には10日前後で退院できるが、ご家族と相談して決めたい」と述べた。

**

 「リンパ節1カ所に転移していたが切除し」というのは、目に見えない大きさのがんが転移している可能性があるということを示している。なら、到底、これは初期のがんではなく、医師によっては末期と呼ぶに近いのではないかと思います。

 「術中の出血が72CC」だとか「腹腔(ふくくう)鏡を使った手術」を強調されていたようだけれど、慈恵医大青戸病院ではないが、腹腔鏡手術は高度な技術で、確かに難しい手術の仕方をうまくこなされたのは凄いと思うが、それよりも大事なこと、伝えなければならないことがあるのではないかと思うのです。

 素人の私ではあるけれど、いまがまさに分水嶺だと思います。転移を想定して、脳はもちろん、こと細かに調べて、血液も検査していく必要があると思います。ファンである王監督にはぜひとも長生きしていただきたいと思うからです。

 日本人はという、ひとくくりな言い方は良くはありませんが、日本人はどうも空気に支配されやすい。大丈夫だよ、心配ないよって空気が広がれば、あぁなんか大丈夫な気がしてきます。で、ここで「ちょっとまずいんじゃない」なんて言おうものなら、その言葉は抹殺されてしまう。しかし、がんは空気ではなおらないと思います。監督という仕事は激務と聞きます。だから、いまはもういったん監督を辞めていただいて、治療に専心していただくべきだと思うのです。

(以上、引用終わります)

***

 私も、王監督のご病気が一日もはやく快癒されることをお祈りいたします。
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下書き

2006-08-29 09:04:40 | Weblog
 下書きメモです。

[祈りの音楽・音楽の祈り ―加羽沢美濃作曲「祈り」に寄せて―]

 加羽沢美濃(註1)オーケストラ作品集「祈り」(日本コロムビア)のCDを聴いた。この作品集には、「時代」「淡い記憶」「雨」「チルソクの約束」「穂高よ永遠なれ」「FURUSATO」「ロイトリンゲンの丘」「月のオーラ―12のヴァイオリンのための」「ベリンジア」「祈り」の10曲が収められている。ブックレットには、各曲についての加羽沢さん自身の言葉が載っており、「祈り」について、加羽沢さんは、「ロイトリンゲンを拠点とするヴュルテンベルク・フィルを聴いていて特に感動したのが弦楽器の美しい響き。その美しい響きを思い浮かべながらこの曲を書きました。」と書いている。加羽沢さんは、とくに宗教的な「祈り」を思って付題されたのではないらしい。
 「祈り」という言葉は、本来宗教的な意味合いを濃厚に含んだ言葉であると思う。同じような言葉に「願い」や「望み」という言葉がある。「祈り」も「願い」も「望み」も同じような言葉であるが、私には、「願い」よりも「望み」よりも「祈り」の方が、ニュアンス的に、より西欧的、キリスト教神学的であると思われる(註2)。
そもそも、西欧音楽には、「祈り」の一語をタイトルに付した音楽が多い。そして、タイトルに直截「祈り」と付されていないけれども、聴いている者を敬虔な気持ちにいざなう音楽は数え切れないほどあるのではないかと思う。
 その理由として一般的に言われていることは、「西欧の音楽伝統の原点が中世のグレゴリオ聖歌に求められる」から、ということである(註3)。グレゴリオ聖歌の後に作られてきた西欧音楽も、キリスト教神学と作曲家との関係が明確である限り、大なり小なり「祈り」と密接不可分な関係にあるといえるという。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した音楽ジャーナリスト、アーサー・M・アーベルが、ドイツの大作曲家ヨハネス・ブラームスの死の直前に、ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム同席の下、作曲家本人にその霊感の秘密についてインタビューした記事がある(註4)。そこでは、ブラームスは次のように語っている。

「(前略)私(注:ブラームス)にはいつも、ある明白な目的が見える。詩神(ミューズ)を呼び出し、あの気分になる前だ。さきほど君たちに指摘したように、ゲーテやミルトン、テニソンの語ったことが私の造形力(ファンタジー)を力一杯刺激するのを予期する前のことだ。それからあの高次の宇宙的な震えを感じると、かの大詩人やバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンに霊感を与えた同じ力と触れ合っているのが分かる。その後で、意識しつつ求めていた着想がかなりの力とスピードを伴って流れ落ちて来るが、つかもうとするのが精一杯で一部しか覚えていられない。すべて書き留めるのは絶対に無理だ。一瞬瞬いたかと思うと、紙に書いておかなければたちまち消え失せてしまう。私の作品に残る主題というのは、すべてこんな具合にやって来る。それは常にあまりにも驚くべき体験であり、誰にも話す気にならなかった。君にもだ、ヨーゼフ(注:ヨーゼフ・ヨアヒム)。その瞬間、私は永遠なる存在と波長が合っているのを感じ取り、これほど身震いを覚えることはない。大いなるナザレ人が、なぜこの世に重要性を賦与しなかったのか理解できる。イエスはどの詩人や作曲家よりも宇宙の永遠の力と親密な関係を持ち、疑いなく次なる平原を垣間見ていたのだ――『天の御国』と呼ぶ平原を。
 私はそんな光景を一度も見たことはないが、詩神(ミューズ)に照らし出されて霊感を与えられ、ベートーヴェンやミルトンも気付いていた事実に気が付いた。ミルトンを引用すれば、あの『我が天の詩神(パトロン)の訪れ』とは私の最も大切な記憶であり、ヨーゼフ(注:ヨーゼフ、ヨアヒム)、君が私の作品において口を極めて褒めてくれたのは、その記憶の応答(こだま)なのだ。(後略)」

 ブラームスのいうところの、音楽の「美」が「詩神(ミューズ)」由来のものであるという言葉は興味深い。「音楽美」とは何かという美学上の根本的な問題があるが、仮に、「キリスト教神学の『神』から降りてきたもの」と規定すれば、グレゴリオ聖歌以来の西欧音楽の「美」を、一応筋を通して説明し得たことになるのかもしれない。ブラームスは、祈りによって「詩神(ミューズ)」から「音楽」を賜っていた、という。彼にとって「祈り」は「天からの賜物としての音楽」と同義のものだった。だからこそ、たとい曲に「祈り」と付題されなくても、その音楽に込められている「祈り」はしみじみと聴き手の心に伝わったのだろうと思う。
 加羽沢さんに話を戻すと、彼女は幼少のころから、西欧音楽を専門的に勉強してきた。意識的にせよ無意識的にせよ、西欧音楽における「祈り」の感性を理解するようになっていた。だからこそ、前記の曲にとくに躊躇も拘泥もなく西欧流の「祈り」と付題することができたのではないか。そこからは興味深いことも窺える。それは、日本人作曲家による、西欧音楽の感性の受容、ということである。日本人の西欧化の歴史のひとつの側面といえるかもしれないが、そういったことも私の眼には興味深く映る。

[註記]
(註1)加羽沢美濃 (作曲家・編曲家・ピアニスト)
 横須賀市生まれ。3才からピアノを始め、ヤマハジュニアオリジナルコンサート時代には、天才少女と話題になる。東京芸術大学から同大学院の作曲科に進み1998年卒業。大学院在学中に日本コロムビアからCDデビュー、すでに21枚のCDが発売されている。なかでも「楽園」は、今人気のベスト・セラー作家、鈴木光司のファンタジー・ノベル「楽園」を、作家自身のプロデュースにより加羽沢が作曲・演奏した作品で大きな話題を呼んだ。名曲・ヒット曲を加羽沢美濃自身が編曲・演奏を行っている「ピアノ・ピュア」シリーズも現在までに10枚発売されており、ピアノ・ファン、ピアノ・レスナーに好評を博している。1997年、カザルス・ホールでデビュー・コンサートを開催し、その後銀座・王子ホールで開催された「ギンザ・クラシックス」「ギンザめざましクラシックス」「加羽沢美濃ピアノ・パーティー」「加羽沢美濃ピアノ・ファンタジー」などのコンサートで、作曲家としてのオリジナル曲演奏、リクエストコーナーでの即興演奏などで人気を集めている。
 作曲家としては、1998年TBSの月曜ドラマ・スペシャル「埋葬された愛」2000年NHK・TVアニメ「くまの子ウーフ」2002年フジテレビ系ドラマ「整形美人」、2003年NHK連続ドラマ「かるたクイーン」、映画「チルソクの夏」「ホテル ビーナス」などで、作曲・演奏を担当。
テレビ出演では、1999年7月からテレビ朝日「新題名のない音楽会」の司会を武田鉄矢と共に務めた。
 その他、ヴァイオリニストの高嶋ちさ子と組んだカジュアル・クラシックス「Chisa&Mino」のコンサートは全国展開の人気となり、発売された2枚のCDもベストセラーとなっている。2003年4月から、NHK-FM「名曲リサイタル」で司会を務めている。

(註2)たとえば遠藤周作氏が小説「沈黙」の中で描いた、キリスト者の「祈り」の姿。

(註3)近藤譲著『音を投げる -作曲思想の射程-』(春秋社、2006年)所収「言葉としての音楽」p26

(註4)アーサー・M・アーベル著(吉田幸弘訳)『我、汝に為すべきことを教えん~作曲家が霊感を得るとき~』(春秋社、)

*****

 作曲家ヴェルディが、オペラ『リゴレット』を作曲しようと思い立った動機には、道化師「リゴレット」(原作のヴィクトル・ユゴー作戯曲『王は楽しむ』では、名前は道化師「トリブレ」であった)という人物への思い入れが多分にあったのであった。
 当時の慣習で、ヴェルディは台本作者のピアーヴェを通じて、劇場のあるヴェネツィアの検閲所に作品の上演許可を求めたが、検閲当局は当初「この題材は、オペラとして上演されるのにふさわしくない。従って許可できない」とヴェルディたちに通告した。その理由のひとつには、主人公が肉体的なハンディを背負った人間であり、しかも道化師のような卑しい身分の者というのは先例がないから、というものだった。ヴェルディはそれに対して次のように強く反発した。「(以下、大意要約)瘤を背負った男が歌ってなぜ悪いのか? この男は見かけは醜悪で人びとの笑いものになっているかもしれないが、その情熱的な心、愛情豊かな気持ちは素晴らしい! それを私は描きたいのだ」(1850年12月14日付ヴェルディからヴェネツィアのフェニーチェ座劇場支配人マルザーリ宛の手紙より)
 さまざまな曲折を経ながら、しかし作品の大事なところではけっして妥協することなく、ヴェルディの傑作オペラのひとつである『リゴレット』は完成されたのであった。
 これからヴェルディが魅了された「リゴレット」という人物について見ていきたい。

 第一幕。幕が開くとまず、リゴレットが仕えているマントヴァ公爵が登場。そして、ほどなくリゴレットも登場する。リゴレットは、女たらしの主人マントヴァ公爵におもねる醜悪な姿の道化として描かれる。ここでの「道化」は、主人へのお追従ばかりを言って座を盛り上げる「幇間」といった立場であるが、リゴレットの主人へのおもねり方は過剰なほどである。そこには、己が身の不具を非常に意識するあまりに主人から必要以上に気に入られたい、愛をかけられたいという思いと、実は物語が進むにつれて追々判明するのであるが、自分の大事な娘を女たらしの主人の毒牙にけっしてかけたくない、という思いとが交錯しているのである。自分の大事な娘を守るため、リゴレットの所業はエゴイスティックなほどに徹底している。娘には外出を禁止し、その一方で彼はせっせと他の者の娘や女房を主人の「毒牙」の前に斡旋提供してしまうのである。その結果彼は、被害者のひとりモンテローネ伯爵から呪いをかけられてしまう。「呪い」というものは本来、神を信じるものにとってはまことに恐ろしいものであるが、絶大な権力を握っている主人から大層気に入られ、神をも恐れぬ「強がり」のリゴレットにとっては「呪い」なぞなんのその、最初のうちは「公爵様のごひいきに、誰一人手出しはできまい」と嘯(うそぶ)くばかりなのである。

 舞台が進む。やがて娘ジルダが登場してくると、リゴレットは宮廷での姿とはやや異なる、娘に深い愛をかけるひとりの父親の面を見せる。ただし、その愛情はどこか過剰でどこか屈折しているように見える。娘ジルダが「お父様、私は自分の家族のことを知りたいの。お父様のお名前も教えて下さいませんか」と言えば、父親リゴレットは次のようにこたえる。「わしは、お前のそばにいるときだけ、打ちのめされた心が喜びを感じるのだ。お前は、わしの命! お前なくして地上でいったいどんな幸福を得るというのだろうか…。お前には家族なぞおらぬのだ。わしの名前も、大した問題ではないぞ」と。それに対してジルダは「お父様がご自分の事を教えて下さらないのでしたら、せめてお母様のことを教えて下さいませんか」と言う。それを聞いたリゴレットは「ああ、この憐れな男にそれを言ってくれるな。失ってしまった幸せのことを思い出すのはつらすぎる…。お前の母親はまことに天使であった。わしの数多の苦しみを理解してくれた…。孤独で、かたわで、貧しいわしのことを不憫に思い、愛してくれたのだ。彼女が世を去り、今では冷たく黒い土くれが、あの優しかったいとおしい顔を覆っているのかと思うとつらくてつらくてならぬ…。ジルダよ、今はお前だけがわしに残された宝なのだ。ああ、神よ、ジルダをわしに与えてくれた神よ、いくら感謝しても、感謝しきれませぬ…!」と言ってすすり泣く。あの「神」をも「呪い」をも何とも思わないはずのリゴレットが、こんなにも弱気に「神」に祈りを捧げるものなのか!? と意外に感じるところである。これは、後におとずれる「悲劇」への予兆、伏線と見られなくもない。それを見ていたジルダは、これ以上父親を苦しませ悲しませたくないと思い、追及して聞くことをやめてしまう。これは父親リゴレットの、そして娘ジルダの、それぞれへの愛情の深さを物語るエピソードではある。けれども、子どもから尋ねられているのにも関わらず、自分自身のこと、家族のことをけっして語ろうとしない父親の姿には、どこか尋常でない、非常に屈折した思いが感じられるのである。

 そもそも子どもにとって、自分が何者かを知ることは当然の権利である。また、成長して大きくなるにつれて自分自身のアイデンティティの確立時期にかかると、子どもは本能的な欲求として、自分のこと、親のことを知りたいと強く思うようになるものである。そういった意味では、前述の場面でのジルダは当然の「問い」を発したわけなのだが、父親リゴレットの答えはジルダの期待するような答えではなかった。というよりも実は、リゴレット自身「答え」を知らなかったのかもしれない。その時代、その国に、身に不具を負って生まれ、人びとから卑しまれる「道化」を職業に択ばざるを得なかった自分自身の出自の理由をリゴレット自身知らなかった。だからリゴレットは、自分の名前も自分が何者であるかも娘にきちんと告げられなかったのかもしれない。それはまさに、人間リゴレットの抱える根源的な深い苦悩と言えるだろう。
 この後ドラマは、リゴレット、ジルダ父娘を中心として、終盤の「悲劇」に向かってひた走っていく。
 リゴレットとしても本当は「神」を信じ、「呪い」を恐れる男でありたかった…。それが叶わなかった理由が、このオペラ『リゴレット』で描かれているドラマなのである。(了)
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日録メモみたいなメモ

2006-08-29 08:17:34 | Weblog
 日録メモみたいなメモ。

 一昨日は、気功の先生にかなり徹底して施術してもらったので、昨日は、午後を過ぎた辺りから身体中がなんとなく重たくなり、意識がときどきぼーっとなっていました。悪かったものが一斉に体外に出て行くとき、こういう症状が出ることがあるらしいです。。。

 おかげで今朝は快適に目覚めました。

 洗面台に立っているときから、ずっとオペラアリアが頭の中で鳴っています。
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占いメモ

2006-08-28 11:25:39 | Weblog
 占いメモです。



スピリチュアリスト暁玲華先生のタロット占い

http://www.gp-cian.jp/tarot/


暁先生のブログ《スピリチュアルパワー》
http://akier.exblog.jp/
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夢日記メモ

2006-08-26 21:33:23 | Weblog
 今朝の夢で見たことの日記メモです。

 どういうわけか、私はどこかのホールの客席にいて、デーブ・スペクター氏そっくりの風貌の指揮者がN響というオーケストラを振っている、緊張感みなぎる厳しいリハーサル?!を聴いていました。演奏されているのは、なんと、私の新作(!?)の弦楽合奏主体の変奏曲のような音楽?でした。。最初のテーマをヴィオラが弾いていたのだけは憶えています。。。作曲者の私は、とにかく緊張してすごい汗をかいていました。。。

 目が覚めたのは午前3時過ぎ。。。目が妙に冴えてしまったので、本棚から別宮貞雄さんのヴァイオリン協奏曲のスコアを取り出して、夜が明けるまで眺めていました。。。

 ほんとうに、不思議な夢でした。
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