カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

《あるべきやうわ @SAVE TIBET !!》

2008-03-31 13:22:00 | Weblog
 メモです。。。

《あるべきやうわ @SAVE TIBET !!》
流浪の破戒僧が綴るチベット・日本の仏教紀行。
http://ameblo.jp/aozora1/
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コルベ神父のこと

2008-03-31 02:56:04 | Weblog
 曽野綾子さんの『奇蹟』(文春文庫、1982年第3刷)は、第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ収容所で、ひとりの軍曹の身代わりとなって餓死刑を受けて亡くなったコルベ神父のことを、戦後コルベ神父の名で行われた「奇蹟」の側面から克明に取材して描いた一冊です。その245ページの、中島万利神父のことばから、引かせて頂きます。。

 ***

(前略)コルベ神父さんは、死ななければあれだけの仕事はできなかったでしょう。人間、死んだ後の仕事をするか、しないかですね。それでいて、コルベ神父さんは、生きてる時は、仕事の奴隷になるな、ということをしきりに言われた。観想の延長として、仕事がでてくるようにしろ、と言われた。私は思うんだが、今、我々は、大きなまちがいを犯すことがよくあるんですよ。それは、信仰をあらわすのに、まず、働いてみせることだと思うことだ。働いていれば、それで、もう許されていると思う。コルベ神父さんはそうじゃなかった。あんなに働かれた人でしたがね。表面は柔らかくても、理論闘争が好きな人だったけれど、まず、自分がやってみせて、それで相手を納得させた。大切なことは、きっとこういう順序になるんですよ。まず第一に、自分がキリスト者として、できるだけ完全な生活をすること。二番目に祈りです。三番目が犠牲。四番目が労働です。コルベ神父さんはこの四つを実践した。しかし、今の人たちは、祈りも犠牲も忘れている。キリスト者としての生活なんてあんまり考えたことがない。せいぜいで労働すりゃいいんでしょう、という考えですよ。コルベ神父さんはみごとでしたね。あれほど時代を見ぬくことのうまい人だったけれど、そういう才能に押し流されずに、この順序はきっちり守られましたからね。(後略)

 ***

《月刊「聖母の騎士」1.この人2001》
http://www.seibonokishi-sha.or.jp/kishis/kis0105/ki01.htm

 長崎の原爆遺構のひとつ、有名な「一本足鳥居」にほど近い通りに面して「ヨゼフクリニック」がある。高木正剛医師がこの医院を開業して、まもなく満2年になる。
「3時間待って3分診療」と言われる大病院と違って、高木院長はきめ細かい診療をモットーとしている。
 高木さんは1970年、長崎大学医学部を卒業。心臓血管外科を主として学び、手術と研究に没頭してきた。大学病院では患者と接する機会が少なく、術後の患者も気掛かりだった。開業に踏み切ったのは、そんな思いもあった。
 クリニックでは、心臓血管外科、循環器科の治療にあたるほか、リハビリテーションも行なっている。直接の診療だけでなく、専門外の患者が誤った情報に惑わされないで、適切な治療が受けられるように、独自のネットワークを生かしてベストの医療機関を紹介する。最終的には、患者一人一人を家族のように大切にして快復を願い、喜びと悲しみを共にする。これがヨゼフクリニックの目標、と高木医師は強調している。
 「ヨゼフクリニックという名前は、自分の洗礼名からとりました。洗礼を受けたのは教養学部2年のとき。医学を学ぶ目標がはっきりしなくなり、不安を感じていました。西田志都夫先生御夫人から中島万利神父様を紹介されました。」
 中島神父を初めて訪ね、教えを請うたところ、いきなり「お前には必要ない」と断られた。このときは、「この人は本物の神父だろうか」と高木さんは疑った。しかし、中島神父の毒舌は天下一品と後になって知ることになる。
 週一回の教理の勉強は独特だった。当時の大学生が口にすることが出来なかったスコッチウイスキーがふるまわれた。スコッチはストレートに限る、との教えを高木医師はいまも実行している。
 ことし95歳になる恩師、中島万利神父とは、いまも親交を保っている。ときには、会食に呼び、神父の蘊蓄(うんちく)に耳を傾ける。
 旅先でまず探すのは教会、というほど高木医師の信仰は深い。医院のカウンターには「自由にお読みください」と表示して、カトリックの本が並べられている。これもスコッチの効用か。
 休日には好きな山登りに出掛ける。長崎県の名峰、多良岳、経ケ岳あるいは、県民の森から大瀬戸まで歩いたりもする。高木医師の高品質の診療を支える源は自然とのふれあいなのかもしれない。
 毎朝、クリニックの診療前に、市内の2、3の病院を回って、自分で手術した患者を見舞うのが日課になっている。

 ***

機関紙「神の家族」2007年5月号記事より
《「明魂」中島神父の心》カトリック浦上教会主任司祭 ペトロ 平野勇神父
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/kikansi0705.html#kantougen0705

 長崎教区司祭の白寿は恐らく教区はじまって以来のことかと思われます。
 今度、中島万利神父さまの白寿は私たち司祭にとっても、浦上小教区信徒にとってもこの上ない喜びでございます。
 四月十五日感謝のミサの後、信徒会館にてお祝いの宴がもたれました。
 本人は朝から期待と喜びで少々緊張気味でした。この日のため、何か月も前から体調を整えて、お待ちのようでした。ここ二、三か月の間に足の衰えが多少ひどくなり、歩行は勿論のこと、立ちふるまいにも困難をしている様子でした。
 お祝いの前日訪ねて、改めて招待し、お祝いしましょうと申し上げると、派手過ぎるのではと申すものの、でも嬉しかよと微笑みながらおっしゃいましたので、嬉しい思いでこの日をお待ちのことだと分かり、本当に盛大にお祝い申しあげねばと思いを募らせました。
 お祝いには三百人ほどが参加して、入場される中島神父さまを皆さんが拍手でお迎えすると、少々緊張しながらも微笑んで皆さんの祝福を受けられました。
 鏡を抜き、神父さまの挨拶を頂きますと幼い頃を想い実母のことを懐かしく語られました。白寿の方から母親のことを聴くとはと思いつつも、すごく微笑ましさを感じました。
 神父さまは挨拶で「明魂」を語りましたが、途中忘れたとのことでしたので後日お訪ねして「明魂」をいただきましたのでここに記すことにしました。

「明魂」
 月歪むにあらず波騒ぐなり。
 止水に映える月を見よ、波立つ心にうつる万象は真の相を表わさず。
 日暗むにあらず、雲かかるなり。雲去ればまた輝く、暗き魂をとおして眺むる世界は暗黒なり。
 静かなる心には一木一草も神の姿をあらわし、明るき魂には行雲流水も神の巧妙を示すなり。
 悟れるものの心には恨らみもなく、つぶやきもなく、全てを感謝し、常に喜び絶えず祈る。
 花は心なくひらけども、月は心なく照らせども、涙で仰げば月も泣き、笑いてみれば花もほほえむ。
 迷えるものよ、父を恨らむな、兄を呪うな、妻を責むるな、子をののしるな。人を裁く眼を転じて己が魂をみつめよ。一切の恨らみ一切のつぶやきは己が暗き魂の中にぞ芽生える。
 朝に祈りて罪を悔い、夕べに祈りてけがれを清めよ。かくて本性にかえりて明魂をあらわし、愛と誠の行者となりて光の中を歩むとき、明るき世界はその脚下より展開せられむ

 これが白寿を迎えられた中島神父さまの私たちに語りたかったメッセージです。神父さまの想い出と共に大切に心の底に受け止めたい。
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今日の桜

2008-03-29 21:48:35 | Weblog
 今日は朝から、いつもお世話になっているお寺のお手伝いをさせて頂きました。
 画像は、お寺の書院の玄関前に咲いている桜です。
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寶松山大正寺のHP

2008-03-29 19:36:01 | Weblog
 メモです。。。

 2月27日の卒業遠足でお参りさせて頂いた山梨県富士吉田市の寶松山大正寺様のHP。

寶松山大正寺
http://daishouji.org/

「最近の大正寺」の2月27日の記事!
http://daishouji.org/gallery/recent.html
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桜のうた(メモ)

2008-03-29 00:45:48 | Weblog
 『新古今和歌集』の式子内親王の歌から、メモです。。

いま桜咲きぬと見えてうすぐもり春に霞める世のけしきかな  式子内親王

 ***

萩原朔太郎著『恋愛名歌集』より。
「(前略)いま桜という言葉に生々とした印象があり、春に霞める世の景色かなと言う修辞もよく、共に対応して陽春四月花曇りの景象を尽くして居る。(後略)」

画像:神田川の昨日の桜。
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日本の電子音楽

2008-03-28 14:22:43 | Weblog
 メモです。。。

「JAPANESE ELECTRONIC MUSIC 日本の電子音楽」(川崎弘二著・愛育社、3,990円(税込))
http://diskunion.net/rock/ct/detail/EXP350

(以下、引用させて頂きます)

日本電子音楽の誕生を、当事者へのインタヴュー、ディスコグラフィーを交え詳細に検証した奇跡の書。
これはスゴイい!! これまでに電子音楽誕生からモーグ、シーケンサー・ミュージックまでをコンパイルした電子音楽の聖書 『電子音楽イン・ジャパン』 がありましたが、本書はその前半ばかり繰り返し読んでいた生粋の初期電子音楽愛好家に、熱烈にオススメしたい驚愕の内容と言えます。
電子音楽黎明期、ヨーロッパ電子音楽を代表するスタジオが設立されました。具体音を再構築することで新たな音響を生み出し、既存の音楽理論や伝統に反発したフランス国立視聴覚研究所音楽研究部門 (GRM) に代表されるミュージック・コンクレート。もう一つは、トータル・セリエズムを出発点とする純電子音楽を研究した西ドイツ放送局電子音楽スタジオ(WDR) です。
GRMはピエール・シェフェールが、WDRは KARLHEINZ STOCKHAUSEN(カールハインツ・シュトックハウゼン) や HERBERT EIMERT (ヘイベルト・アイメルト) がそれぞれ率い [ 新しい音楽 ] 電子音楽の歴史が始まります。当時、思想的に違うこの二つは基本的には反目しており、シュトックハウゼンが1956年に 「少年の歌」 で具体音と純電子音の融合を試みるまでは別の音楽だったといえます。
一方日本では、黛敏郎による日本最初期の電子音楽作品として知られるNHK電子音楽スタジオ作成純電子音作品 「素数の比系列による~」 3部作 (55年) より以前に、秋山邦晴や黛敏郎、湯浅譲二、鈴木博義等により数々のミュージック・コンクレート (テープ) 作品が作られおり、その後もディスコグラフィーには、ミュージック・コンクレート作品と純電子音作品が混在して登場します。これは、思想や音楽技法から出発したヨーロッパのスタジオと違い、ミュージック・コンクレートも純電子音楽も、電子音楽の一つの形態とした日本独自の出発点にあるのではないかと思われます。
(もっとも、 『電子音楽イン・ジャパン』 にあるNHK電子音楽スタジオのエンジニアだった佐藤茂へのインタヴューによれば、予算の関係でオシレーターを揃えるよりも、具体音を使ったほうが合理的だったと回想していますが。)
このようにして、日本の電子音楽は独自の路線を遂げるわけですが、シュトックハウゼンの来日 (1966年) や電子音楽見本市だった大阪万博 (1970年) を経て、日本の電子音楽は円熟の時期を迎えます。
と、この辺位までの電子音楽ファンにとって、一番美味しいところをだけを摘出している 『日本の電子音楽』 は、聖書というよりはデス・ノート並の破壊力があること間違いナシです。しかも、当事者であった作曲家と技術者 (このころの電子音楽は作曲家が音のアイデアを考えて、技術者がそれを形にする、という意味で技術者は作曲者にもっとも近い存在) のインタヴューを収録。日本の電子音楽の年譜や資料として主要作品のディスコグラフィー (かなり詳細、スゴイ!!!!) や参考文献まで、これでもかと言うくらいスバラシイ。研究本として通用する専門性と痒いところに手が届く構成 (装丁:佐々木暁) は圧巻。
638ページ、ハード・カバーという電車で読むには酷なことこの上ない仕様ですが、文句は言いません!!! (言えません)
表紙は、小杉武久 「キャッチ・ア・ウェイヴ」 のドローイング、編集協力で伝説の音楽評論誌 『エスプレッソ』 の編集長でもあった大谷能生が参加。

*********************
内容詳細
*********************

第一章 日本の電子音楽

第二章 インタヴュー

・湯浅譲二
・上浪渡
・佐藤茂
・一柳慧
・高橋悠治
・小杉武久
・水野修孝
・松本俊夫
・松平頼暁
・篠原眞
・江崎健次郎
・武田明倫
・住谷智
・高橋アキ
・長谷川時夫
・永井清治
・下山一二三
・鈴木昭男
・藤本由紀夫

第三章 日本の電子音楽年代記

第四章 資料

・日本の電子音楽主要作品
・日本の電子音楽主要ディスク
・日本の電子音楽主要文献

索引

 ***

amazon.co.jpサイト
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%9F%B3%E6%A5%BD-%E5%B7%9D%E5%B4%8E-%E5%BC%98%E4%BA%8C/dp/4750002704
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本日の興味深い演奏会情報から

2008-03-27 13:19:35 | Weblog
 本日の興味深い演奏会情報から。。。

「Gross Vogel Philharmoniker」演奏会

開演:3月27日(木)16時
会場:東京音楽大学J館スタジオ
〒171-8540 東京都豊島区南池袋3-4-5
演奏課 (03)3982-2496

入場無料

曲目
ベートーヴェン作曲:「エグモント」序曲
ベートーヴェン作曲:交響曲第7番
ラフマニノフ作曲:ピアノ協奏曲第2番

ピアノ・鈴木孝彦
指揮・阿部未来
管弦楽・Gross Vogel Philharmoniker

東京音楽大学・案内図
http://www.tokyo-ondai.ac.jp/accessmap/index.html

なお、指揮者の阿部未来さんは、指揮者船橋洋介氏のお弟子さんだそうです。

(阿部さん情報のソース:2007年11月02日芸術祭@東京音楽大学)
http://www.yuho-hiramatsu.com/2007/11/index_2.html
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矢代さんのピアノ作品集と大澤さんの室内楽

2008-03-27 12:13:21 | Weblog
 興味深いです。。。

第39号お奨め国内盤新譜より:
http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=39/39newdome

 ***

「矢代秋雄(1929-1976):ピアノ作品集」(レーベル「たまゆら」:KDC 17 \2500)
 ピアノのためのソナチネ(1945)(3楽章)
 24のプレリュード(1945)
 夜曲(1947)
 荒武者の踊り~舞踊劇『吉田御殿』より(1949)
 ピアノ・ソナタ(1960、1961)
 プレスト/ピアノ・ソナタ~第3楽章(初演時の断片)
 子供のための小品より
  いたずら(1963)
  おすまし(1963)
  むかしばなし(1972)
  じゃんけんとび(1972)
 桐朋学園高校理論ピアノ初見曲(1976)
 桐朋学園ディプロマコースピアノ初見曲(1976)
 桐朋学園大学理論ピアノ初見曲(1976)

赤井裕美(ピアノ)

夭折した天才作曲家、矢代秋雄(1929-1976)。晩年は様々な音楽大学で教鞭をとっており、あの池辺晋一郎やあの鈴木雅明も師事していた。突然の死から今年で31年が経ち、今までもピアノ協奏曲や室内楽作品、ピアノソロ作品の録音はいくつかリリースされているが、これは矢代の少年期から晩年までの作品を網羅した、矢代の真価をあらためて問う一枚。 まず、彼が15歳のときに作曲した「24のプレリュード」。すでに15歳にして非凡の才能と作曲の技術を身につけていたことを実感させる作品で、どれも1分弱と短いながら、旋法を用いた曲、日本風の情緒たっぷりの曲、メンデルスゾーンを髣髴とさせる曲、矢代独特のリズムの効いた曲など、実にヴァラエティ豊か。若くしてすでに、壮年期の作品に通じる内容を備えた作品を書いていたことに驚かされる。最終曲は規模も大きく、テクニック的にもかなりの難曲。矢代が、作曲だけでなくピアノにも非凡な能力をもっていたことを実感する。矢代は、自分の気に入らない作品の楽譜はほぼすべて破棄してしまったというが、この24のプレリュードは、草稿の状態の楽譜を生涯にわたって大切に保有していたことからも、矢代のこの作品に対する自負がうかがわれる。「荒武者の踊り」は、矢代が東京音楽学校に入学後間もなくして管弦楽法を師事した、伊福部昭の作風が濃厚に見受けられる作品。この曲が収録されている舞踊劇「吉田御殿」は、管弦楽のために書かれた作品だが、この「荒武者の踊り」は矢代の手によって、ピアノ用に新たに編曲されたもの。グリッサンドなどが多様された、演奏効果の高いエネルギッシュな作品となっている。矢代らしからぬ線の太いアレグロの音楽は伊福部の影響が濃厚で矢代ファンのみならず伊福部ファンも録音を切望していたもの。もちろん「ピアノ・ソナタ」も収録。第2楽章のトッカータ部分もクリアな響きで実に鮮やか。さらに、大原美術館で初演された時の3楽章も収録。これが現行のものと全く違うのに驚き。矢代の不朽の名作「ピアノ・ソナタ」の創作の変遷をみることができる。矢代作品の研究・演奏で東京藝術大学の博士課程を修了しているピアニスト、赤井裕美が、矢代への思いを込めて演奏している。録音:2007年5月18,19日

 ***

「大澤壽人の室内楽」(レーベル「ISODA」:IE-3003 \2500)
 ピアノ五重奏曲
 ピアノ三重奏曲ニ短調

マイ・ハート弦楽四重奏団(辻井淳、釋伸司、沖田孝司、雨田一孝)、藤井由美(ピアノ)

神戸出身で近代日本の最重要な作曲家のひとりである大澤壽人(1907~1953)は関西学院在学中より早くもピアニスト、指揮者、作曲家として活動を開始し、卒業後は直ちに渡米してボストンにて、その後は短期間ではあるが、ロンドン、パリにて傑作を続々と発表し絶賛を得た早熟の天才だった。その大澤のボストン時代の室内楽2作品が大澤生誕100年を記念してオタケン・レコード、太田憲志氏の録音でリリースされる。この録音は昨年の3月、兵庫県立芸術文化センターで開催された「大澤壽人とその時代~室内楽コンサート」での同作品の日本初演(おそらく)と同時に行なわれ、世界初CD化となるものと思われる。ピアノ三重奏曲は大澤独自の語法で作曲者の内面が吐露された傑作でどちらかと言えば玄人受けする作品だが、ピアノ五重奏曲は日本趣味も取り入れたより親しみやすい名曲で、これは今後、古今のピアノ五重奏曲の名作群に加えられ、再演の機会も増えていくものと思われる。又、このCDには原稿用紙20枚以上にも及ぶ精細を極めた片山杜秀氏のライナー・ノートが添付されており、この度の大澤作品CD化の価値をより高いものにしている。当盤収録の2作は、1930年代に作曲家の留学先のボストンで初演され、称賛されました。しかし、日本では演奏機会を得られないうち、作曲家は戦後まもなく急逝し、作品も長く埋もれていた。ピアノ三重奏曲は「日本のラヴェル」と呼びたい逸品。ピアノ五重奏曲は、日本の伝統の響きと当時のヨーロッパの最先端の技法を結びつけた、よりいっそうの力作。日本の近代音楽史を書き替えるインパクトを持っている。マイ・ハート弦楽四重奏団と藤井由美は、共感もたっぷりと、曲の真価を明らかにしている。録音:2006年3月兵庫県立芸術文化センター小ホールにて、エンジニア:太田憲志(オタケン・レコード)
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今朝の短歌メモから

2008-03-27 10:17:23 | Weblog
 今朝の短歌メモから、です。。。

落としたは戦場の森の祠(ほこら)辺り その籤(くじ)当たつておるかを知らず  河村壽仁

につぽんの黎明といひて早坂さんゆるく口笛吹き始めたり
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早坂さんに会った、今朝方の夢

2008-03-26 20:18:32 | Weblog
 昨夜湯浅譲二さんの作品展コンサートを聴かせて頂いて心が騒いだことが影響したのか、今朝方、夢に早坂文雄さんが現れました。

日本の黎明てふ名のメロディを早坂さんは口笛で吹きたり
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