都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

駿府城 巽櫓

2021-08-25 | 静岡県  
建設中の駿府城巽櫓
駿府城 巽櫓
所在地:静岡市葵区 駿府城公園
建設年:1989(平成元)
構造・階数:木造・二重三階
Photo 1988.3.1

 市政100周年を記念して1989年に復元された櫓。写真は建設のために外側に足場を組んだ頃の様子。

 駿府城は徳川家康が大御所として晩年を過ごした城だが、明治以降、歩兵連隊が置かれたりしたため、江戸期の城の建物は全て除却されてしまい、内堀も全て埋められてしまった。戦後は駿府公園(現在は駿府城公園)として市民に親しまれているが、徳川家康が住んでいたのに城の建物が一つもないのはさびしい状態だった。


 Photo 1989.3.28

 巽櫓は1638(寛永15)年に再建されたものが長く存在していたが、幕末近くの安政地震によって全壊したと考えられているという。復元にあたっては、往時の指図などをもとに出来るだけ正確な形での再建を行なったそうだ。静岡で生まれ育った者としては、その建設は気になることで、隅櫓が一つできただけでも、見栄えのする城の建物がようやくできたと嬉しかったものだった。


 Photo 1989.3.28

 駿府城公園のWebsiteによれば、L字型の平面の櫓は全国の城でも例の少ないものだそうで、駿府城の櫓の中でも防御機能に優れた櫓だったという。

 この後、1996年に東御門が写真左側に復元され、巽櫓と一体的な姿を見せることになったため、巽櫓が単独で建っていたのは数年間。なので巽櫓単独の写真は手元にはこの2枚しかない。夕方で逆光だったから撮らなかったのかもしれないが、L字形の建物の角の外側から撮らなかったのが悔やまれる。

東御門・巽櫓 - 【公式】駿府城公園

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #公園  #城・宮殿 
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駿府城外堀

2021-07-17 | 静岡県  
駿府城外堀
Photo 2018.1.11

 昔は市立病院のあたりから草深、水落方面に至る外堀には水が無かった。いつから無かったのかは知らないが、少なくとも私が小さかった頃は「から堀」状態だった。小学生の頃は、同級生と学校帰りに草深橋のあたりから長谷通りの方までお堀の中を歩いて帰ったりした。

 その後しばらくしてから、水を張ることになり、お堀の底に防水シートを敷いて、石垣の下部のあたりにもコンクリートを打って、水が漏れ出ないようにしてから、水がたたえられた。正確な時期は覚えていないが、一連の工事は1970年代後半頃のことではないかと思う。改めてネットで検索したら、工事は1980(昭和55)年に完了したそうだ。

1980年(昭和55年)4月2日 外堀貯水事業が完成、二重堀が再現される。
静岡市の歴史 - sensagent

 外堀は市立病院の方が底も高く、水が流れ出る水落の方は底の高さが低いようだ。水を流し込んで末端だけで堰き止めると、水落の方は深くなってしまうし、堰を設けなければどんどん水が下方へ流れていってしまう。そんなわけで、外堀には堰堤と堰が新たに造られた。現在の外堀は、堀が区切られて水位の異なる複数の池になっており、雨がたくさん降ったりしたら、それが溢れて下の区画へ流れ込むようにしてある。

 江戸時代はどうなっていたのだろうか? 大量の水がどんどん流れてたのか? やはり堰はあったが、明治以降いちど壊されてしまっていたのか。それとも、新たに造られたと思ったのは私の勘違いで、既存の堰を改築してもう一度使ったのか、そのあたりの事情はよく知らない。

 残念ながら、この頃の写真は私の手もとにはない。将来のために街の様子を撮っておこうなどという気持ちは、小学生の私はさすがに持ち合わせていなかった。

静岡の街並み
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静岡県庁別館 21F 展望室から2

2021-07-08 | 静岡県  

 静岡県庁の展望室から。つづき。気になる施設など。

静岡県庁別館展望室から 駿府城公園、巽櫓と東御門
所在地:静岡市葵区追手町9-6
Photo 2016.8.18

 私が静岡に住んでいた頃にはまだ無かった建物。巽櫓は1989年に、東御門は1996年に復元された。天守閣は江戸時代中期には既に無く、図面も無いので、もし再建するとしたら推定するしかないらしい。
 巽櫓や東御門、坤櫓(2014年復元)は幕末まではあったのかな? 指図などが残っていたのか、時間は掛かったが比較的すんなり復元された。駿府城は大御所として家康が住んだ城で、外堀の大半と中堀が現存しているが、昔は建物が全然無く、やはりちょっと物足りない状態だった。江戸時代に既に無かった天守閣をむりやり造るのには賛成しかねるが、資料がある建物を少しずつ復元、整備していくのは良い。20年前までは無かったこの建物も、いつのまにか市のシンボルのようになっている。


 静岡県庁本館

 左の方の赤瓦の部分が正面中央の塔屋。正面から見るといわゆる帝冠式で立派だけれど、上から見るとやや殺風景。環境に配慮して芝生緑化したり、太陽電池パネル並べたりしてるが、屋上というものは雑然としていることがやはり多い。


 静岡大成中学・高校 2004年竣工 設計 長谷川逸子

 昔は精華高校という女子校だった。学校法人名は今も静岡精華学園だが、中学・高校の名前は男女共学化と校舎新築に際して静岡大成に改称されている。幹線道路には面していない建物だが、高いところから眺めると奇妙な外観が目をひく。

 谷津山(右)と愛宕山(左端)の間の鞍部には、草薙、清水方面のビルが見えている。左は静岡銀行の本部ビル。右と奥のマンションはどこのものかよくわからない。奥に白く微かに見えるクレーンは清水港のガントリークレーン。県庁からでも清水港の港湾施設が見えるのにはちょっと驚いた。

 谷津山(標高100m)の頂上の2つの鉄塔は、NHK静岡(JOPK)の旧ラジオ送信塔。1931(昭和6)完成で、設計は塔博士、内藤多仲。
 東京の愛宕山の頂上でラジオ放送が開始された時の塔と似たタイプの送信塔で、二本の鉄塔の間に丁字型にケーブルを張っている。初期のラジオ送信塔の遺構としてかなり貴重なものだが、文化財指定などはされていない。現在は東海大学が所有管理している模様。
 その右側の塔は、東静岡のJR操車場跡地に造られたNTT DOCOMOの塔。18階建てのビル(高さ82.7m)の上に塔が建っており、総高約160m。ビルは谷津山の向こう側の低地に建っているが、手前の谷津山の標高が低いので、山の向こう側に見えてしまっている。

静岡の街並み
#眺望  #古い建物 静岡県  #新しい建物 静岡県 
#山  #塔  #官公庁  #学校  #城・宮殿 
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志村城址あたり

2015-01-25 | 板橋区  
志村城址坂
所在地:板橋区志村2-16と17の間
Photo 2014.10.19

 志村城址坂は、志村城があった小高い丘へ、都営三田線志村三丁目駅から南東向きにカーブしながら上るやや急な坂。 木立の間を上って行く感じが気持ちよい。

志村城址北側斜面の階段
所在地:板橋区志村2−17・志村城山公園内
段数 :計68段
Photo 2014.10.19

 同じく志村三丁目駅の方から、熊野神社方面へ向かって北側斜面内を屈曲しながら上る階段。 階段を上りきると志村城址坂の坂上。

志村城の空堀跡
所在地:板橋区志村2−16
Photo 2014.10.19

 熊野神社境内に残る、志村城の空堀跡。
 志村城は平安時代末期に志村氏によって築かれたそうで、室町時代の1456年には下総の豪族、千葉氏が入城したという。しかしその後1524年に北条氏に攻められた後は後北条氏配下の城となり、秀吉の小田原攻めのの後に廃城になったといわれる。
 中世の山城なので、白亜の天守閣とかはもちろんない。現在はマンションや学校、神社、会社敷地などになっているが、今でも神社境内に空堀の遺構を見ることができる都内では貴重な存在。

熊野神社
所在地:板橋区志村2−16
Photo 2014.10.19

 大木(常緑樹が結構多い)が茂る林の中、城の二の郭に相当する場所に神社は鎮座している。

熊野神社絵馬殿
所在地:板橋区志村2−16
Photo 2014.10.19

 江戸時代中期〜後期に建てられた拝殿を曳屋したもので、内部には江戸〜明治期に奉納された多くの絵馬が掲げられている。

#階段・坂  #階段・坂 板橋区  #神社  #城・宮殿 
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皇居乾通り一般公開

2014-07-09 | 千代田区 

 蔵出し写真、つづき。

 混雑するイベントにはあまり行かない方なのだが、ふだん入れない場所なのでつい・・・。 列の最後尾についてから入口の坂下門まで30分。乾門から出たのはその50分後だった。 面白かったが、常に渋滞していて、ほとんど人を見に行ったみたいな感じ。

皇居 坂下門前
所在地:千代田区千代田   Google Map
Photo 2014.4.7

 このあたりまでなら、ふだんでも近づける。天気もよかったので大混雑。みんなこういうの好きだなぁ、って私もか・・・。

 坂下門は江戸時代には枡形門で、現在の渡櫓門の位置に高麗門があり、それを入って左に曲がった場所にこの門があったのだそうだ。明治になって江戸城西の丸に皇居が移った際に、車の通行を考えて枡形が廃止され、1885(明治18)年に高麗門が撤去され、渡櫓門は1887(明治20)年に現在の位置に90°向きを変えて移築されたのだそうだ。

 移築されてはいても江戸時代の建物なのだが、もともとこれがいつ建てられたのかはネットの情報では分からず。

宮内庁庁舎
竣工年:1935(昭和10)年

 特段の申し込みをせずに近くで見ることができる機会は少ないので記念に一枚。

皇居乾通り

 宮内庁庁舎の前は広いが、その先、道が狭くなるので、一気に大渋滞。
 幸い、高齢の方々よりは背が高いので、手を伸ばして片手でならば写真が撮れないことはなかった。

 江戸城・皇居は武蔵野台地の東端部にあり、坂下門は低地側、出口の乾門は台地側にある。そのため、乾通りは途中から上り坂になっており、出口の乾門付近から振り返ると、次第に坂を上ってきたことが分かる。

#古い建物 千代田区  #階段・坂 千代田区  #城・宮殿  #官公庁 
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サンタンジェロ城

1993-03-15 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.15 Mon Roma

サンタンジェロ城 - Wikipedia

16:40 城壁と思われる壁づたいに歩いて、サンタンジェロ城(St.Angelo)へ向かう。

 昔、ハドリアヌス帝の廟所だった所で、その後、要塞、法皇の避難所として使われたという。8,000Lireはちょっと高いがまあいいや。城内をグルグル見て回って、上にも上り、また下りて外へ出る。

 橋のたもとの川沿いで麻薬か何かを腕に注射している男を発見してビックリ。

17:20 バスでベネチア広場へ。そこから歩いてベネト通りを経て、ショッピング街へ向かう。安いシャツがあったが、結局買わず。

 スペイン階段をまた下ってGucciなどの高級店をウィンドーショッピング。小さな土産店でキーホルダー、石の小箱、ハサミを買う。16,500L。地下鉄でTerminiへ。

19:30 昨日のお店へ行ってみたら、K氏が夕食を食べ終わったところだった。Tourist Menuでラザーニャ、ポークカツレツ、サラダ、カプチーノを食す。23,000Lireと今日もしっかり食べてしまった。

20:30 ホテルに戻る。明日の準備。K氏と今日の出来事などを話す。
23:20 シャワー
24:00 就寝

#街並み 海外  #眺望  #海・川・池  #城・宮殿 
#教会  #塔  #橋  #夕景・夜景  #ローマ 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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Assisi 3 城塞跡から

1993-03-14 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.14 Sun Assisi

 サン・フランチェスコ教会を訪れた後、丘の上にあるアッシジの街の中でもひときわ高い場所にある城塞跡へ向かう。
 ここからの景色は秀逸だった。山並みから見下ろすと平原に町や農地が点在し、その中にひときわ大きくドームが見えていた。

城塞跡から南方向の遠望
東南方向遠望、右端はアッシジ大聖堂(Cathedral of San Rufino)
東方向 遠くの丘にも別の砦が見えている。
南方向、市街西部
左方はアッシジ大聖堂(Cathedral of San Rufino)
中央奥はサンタ・キァーラ修道院(Basilica di Santa Chiara)
西北方向、物見櫓と城壁
#街並み 海外  #眺望  #城・宮殿  #塔   タグ一覧

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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Venezia 5 サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂など

1993-03-11 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.11 Thu Venezia

 No.1の船で、再びサン・マルコ広場方面へ。途中、黄金の家は修復中だった。リアルト橋の下を通って、サン・マルコ広場対岸のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(Basilica di Santa Maria della Salute)へ向かう。

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 - Wikipedia

 聖堂は1631年から建設が始められ、1681年に完成したという。巨大なドームを持つバロック建築で、サン・マルコ広場からも海の向こう側に対面して見えており、印象的な建物になっている。

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 内部

16:30 夕方近くだったためか観光客も少なく、内部はとても静かだった。ただ石造の教会の中がひんやりしすぎていて外よりも寒かったため、早々に外に出てしまった。

 教会の外の海沿いの道には多くの猫がたむろしていた。ベネチアは猫が多い。しかもかなり人懐こい。近くによってしゃがむと向こうからすり寄ってくる。ノドをなでると、すぐゴロゴロとノドを鳴らす。そんなことをしていると更に3匹も4匹も集まってくる。とてもかわいいのだが、なんだか図々しいなぁとも思えてきてしまう。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂を望む
カナル・グランデと、鐘楼、造幣局、ドゥカーレ宮殿

 外へ出て、午後少し暖かくなった水辺でぼんやりする。脇には釣りをするおじさん達。Veneziaは全体にのんびりしている感じ。治安も結構良さそう。観光客が多いためか、危険を感じる場面はほとんどない。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂 - Wikipedia
ドゥカーレ宮殿 - Wikipedia   鐘楼 - Wikipedia
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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ヴェルサイユ宮殿2

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 ヴェルサイユ宮殿(Wikipedia)の壮麗な建物内部を見た後は、広大な庭園へ。

宮殿前から、西側に広がる広大な庭園

 15:40~17:30 付近の庭園を散策。とにかくものすごい広さ。

庭園側から宮殿建物を望む

 宮殿建物から約700m歩いて下ってきたが、十字型になった運河はまだ先。

大トリアノン宮殿(le Grand Trianon・Wikipedia

 途中から北へそれて、大トリアノン宮殿と、小トリアノン宮殿(le Petit Trianon・Wikipedia)も外から見る。

 幾何学的にレイアウトされた庭園も見たが、庭園内に置かれた彫像が、修復のためか覆いで覆われていたのがちょっと残念だった。

 小トリアノン宮殿はマリー・アントワネットが田舎暮らしの雰囲気を楽しんだ場所だそうだ。そのそばには牧場のような場所もあり、たくさんの羊がいたりもした。宮殿のなかに田舎のような風景が大規模に展開していることに驚く。

 敷地がとにかく広い。最初は運河の奥の方まで行ってから戻ってこようかと思っていたのだが、歩いている内に非常に寒くなって疲れてしまったので、早々に戻って駅の方へ行くことにする。しかし昔の貴族はこんな寒い日でも外で用を足していたんだろうか?

 パリ市内に戻る前に駅前のMcDonaldに入る。セットで30FFr。確かに世界均一。おかげで日本人がやたら多い。比較的安価であることも一つの理由かもしれない。観光客というものはどこでも同じ感じだ。

 RERの鉄道でパリ市内に戻る。空港から市内に到着する駅は怪しいことが多いが、それを除けば比較的どこも安全なようだ。ただし観光地の玄関駅周辺には、いろんな輩がいるので、下手に引っかからないようにせねばならない。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#ヴィスタ  #城・宮殿  #バロック  #世界遺産 
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ヴェルサイユ宮殿1

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 13:54 ヴェルサイユ行きのRER C線(Wikipedia)に乗車。

 14:30 ヴェルサイユ到着。

ヴェルサイユ宮殿正面遠望

 ヴェルサイユ宮殿(Wikipedia)は駅から徒歩で約10分の場所。バロック的な都市計画に基づいて、宮殿の正面外部にも放射状に広い道が配されており、遠くからでも宮殿の正面入口を見通すことができる。

 正面の門と柵は恐らく鉄製。装飾部分が金色で、柵の黒い部分がその輝きを引き立てており、これだけでも美しい。

 後になって気付いたのだが、日本の迎賓館(旧東宮御所・赤坂離宮)の正門はこのデザインにかなり似ている。迎賓館の門と柵は白が基調でそこに金色の装飾がところどころにあるもので、黒と金で格調高いヴェルサイユ宮のそれに較べると明るい感じになっているし、細かいデザインの部分は当然異なる。だが、門と柵の高さの比率や、門自体の縦横比、ゲートの上に大きな飾りが付いていたり、サイドに通用口が付いていてそちらは柵と同様のデザインになっている感じなどはかなり似通っている。

 赤坂離宮をデザインしたのはフランス式の宮殿建築に精通していた片山東熊という人なので、門や柵のデザインはヴェルサイユ宮殿からヒントを得たのだろう。そのあたりも明治から戦前期にかけて、西洋様式建築を建てて欧米に追随することに懸命だった日本という国の様子が垣間見えるようだ。

宮殿前広場(Cour Royale)のルイ14世の騎馬像
華やかに装飾された宮殿中央部

 チケットを買って建物内へ。外の広場は広いので、多くの人がいてもさほど混雑している印象がなかったのだが、中に入ってみたらやはり見学者がたくさん。で、順路に従ってぞろぞろ歩いて見ていく。近年のようにデジカメでバシャバシャ撮ることができないので、気に入ったところでだけ写真を撮る。

王室礼拝堂

 たくさんの部屋を見て回るので、一つ一つがなんという部屋なのか次第に分からなくなる。帰国後に調べてみたら、ここは王室礼拝堂で、1770年にマリー・アントワネットと後のルイ16世(王太子ルイ・オーギュスト)の結婚式が行われた部屋だった。

戦争の間

 バロック期の宮殿建築なので、内装はロココスタイル。壁面から天井に至るまで所狭しと彫刻や壁画があり、そういう部屋が延々と何部屋も続くので、だんだんお腹一杯になってくる。いや~、とにかくすごいね~。

鏡の間

 14:40 宮殿の庭園側中央に位置する鏡の間はやはり圧巻。長さ73mというのもすごいのだが、幅も10m、高さも約12mあるという。長さに見合った幅でないと、やたらに細長い部屋になってしまうので幅はそれなりのものになり、またその幅にあった高さを考えると、結構な天井高になるのだろう。

 左側壁面の柱の間には全て鏡が張られている。大きな鏡の調達が容易ではなかった時代に、大量の鏡を壁一面に張って、部屋と庭の景色を映し込み、なおかつ部屋の大きさを更に大きく見せる仕掛け。光と視覚を意識して、魅せる建築を目指したバロック建築の代表的なものと言われるのも納得。

 コンパクトカメラの35mm画角では上手く納まらないので、ここでは2枚撮って合成している。

 宮殿内から庭園を眺める。池の向こうに林があって、その遙か彼方の方まで庭園が続いている。なにしろ面積約1,000haである。3km四方程度あるわけで、そこらの庭園とはスケールが大きく異なる。丘陵地に造られた森林公園みたいな感じだ。

戦争の回廊

 フランスの歴史の中で起こった様々な戦争を描いた絵がずらりと並ぶ部屋。絵とか壁画とか、装飾とか・・・。ほんとうにお腹一杯だ。

 さて、建物を出て噴水と池のある庭園、そして大小トリアノン宮殿の方へ向かう。

 

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

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