都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

古代アゴラ

1993-03-19 | ギリシャ 

1993 Europe日記
1993.3.19 Fri Athene

13:30 古代アゴラ見学。

 柱廊(昔の市場)、オーディトリアム、柱廊の跡などを見る。どれも面白いが、割合ここは空いている。

 復元されたアッタロスの柱廊(昔の市場)

 域内にはレストアされたビザンティン教会(聖使徒聖堂)などがある。

 ヘーパイストス神殿はかなり保存状態が良いようにも見えた。

 一人でのんびり見るとぼんやりして気が休まる。オリエンテーリングのようにあちこち見て回るのも良いが、この程度ゆっくりした方が旅行としては気分がいい。

14:30 この前行った喫茶店が気に入ったのでもう一度行き、サンドイッチを食べてコーヒーを飲む。この店はいいロケーションにあるが、値段が高いわけではない。

#街並み 海外  #パノラマ  #眺望  #教会  #公園 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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Venezia 2 St.Marco広場

1993-03-11 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.11 Thu Venezia

 サン・マルコ広場(Piazza San Marco)に到着。

サン・マルコ寺院の前から、サン・マルコ広場

 L字型をした広場はルネッサンス期に整備されたものだそうだ。遠近感を効果的にするため、寺院側が広い台形の広場空間が造られており、寺院の前から広場を眺めると、実際よりも奥行きがあるように感じられる。

 右側が旧行政館(Procuratie Vecchie)、左側が新行政館(Procuratie Nuove)、そして正面がナポレオン翼(Ala Napoleonica)だそうだ。

サン・マルコ広場 - Wikipedia  サン・マルコ寺院 - Wikipedia
サン・マルコ小広場からサン・マルコ寺院

 サン・マルコ寺院(Basilica di San Marco)を拝観。この寺院は、古典的な教会建築様式であるビザンチン様式で造られており、大ドームの周りをやや小さなドームが取り囲む集中ドーム式で建てられている。教会というと、ついゴシック様式の尖塔や細長く天井の高い堂内を思い浮かべがちで、サン・マルコ寺院のように大小のドームが林立する教会は日本ではあまり馴染みがないが、もともとのキリスト教の堂はこのようなものが多かったそうだ。
 シーズンオフのためか、文化財の類があちこちで修復中だったのはちょっと残念。

サン・マルコ寺院内部

 堂内のモザイクタイルが金色に輝き美しい。ビザンチン様式の教会ではドームを中心として正方形に近い平面形をとることが多く、細長い十字架型をしたバシリカ形式にはなっていない。参列者席が何列も並ぶ奥に内陣や祭壇が並ぶ形式ではなく、建物内に入って割合すぐにドーム直下の祭壇に至る。後々、多くの教会を訪ねてビザンチン様式にも慣れたが、最初のうちはちょっと不思議に思うことがしばしばだった。

 階上のバルコニー部分まで上り、広場を見下ろす。

バルコニーからサン・マルコ小広場方向

 左側がドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)、右側はサン・マルコ図書館(Biblioteca Marciana)、中央の二つの塔は、有翼の獅子像と聖テオドーロ像。

 サン・マルコ広場には海側にサン・マルコ小広場という広場があり、これが一体となってL字型の広場になっている。寺院のバルコニーから見ると、小広場の方は海に向かって開いており、両側に壮麗な建築物が並び、二つの塔が海から広場へのゲートのように立っているのが非常に印象的だ。

ドゥカーレ宮殿 - Wikipedia  Biblioteca Marciana - Wikipedia(en) 
#古い建物 海外  #ヴィスタ  #海・川・池 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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ノボデヴィチ修道院

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 昨日は内部を見学することができなかったノボデヴィチ修道院へ向かう。ガイドの人が是非見ておくのが良いと薦めるので、改めて訪問することになったのだった。

 16:20 修道院に到着。また夕方になってしまったが、今日は中に入ることができた。ソヴィエト時代の1922年に閉鎖され博物館などに転用されたそうだが、その後、神学学校が開かれ、大聖堂も返還された。ロシア建国後は礼拝に訪れる人も増え活動も活発化しているという。私たちの訪問時には修道女が住んではいなかったらしいが、この後1994年には、修道女が生活する往時のスタイルが復活したのだという。

ノボデヴィチ修道院   Google Map
Wikipedia > ノヴォデヴィチ女子修道院

 入口には十字架と金色タマネギを沢山載せた紅白の塔がある。多くの建物は1680年代に建てられたそうだ。

 壁には矢狭間(銃眼)が作られ、敷地の角などの要所には見張り櫓がそびえており、まるで城郭のようだ。そしてクレムリンと同じように鐘塔や寺院が垣間見えている。

 門も城門のように堅固で壁は高い。1524年に創建されたこの修道院は、ロシア・ポーランド戦争(1605~1618)の際に、一時ポーランド軍に占領されたことがあるそうで、その後、このように防護を固めたらしい。

スモレンスクの生神女大聖堂
建設年:1524~1525

 堅牢な壁に閉ざされてはいるが、内部は意外に穏やかな雰囲気で、緑の多い中庭にいくつかの寺院や礼拝堂が建っている。

 青空の中にひときわ高く赤煉瓦と白い石で造られた鐘楼がそびえる。夕暮れの中庭はひっそりとして静かだった。

 庭の端には古くなって修復中である建物があった。天井を張った上に簡単なトラスを載せてそこに屋根板を張るという至極簡便な修復である。断熱材もあまりないような感じで、一般の建物はこんなものなのかと驚かされてしまう。

 また、ある建物の壁面には日時計が描かれていた。後年ヨーロッパ各地の建物を見た時、時計が効果的に用いられているのが印象的だったが、壁面に日時計を付ける発想は日本ではあまり見かけないので面白かった。この修道院の日時計は壁面に針金を取り付け、ペンキで文字盤を描いただけの素朴なものだったが、その簡素な表情がまたどこか心を和ませるものがあった。残念ながらこの時は日が陰っており、日時計には時刻は映っていなかった。寒い国で、日の光を待望する人々の気持ちが現れているような気もするものだった。

 17時前から礼拝が始まる。人々の後ろからそっと礼拝を見学させて貰う。ウラジオの時も感じたが、敬虔なお祈りにはやはり厳粛な雰囲気が伴うものだ。そこらへんどうも日本の寺社の参拝はお気楽な感じであるような気がする。それが仏教的、東洋的な明るさといえばそうかもしれないが、後々韓国を訪れたときに、同じ仏教でもずっと真面目だったのに驚かされたことを考えると、やはり日本人はもう少しは信仰心を持たないと堕落してしまうのではないかと考えさせられてしまうのだった。

 夕暮れが近づいてきて急速にまた寒くなってくる。バスに乗り込みホテルへ向かう。

 バスに乗っている内に日が落ちて、空が茜色になる。夕焼けをバックに、モスクワ大学の塔とスキーのジャンプ台がシルエットになる。印象的な夕暮れを見ながら、市街を通り過ぎる。

 17:30にホテルに帰着して夕食。ロシアの夕食は割に軽いのですぐに終わってしまう。

 EVホールにはジェジュールナヤと呼ばれるフロアーサービス係が24時間体制で待機している。このおばさんはフロアーへやってくる人のチェックもしているので、このようなホテルは安全面でもひとまず安心できる良いホテルということになる。この方式は後年、中国や韓国でも出会ったもので、ちゃんとした大規模ホテルにはあるサービスのようだ。もしかすると僕が知らないだけで、日本でも良いホテルはそうかもしれないが。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#教会  #眺望  #塔  #夕景・夜景 
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もういちど赤の広場

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 14:00 午後の観光のため、またホテルを出発。最初に15世紀の寺院に寄る。

 小さい建物だが古い寺院だと聞いて、期待してバスを降りて中に入ってみると、内部が全部土産物屋になっていた。

 どうやらここはバスの運転手がつるんでいるところらしく、勝手に連れてこられてしまったということに気づく。露店で見たペンやマトリョーシカが大量に並べられていたが、露店では20円程度だったボールペンが1ドル(約120円)程度で売られているので、ばかばかしくなってすぐに建物を出てしまう。しかし寺院がこのように転用され、内部の壁も真っ白に塗られ、小綺麗になっているのは不思議な感じだ。

Big Stone Bridge(Большой Каменный Мост)から
クレムリンとモスクワ川。遠方はロシアホテル   Google Map

 バスでモスクワ川を渡って赤の広場へ向かう。橋の上では、車内からクレムリンの全貌を見ることができた。道路の渋滞に乗じて車内からパノラマを撮影する。

ロシアホテル前の広場から、トロリーバスと
コテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート   Google Map

 14:40 赤の広場に到着。昨日とは違って今日は天気も良く、午後はそれほどは寒くない。ロシアホテル前の広場からははっきりと遠くの景色が見えていた。

赤の広場   Google Map
左 クレムリン  中央 歴史博物館  右 グム百貨店

 広場のパノラマを撮影する。日本にはこのような広場は無い。真ん中に立ってみると、やはり広場というのは周囲に建つ建物によって活かされている物だと改めて感じるのだった。

聖ワシリー大聖堂   Google Map

 15:00になった時、広場にいた観光客が一斉にレーニン廟へ向かって走り始めたので、なんだか分からないまま、僕らも一緒になって走る。途中で日本のおばちゃん達に「あんた達どこから来たの?」と声を掛けられる。「東京の大学生です。」と答えると「あら、あたし達は名古屋から来たのよ、こんなところで一緒に走るなんておかしいわねえ。」などと、ケタケタと笑いながら走っていくのだった。

衛兵の行進。後方はレーニン廟   Google Map

 レーニン廟では衛兵の交代式を行っていた。観光客にしてみれば、この手の儀式はやはり見逃すわけにいかないものだ。銃を携えた衛兵が3人、独特の歩き方で歩いていく。レーニン廟の衛兵は、ソビエト時代に革命の英雄の遺体を安置した墓所を警備するために設けられたが、レーニン他の位置づけも変わり、観光客向けのショーのような側面もあるようだった。また後年、この衛兵は廃止されたとも聞く。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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赤の広場

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 赤の広場の入口でバスを降りる。モスクワ川とこれに架かるウスチンスキー橋、そしてモスクワに建つ7つの超高層ビルの一つであるコテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート(Google Map)が、どんよりした空の中にぼんやり見えている。

スパスカヤ塔とクレムリン外壁

 午前中はいきなりクレムリンの中に入ってしまったが、今度は赤の広場側から壁越しにクレムリンを望むことになる。広場の周囲にはレーニン廟、クレムリン、聖ワシリー大聖堂(ポクロフスキー大寺院)、グム百貨店、歴史博物館などの壮麗な建物群が立ち並ぶ。

聖ワシリー大聖堂   Google Map
Wikipedia - 聖ワシリー大聖堂

 聖ワシリー大聖堂は、モスクワの映像で必ずといってよいほど現れる、カラフルなネギ坊主が沢山付いたあの寺院だ。

 時間とかの都合で、中には入れなかったが、あやしのその巨大な姿を見ることが出来て感動したのだった。

グム百貨店   Google Map
Wikipedia - グム百貨店
グム百貨店東南側の建物

  赤の広場   Google Map
  クレムリン(左)、レーニン廟(中央)と、ニコリスカヤ塔、国立歴史博物館(右)
  Wikipedia - 赤の広場

 赤の広場は想像以上に広い。幅もかなりあるが、なにしろ長い。ここで革命記念日に戦車やミサイルを伴って軍隊が行進し、赤一色になるのは確かに強烈な光景なのだろうなと思う。そしてそれはTV中継されてこれまで世界の人々に脅威を与えてきたのだ。

 しかし普通の日の赤の広場は人影もさほど多くなく、観光者ばかりだ。その雰囲気は日本の皇居前広場と似ていなくもない。後年、中国の天安門前広場にも行ったが、首都の中心部には何らかの形でこのような場所があるものなのだなと感じる。

 広場からはクレムリンの城壁越しにロシア連邦大統領府が見える。ドーム状の屋根の頂部には白青赤の三色旗が翻っている。広場にて記念写真を撮る。我々日本人はまさかこんなに寒いとは思ってもいなかったので、一様に寒そうにしていたが、地元のターニャさんは慣れているのとちゃんと準備しているので何ともないようだった。

赤の広場から、クレムリンのスパスカヤ塔
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クレムリン

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 12:00 ホテルから出発。早速クレムリン(Google Map)へ向かう。

Wikipedia - クレムリン
トロイツカヤ塔

 12:20 バスを下車。ユラさんがガイド。相変わらずめちゃくちゃ寒い。トロイツカヤ塔から旧城内に入る。

アルセナール(旧兵器庫)

 城門を通って最初に見えてくるのは旧兵器庫だが、これも立派な様式建築だ。ベースカラーは黄色で、窓周りや、付け柱が白い。

ロシア連邦大統領府(左)とロシア連邦大統領官邸(右)
左奥はニコリスカヤ塔

 昔はモスクワは城郭都市で、クレムリンが街の全てだったという。先程の城門は街の門だったのだ。現在、街は拡大し中に住む人はいない。教会や寺院、大統領府、大統領官邸などだけが残るクレムリン内部は意外にだだっ広い。小雪の中を足早に歩く。

「大砲の皇帝」前にて
Wikipedia - ツァーリ・プーシュカ(大砲の皇帝)

 「大砲の皇帝」と呼ばれる巨大な大砲の前で記念写真を撮る。この大砲は本当に使ったわけではないようだが、とにかく見応えのある代物だ。

「鐘の皇帝」
Wikipedia - ツァーリ・コロコル(鐘の皇帝)

 そばには「鐘の皇帝」と呼ばれるこれまた巨大な鐘もある。こちらもとにかく馬鹿でかい。こんなものを吊り下げて鳴らすことが出来たのか、はなはだ疑問だ。鋳造時か設置時に出来た裂け目が、人の背丈ほどの穴になっている。ここでも記念写真を撮る。雪で空が鈍色なので、露出が狂う。また、寒いので電池の消耗も気になる。何度も書くようだが、とにかくめちゃくちゃ寒い。K氏とO氏は手袋を持っていなかったので、ひどく寒そうにしてずっとポケットに手を突っ込んでいた。

イワン大帝の鐘楼

 場内にはいくつも寺院がある。まずイワン大帝の鐘楼を眺める。塔が立ち、大きな鐘がいくつも吊り下げられた鐘楼だ。ウラジオで見ていた寺院は、やはり地方の小さな建物だったのだという認識を新たにする。

ウスペンスキー大聖堂
Wikipedia - 生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)

 次にウスペンスキー大聖堂を見る。ロシア正教の寺院建築にはいくつも金色のドームが載っている。たくさんのドームは集中式と呼ばれ、ビザンティンの教会建築の特色だ。外から見ると、軒先にはいくつもアーチが掛かっていて、内部の天井はドームと交差ヴォールトによって支えられているようだ。

 大聖堂入口には、モザイクタイルで描かれた巨大な聖像がある。内部に入ると、内陣の壁一面に描かれたイコンが非常に立派だ。内部の撮影が禁止され写真に撮れなかったので、記憶はひどく曖昧なものになってしまったが、思わず居住まいを正してしまうような荘厳さだった。外は小雪が舞い、どんよりして見通しも悪い。外が薄暗いので教会内部も暗く、数々のイコンが神秘的な印象を強く与える。中はやはり暖かい。モアーッとしてサウナに入ったような気分にさえなる。そういう意味で気持ち良いので、寒い外へは出たくなくなってしまうのだが、時間もないので意を決して外へ出て、他を見て回る。

ブラゴヴェシェンスキー大聖堂
Wikipedia - 生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)

 次にブラゴヴェシェンスキー大聖堂を、そしてアルハンゲリスキー大聖堂を見る。一つずつ内部を見て回ってそれぞれ感動したのだが、写真等には残しておくことが出来なかった。せめて絵葉書や全体のガイドブックを購入しておけばよかったと悔やまれる。

アルハンゲリスキー大聖堂
Wikipedia - 聖天使首大聖堂(アルハンゲリスキー大聖堂)

 クレムリンは広い。まだ見るところはあるようだ。とにかく寒いのだが、体を丸めてユラさんについていく。この日は今年の冬になって一番寒い日だと彼も言っていた。朝の最低気温は-8℃だったらしい。どうりで全く寒いわけだ。

ロシア大統領府(左)とスパスカヤ塔

 ロシア大統領府(旧ソ連最高会議幹部会館)とスパスカヤ塔のそばを通る。大統領府はロシア共産党の中枢なのだが、警備は特になく、何となくそばを通ることが出来てしまった。スパスカヤ塔には大時計がつく。城壁には見張り用の塔がいくつもあるが、その中でもひときわ大きく目立つ塔だ。塔の頂部につく赤い星が共産主義国家を象徴している。一党独裁の社会自体は好きではないが、建物的にみるとこれが格好良く見えてしまうから困ったものだ。顧みて、日本に国家の偉大さを示すような建物はあるだろうか?。なんだかみんなスケールが一回り小さいようだ。

大クレムリン宮殿(右)と武器庫(中央奥)、ボロビツカヤ塔(左)

 大クレムリン宮殿を外から眺め、武器庫(武器宮殿)のわきを通ってボロビツカヤ塔からクレムリンの外へ出る。大クレムリン宮殿は黄色い壁と白い柱の装飾が壮麗で、普通なら5~6階建てに相当する高さの3階建て(内部は2階建て)の巨大な建物だった。しかしこの時は残念ながら中には入れなかった。黒塗りのベンツが列をなして遠くを走っており、誰だか知らないが要人の出入りもあるようだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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1992-01-10 | 記事一覧 
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