都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

リーブルテック(旧 東京書籍、旧 東京書籍印刷)

2019-01-16 | 北区   
リーブルテック(旧 東京書籍、旧 東京書籍印刷)
所在地:北区 堀船1-23
建築年:1936(昭和11)
構造・階数:事務棟 RC・3F、工場 RC+S・平屋、守衛所 RC・平屋
解体年:2015(平成27)
備考 :「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」選定
Photo 2015.6.20  写真は事務棟・守衛所

 教科書でもお馴染みだった東京書籍の印刷工場。当初は東京書籍株式会社だったが、印刷部門の分離・独立に伴い東京書籍印刷株式会社となり、更に2009(平成21)に社名変更して株式会社リーブルテックになったという。

 王子駅から少し歩いた場所に長いヴォールト屋根が並ぶ工場建物が塀越しに垣間見え、正門のわきにはスクラッチタイル張りの守衛室があり、その奥に、これもスクラッチタイル張りの3階建て事務所が見えていた。昔の姿を今に伝える都心では数少ない戦前からの工場建築だった。

 事務所はもともと2階建てだったが、1952(昭和27)に3階が増築されたそうだ。また、3棟並んだ工場はかまぼこ型の屋根をしており、その屋根内には柱がなく広い工場空間になっていたという。

 「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選定されていたが、2011年に工場が埼玉に集約されたことから、工場は訪問時点で既に解体工事が始まっており、周囲が囲いで覆われ始めていた。

 アーチ型の屋根の工場には外光を取り入れる半円型の窓が並んでおり、その姿も印象的だった。

 2016年には北東側に新本社ビルが完成し事務所も移転した。事務棟も解体され、現在、跡地は大きなホームセンター(2017年6月オープン)になっている。

東京書籍 - Wikipedia
DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築 - Wikipedia

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 北区  #工場 
コメント

都営桐ヶ丘アパート E47号館

2018-12-17 | 北区   
都営桐ヶ丘アパート E47号館・北西側から
所在地:北区桐ヶ丘1-8
建設年:1970(昭和45)
構造 :SRC
階数 :14F
Photo 2018.11.3

 現在、桐ヶ丘1丁目アパートへの建て替えが進められている桐ヶ丘団地。1960〜70年代に建てられた団地の建物はほとんどが5階建て以下で、一部にメゾネット6階があるだけ。その中で唯一この建物だけは14階建てで、団地のシンボルタワーのような存在だったそうだ。


 南側からの全景と、団地の給水塔

 桐ヶ丘団地は詳細には見ておらず、この建物も近づいたことがなかった。先月訪れた際、灯りが点いておらずちょっと異様な雰囲気を漂わせていたため近くに行ってみた。すると解体の掲示が出ており、そのとき初めてこの建物がなくなることを知った次第。


 玄関付近

 結局内部には入らずじまい。平面形はほぼ正方形、吹き抜け中庭のあるロの字型の建物だったという。解体直前だったので補修もされておらず、あちこちの塗料が剥げていた。

 解体工事は10月30日からの予定とされていたが、11月3日に訪れた際にはまだ工事は特に始まっていなかった。ただその後1ヶ月以上経ったので、現在はたぶん解体作業が始まっているだろう。

 1Fには桐ヶ丘小売市場という店舗もあったようだ。昔は周辺地域からも多くの人が訪れていたのだろうが、訪問時は既に無人でひっそりしていた。

 階段室・EV室のある壁面の見上げ。近くで見るとなかなかの迫力がある外観をしている。


 非常階段の見上げ

 錆び付いた階段が上方に伸びる姿は迫力があり存在感があった。建物名で検索すると昔の写真も出てくるが、非常階段に布団を干しているのが印象的だった。高層で外側にベランダがなかったためそんなことになっていたようだ。

 壁面から片持ち梁を2列張り出して、それに鉄製の階段を載せている。一見すると素っ気ないが無駄のない合理的な姿はある意味潔くて格好が良い。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 北区  #住宅系  #高層ビル  #塔 
コメント

東京第一陸軍造兵廠 275号棟

2018-03-31 | 北区   
東京第一陸軍造兵廠275号棟(北東側から)
所在地:北区十条台1-2
建設年:1919(大正8) 東京第一陸軍造兵廠275号棟として建設
構造 :煉瓦、屋根小屋は鉄骨造
階数 :1F
規模 :54×27m
備考 :現在は北区立中央図書館「赤レンガ図書館」の一部
Photo 2002.9.29

 東南側から Photo 2002.9.29

 一帯の陸軍施設は組織の改編などに伴い、以下のように名前を変えた。また戦後の一時期は米軍に接収され、返還後は陸上自衛隊の施設等になった。

 1923(大正12)陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所
 1936(昭和11)陸軍造兵廠東京工廠銃砲製造所
 1940(昭和15)東京第一陸軍造兵廠第一製造所
 1945(昭和20)終戦
 1947(昭和22)米国陸軍に接収され、TOD(Tokyo Ordnance Depot:東京兵器補給廠)第四地区となる。
 1958(昭和33)第四地区の一部が日本に返還される。
 1959(昭和34)陸上自衛隊武器補給処十条支所となる。また、返還された施設の一部は民間会社に貸し出され、275号棟は東洋ゴムが運営していたタイヤ再生施設として利用された。
 1989(平成元) 東洋ゴムのタイヤ再生施設が閉鎖される。
 2008(平成20)北区の新中央図書館となる。


 再生前の様子 Photo 2002.9.29

 この写真を撮影した2002年当時は、何にも使われておらず廃墟状態だった。既に自衛隊の敷地ではなかったようだが、立入禁止で鉄条網や柵越しに眺めるしかなく、遠くからむりやり撮った写真しかない。撮影当時は解体の気配が濃厚だったので、見納めかもしれないと思いつつ、柵越しに一所懸命に撮ったものだ。

 だがその後、北区の中央図書館として保存しながら使うという展開になったために、現在は建物の中にさえもあっさり入れるようになっている。


 北区立中央図書館 Photo 2011.6.11

 赤煉瓦倉庫の本体を残しつつ、上側に被せるように新しい建物を建てている。


 東南側から Photo 2002.9.29

 図書館になって多くの人が使うようになったのは喜ばしいことで、赤煉瓦建物の歴史を多くの人が知ることになったのも良いことなのだが、個人的には雑草の原の向こうに建っていた廃墟状態の時の景色も懐かしい。明日にも壊されてしまうかもしれないという様子には哀愁が漂う。こんなボロボロの状態だった建物が、再生されてきれいな文化施設になったということも記憶に留めておきたい。


 北区立中央図書館 北西側から Photo 2017.1.23

 図書館になる前は、近づくことができなかったし、西側からも見ることができなかったので、北西側から見ることができるようになったのは感慨深い。この方向からだと煉瓦倉庫全体を残しながら図書館にしたことがよくわかる。


 北区立中央図書館・ホール Photo 2002.9.29

 図書館内部では窓などを取り払っており、往時の壁を通り抜けて開架書庫へ向かうことができるようになっている。


 北区立中央図書館・カフェテラス Photo 2002.9.29

 煉瓦造の倉庫でそのままでは耐震性に問題があるため、内側にRC造の壁をもう一つ建てて建物を支持しており、現在は煉瓦壁には構造的な負荷が掛かっていないのだそうだ。


 Photo 2002.9.29

 上層に新建物が載っていない場所には、昔からの鉄骨の小屋組が残されている。

関連記事 > 『東京人』都市出版社刊、2008年5月号、p.52
都市徘徊blog > 北区立中央図書館
Tokyo Lost Architecture
#古い建物 北区  #新しい建物 北区 
コメント (1)

三村ミシン商会

2017-03-05 | 北区   

 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿い、都道補助73号線の拡幅事業で消失した建物。

三村ミシン商会
所在地:北区赤羽西1−15
構造・階数:木造2F
備考 :2009.10〜2013.7の間に解体・消失
Photo 2011.1.23

 シンガーミシンの看板が付けられていた看板建築。2階などの壁面はアルミサイディングかなにかで改装されていたようだ。

 2009年10月のGoogle SVにはまだ姿が写されているが、その次の2013年7月の写真には姿がない。

 奥はイトーヨーカドーが入居している赤羽駅前の再開発ビル・パルロード3。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区  #看板建築 
コメント

出桁家屋

2017-03-01 | 北区   

赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿い、都道補助73号線の拡幅事業で消失した建物。

出桁家屋
所在地:北区赤羽西1−22
構造・階数:木造2F
備考 :2002.6〜2006に解体
Photo 2002.6.15

 岩槻街道から静勝寺への参道の入口角にあった出桁家屋。この建物も視線や騒音の遮蔽のために、建物周囲にトタン板塀が巡らされていた。1階の階高が比較的高く、一方で2階のそれはやや低い建物だった。2層目の道路側に窓が無いことを考えると、2階建てではなく、大きな屋根裏を持つ平屋だったのもしれない。

 参道沿いの赤いトタン屋根の細長い小屋は、地蔵だったか観音様の祠だったもの。普通と違って道路と平行にスリムな小屋が建てられており、この場所にあった頃から妙な感じになっていた。道路拡幅に伴い、近辺のお寺あたりに移設されたのだろうと思うが、移設先の詳細は未確認・・・。

 この写真でも板壁を補修などがされており、比較的きれいな状態で残っていたが、やはりこちらも2006年の住宅地図では既になくなっていた。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区 
コメント

旅館 宮城荘、野島旅館

2017-02-26 | 北区   

 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿いの建物。つづき。都道補助73号線の事業化による拡幅で消失した沿道の旅館。岩槻街道でこのあたりの宿場だと、荒川近くの方に岩淵宿があるが、少し離れたこの界隈の通り沿いに旅館が数軒在るのも宿場町の名残なのだろうか。

旅館 宮城荘
所在地:北区赤羽西1−15
構造・階数:木造2F
備考 :2004.4〜2006に解体
Photo 2002.6.15

 門のそばの洋風小屋が古そうだった物件。窓が木枠で木製の洋風の桟が入っていた。ただ、外壁はログハウス風にも見える微妙なものだった。

 この写真の後、2004年4月に訪れた時にはまだあったが、2006年の住宅地図には既に掲載がないので、その間に解体されたものと考えられる。

野島旅館
所在地:北区赤羽西1−15
構造・階数:木造2F
備考 :2002.6〜2006に解体
Photo 2002.6.15

 こちらの旅館は大型の総二階建て。玄関は路地を入った妻面側。1階道路側に板塀を立てて、街道側からの視線や騒音を遮断している。

 写真左端に見えている三浦表装店は、2009年10月のGoogle SVには写っているが、これも2013年6月までには解体されている。野島旅館の方は2006年の住宅地図で既に掲載がない。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区 
コメント

赤羽家畜病院

2017-02-22 | 北区   

 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿い、通りの西側に建っていた木造平屋。そしてこれも都道補助73号線の事業化による拡幅で解体・消失したもの。

赤羽家畜病院
所在地:北区赤羽西2−17
構造・階数:木造平屋
備考 :2009.10〜2013に解体(Google SVによる確認)
Photo 2002.9.23

 動物病院ではなく、家畜病院だったのが興味深い。昔は家畜を飼っていた農家が近辺に多かったということだろうか。

 営業していたのかどうかは分からないが、2002年の時点では看板を出していた。いつ頃まで営業していたのかは不明。Google SVで確認すると、2009年10月時点の画像には写っていたが、2013年6月では既に3階建てマンションに建て替えられていた。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区  #病院 
コメント

大衆酒場大久保・ドライクリーニング長部

2017-02-19 | 北区   

 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿い物。都道補助73号線の事業化による拡幅で、沿道の建物は軒並みなくなった。

大衆酒場大久保
所在地:北区赤羽西2−2
構造・階数:木造2F
備考 :2006〜2009.10に解体
Photo 2004.4.25

 こちらは2011年に訪ねた時には既に消失していた物件。右側は前の記事でも記した鋭角角地にあった出桁町屋。

 手持ちの住宅地図で確認したところでは2006年まではあったようだ。しかしGoogle SVの2009年10月時点の画像では既に除却されている。

 角地の出桁町屋よりは若干軒高が低く簡便な建物で、お店の看板で壁面の多くが隠されてはいたが、一応これも出桁町屋だった模様。

ドライクリーニング長部
所在地:北区赤羽西2−2
構造・階数:木造2F
備考 :2011〜2013.6に解体
Photo 2011.1.19

 2011年時点で周辺の建物が続々に解体されていたなか、まだ残存していた物件。

 こちらも2016年夏の訪問時には解体済みで、Google SVで確認してみると、2013年6月時点で既に更地になっていた。従って、写真を撮った2011年1月〜2013年6月までの間に解体されたようだ。

 出桁造り町屋とかではなく、屋根もトタン屋根で、建築的には立派で貴重だというわけではない。ただ、後方には大型の物干し台があり、古くからのクリーニング屋さんだったことを思わせる姿だった。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区 
コメント

出桁造り町屋S邸

2017-02-13 | 北区   

 都道補助73号線の事業化による拡幅でなくなった赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿いの建物。

出桁造り町屋S邸
所在地:北区赤羽西2−2
構造・階数:木造2F
備考 :2011〜2013.6に解体
Photo 2011.1.19

 鋭角になった角地に建っていた出桁造り町屋S邸。

 1階北側端に緑色のタイル張りの台のような部分があったことから考えると、もとはなんらかのお店だったようだ。1階の扉も中央部以外は昔からの木製のがっちりした引き違い戸だった。奥行きはさほどないが、軒高も高く立派な出桁造りの町屋。

Photo 2011.1.19

 変形した敷地に建つため、妻部分がかなり変則的になっているのが非常に印象的だった。交差点から埼京線沿いに入っていく細い道があるため、建物は後方が斜めになっている。木造家屋はたいがい梁が建物を横断しているが、斜めになった部分では梁はどうなっていたのだろう。

Photo 2011.1.19

 横から見ると、かなりスリムで背の高い建物のように見えてしまう。長方形の一つの角を切り欠いたような五角形をした平面型だった。この建物、南側側面と背面の大半が下見板張りになっており、昔ながらの木造家屋の雰囲気を色濃く出していて、特異な形態で角地で印象的な姿を見せていることもあり、残してほしい建物だった。

 しかし、2016年に訪れたらやはり道路拡幅によって解体され、この場所は更地になっていた。Google SVで確認してみると、クリーニング長部同様、2013年6月時点で既に建物は除却されている。従ってこの建物も2011年1月〜2013年6月までの間に解体されたものと思われる。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区 
コメント

手嶋商店

2017-02-10 | 北区   

 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿いの建物は、都道補助73号線の事業化による拡幅で軒並みなくなったが、こちらはどうやら大幅に改築されて残されているようだ。

手嶋商店
所在地:北区赤羽西2−1
構造・階数:木造2F
備考 :2014年に改築?(Google SVによる確認)
Photo 2011.1.19

 2階の壁面に※印が大書され、それが目立っていたモルタル看板建築商店。1F軒先のシャッターケースには「米と灯油 手嶋商店」と書かれていた。

 窓の様子などから考えると、1階の階高は普通よりやや高かったようだ。

 Google SVで確認したところ、真新しい建物が写っていたので、解体されて建て替えられたものと思ったのだが、よく見ると通り側に衝立状に壁面が立ち上がっている切妻屋根で、以前の建物とプロポーションが似ていて、新築としてはなんだか妙だ。

都道460号線 - Google マップ

 現代において新築の住宅で看板建築状に通り側に壁面を立てる理由が見当たらない。そう考えると、現在の建物は以前のこの看板建築を大幅に改築したものだと考える方が良さそうだ。無くなったわけではないが、面影はほとんどないということである。

Tokyo Lost Architecture
#商業系  #看板建築  #失われた建物 北区  #古い建物 北区 
コメント