都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧医院・妓楼の煉瓦塀

2023-02-12 | 板橋区  
旧医院・旧妓楼の煉瓦塀
所在地:板橋区 仲宿41
構造 :煉瓦
解体時期:2010〜14(平成22〜26)
Photo 2009.11.15

 旧中山道の板橋宿の中で旧街道から東へ小路を入ったところにあったレンガ塀。昔はお医者さんだったお宅で塀はその頃のものらしかった。医院はどうやら1990年代に診療をやめ、建物も建て替えたようだったが塀はその後もしばらくは残っていた。
 煉瓦は長手積み。倒壊しないよう鉄材で補強されていた。ただ数年後にここを訪れた時には数軒の家が建てられており、塀も撤去されていた。


2023.5.11追記
 下記『江戸四宿を歩く』のp.86に、「石井医院には、かつての妓楼「伊勢孫楼」の面影をとどめるレンガ塀が残っている。」という記述があり、写真のレンガ塀はかつては妓楼の塀だったもののようだ。

『江戸四宿を歩く−品川宿・千住宿・板橋宿・内藤新宿』
 江戸・東京文庫⑦ 江戸の名残と情緒の探訪、街と暮らし社、2001

Tokyo Lost Architecture  
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花の湯

2018-04-12 | 板橋区  
花の湯
所在地:板橋区板橋3−15
建設年:1967(昭和42)
構造 :木造
備考 :2017年3月廃業。その後、解体。
Photo 2006.5.21

 中山道板橋宿の街道沿いに建っていた銭湯。

 いわゆる宮造り型の昔ながらの立派な建物だが、意外にも、1967年に建て替えられたものだそうで、建物は築50年とすごく古いわけではなかった。一方、創業は1910(明治43)年だったそうで、100年以上の歴史のある銭湯としても知られた存在だったという。


 Photo 2015.2.3

 間口が割合大きく堂々とした姿。青い瓦も個性的だ。そして玄関の大振りな唐破風が印象的。ただ、入口は唐破風庇の下ではなく、1枚目写真のように右側になっていた。上写真では営業開始前のためシャッターが閉じられている。右側にはコインランドリーも併設されており、内部の間取りを変えるなどした際に、当初の入口を閉じてしまったようだった。


 Photo 2006.5.21

 唐破風の懸魚も鳥の透かし彫りでなかなか凝った造り。

 2015年に通りかかった時にはまだ営業していたが、2017年9月に訪れた時には既に解体されていた。ネットで調べたところ、経営者が高齢化するなどしたため、2017年3月30日で営業を止め、廃業したのだそうだ。

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中山道・清水坂

2015-02-25 | 板橋区  

 清水坂と右富士の問題。

 志村坂上交差点から国道17号線を西へそれると旧中山道清水坂。

 最初は少し右へカーブして、その後、左へ急カーブして坂下へ下りていく。

 坂は台地の斜面を巻き込むようにして、西北から西向きに下っていく。

 清水坂の坂下にある板橋区教育委員会が立てた説明板には「街道で唯一富士を右手に一望できる名所であった」と記されている。

 板橋から先、蕨、浦和、大宮に掛けては比較的平坦で、江戸から大宮方面へ向かうとところどころで富士は見えていただろう。広重の『木曽街道六十九次』でも、「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」、「岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望」として富士が描かれている。
 中山道の道筋は都内から埼玉では、北北西や北西に向かっており、富士は西南方向なので、江戸から大宮、高崎方面へ向かうとき、富士は基本的に進行方向左手に見える。もし進行方向右手に見えるのなら、それは道が西南より南向きになっている場合に限られる。説明版に「街道で唯一富士を右手に」とあるので、これは江戸から大宮方面へ向かう際に、この清水坂付近でだけ、進行方向右手に富士山が見える、つまり坂道のどこかが西南向きになっていて、富士が見える方向より道筋が南向きになっていたのだと理解される。
 逆に、大宮方面から江戸へ向かう時には富士は基本的に右手に見えている。清水坂周辺でも富士は見えていただろうが、それだと「街道で唯一富士を右手に一望できる名所」ということにならないので、やはりこの話は、江戸から大宮・高崎方面へ向かう際の話、ということになる。

 Wikipediaにも、「この坂道は左斜めに大きく湾曲していて、中山道中で唯一右手に富士山を望める名所として知られ、「右富士」と呼ばれていた。『江戸名所図会』にもその記述が見える。と記されている。

板橋宿 - Wikipedia → 「清水坂、ふじ大山道の追分」の項

 だが、手もとの『新版 江戸名所図会 中巻』(1980年、角川書店刊)の「清水坂」の項のあたりの頁では、右富士云々の記述は発見できなかった。

 早稲田大学の図書館のサイトでは江戸名所図会の実物写真を閲覧できるのだが、この「清水坂」「清水薬師」の項でも右富士についての記述はない。以下の資料写真は、早稲田大学図書館のサイトのもの。 というわけで、Wikipediaの「『江戸名所図会』にもその記述が見える。」という記述は誤りなのではないだろうか。

ru04_03218_0013_p0019.jpg 2,592×1,728 ピクセル ru04_03218_0013_p0021.jpg 2,592×1,728 ピクセル ru04_03218_0013_p0022.jpg 2,592×1,728 ピクセル

 また、東京都立図書館蔵の『江戸名所図会』の「清水薬師 清水坂」の項の解説には、「清水坂は中山道最初の難所ですが、街道筋では唯一富士山を一望できる名所でもありました。」と記されている。坂上の方だったら確かに富士は見えただろう。だが、右富士とか右側に富士が見えたとは書いていない。

 そしてこの東京都立図書館の解説も、前述のように、広重の絵に「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」や「岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望」があることからすると、「街道筋では唯一富士山を一望できる」の文章がやや奇妙だ。大宮や鴻巣でも見えてたじゃないか。。。

東京都立図書館 > 清水薬師 清水坂

 さて、右富士が見えたというのは、いったいどこに書かれてるんだろう?

 本などでも清水坂は右富士の名所だったと書いてあったりする。だが上記の『江戸名所図会』以外の江戸時代や明治期の文献に、右富士云々が書かれているという指摘、そして引用は、ネットでざっと見た限りではみつからなかった。

 だいたい、そんな名所なら版画かなにかがネット上にも出ていても良さそうなのだが、「中山道 右富士」で検索しても右富士の絵が全く出て来ない。もちろん右富士の写真もない。地元の人々の言い伝えのみなのだろうか? ちなみに「東海道 左富士」だと、富士吉原の左富士を描いた絵や写真がたくさん出てくる。

 さて、見える、もしくは見えていたとしたら、恐らくこのあたりから右手のカーブミラーの方向。でもこれだと実は坂の右手にならない。。。

 Google Map上で、坂の途中から富士山の山頂へ向けて線を引いてみる。図中、緑色の線が中山道の清水坂の道筋。右下から左上へ向かって、蛇行しながら坂を下っていき、下部で西よりわずかに南向きになる。
 一方、図中青色の線は、清水坂が西向きになる場所から富士山の山頂へ引いた線。最も西南向きに近い場所から富士山の山頂へ線を引いても、線は進行方向左側になってしまい、少なくとも現在の道筋では右側にならない。
 Google Mapはメルカトル図法のようなので、実際に富士山が見える方角はこのラインよりほんの少しだけ西寄り(上側)になるが、富士山までは100km程度なので、この場合の方角のズレはごくわずかだ。道の向きより右側(図中上側)に富士山眺望のラインが来ることはない。

 1906(明治39)年測量の古い地図を見ても、中山道の道筋はほぼ西向きで、西南西にもなっていない。
 またもし、江戸期に坂下の方の道がもっと西南向きになっていたとしても、坂下になると富士山は南西側の崖に隠れてしまって見えないのではないかと思われる。

 地形図で確認したところ、最も西南向き寄りになるポイントの標高は約15m。で、その80mほど西側には標高約22mの高台が見えている。地球の丸みをも考慮した上で、富士が見えるかどうかの計算をしてみたのだが、この条件ではまず見えない。富士山の山頂がわずかに見えるということもない。

 現場でも、これは見えないだろうな、と感じていたのだが、地図からの判断や、計算上では「右富士」はどうもそもそも見えないようだ。(最初の方でも書いたように、進行方向左側であれば坂の上の方、もしくは坂下の方で、富士山は見えていたものと思われる。)

 さてさて、右富士が見えたという根拠はどこにあるのだろうか?

注)この話は、現時点でのとりあえずの検索や計算等にもとづく情報で書いています。江戸時代〜明治前期までの道筋や坂の様子が現在とかなり違っていたりすれば、坂の途中から「右富士」が見えていた可能性はあります。右富士について、描かれた絵があることを御存知であるとか、昔の文献に清水坂の「右富士」について記されていることを御存知の方は御一報頂ければ幸いです。

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