クレーター「アサダ」は「危機の海」と「静かの海」
の間にある直径12kmの小さなクレーターです。
その小ささから欠け際にある時でないと、見ることも
写真に撮ることも難しいクレーターです。
月齢4と月齢17が観察に適した月齢ですが、月齢4は
月没の時刻が早いため写真撮影はかなり難しくなります。
よって、チャンスは月齢17の月ということになります。
クレーター「アサダ」の位置を確認しましょう。
2010.9.26 0:11:36 SE200N NIKON D90 ISO200 1/3200
場所は「静の海」のへりの部分、山際にあります。
上記写真をトリミング
では、ここでカメラをToUcam ProⅡにチェンジして拡大撮影
に挑戦です。今日はシーイングが最悪ですが頑張りましょう。
シャッタースピードは1/100 露出時間は60秒、フレームレートは15です。
う~む、予想をはるかに下回るシーイングです。巨大地震が
起きているように見えます。
ふう、何とか撮影することが出来ました。
これが、クレーター「アサダ」です。
2010.9.25 23:22 SE200N ToUcamProⅡ 1/100 60sec
麻田剛立は日本近代天文学の先駆者、江戸時代に活躍した
天文学者です。1778年に日本で最古と言われる月面観測図を
描いた人として知られています。
その時の望遠鏡は当時ではめずらしい鏡仕立ての望遠鏡、
反射望遠鏡だったそうです。
幼少の頃から神童と呼ばれた麻田剛立のエピソードは
その才能ぶりを良く表しています。
5歳の時、縁側に座って床板にうつる軒先の影を見て
その移動から、太陽が動いていることを発見して、
さらに影は太陽の反対側に出来ること、影が生き物の
ように動いていくことを発見し、竹の棒を立てて1日中
観察したそうです。
2~3日後、縁側に入り込む軒先の影が短くなっている
ことに気づき、1年間観察して「太陽は1年中同じところ
をまわっているのではない」ことを発見したそうです。
これらのエピソードだけでも驚きですが、麻田剛立の歩んだ
人生を見ると、その天才ぶりもさることながら、これほどまで
に天文に情熱を注いだ剛立の生き方に感動を覚えました。
麻田剛立の人生については、くもん出版から出ている
「月のえくぼ(クレーター)を見た男 麻田剛立」で
読むことができます。
の間にある直径12kmの小さなクレーターです。
その小ささから欠け際にある時でないと、見ることも
写真に撮ることも難しいクレーターです。
月齢4と月齢17が観察に適した月齢ですが、月齢4は
月没の時刻が早いため写真撮影はかなり難しくなります。
よって、チャンスは月齢17の月ということになります。
クレーター「アサダ」の位置を確認しましょう。
2010.9.26 0:11:36 SE200N NIKON D90 ISO200 1/3200
場所は「静の海」のへりの部分、山際にあります。
上記写真をトリミング
では、ここでカメラをToUcam ProⅡにチェンジして拡大撮影
に挑戦です。今日はシーイングが最悪ですが頑張りましょう。
シャッタースピードは1/100 露出時間は60秒、フレームレートは15です。
う~む、予想をはるかに下回るシーイングです。巨大地震が
起きているように見えます。
ふう、何とか撮影することが出来ました。
これが、クレーター「アサダ」です。
2010.9.25 23:22 SE200N ToUcamProⅡ 1/100 60sec
麻田剛立は日本近代天文学の先駆者、江戸時代に活躍した
天文学者です。1778年に日本で最古と言われる月面観測図を
描いた人として知られています。
その時の望遠鏡は当時ではめずらしい鏡仕立ての望遠鏡、
反射望遠鏡だったそうです。
幼少の頃から神童と呼ばれた麻田剛立のエピソードは
その才能ぶりを良く表しています。
5歳の時、縁側に座って床板にうつる軒先の影を見て
その移動から、太陽が動いていることを発見して、
さらに影は太陽の反対側に出来ること、影が生き物の
ように動いていくことを発見し、竹の棒を立てて1日中
観察したそうです。
2~3日後、縁側に入り込む軒先の影が短くなっている
ことに気づき、1年間観察して「太陽は1年中同じところ
をまわっているのではない」ことを発見したそうです。
これらのエピソードだけでも驚きですが、麻田剛立の歩んだ
人生を見ると、その天才ぶりもさることながら、これほどまで
に天文に情熱を注いだ剛立の生き方に感動を覚えました。
麻田剛立の人生については、くもん出版から出ている
「月のえくぼ(クレーター)を見た男 麻田剛立」で
読むことができます。