今朝。薄明のなかで、かすかにヴァイオリン協奏曲が聴こえました。
服部さんの前述の歌集から、一首引かせていただきます。
人の世を訪れし黒いむく犬が夕暮れを選んで横たわる 服部真里子
〈黒いむく犬〉の〈むく〉には、pure(無垢)も掛かっているのかもしれません。あちらの世界から〈人の世〉を訪れた黒いむく犬が〈夕暮れを選んで横たわる〉という一首。〈夕暮れを選んで〉とは、昼間一所懸命動き回ったむく犬が夕暮れどきに漸く安息のひとときを得て、ということかもしれません。不思議と惹かれる一首です。
仕事のあと、いつものけいすけへ。美味で荘厳なるラーメンを食べ終えて、すぐそばの路地の古書店へ。久々に悪党パーカーや小鼠などのミステリー古書を数冊。帰ってからの洗濯の間に読むつもり。明日も仕事。我がカレンダーには残念ながら〈ゴールデンウィーク〉はなし。
小池光氏の歌集『草の庭』の一首。
突然に成りたる春のただなかに飛行船来るくるしみもせず 小池光
春の飛行船を詠まれた一首。作中主体は、春の飛行船を一目見て思わず片思いの恋わずらいをしたのかもしれない。作中主体のくるしみに比して、飛行船は「くるしみもせず」なのだ。この結句がとにかく凄い。平仮名にひらいてこのように置いていることが凄い。〈突然に成りたる春のただなか〉や〈くるしみ〉から、春の恋わずらいが浮かぶ。でも、そればかりでなく、あるいは花粉症に悩まされている作中主体ということなのかもしれない。よくわからない。
きたるべき夜(よ)を前にして石段の端とこしへに運河に浸る 小池光
薄暗くなってゆく外光のなかの運河を詠まれた一首。「とこしへに」のことばが平仮名にひらかれていて、なんともいえない寂しさ、哀しさが胸にひたひたと寄せてくるようです。
小池光氏の歌集『草の庭』の一首。
通勤快速ラビット号に間のありて眼はあそぶ晩唐李商隠の詩 小池光
狭い住宅をウサギ小屋と揶揄することもあるゆえ、「通勤快速ラビット号」という言葉の選択が効いています。そして、ラッシュとは一言も語っていませんが、ラッシュ時の混んでいる車内に僅かな隙間を見つけたらそこに李商隠の詩があって(誰かが開いている本か広告かに、ということでしょう。)眼を遊ばせたという一首。ラッシュ時の混んだ車内に詰め込まれて眼の遣り場無き状況にあることも、それに負けない作中主体の飄々とした姿も自然と浮かんでくる一首で惹かれます。
翌日が休みという昨晩は、仕事のあと、雨の中、列車を乗り継いで初の秩父へ。駅前で一泊し、今朝はバスに一時間以上揺られてニホンオオカミゆかりの山上へ。山の気をたっぷり浴びて山上の温泉に心行くまで浸って生まれ変わる。下山して、また列車を乗り継いで昨晩秩父へ出発した駅へ戻り、久々に駅前のジュンク堂へ。いつもお世話になっている短歌ご担当のTさんにご挨拶し刊行されたばかりで売り場にたくさん積まれている中澤系歌集の話、そのあと、副店長Tさんとしばしさまざまな日本の作家たちのいろいろな小説作品に関しての文学談義。最後、日本作家のなかでは多和田さんがいまいちばんノーベル賞に近いのでは、との話もし、帰宅。
秩父の山上の写真。
これまで悪夢らしい悪夢を見なかったのに、近頃どういうわけか悪夢を見ることが多い。一昨日に見た夢は、自衛のためと言いつつ小さな刃物を手に忍ばせあって暮らす集落に滞在している夢。私は誰かを殺そうなどと微塵も考えないのだが、こちらが油断していると誰かに腹を切られ刺されて殺されてしまうかもしれない。気の休まるときがない。。昨日も、似たような夢だった。。そこで、雨が降る生憎の天気だったけれども、明日が休みの今日、しごとのあとで、思い切って秩父へ出掛けることにした。。
昨夜、仕事のあと、ここのところの体調悪さを吹き飛ばすため、列車を乗り継いでいつもの温泉宿へ。真っ暗な窓外を眺めながら湯に心行くまで浸る。寝て起きる。朝食は京風。お粥と湯豆腐とわさび漬けと雲丹椎茸佃煮と鯵開き焼きものなど。デザートがここはいつもブルーベリージャムを乗せたヨーグルトの小皿。お洒落で美味い。チェックアウトして外へ出ると、空は明るいのに、雨。バスで駅へ出て、列車に乗る。マグリットを読みながら短歌が次々に降りてくるのを待つも、うたの女神さまはちっと私に微笑んで下さらず、私の錆び付いた短歌脳はぴくりともしない。そんな今日。