11/02 静岡銀行 浜松営業部(旧遠州銀行本店)
11/04 本田医院
11/06 濱松木戸郵便局
11/08 旧見付学校
11/10 森町立歴史民俗資料館
11/12 ジュビロード
11/14 呉服町通りの街並み3
11/16 大日本報徳社 大講堂 1
11/18 大日本報徳社 大講堂 2
11/20 大日本報徳社 仰徳記念館
11/22 大日本報徳社 仰徳学寮
11/24 淡山翁記念報徳図書館
11/26 ジャガー マークIX
11/28 デイムラー DS420
11/30 日本平のテレビ送信塔群
日本平のテレビ送信塔群
所在地:静岡市清水区草薙(日本平頂上付近)
構造 :S
建設年:1957〜79(昭和32〜54)
解体年:2012(平成24)
Photo 1993.12.9
地上デジタルテレビ放送は2005年から始まった。静岡では日本平の頂上に2004年に日本平デジタルタワーが造られ、現在はここからNHKのテレビ2局と民放テレビ4局、FM2局が送信されている。だが、地上波アナログ放送が2011年に終了して停波するまでは、日本平の頂上付近には各局の送信アンテナがそれぞれ建てられていた。
上写真は山頂吟望台付近からのもの。左から、NHK総合、NHK教育・NHK-FM、静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ(共用)、奥 テレビ静岡、右方 SBS(静岡放送)×2基(含 FM静岡)、日本平観光天文センター(プラネタリウム・天文台)
Wikipediaによれば、日本平観光天文センターは1959(昭和34)に建設された、店舗、プラネタリウム、天文台(望遠鏡ドーム)のある建物。アナログ放送の送信塔よりも一足早い2000年に閉鎖され、その後解体されたという。
日本平デジタルタワー完成後 Photo 2008.12.28
2枚目の写真も1枚目の近くから撮ったもの。日本平デジタルタワーが完成している一方、日本平観光天文センターは既に解体されてなくなっている。
静岡のテレビ、FMの開局年代等は以下(コミュニティFMは除外)。
1957(昭和32) NHK静岡放送局、総合テレビの放送開始
1958(昭和33) 静岡放送、本放送開始
1962(昭和37) NHK静岡、教育テレビ(Eテレ)本放送開始
1964(昭和39) NHK静岡、FM実験放送開始
1968(昭和43) テレビ静岡開局、本放送開始
1969(昭和44) NHK静岡、FM本放送開始
1978(昭和53) 静岡県民放送(現 静岡朝日テレビ)開局、本放送開始
1979(昭和54) 静岡第一テレビ開局、本放送開始
1983(昭和58) 静岡エフエム放送開局、FM本放送開始
2011(平成23) アナログ標準テレビ5局6波が廃止。
2012(平成24) アナログ標準テレビ5局6波の送信設備が撤去される。
日本平デジタルタワー完成後 Photo 2008.12.28
日本平ロープウェイ前の駐車場から
左から、テレビ静岡(先端のみ)、静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ(共用)、NHK総合、NHK教育・FM、奥 SBS(静岡放送)、日本平デジタルタワー
日本平の頂上には多くの送信塔が建っていて、それぞれ少しずつ異なる姿形をしていて、それはある意味壮観だった。だが上にもあるように、2011年にアナログ標準テレビ5局6波が廃止され、赤白で塗り分けられたアナログ放送の送信塔群は使われなくなった。このため、各局の送信塔は2012(平成24)年に撤去され、現在はそれらより遙かに背の高い日本平デジタルタワー(高さ95.5m)のみが建っている。
大きな送信塔一基だけになったので頂上付近の景観はすっきりしたものになった。市内から見ても頂上付近に高い塔が一つ聳えている姿は分かりやすい。ただ、塔があちこちに建っていて、歩くにつれてそれらの見え方が変わっていた時代を知る者にとっては、各局の施設をまとめた高い塔は合理的・機能的で良いことは分かっていても、ちょっと単調に感じてしまうことも事実だ。
日本平テレビ・FM放送所 - Wikipedia
日本平デジタルタワー - Wikipedia
日本平観光天文センター - Wikipedia
静岡の建築・土木構築物
#失われた建物 静岡県 #塔 #山 #眺望 #夕景・夜景
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デイムラー DS420 リムジン
排気量 :4,235cc
生産年代:1968〜92(昭和43〜平成4)
撮影場所:港区高輪3-13 グランドプリンス高輪 貴賓館前
Photo 2023.10.21
こちらもグランドプリンス高輪 貴賓館の前に駐められていたクラシックカー。前項のジャガーマークIX同様、ホテルで行われる結婚式の際に使われる車だそう。ジャガーかデイムラーリムジンのどちらにするかを選んで貰うために、玄関前に駐めていたのではないかと思う。貴重な車を偶然見ることができたのは有り難い。
リムジンなので全長が長くホイールベースも大きい。要人が自分で運転する車ではないので、後席がかなりゆったり造られている。また、前項のジャガーマークIXよりも更に大きな排気量だ。この手の大型クラシックカーを間近でみる機会はそうそうない。
Wikipediaによれば、ジャガーマークIXの後継車であるマークXをベースに造られているという。イギリス王室などで使われていたというが、需要は多くなかったのだろう。長い間造られていた割に総生産台数は4千台あまりと少ない。その意味でも、今となっては、また日本国内では貴重で珍しい車なのではないだろうか。
デイムラー・DS420 - Wikipedia
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ジャガー マークIX
排気量 :3,781cc
生産年代:1958〜61(昭和33〜36)
撮影場所:港区高輪3-13 グランドプリンス高輪 貴賓館前
Photo 2023.10.21
グランドプリンス高輪 貴賓館の前に駐められていたクラシックカー。ホテルで行われる結婚式の際に使われる車だそうで、この日は下見で訪れたカップルに見て貰うために車庫から出されていたようだ。
60年以上前の外車で、走行可能できれいな状態で維持されているものは少ないのではないだろうか。この時も通り掛かった人たちがみなしげしげと眺めていた。
流麗な後ろ姿。車高も低くスポーティーだが、やはり昔のデザインなので、どこか重そうな感じではある。
ジャガー・マークVII/VIII/IX - Wikipedia
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淡山翁記念報徳図書館
所在地 :掛川市掛川
建設年 :1927(昭和2)
構造・階数:RC・2F
Photo 2001.7.12
大日本報徳社公会堂の南側にある、RC造の図書館。1Fは書庫、2Fが閲覧室。
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大日本報徳社 仰徳学寮
所在地:掛川市掛川1176
建設年:1884(明治17)
移築年:1938(昭和13)
構造・階数:木造・2F
備考 :旧有栖川宮熾仁親王邸侍女部屋
静岡県指定有形文化財(2014年3月指定)
以前は掛川市指定文化財
Photo 1989.8.16
東京の霞が関で旧有栖川宮熾仁(たるひと)親王邸の一部、侍女部屋として建てられたもの。1924(大正13)年以降は帝室林野局仮庁舎として使われた。皇紀2600年(1940・昭和15)の記念として譲渡され、1938(昭和13)年に現在地に移築された。
木造2階の学校施設で、講習会などを開くことができるが、2001年時点では1階のみが利用されていた。その後、2012(平成24)に敷地内で曳き家移設されている。
玄関 Photo 1989.8.16
2階廊下 Photo 2001.7.12
2001年時点ではほとんど使われておらず、傷みもかなりあるような感じだった。
2階 Photo 2001.7.12
2階の部屋には暖炉とおぼしきものもあった。部屋の間は引き戸ではなく扉。
2012(平成24)に曳家により移動され、2013年春に修復が完了。現在は会議室や講義室に使われている。
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大日本報徳社 仰徳記念館
所在地:掛川市掛川1176
建設年:1884(明治17)
移築年:1938(昭和13)
構造・階数:木造・平屋
設計 :工部省
備考 :旧有栖川宮熾仁親王邸御座所
静岡県指定有形文化財(2014年3月指定)
以前は掛川市指定文化財
Photo 2001.7.12
有栖川宮熾仁(たるひと)親王邸日本館の御座所として東京市霞ヶ関に建てられたもの。その後、霞ヶ関離宮、東宮仮御所として、また帝室林野局仮庁舎として使用されたという。1938(昭和13)年に宮内省から下賜され、掛川へ移築された。
内部は洋風で暖炉がある。このため屋根中央に暖炉の煙突が見えている。
東側の様子。ガラス戸のはまった廊下が続く。 Photo 2001.7.12
以下は2023年3月21日に訪れた際の写真。
Photo 2023.3.21
敷地全体の整備に伴い、仰徳記念館の東側にあったRC造の事務所と渡り廊下が撤去されたため、全体が見えるようになった。暖炉の煙突も塗り直された?ようだ。
東側の廊下
「仰徳館」の額が掛かる大広間
和風な外観だが、内部は絨毯敷きで暖炉もある。扉は内側への押し開き。白壁で長押もあったりして和洋折衷な感じ。
いつの時代のものかは分からないが、シャンデリアもついている。
暖炉がある部屋
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大日本報徳社 大講堂(遠江国報徳社公会堂)
所在地:掛川市掛川1176
建設年:1903(明治36)
構造・階数:木・2F
備考 :国指定重要文化財(平成21年度指定)
Photo 2023.3.21
今春、久々に大日本報徳社の大講堂を訪れた。修復等が完了して重要文化財に指定されてからは初めて。前に訪れた時は事務所に寄ってお願いして中を拝見させて貰ったが、重要文化財にもなっているので今回はちゃんと公開されていた。
また、写真には写っていないが、以前は大講堂の左手にRC造2階の事務所があったが、これは撤去されていた。
前項で記したように、2007(平成19)年に修復が完了しているので、外壁もきれいになっている。
玄関は、御殿や立派な家などにあるような造りで、むくり屋根のやや大振りなもの。
講堂内は畳やカーテン他が新調されて明るくなっていた。
お金がなくて修復できないと言っていた額もきれいに直されていた。
入口の両サイドにある2階部分へ上がる階段は新設されたもの。以前は無かったものなので、欠けた形で畳が敷かれている。
以前は上れなかった二階から
吹き抜けを囲む二階部分は、壁から張り出す形で下には支柱がない。天井から鉄棒が下がっており、床は吊られてもいるようだ。
玄関上の部分に祀られている「二宮大先生御神像」
和洋折衷の擬洋風建築の講堂だが、神棚というか厨子のようなものが玄関上にあるのも印象的。
木でアーチ型を造っている窓。窓ガラスは上げ下げ型。桟が細くて華奢。窓部分は洋風なのでカーテンが掛けられている。
2階の奥には和室もあるが、窓はここも洋風。
1階左奥にある階段。こちらは昔からあったものだろうか。
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旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂) - 文化遺産オンライン
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静岡の建築・土木構築物
#古い建物 静岡県 #映画館・ホール #擬洋風建築 #重要文化財 ブログ内タグ一覧
大日本報徳社 大講堂(遠江国報徳社公会堂)
所在地:掛川市掛川1176
建設年:1903(明治36)
構造・階数:木・2F
備考 :国指定重要文化財(平成21指定)
Photo 1989.8.16
入母屋の屋根を持つことから、一見すると寺院のように見えるが、2階窓はアーチ形で、角の部分は漆喰で付け柱が造られている明治期の擬洋風建築。玄関部分は武家屋敷の式台に似た構え。一方、内部は2層吹き抜けで壁沿いに2階桟敷席があるなど、芝居小屋風でもある。
2004(平成16)年から修復が行われ、2007(平成19)年に修復が完了した。写真は全て修復前の様子。
2階壁面の様子 Photo 1989.8.16
漆喰の壁にアーチ形の窓が開けられガラスが入る。また四隅には漆喰で洋風の付け柱が造られており、明治期の擬洋風建築の苦心の跡が見られる。
北側側面の様子 Photo 1992.4.11
2層2階の大型の寺院風建築のように見える。
中央部の付け柱とアーチ型窓 Photo 1989.8.16
建物中央の窓の上部にはステンドグラスのように色板ガラスが嵌められている。
中央の張り出し部分の付け柱は円柱で、怪しい形をした柱頭が付く。漆喰で造られているので、この時点では風化により剥離してしまっていた。
Photo 2001.7.12
二階部分には回廊がある。思いのほか広い畳敷きの部屋。三方のガラス窓から光が差し込む。
Photo 2001.7.12
講堂なので内部正面には演台がある。
玄関上の部分 Photo 2001.7.12
予算が少なく、当時は額の修復もままならないとのことだった(この撮影時点では国の重要文化財には未指定)。
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呉服町2-5 Photo 1995.4.15
静岡市の中心部、呉服町商店街は1990年頃にアーケードが改修され、華やかで明るいものになった。府中の歴史を示す街路灯が置かれ、街路樹も植えられ、電線の地中化もされて賑やか。パーキングチケットによる駐車が認められ便利ではあるが、いつもやや混雑している。
呉服町2-6、2-7 Photo 1995.4.15
大半の人はバスで訪れたり、周辺の駐車場に停めてここを訪れる。お金を払っても十分に魅力的なコンテンツ(ここでは品揃えとか食べ物の良さとか)が存在するためにここはあまり衰退せずに済んでいる。ある意味、ブランドストリート化もしており、静岡ではここでしか買えないものも多く、それがまた固定客を生んでいる。そんな呉服町だが最近は県外資本が増加して元気がないという。
写真中、銀座ワシントンは既にない。イケダヤは伊勢丹そばの札の辻クロスに移転。呉服町の様子も次第に変わっているようだ。
西武百貨店静岡店など 紺屋町6 Photo 1992.11.21
駅に近い部分には地下街がある。1980年のガス爆発後に地下街は改修がされた。地上出口を余裕を持って確保するために車道は蛇行することになり、結果的に地上部はコミュニティ道路的な形態になっている。駅の近くには金融系の店舗やオフィスが多い。
写真奥には長崎屋がわずかに見えているが、その一角は再開発されて葵タワーが完成している。この葵タワーには戸田書店が大型店を開設していたが、2020年に撤退。写真右には西武静岡店が写っているがこれも2006年に閉店。現在は静岡パルコになっている。
札の辻交差点 呉服町2-1 Photo 2000.11.1
札の辻交差点は東南方向から来た東海道が、駿府城の大手門前にあたる南西側で90度向きを変えて南西へ向かう場所。昔は御触書などの高札が掲げられた場所だったといわれ、そこから札の辻と呼ばれている。現在は呉服町通りと七間町通りが交差する場所で、戦後しばらくの間は市内で最も賑やかな場所だったようだ。JRの駅からは離れているため、一時は人通りが減ってしまっていたが、七間町の街並みがきれいになり、服飾系の店舗が増加した。90年代には一角にあった建物が建て替えられ、コンビニなどになっている。
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