カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

聖徳太子と徐福にゆかりの福源寺

2007-10-31 13:26:55 | Weblog
 聖徳太子と徐福にゆかりの浄土真宗本願寺派聖徳山福源寺に関するメモです。。。

画像:聖徳山福源寺山門(山梨県富士吉田市)

 ***以下、引用させて頂きます***

「徐福伝説」サイト
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm

 (前略)
 聖徳山福源寺は1724年の創建で聖徳太子の木造や自画像が納められた六角堂も建っています。
 聖徳太子が諸国の様子を見に旅に出たとき,黒駒に導かれてここにたどり着いたが,その時3枚の自画像を描きました。ここに納められているのがそのうちの1枚です。
 徐福は不老不死の仙薬を求めて富士山に入りましたが,その途中で亡くなってしまいます。そして,3羽の鶴に化身して空に舞い上がったのですが,うち1羽が死んで福源寺に落ちてしまいました。この鶴を葬ったのが鶴塚です。
 富士山北麓地域の人たちはこの鶴塚を徐福の墓としています。
 (後略)

 +++

「昭和レトロと逢える街・富士吉田市」サイト
http://kashibesso.com/blog/archives/2006/06/post_125.html

《聖徳山福源寺》
 浄土真宗本願寺派の寺で、太子堂には聖徳太子画像が収められており、親鸞・蓮如・実如上人の御文章3通が寺宝とされている。
*鶴塚の由来
 始皇帝が蓬莱の国日本へ、徐福を遣わして不老不死の薬を探させたが、徐福はその途中で不死山(富士山)にて他界してしまった。そして3羽の鶴となって舞いあがったがうち一羽が死んでここ福源寺に落ちて、それを葬った塚が鶴塚と伝えられています。鶴に化した徐福は、富士山麓の村民を守ったので、土民達は後を慕い、地名を都留郡(つるごおり)と名付けたのだそうです。
*碑文概要
 峽州に鶴郡あり。その地、南は富岳の麓に接す。相伝う、孝霊帝の時、秦の徐福、結伴して薬を東海の神山に求む。ここに至るにおよび、おもえらく福壌なりと。遂に留まり手去らず。後に鶴三羽ありて居る。つねに遊びて郡中に止まる。時人以て徐福の等の化すところとなす。孝霊より元禄に至る凡そ二千有余年にして一鶴死す。その骨を郡の福源寺に埋めそめ鶴塚と称す。
http://suzuki-t.hp.infoseek.co.jp/jofuku.htmから引用

 ***以上、引用おわります***


聖徳山福源寺
山梨県富士吉田市下吉田5779
TEL:0555-23-7733
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短歌メモから

2007-10-30 15:09:06 | Weblog
 短歌メモからです。。。

灰色のヘルメット被りし将門をあかいペンキで塗つてゐる午後

鳥居、鳥居、鳥居のつづく坂道の奥から逃げ出してきたET

午前三時 置いてけ堀にうち続くサンタのくしやみを家政婦見てをり

霜月の東京タワーを駆け上る飛行石マニア怪盗五郎兵衛
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佐渡裕氏のオフタイム(新聞記事)

2007-10-29 11:19:19 | Weblog
 メモです。。。

欧州の風を感じて(第4回)・指揮者佐渡裕氏に「氏のオフタイム」を聞く
http://www.asahi.com/ad/clients/lh/
(朝日新聞掲載のルフトハンザ航空広告記事から)

ゴルフが大好きです。でも最近は忙しくてあまり行けず、ラウンドは月3回くらいでしょうか。ベストスコアは、75。3、4回に1回は、ハーフ30台という感じですね。
ゴルフのレッスン書をよく読みますし、練習も大好きです。ふだんは400~500球、半日かけて1000球くらい打つ日もあります。 兵庫県立芸術文化センターの芸術監督に就任したころ、忙しさもあってゴルフを自粛したんですね。そしたら、いろいろなことがつまらなく見えてきちゃって、すぐ解禁しました(笑)。
ゴルフができないと、とにかくストレスがたまりますね。長期間の旅行のときは、練習用のクラブを携帯しているほどです。
家内は、ゴルフしないのですが、僕がゴルフすることにはとても理解を示してくれています。それで、2日ゴルフしたら、1日は家内の日ということで、一緒に過ごします。映画を観に行ったり、買い物をしたり、料理をつくったり…。そのときの思いつきでやりたいことをしています。 日本では神戸に住んでいるのですが、神戸にある行きつけの喫茶店やバーへ行くことが多いですね。
12年前の1月17日、その大災害は起きました。そう、阪神・淡路大震災。京都生まれの僕にとって、神戸は馴染みがあるうえ、友だちもいっぱいいる大好きな街。その神戸が壊滅状態になっているというのに、震災の直後に僕はヨーロッパへ行かなければいけませんでした。ヨーロッパのテレビニュースでも連日放映され、見るたびに心が痛みました。人として、音楽家として、何か手伝うことはできないだろうか。ヨーロッパにいる僕にとってはテレビの中のできごとにすぎない現実に、どこか罪の意識のようなものがありました。
その4年後、僕は結婚しました。家内は、神戸・長田の出身。震災で自宅が全壊してしまった被災者です。
震災復興のシンボルである兵庫県立芸術文化センターの芸術監督就任の要請があったのは、ちょうどその頃。もちろん協力したい気持ちはありますが、僕は一年の大半をヨーロッパで過ごすスケジュールが決定していたのと、引き受けることが指揮者として本当に良いのだろうか。正直、迷いました。しかし、周辺の音楽好きの方や友人、県のスタッフたちの熱意が僕を動かしました。 倒壊してしまった街をみんなで力を合わせて復興したら、笑いたい、大きな声で歌を歌いたいと思ったのです。
結婚したばかりの妻が言いました。「被災して大変な人より、一緒に未来を見ていくのは、震災と縁のない人のほうが救われる気がします」そんな考え方もあるのかと思いました。 そして、僕は神戸にも居を構えました。
音楽と料理は、よく似ています。たとえば、演奏者の良さをいかに上手に引き出していい曲に仕上げるか=選りすぐった素材をいかに活かしておいしくするか、でしょう。
パリに住んで思うのですが、フランスという国はとにかく料理のレベルが高いですね。フランス料理は言うにおよばず、中華やインド料理など世界各国の料理もとにかくおいしい。かといって、高級レストランにいつも行きたいわけではありません。コストも料理の大切なファクターのひとつですから、チェーン店の牛丼屋さんでもオーケーなんです。 好きな料理は、やっぱり和食です。とにかく、白いゴハンが好き。旅行して目的地に着くと、まずおいしい白いゴハンを食べさせてくれるお店を探します。最近はヨーロッパのさまざまな都市に日本料理店が増えましたけど、おいしいお店は残念ながら多いとは言えません。 基本的には家内がつくるのですが、僕もときどき料理をします。得意料理はスパゲティと、旅行前に残り物を使い切る料理。つまり“残り物の料理人”なんです。
もし長期間の休暇がとれたら、10日間くらいスコットランドへ行きたいですね。レンタカー借りて、ゴルフバッグ担いでゴルフコースを巡る一人旅。でも、家内と一緒だったら、リゾートがいいですね。家内は以前からタヒチのボラボラ島へ行きたがっていて、来年で結婚10周年になりますので前向きに計画してみる予定です。オーケストラの仕事でリゾートへ行くことはほとんどないので、たまには行ってみたいですね。
仕事柄、いろいろな音楽を聞きます。Jポップも好きですよ。家内の影響もあるんですけど、大塚愛とか今井美樹とか織田裕二とか…。 ヨーロッパの都市間をクルマで移動することが多いんですけど、そのときカーステから流れていた曲って、たいてい記憶に残ってますね。光景を思い出すこともできます。音楽というのは、そのときの空気を描くメモ帳みたいなものなのでしょう。いまでもユーミンの曲を聞くと、そのときに乗っていたクルマの匂いまで思い出しますから。
僕の演奏をひとりでも多くの人の記憶の引き出しに入れていただけたら、音楽家としてうれしいことですね。
ドイツのベストシーズン、それは2つあるような気がします。夜が長い11月~4月くらいと、光あふれる5月~10月ごろ。夜が長いシーズンは、お芝居やミュージカル、映画、ホームパーティなどを楽しむと良いでしょう。そして、街中に花が咲き、光あふれるシーズンは、夜の10時すぎまで昼間のように明るいのです。午後からでも充分ゴルフができます。このギャップの激しい2つの季節を両方体験してもらいたいですね。
もしかしたら、作曲家も芸術家も春の作品は、春につくったのではなく、長く寒い冬に、春への強い憧れをカタチにしたのかもしれません。これは、あくまでも僕の想像ですけど。
ルフトハンザは、指揮者としてはじめてハンブルグへ行ったときに利用しました。指揮者人生のスタートとして、緊張、不安、自信、決意…当時の僕のすべての思いを乗せてフライトしたので、いまでも印象的です。以来、数えきれないほど利用していますが、いつも安全で快適。安心して乗っていられます。
機内では、寝られるかぎり寝ます。僕の時差ボケ解消法なのですが、疲れると時差ボケがひどくなるみたいなので、できるだけ移動の疲れを残さないようにしています。 あとは、映画ですね。最新作から昔の名画まで、いろいろ観ます。邦画も好きで、最近では「武士の一分」「トリック」が良かった。そうそう、「バーバー吉野」は楽しくてハマりました(笑)。 ドイツでの演奏も多いので、ルフトハンザは今後も頻繁に利用したいと思っています。(了)
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塚本さんのえにぐま

2007-10-29 04:38:37 | Weblog
 昨日、椎名町の春近書店で手に入れた塚本邦雄著『麒麟騎手 寺山修司論』を読んでいて気になったことの覚え書きです。。。

p231に、次のような記述があります。

#####
塚本さんから寺山さんへの、1967年7月15日付書簡。
(前略)
ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺
(中略)等々「律」に無料でひつさらはれるのが、癪なやうな作品(後略)
#####

 私はこの一首を、1970年11月25日の三島由紀夫市ヶ谷駐屯地割腹自決事件のあとで塚本さんが詠んだ作品であるとどこかで聞いたか読んだかした記憶があったのですが、書簡の日付が間違っていないとすると、三島事件よりも前にこの作品は作られていたことになります。。。とすると、三島事件とこの作品が結び付けられたのは、いつ、誰が、どこで、したことなのでしょうか???

 いま、引っ掛かっています。
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椎名町散策

2007-10-28 16:15:58 | Weblog
 ぽかぽかした台風一過の今日は、お昼ごろに椎名町駅近くまで散歩に出かけました。まずは、作家の朝松健先生御用達で、先生の日記にしばしば登場する古書店の春近書店を覘き、たまたま探していた以下の3冊を発見。

杉元賢治著「大追跡!! アインシュタインの天才脳」(講談社)
石和鷹著「地獄は一定すみかぞかし 小説 暁烏敏」(新潮社)
塚本邦雄著「麒麟騎手 寺山修司論」(沖積舎)

 そのあと、長崎神社に参拝。ちょうど誰もいなかったので、拝殿前の縄で囲われたご神木に近づき、幹に掌を当てさせてもらいました。ご神木だけあって、樹木の強いエナジーがはっきりと掌に伝わってきました。そうやってしばらくエナジー交流(?)をさせてもらいました。

 そんな一日でした。。。


*****

「大追跡!! アインシュタインの天才脳」より。

(前略)
ホワイトハウス近くにあるアインシュタインの巨像の前には、アインシュタインの次なる格言が刻まれている。
「真実を探求する権利には義務も含まれる。真実と認められたものはその一部たりとも隠してはならない」
(後略)
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グリーグ

2007-10-28 08:26:17 | Weblog
 今朝のNHKラジオの『音楽の泉』は、グリーグのピアノ協奏曲イ短調。グリーグが天才で、かつ音楽の神様と深くつながっていたからこそそれができたということなのでしょうが、こんなに素晴らしい曲をまだ20歳そこそこの青年だったグリーグが作曲した事は、ただただ驚異です。私はこの曲の、とくに第3楽章の後半で、フルートが朗々と吹くメロディが大好きです。
 そういえば、グリーグは、晩年近くになって、『ピアノ協奏曲第2番』の作曲の委嘱を受けて、そのためのピアノスケッチ断片を残しています。私はその演奏をCDで聴いたことがありますが、この曲をグリーグがどのように完成させようと考えていたのか、いろいろに想像させて、興味深かったです。
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日録メモから

2007-10-27 21:09:32 | Weblog
 この夕べ、台風が接近してきて急激に気圧が変化しているせいなのか、昔の悔しかったり悲しかったりしたことが次々に思い出されて胸に浮かんできては、すごい勢いでどんどん昇華されていきます。どういうわけなのか私にもわかりません。ただただ圧倒されています。

短歌メモから。
死にたるを知らされず葬儀に行かざりき 猫が横切るレンガ坂道


 今日は午後、毎週潜らせてもらっている、大学の『漢文講読(仏教漢文)』の授業に行ってきました。ちょうど台風接近中につき、雨の降りは結構激しかったのですが、まだ気象警報が発令されるほどの降りではなかったため、有難いことに休講にはならず、授業はありました。近ごろは漢文を読むことが楽しくてしかたがありません。テキストは天台の本覚思想文献で、内容はけっして易しくはないのですが、文字面から内容を推理していくことの醍醐味がたまらなく面白いです。
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9本足のタコ(めも)

2007-10-27 10:55:58 | Weblog
 9本足のタコに関するメモです。。。

 江戸時代の奇聞を集めた三好想山(尾張藩士)という人の随筆集「想山著聞奇集」(嘉永3年(1851)出版)巻之三に、次のような話があるそうです。

 以下、座敷浪人氏が現代語訳されたものを引用させて頂きます。

*****以下引用部分*****

『座敷浪人の壷蔵』サイト
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0327_7honashi.htm

 『七本足の悪いやつ(原題「七足の蛸、死人を掘取たる事」)』

 伊勢の国の飯野郡多屋村・藤原村あたりには七本足の蛸がいて、力はあくまで強く、知恵にすぐれ、大胆不敵の悪行をなす。悪餌を喰らうので、土地の者は食用としない。
 この蛸の大きなものは、上陸して野原の墓地に行き、新葬の死人を掘り出して持ち去ることがある。
 死人を持ち去るというからには、北陸の沿岸や出羽・松前などにいるような四メートルも五メートルもある大蛸かと思うが、そうではなく、たいてい立ち上がった高さで一メートルに満たない。普通の蛸よりはちょっと大きいけれども、一メートル半に及ぶようなのはいないという。

 この蛸は、夜の更けるのを待ち、およそ九時十時を過ぎるころに墓にやって来る。
 新しく埋葬された場所があると、まず周囲の竹囲いに足を巻きつけて、音もなく引き抜く。次に地面に伏して五つの足で土をしっかりと掴み、残りの二本の足で立ち歩いて、土を運び捨てる。これを何度も繰り返す。
 もとより海辺のことだから、地面は砂地で柔らかい。徐々に掘り深めて棺にいたると、どのようにして棺を破るのか知らないが、ついに死骸を取り出して、あとは難なく海中まで運んでいくのである。
 山里で狼が新葬の墓を荒らして死骸を奪うことはあるけれども、それだって珍しいことなのに、さして大きくもない蛸が、重さ五十キロ・六十キロもの死人を持ち去るとは、実に珍しいことだ。

 さて、土地の者は、むざむざと死骸を盗られているのではなく、それを防ぐためにいろいろ手だてをしている。
 この蛸はいたって足が速く、そのうえ人が隠れていても鼠のように察知して避けるので、尋常の手段で打ち殺すことはできない。しかし弱点があって、必ず来た道を帰る習性がある。したがって、蛸が野墓に現れたら、そいつが墓まで来た道を推理し、その途中に大量の米糠をまいておく。
 墓にいるのを追い出すと、蛸は一目散にもと来た道を戻り、米糠の中に駆け込んで進退きわまる。そこを枇杷の木の棒で打ち殺す。枇杷は蛸にとって大毒なのである。

 江戸・大阪・京都などの都会では、僻地の漁村にこんな気味の悪いことがあるなどと、夢にも思わない人が多いだろう。先にも言ったとおり、この蛸は悪餌を喰らうので土地の者は食べない。たまたま獲ってしまったら、だまって遠方の地へ売り払うのだそうだ。
 能登や越前では、七本足の蛸は蛇の化したものだといって食べない。また、蛇の化したのは九本足だともいう。土地によって違いがあるのだろうか。

*****引用終わります*****

 以下は、今日の新聞記事から。

「9本足のタコ? ゆでた後に気づく 香川・丸亀市」
(2007年10月27日09時59分朝日新聞記事)
http://www.asahi.com/life/update/1026/OSK200710260079.html

画像:9本足のタコ=香川県丸亀市西平山町の丸三鮮魚店で(朝日新聞記事)

 香川県丸亀市の「丸三鮮魚」で26日、店主の小板正さん(60)が足が9本あるマダコを見つけた。「魚を扱って40年以上になりますが、初めてです」
 25日に瀬戸内海で水揚げされ、この日、店でゆでた後に気づいた。兵庫県明石市の明石おさかな普及協議会の事務局によると、「明石でも20年に1匹見るかどうか。極めてまれ」という。
 9月で60歳になった小板さんは「ひと月遅れの還暦祝いかな」。数日間は冷蔵・冷凍保存しながら客に見てもらい、幸運をおすそ分けする。 (了)
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物語(めも)

2007-10-26 15:39:24 | Weblog
 町医者のような堅気な商売をやっている身からすると、探偵稼業はいたって気楽でヤクザな職業に見える。なおさら私の患者さん、秋原康三を見ていると、探偵稼業は気楽でいいなと思えてくるときがある。そんな彼がどういうわけからかうちを気に入ってくれている。それが、私の病院、いや私にとって、有り難いことなのか有り難くないことなのか、朝の診察室の鉢植えへの水遣りのときなどにふと考えてしまうことがある。

 秋原康三は困った患者である。なぜ、医者である私が、探偵という看板をついぞ掲げたことのない私が、毎度毎度彼に事件現場まで呼び出されて、彼を担架で私の病院まで搬送し、診察・治療・入院の処置にてんてこ舞いさせられなければならないのか。私は怖くて秋原本人に確認したことはないが、どうやら秋原は私の病院に入院することを別荘で静養することと同義と心得ているらしい。救急隊員も救急隊員だ。事件現場で秋原の姿を見つけると、すぐに私の病院に一報を入れてくる。電話が鳴って、「先生、いつもの緊急出動要請です」と看護師が私を呼びに来るとき、私はパブロフの犬、いや、アキハラの犬よろしく、野外外科道具一式を突っ込んである往診鞄に手を伸ばす。
「はい、いま行くから。救急車のキーを用意しておいて。それからね、矢嶋先生に連絡しておいて。診察室が無人になったら患者さんが困るからね。」
 矢嶋先生というのは、私の大学の後輩にあたる男だ。父親も医者なら兄貴も医者という医者一家の次男坊で、本人も家の定めで医師免状は取ったものの、小説家志望とやらで、私の家の近所にある自分の家の医院の手伝いをちょこちょこしてはいるらしいが、そろそろ免状に埃が積もってきているという噂のある男だ。
 後輩思いの優しい先輩である私は、時々私の病院を手伝ってもらうことで彼の医術の腕が衰えないように、と配慮しているわけだ。
 奥で電話を掛けている看護師が、「はーい。矢嶋先生、オッケーでーす。いますぐ来るそうでーす」と叫ぶ。「よっしゃ」と私は車庫に走る。

 ハンドルを握りながら、助手席の看護師がカーナビに秋原のいる現場を打ち込んでくれるのをチロチロと見る。どうやらまわりに人家のなさそうなところだ。
 しばらく走っていくと周囲に人家がなくなった。見えるのは森と赤く焼けた夕焼け空ばかりだ。やがてトンネルが見えてきた。つぶら野トンネル。この近辺では幽霊トンネルの別名がある。霊感のない私にはちっとも関係のないことだけれども、背筋がなんとなくぞわぞわしてくる。隣の看護師を横目で見ると、彼女は福山雅治なんぞを口ずさんでいる。前後左右、私の車以外には後続車も対向車もまったく来る様子がない。トンネルに入ると、照明がやけに薄暗いようなのは私の気のせいだろうか。やっとこさトンネルを抜けると、そこは「地蔵谷温泉入口」。半分朽ちかけた看板がのっそりと道路わきに立っている。

(続く)
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マスターズ・オブ・シネマ特別講座「寺山修司のすべて」(メモ)

2007-10-25 15:18:30 | Weblog
メモです。。。

http://www.waseda.jp/jp/event/index.html

早稲田大学創立125周年記念
早稲田と映画 現代GPマスターズ・オブ・シネマ特別講座
「寺山修司のすべて」
日時 2007/11/16(金)・11/17(土)12:30-16:00(開場:12:10)
会場 早稲田大学大隈小講堂(大隈講堂地下1階)
対象 学生・教職員・一般
参加申込み費用 入場無料・直接会場へ
主催・問合せ 共催:早稲田大学創立125記念事業推進室、早稲田大学国際情報通信研究科、早稲田大学オープン教育センター
後援:早稲田大学文化推進部、国際寺山修司学会
協力:(株)テラヤマ・ワールド
問合せ:早稲田大学創立125周年記念事業推進室 TEL:03-3202-2402

*****

(プログラム)

2007/11/16(金)
映画「田園に死す」上映とシンポジウム

2007/11/17(土)
映画「さらば箱舟」上映とシンポジウム
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