カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

インテルメッツォ。

2023-07-31 03:52:15 | Weblog
寝ていたのだが、胸奥で唐突にオーケストラが鳴り出し、起きて取り敢えずメモしてみた。今日もこれから仕事。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌メモから。

2023-07-29 07:13:03 | Weblog

短歌メモから。

偶々の休暇をブルネグロまで行かむとす 鈴鳴らし鳴らしゆく巡礼路

牧草地貫きて石畳の道続く 暑き真昼に人影はなし

その昔〈鉄仮面〉率ゐし戦車隊の攻め進みたるはこの道と云ふ

道脇に点々と四角き大石置かれぬ ブルネグロ水道橋橋脚石らし

水道橋橋脚石に彫られたる茄子と葡萄のブルネグロ紋章

陽(ひ)傾きて宿兼食堂に休息す 看板メニューは茄子トマト煮込み

男爵菜園の茄子トマト煮込みはかの水道橋通水式に皆へ振る舞はれき

大振りの茄子一片を匙に眺めぬ 宿屋主人の昔語り聞きつつ

ブルネグロ飛行男爵はその後(のち)〈雲場池〉によく出現なさるとか……

〈雲場池でお会ひしました〉と告げたれば宿屋主人は〈ほお〉と息吐(つ)く

池の畔(くろ)に騎乗の人来ると言はれ傘持ちて夜闇を歩き始めぬ

ブルネグロの騎乗のひとが駆けてゆく夏の夜中の雲場池辺り

騎乗のひとを飛行男爵と判りしは私位 誰もがあれは誰だらうと言ふ

亡霊となりても飛行男爵は笑まひをりきやさしく温かく、この上なく

ブルネグロから遠く離るる雲場池にブルネグロ飛行男爵の亡霊

騎乗のひとは〈あの人らによろしく〉と短く言ひ夜闇を駆けてひゆうと消えたり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱波。

2023-07-27 20:42:34 | Weblog
災害級の危険な高温に連日ヘロヘロである。何年も前、海外の熱波被害ニュースを他人事のように見ていたことを思い出す。まさか日本の夏がこんなに過酷になるなんて想っていなかった。今日も37℃まで行ったらしいけれども、いやはやいやはや言葉が出てこない。。

夏の甲子園の高校野球地方予選、西東京大会では早大学院が勝ち進んでいて応援していたが敗退の由、残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日ともうすぐ。

2023-07-26 01:20:27 | Weblog

昨日、宮﨑駿監督の映画作品『君たちはどう生きるか』を鑑賞。神話として世界各地の様々な民族において語られ描かれてきた世界創造主と世界との関係や生死に関わるパラレル世界の存り様を巧みに織り込んだ、豊かな解釈余地を含んだ深いストーリーに感銘。また、宮﨑監督の苗字の漢字が「﨑」と知った。観られて良かった。また、もうすぐ刊行されるという万城目学先生の新作小説『八月の御所グラウンド』、すごく楽しみ。

メモ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝は。

2023-07-22 21:47:19 | Weblog
仕事しながら朝は多少涼しくなるような感じがあったがどうやら錯覚だったらしい。昼から日差しが燦々と照り出して一気に気温上昇。そして気象庁の梅雨明け宣言。仕事のあとの、夕方過ぎからのテレビ東京系列の土曜スペシャル「路線バス乗り継ぎ旅W」(ネット視聴)と夜のNHKFMのクラシックの迷宮「作曲家中田喜直生誕百年」(ラジオ聴取)を楽しみに、暑い一日を頑張って乗り切った。本当に、暑いのは困る。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武田神社。

2023-07-20 10:09:22 | Weblog

時折思い出す。亡き父が生前私によく語ってくれた話の一つに、私への名付けのときに悩んで困ってねという話があった。早産未熟児で殆ど死にかけて産まれた子どもの名前をどう付けようか悩んだ父は、ちょうどその頃勤め先の学校の遠足で偶々甲府の躑躅ヶ崎館跡の武田神社を訪ねることがあり、父はそこで願を掛けてお参りしたという。すると、子どもへの名前の漢字が父の脳裡に不思議な感じで降りてきたらしい。感激した父は、武田神社境内の「姫の井戸」(信玄公のご息女が誕生したときに産湯として使用されたことから名付けられた由。延命長寿・万病退散のご利益があるとされる。)の水を一升瓶に汲んで、その水と子どもへの名前候補の漢字とを母のもとへ持ち帰った由。じつは最近まで知らなかったが、躑躅ヶ崎館の土地と母の先祖とは不思議な縁があったみたいだ。母から数えて十四世の祖になるひとり織田家臣河尻秀隆は、武田氏滅亡後の甲斐統治において、武田遺臣や領民たちから非常に恨まれつつも、武田氏統治時代と同じ甲府の躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市古府中町)を居城にしたとも、『甲斐国志』『武徳編年集成』によると甲府近郊の岩窪館(甲府市岩窪町)を本拠にしたとも言われているという。いずれにしても繋がりがあったらしい。そういう関連で考えていくと、私のいのちの役割のひとつには、もしかしたら、河尻秀隆本人や周辺や関連の無念を理解し寄り添うことも期待されているのかもしれない。とは申せ、具体的にどのように寄り添ったらよいのか今はまだよく見えていない。正直、よくわからない。分からないけれども、なにかもやもやしたものがあることは感じられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十日。

2023-07-20 07:34:46 | Weblog
今日は草稿必着日の二十日。昨日か今日かにはお世話役の方のもとに草稿が届いているはず。いや、確実に届いていてほしい、と今朝寝床で目覚めてあらためて思った。昨今の郵便事情は他の世の中の諸々と同様、実に頼りなくなっていて、とかく不安ばかりが募るのがなんとも心許ないも、とにかく祈るしかないので、ただただ祈った。

今日も暑くてたまらぬ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近。

2023-07-19 07:27:23 | Weblog
逐一誰かに報告するつもりなぞ毛頭ないも、最近もいろんなことに巻き込まれてふらふらゆらゆら暮らしている。生きるとは所詮そういうことだからだ。ニュースでは、名古屋のちぐさ正文館本店閉店や、ジェーン・バーキンさんの訃報にショックを受けた。

今日もこれから仕事。昨日よりも気温下がるらしいも、依然猛暑。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は。

2023-07-16 06:47:32 | Weblog
昨日は、懸案の月詠十首を何とかかんとか拵えて、必着日までぎりぎりの日程ながらも投函を済ませた。

歌誌『塔』7月号の吉川主宰の青蟬通信「七滝訪問の記」が味わい深くて凄くよくて何度も味読。文中、河野裕子先生の熊本県の七滝の生家をこれまで自分が勝手に河野家の家とばかり思い込んでいたのが誤りと判り(七滝にいらしたのは母方の福島家の由)、おお、そうだったかと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年7月4日の尾高惇忠先生と外山雄三先生。

2023-07-14 04:47:08 | Weblog

外山雄三先生が2023年7月11日午後7時2分に慢性腎臓病のために長野県のご自宅でご逝去、のニュースに接して、心からお悔やみ申し上げます。2012年7月4日にサントリーホールで行われたコンサートのことを思い出しましたのでメモ。

〈過去記事〉
咳風邪は相変はらずでしたが、一昨日(2012年7月4日)は仕事の後、サントリーホールへ。N響主催の「外山雄三の世界」といふ記念コンサートが目的。まずは腹拵へにアークヒルズ三階のとんかつ和幸へ。盛りだくさんの皿と対話しつつ咳き込まないやうに気を付けながら食事をしてゐるとすぐ近くの席にどこかで聞き知つたやうな声の人物が座り、注文する声が聞こえました。しばらくして顔をそおつと上げると、その座られた方はなんとラフな服装の尾高惇忠先生でした。先生に近くでお会ひするのは通算これで三度目になります。先生は料理が来るまで五線紙に赤鉛筆青鉛筆で書き込みをされてゐました。つい先日のミュージックトゥモローでスコアにサインを頂いた私は途端に緊張して今にも咳き込みさうでした。とにかく食事を終へコップの水で薬を服んでから、先生の席に近づいて先日のお礼とご挨拶をさせていただきました。先生はにこやかに「ああ、あなたでしたか。今日はあなたも外山先生の演奏会を聞きに来られたんですか。僕もさうですよ」と仰有いました。私は「はい、たのしみに聞かせて頂きます。先生、お食事中失礼しました。それではお先にホールへ行かせて頂きます。失礼します。」と先生に申し上げて、失礼しました。そして、店の外のトイレにとびこんで思ひきり咳き込みました。



そして演奏会。外山先生の様々な作品を、外山先生とお弟子の広上淳一先生が指揮されました。とにかく楽しかつたです。外山先生の音楽を今後いろいろさらに聴いてみたくなりました。

 

 

コンサートでは、中村紘子さんがピアノコンチェルトのソロを務められ、ラプソディも交響曲1番も外山先生が指揮された。たしか、コンサート冒頭はノールショピング交響楽団のためのプレリュード(1991)で、これは お弟子の広上先生が首席指揮者になられたお祝いに外山先生が書かれた音楽で、広上先生の指揮で演奏された。トークコーナーでは、檀ふみさん司会で 外山先生、NHK交響楽団世界一周楽旅をご一緒された中村先生、それに池辺晋一郎先生、広上先生が壇上に並ばれた。


その中で、若い音楽家に一言を、で外山先生が語られたことば。


若い方たちの演奏技術は昔よりはるかにすごいレベルになったが、奏でる音楽に心が足りないところがしばしば見受けられる。音楽は技量よりも心。ぜひ心を高め深める努力をしてほしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする