カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

未明に。

2018-02-28 04:31:52 | Weblog

昨日はしごとのあと疲れを感じ、晩は早めに休んだ。未明に旧知の知人からのメール着信に気付き、返信を打った。知人の会社の話を巡るやりとりから心に浮かんできたのは、崇徳院さんの〈花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき〉と、それを踏まえた西行さんの〈根に帰る花を送りて吉野山夏の境に入りて出でぬる〉の歌たち。メールのあと、なんとなく心さわいで寝付けず、森有正さんの『バビロンの流れのほとりにて』を開いた。しづかに読み進める。そして、頭の中にはどういうわけだかずっとあの第三楽章後半が滔々と流れているのだ。

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風。

2018-02-25 23:59:11 | Weblog

昼間、仕事場にとつぜん届いた一通のメールから、四半世紀前にたいへんお世話になった方が亡くなられたことを知った。勿論しごともよくおできになる方だったが、プライベートではオペラ芸術を愛され、どことなくトトロに似て恰幅がよくて、心の温かさが自然と周囲に溢れてくる素晴らしいお人柄の方だった。いろんなことをあれこれ思い出した。夜、しごとから帰ってきて、森有正氏の『バビロンの流れのほとりにて』を開いていると、遠くのほうで誰かが弦楽合奏の音楽を奏でているような気がした。

 

あらためて、生も死も、風のようなものかもしれぬ、と思った。

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今宵は。

2018-02-24 22:30:23 | Weblog
しごとから帰って来て、今宵は森有正氏の『バビロンの流れのほとりにて』をしづかに開く。〈何か僕のあとに残るものがあるとしたら、それはこの生活の樹木から熟れきった果実が落ちるように、何かが落ちるものだけなのだ。それが立派な作品かどうか、そんなことはもう僕の問題ではなくなっている。〉の箇所を繰り返し読む。
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礒山先生。

2018-02-23 16:43:45 | Weblog

礒山雅先生が2月22日にご逝去された由。古楽のラジオ番組MCや数々のバッハ研究のご著書を通じてファンでしたので悲しいです。残念です。先生のご著書のとりわけ『マタイ受難曲』は不滅の研究書と思います。先生、数々の素晴らしいお仕事お疲れ様でした!合掌。

 

http://prof-i.asablo.jp/blog/2018/01/19/8772868

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武満さんとワーグナー。

2018-02-23 06:53:33 | Weblog

2月21日22日のパーヴォさん指揮NHK交響楽団定期公演Bプログラムの曲目は、武満さんの『ノスタルジア ― アンドレイ・タルコフスキーの追憶に』『遠い呼び声の彼方に!』(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子さん)とリヒャルト・ワーグナー氏の楽劇『ニーベルングの指環』管弦楽曲集。21日晩に演奏会を中継するラジオ番組があり、その時間はしごとがあったので予約録音しておいた。昨晩しごとから帰ってきてしみじみ楽しんだ。いずれも素敵な演奏で面白かった。そのプログラム構成理由について、番組では〈このプログラムは不思議ですね。面白いですね。〉という話に終始されていた。作曲家ふたりの没日が同じく2月〈武満さん1996年2月20日、ワーグナー1886年2月13日〉で、その関連から選ばれた可能性に言及されていなかったのが少々物足りなく残念に思うも、とにかく、おかげさまで素晴らしい音楽に心洗われる素敵なひとときを持つことができた。

 

ちなみに、今回の第1オーボエは、マーラー室内管首席の吉井瑞穂さんが客演されていたそうです。吉井さんのオーボエ、聴かせていただいたのは二回目。今回もまことに美しくて素晴らしかったので追記。

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真中さんの歌から。『塔』2月号から。

2018-02-21 13:58:42 | Weblog

『塔』2月号の月集から。

つややかなマルーン塗色の電車でんしや十三までをならんではしる 真中朋久

十三が〈じゅうそう〉という関西の地名であると知ったのはそんなに昔ではなかった。それは温かい春の或る朝のことだったが、しごと場の門のそばのベンチにちょこんと腰掛けて、真横のスダジイの大樹をじっと見上げているお婆さんがいらした。そのお婆さんが、外の掃き掃除を終えて箒を抱えて偶々通り掛かった私に、〈この樹がすごく懐かしくて好きで、見に来ました。隣の老人ホームに住んでましてね。〉と声を掛けて来られた。〈ほおお、そうなんですか。〉という私に、〈幼い頃、十三(じゅうそう)に住んでました。十三(じゅうさん)と書いてじゅうそうと読むんです。関西にある土地です。いま十三公園になっているところがそのままお祖父さんの大きな家だったんです。すごく庭が広くて、こんな樹がたくさん生えていて、幼い頃いとこたちとよくかくれんぼしたり鬼ごっこしたりしたもんです。〉と懐かしそうに語られた。〈死ぬ前にもう一度、できれば十三に行ってみたいと思っているんですけれどね。〉と、お婆さんはスダジイをまたじっと見上げた。

あのとき、じゅうそうと読む十三という地名が関西にあることを初めて知ったのだった。真中さんの歌を見て、お婆さんの優しげな声音とともにひょいと思い出した。

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新田さんと川田さん。『塔』2月号から。

2018-02-21 04:49:10 | Weblog

『塔』2月号から。

飲み物が限定されて朝食のメニューにショパン加えておりぬ 新田由美子(p.43)

ケアマネージャーさんが〈東大の大銀杏の写メール〉を見せてくれたという一首もあった今月の新田さんの一連。随分ご無沙汰しているけれども、お元気でいらした頃の何年も前の新田さんと歌会や全国大会でしばしば親しくお会いしお話ししたときのことを思い出した。飲み物を限定されて〈ショパン〉を朝食のメニューに加えているとある。もしかしたらお身体の具合から固形物をもう召し上がっていらっしゃらないのだろうか。ショパンのピアノ曲が次々と曲を変えて流れている食堂。心に引っ掛かった、透明で寂しい一首。


穴のある五円玉手に腕のばしのぞけば満月すっぽりはいる 川田一路(p.46)

漢字とひらがなの配列が巧い。そして、ぴったりすっぽり満月の見える位置を探そうと飄々と〈腕のばしのぞけば〉されている様子がなんとも面白くて哀しい。川田さんらしい一首で惹かれた。

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22年前の今日。

2018-02-20 20:04:39 | Weblog
22年前の今日、武満さんが亡くなられた。だから、ラジオ中継される明日のNHK交響楽団定期演奏会は、プログラム前半に武満さんの代表曲の何曲かを演奏されるようだ。
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伝承のこと。

2018-02-19 12:52:03 | Weblog

松濤権之丞泰明は、母・波通(はつ)の長男として天保七年に江戸で生まれている。波通の名前の記載されている謄本は現存していないものの、いまも墓石に松濤泰近祖母松濤波通(つまり、泰近の父親松濤権之丞泰明の母)としてその名前が刻まれている。父親の名前は具体的に伝わっていないが、「前田藩(加賀藩?)家老で、図書家から庄兵衛家に入った(?)」と云う話が伝えられており、通称「権之丞」は、実父(?)の出自に由来する名付けだった可能性がある。庶子だったため、江戸で生まれるとすぐに寺へ預けられ、そこである年齢まで育てられた、という。

いったい誰が松濤権之丞泰明の本当の父親なのか。正直なところまだよくわからない。伝承をそのまま信じれば〈山崎庄兵衛範古さん〉の可能性が考えられるが、ただ、〈庄兵衛範古さん〉を実父と考えた場合、松濤権之丞泰明の諱(偏諱?)がなぜ〈泰明〉と付けられたのか、そして、権之丞泰明が実子にやはり〈泰〉の字を継がせて〈泰近〉と名付けたのはなぜか、の回答を導いてはくれぬ。

ときの加賀藩主は前田斉泰さん。問題の〈泰〉の字を名前に持ったひとだ。ちなみに斉泰さんは、たくさんいる子どもへの名前で〈利〉の字を付けたケースは多いが、〈泰〉の字に関しては一人として与えていない。とすると、この〈泰〉、例えば、斉泰さんと松濤権之丞泰明との主従関係を示す偏諱なのだろうか。しかし、権之丞泰明には加賀藩に仕官した事実はなく、斉泰さんとの間で主従関係が成立していたとは考えにくい。やはり、斉泰さんとの父子関係を示すものなのだろうか。

 

また、権之丞泰明はなぜ、〈妾腹だから〉という理由で生まれるとすぐに寺へ遣られたのだろうか。例えば権力争いの渦中にある貴人の子どもだったからやむなく、であればなんとなく理解できる気もするが、ひとりの庶子をなぜ、父親の苗字を継ぐことも許さないで生まれてすぐ寺で育てることにしたのだろうか。



まだまだ、よくわからぬ。

庄兵衛範古さん

 

 

斉泰さん

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『塔』2月号。

2018-02-18 07:10:06 | Weblog

昨晩しごとから帰ると、家のポストに歌誌『塔』2月号が届いていた。取り出して開いて、まず気になる西之原さんの作品を探した。次いでそのほかの気になる方々の作品へ。今回の拙作については残念ながら掲載ページを探す気力が湧いてこなかった。というのも、はじめに浮かんだ〈何十年かに一遍列車が来る金雀枝駅〉に関する着想を深める暇や余裕を持たないまま紙に書き込んでしまい、とにかく未熟で滅茶苦茶な失敗作を締め切りに追われて投函してしまった、、、と最近には珍しくすごく後悔の念が湧いて、欠詠の方がましだった、全て没でも仕方ない、と反省していたからだ。それでも寝る前に一応さがすと奇跡のように花山先生が二首採ってくださっていた。先生、ありがとうございました。それから、2月号パラパラしているなかで瞠目したのは、おもて表紙裏の河野裕子先生の一首鑑賞と、絶妙的確で温かい千名さんの千名節なつかしい合評欄。時間あるときにたっぷりたのしみに拝見するつもりです。ありがとうございました。

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