昨夜は、片山先生がMCのNHKFM《クラシックの迷宮》では、一柳慧先生がNHKに残されたアーカイヴが特集されて、1990年大河ドラマ「翔ぶがごとく」テーマ曲(秋山和慶先生指揮NHK交響楽団)も放送されたが、この一柳先生の音楽をあらためて聴いて、世相の暗さと未来の光明への希求を絶妙に描き得ていらっしゃると思った。
今朝見た夢二題。
一つ目。そこは大学で、各教室では授業がそれぞれ始まっていて、遅刻した私は慌てて最上階の大教室後方に滑り込んだ。そこでは、M先生の音楽批評論の講義が始まっていた。広い黒板には、ぎっしりとアルファベットを連ねた人名、作品名、複雑な数式が板書されていて、私は慌ててノートを取り出し写し始めるも、先生の板書を書き換えられていくスピードが非常に速くてなかなか追い付けずに焦る。講義終盤、先生が〈次回の授業はインタビュー実践練習として音楽と一見無縁そうな元ヤクルトのIさんをゲストにお招きして、音楽について皆さんからインタビューしてもらいます。その後は希望する有志で簡単な食事会を予定しています。〉と仰有った。私は〈へ、あのI選手が!?〉と思ったところで夢から覚めた。
二つ目。大学ゼミの京都合宿が終わって、ゼミ仲間と一緒に私も京都嵐山渡月橋近くというところの住宅街のなかのバス停で東京行きの夜行バスを待っていた。頃は夕方過ぎ。だがバスの到着予定時刻まではまだ結構時間があって、暇を持て余した私や仲間たちは折角だからとぶらぶらとその辺を自由に散策することにした。私は渡月橋を見たいと思って橋のある方向と思われる方へ歩いていったが、途中で道に迷ってしまい、とある薄暗い小さな公園に出た。そこの滑り台の上から〈おーい〉と私に呼び掛けてくる人がいた。その人が〈坂田部長を知ってるかい?〉と明るい大きな声で訊いてくるので、〈いいえ、知りません。〉と答えた。よく見ると、その人は母方祖父だった。そこで目が覚めた。
福井県敦賀市疋田の、国道疋田交差点近くの道路脇薮に、信長勢による朝倉勢攻めの合戦で亡くなったたくさんの朝倉家家臣たち(山崎一族の方々も大勢含まれているようだ)の墓塔が集められて祀られているらしい。ついこの間まではそうしたことを全く知らなかったから考えも付かなかったが、いつかの機会にその場所へ出掛けて行って墓塔の前で手を合わせたいと近頃は頻りに思う。なんでも、最寄りはJR北陸本線新疋田駅らしい。そのせいなのか、ここ二三日の胸奥では、昔日の合戦で無念な思いで亡くなった人たちを悼むオーケストラがよく鳴っているような気がする。
オーケストラの奏でる追憶のメモ。
メモの2ページめ。
クラシックカフェ ルクーのバイオリン・ソナタ
[NHKFM] 2023年02月22日 午前7:25 ~ 午前9:15 (110分)
「バイオリン・ソナタ ト長調」
ルクー:作曲
(バイオリン)アリーナ・イブラギモヴァ、(ピアノ)セドリック・ティベルギアン
(37分15秒)
<東京エムプラス PCDA67820>
「クロリスに」
ヴィオー:作詞
アーン:作曲
(カウンターテナー)フィリップ・ジャルスキー、(ピアノ)ジェローム・デュクロ
(3分00秒)
<EMIミュージック・ジャパン TOCE56228>
「夜想曲」
フルコー:作詞
フランク:作曲
(カウンターテナー)フィリップ・ジャルスキー、(ピアノ)ジェローム・デュクロ
(3分32秒)
<EMIミュージック・ジャパン TOCE56228>
「「3つの詩」から「墓にて」」
ルクー:作詞
ルクー:作曲
(カウンターテナー)フィリップ・ジャルスキー、(ピアノ)ジェローム・デュクロ
(3分54秒)
<EMIミュージック・ジャパン TOCE56228>
「楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」」
ワーグナー:作曲
(管弦楽)ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、(指揮)アンドリス・ネルソンス
(17分32秒)
<ユニバーサル UCCG45043>
「ピアノ四重奏曲 ロ短調(未完成)」
ルクー:作曲
(演奏)アンサンブル・ミュジック・オブリク
(28分05秒)
<キングミュージック KKCC293>
「チェロ独奏とアンサンブルのための「ラルゲット」」
ルクー:作曲
(演奏)アンサンブル・ミュジック・オブリク
(8分45秒)
<キングミュージック KKCC293>
夜、ルクーの胸奥で流れた音楽作品に耳傾けながら寝床で瞑目するも、そのたとえようもなく素晴らしい音楽にこちらの頭いよいよ冴えてなんだか眠れそうにない。
いちにち休みの昼間、プログラムに惹かれて非常に久々に近所の早稲田松竹へ出掛け、2月11日〜17日プログラムのうちの、小津監督作品『東京暮色』と廣木監督作品『月の満ち欠け』の二本立てを鑑賞。満席の映画館で5時間余り、心と涙腺の洗濯を存分にさせて頂いた。哀しいストーリーながらも小津監督が作中にこれでもかこれでもかと散りばめられ盛り込まれた独特のユーモアセンスに感嘆し、廣木監督が作中に見事に再現されて物語を描き尽くされた、なんとも懐かしくて堪らない1980年代の高田馬場駅周辺風景に心を揺さぶられ続けた。大いに泣けました。