今朝。ラジオニュースが〈襟裳岬〉を連呼していたので、しごとに出掛ける途中、あたまのなかで頻りに〈北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい〉のフレーズがまわった。それにしても、今朝の事件はまったくやりきれなくて、なにひとつ〈詩〉にできない。発射されてから四分かそこいらしか猶予がないなかで、どう逃げよ、というのか、ということも。
今宵も、安吾流○○先生の妄想ストーリーを思い浮かべて勝手にニンマリしながら寝床にしずむ。
昨晩は、なんとかこの夜の時間で短歌十首を作るっぺ、と机に向かうも、結局、今朝も紙は真っ白なまま。難しくて頭を抱えています。
この晩に短歌十首を作るべしと机に向かひて鼻毛抜きをり
そういえば今月は未だ『塔』8月号を手にしていない。これから短歌を10首作らねばならないのだけれどもなかなか気持ちが短歌モードにならない。今日は引き続きこれから少々残業。最近唐突に、〈そうだ!お盆だから父親と息子として墓所の写真同士だけれどもこちらにふたりを並べてあげようかな〉と思いつき、息子の方はすぐにあって、父親の方、むかし撮り溜めた野田山に墓参りした折りの画像アルバムのなかにあったはずと、携帯のなかをいろいろ探すもどういうわけかどこにも見付からなくて、もしかしたら機種変更して前の携帯を初期化するときに移し損ねたのかも知れぬと青ざめ、申し訳ない気持ちですこしブルーになってしまった今宵。。
と思ったら、父親の方、別の方法で発見。
山崎範古像。
本当に範古さんが〈実の父親〉だったかどうかはわからない。前田斉泰さんの身代わりで父親役をしただけだったのでは、と今はだいぶ怪しんで考えはじめているのだけれども。
プールサイドに洋服を着たままの私たち。水を湛えたプール底にある〈何か〉を拾いに潜らなければならない授業課題に、先生から指名された友人は服を着たままプールへ飛び込み〈何か〉を拾ってきた。次は「短歌」の授業で、少し先の校舎に移動。びしょ濡れの友人は、校舎への移動途中に私たちから離れて道沿いの洋服屋に立ち寄り〈二万円〉の服を買って着替えてきてまた私たちに合流。〈短歌〉 の授業は、無記名詠草集の一首一首について席順に解釈していくというもの。私に当たった一首は、〈愛〉〈あい〉〈ラブ〉〈ラブリー〉がユニークに詠み込まれた作品。見た目も、文字の一つ一つが大きさまちまちに美術作品的にデザインチックに配置され、〈おお!すごいな!〉と思う。隣りの友人が発言し始めて、ああもうすぐ自分の発言順だと思っていると、とつぜん夢から覚醒。
昨日は、河野裕子先生の八回忌で、中上健次氏の二十六回忌だった。