都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

静岡新聞・静岡放送本社ビル

2017-03-15 | 静岡県  
静岡新聞・静岡放送本社ビル
所在地:静岡市駿河区登呂3-1
竣工年:1970(昭和45)
構造・階数:S造・17F
高さ :68m
設計 :丹下健三
Photo 2016.8.18

 全景を納められる場所を今まで知らなかったのだが、北西側にあるSCの屋上駐車場に行けばよいことをネットで知り、昨年夏に改めて撮ってみた。

Photo 2016.2.25

 丹下健三さん設計の静岡新聞社というと、銀座にある東京支社(1967年)の方が圧倒的に有名だが、静岡市内にある本社ビルも丹下さんの設計。 静岡生まれとしては、実はこちらの方が馴染みだったりする。

Photo 2016.2.25

 メタボリズムの考え方が全面的に出ている東京支社に比べると、普通のオフィスビルっぽいけれど、北側をコアにして、南側のオフィス部分を階によって張り出したり引っ込めたりするあたりは多少それっぽい。 全体の姿形の格好良さ、バランスの良さは、やはり丹下さんならではかと思う。

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#新しい建物 静岡県  #オフィス  #高層ビル  #丹下健三  #メタボリズム 

静岡の建築

コメント (1)
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クウェート大使館

2013-03-28 | 港区   
クウェート大使館
所在地:港区三田4-13   Google Map
建設年:1970(昭和45)年
構造 :SRC
階数 :7F・B2F
設計 :丹下健三
Photo 2013.1.18

 メタボリズム的発想・・・だったのかな。ただ、新陳代謝とか増殖のイメージの単なる実体化とはちょっと違って、アンバランスさが印象的な積み木のようで、抽象立体幾何学的な造形がおもしろく、そこに空中庭園も付加されてる感じ。

 昔は特になんとも思わなかったのだが、今になってみると、意外に魅力的に見える。

 この建物、あちこちにテラスなどもあって結構ゆったりとした造りだ。似たような雰囲気を持つものとして、神宮前のGYREなども思い浮かぶが、こちらの方が遙かに昔の建物で、また軽快。

 最近の建物は許容容積一杯に建てて、斜線他の法律に縛られて、ということで、超合法建築などという言い方もあるくらい、法律や条例で形が決まってきているところがある。

 こういう建物を見ると、昔の方が自由だったのかなぁ、最近は自由度が減っちゃってるのかなと思う。容積ボーナスを貰ってギリギリ一杯建ててるオフィスビルなどを見るにつけ、建物の姿形としての選択肢は減ってしまっているのだろうかとか、よほどの条件が揃わないとボリューム造形的なチャレンジはしにくい時代なのかもしれないな、などと考えてしまう。

 またそれとは別に、モダニズム、後期モダニズム、ポストモダンなどという流れを経て、近年のIT系全盛の時代、ハードなフォルムの追求などというのは、古典的な感じに思われてるのかなとも、ちらっと思った。そうは言っても、最近はコンピューターを駆使してとんでもないフォルムや空間を持った建物も出てきてるから、建築デザインが溶けちゃってるとか、不可視化してるというのとはまた違うのだろうな。

 ところで、この方向からだと電柱がじゃまだ。これがなければもっとよく見えるのに。

#古い建物 港区  #官公庁  #オフィス  #丹下健三  #メタボリズム 
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静岡市農協センター

2012-04-10 | 静岡県  
静岡市農協センター
所在地:静岡市駿河区曲金5-4
設計 :大高正人
建設年:1971年
構造・階数:RC・3F?
備考 :撮影時は静岡農協豊田支所。1996~2000年頃の間に解体。
Photo 1996.1.4

 申し訳ない言い方だが、農協の建物としてはなんだかえらく斬新。ほとんど窓のない3階が四方に大きく張り出して大きく、かつコーナー部分がバルコニーになって、壁面がカットされているので、妙な迫力があるデザインになっている。残念ながら内部は訪れずじまいになってしまったが、内部はどんなだったのだろう。

 既になくなってしまった建物でもあり、Web上には情報がほとんどないが、「新建築」に竣工前に掲載された記事があり、平面図や断面図が載っている。ただ小さな平面図だけではどういう構造や空間だったのかはよく分からない。

 2Fと3Fは正方形の平面を持つ。各面に3本見えている太い柱(2本一組)、計12本で3Fを空中に掲げ、1Fをピロティ的な空間としている。2Fは3Fから吊り下げたようなものだったらしく、太い柱は2Fとは直接には接していない。写真で2F部分の壁面に白っぽく明るい細い筋として見えているのは、3Fから2Fを吊る懸垂柱。

 2F、3Fを上げているため、1Fは構造的にはほぼ分離しており、全く別のレイアウトになっている。上部の正方形平面にはとらわれず、周辺にはみ出したりする形で、事務系の様々な機能が並べられ、逆にピロティ部分には池も入り込んでいる。

 小さな頃、暮らしていた場所がこの建物の近くだったので、小学生の時に引っ越すまでは時々目にしていた。1971年に完成したらしいので、私が見ていたのは完成直後の姿だったのだろう。当時から漠然とインパクトのある建物だとは思っていたが、なにぶん小さかったので、私はさして気に留めていなかった。しかし両親などは、変な形の建物だねぇなどと言っていた。

 大学に入って建築を学ぶようになってから、モダニズムやメタボリズムなどというものを知り、そう言えば小さい頃に見てたあの建物もモダニズム建築なんだろうなぁ、とぼんやり思うようになった。

 改めて通りかかったのが1996年の正月。その時も内部には入らずに遠くから全景を写真に納めたのみ。もういちど行って、今度は内部も見てみようかなぁなどと思っていたが、そうこうする内にあっさり建て替えられてしまった。

 改めて図面を見ると興味深いデザインだったらしいだけに、建物があった頃によく見ておかなかったのが残念だ。

新建築1971年2月号
静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #オフィス  #大高正人  #メタボリズム 
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中銀カプセルタワービル

2008-12-25 | 中央区  

 既に文化財級ではないかと思われるこの建物も、老朽化等の問題のために解体されようとしている。

中銀カプセルタワービル
所在地:中央区 銀座8-16
構造 :SRC・一部S
階数 :11F・一部13F
建設年:1972(昭和47)
設計 :黒川紀章
Photo 2008.7.22

 建物の老朽化とアスベスト問題、改修にかかる費用の面から、解体、建て替えが決まったのだという。(注1)

 もともとかなりアクの強い建物なので、住むためにはそれなりの覚悟が必要だと思う。だから、てっきり入居者はこの建物を愛して止まない人たちなのだろうと、私などは思っていた。その意味では、意外に大人の対応?がなされたのにはちょっと驚いた。しかしこの建物の部屋を所有している人、住んでいる人の中に、投資目的の人は少ないのではなかろうか。そう考えると、やはりぎりぎりの線だったのかなぁとも思う。
 確かにアスベスト問題は、住人にとっては我が身の健康の問題ではある。コストと安全という問題の前では、たとえ建物を愛していても妥協せざるを得なかったということなのだろうか。Wikipediaの記述を見ると、建て替えは、区分所有法に基づく建て替え決議を経て決まったという。残したいのはやまやまだが、これ以上負担できないという人に較べて、大規模に改修してでもなんとしても残したいという人は、かなり少なくなっていたようだ。

Photo 2008.7.22

 中銀カプセルタワーは、大まかに言うと、ベースとコアシャフト、カプセルからなる。カプセルは2本のボルトだけでコアシャフトに固定され、この他に電気、給排水管が接続されているという。その名の通り、宇宙ステーションに実験棟カプセルがドッキングしているような感じだ。60〜70年代にはこういう発想は斬新で未来的だったのだろう。カプセルモジュールで空間や機能を増減するやり方は、その後、様々な場面で実現している。またプレファブリケーションで建物を造ることも広まっていて、中銀カプセルタワーはそれらの先駆的な存在だったのだろう。

Photo 2002.4.29

 ただ、中銀カプセルタワーはコンセプチュアルにその概念を表現したもののようにも思う。幹に枝葉のようにカプセルを固定するやり方は、直接的な見せ方だし、カプセルが様々な位置と方向で取り付く様は、非常に格好が良く、機能優先ではないデザイナー魂が出ているように思う。
 実際、新陳代謝できる建築という実質的な機能の進化は、カプセルタワーのような、これみよがしな分かりやすいデザインではなく、もう少しこなれて、見えにくいものになった。現在的な見方をするなら、カプセルタワーは結構不便なところが多い気がするし、無理やりな挑戦をしているような気もする。メタボリズムの発想を明快に形にしてはいるが、思想をそのまま形にしなくても良かったんじゃないの?、などとは思ったりもする。

 だが、やはり憎めない建物だ。考えを示すために現実的な住みやすさなどを捨て去ってしまったかのような潔さが感じられ、見ていて気持ちがよい。思想とライフスタイルが外観に現れているという意味ではとてもモダンな建物だ。
 築40年以下の建物だが、建築文化に与えた影響は大きいという。日本におけるDOCOMOMO135選にも2006年度に選ばれている。

 今、周辺にはカプセルタワーより大きなビルが建ち並んでいる。高速道路を挟んだ南側には汐留の高層ビル群が建ち並び、カプセルタワーは今ではどちらかというとこぢんまりしたビルになってしまった。また、首都高速が目の前にあるので、全貌を見るのは極めて難しい。今回、外観を撮るためには、交通量が多い道を無理やり渡らねばならなかった。そして高速下の駐車場の縁にピッタリと張り付いて、ビュンビュン走る車をやり過ごしながら、ようやく全体が見える写真が撮れたのだった。

 ビルの足下を歩いていると、1Fにコンビニが入居した普通のマンションのように感じられてしまう。私が写真を撮っていると、通りかかった人々が何事かと上を振り仰いでいた。これが建築的に有名なものであることを知らずに行き交っている人も多いようだ。当初の近辺は、せいぜい7,8Fのビルが数棟ある程度で、低層の家屋も多かったのではないだろうか。そういう状況ではカプセルタワーは抜群の存在感をもっていたに違いないが、今の様子はかなり異なる。もしかするとカプセルタワーの時に思い描かれていた未来の街を、現在の街は追い越してしまったのかもしれない。

 解体される場合、カプセルぐらいは残されるのだろうか。どこかでカプセル1ヶだけを保存して公開したりはするかもしれないが、そうではなく、全部の移築保存はできないのだろうか。江戸東京たてもの園に移築したら、周辺とギャップがありまくって、おもしろカッコイイ気がする。今までの雰囲気が壊れちゃうからダメかもしれないけど・・・。メタボリズムつながりで、両国の江戸東京博物館の前庭あたりに移築なんてのも面白そう。江戸博の巨大さが改めて分かる気がする。移築先でベースとコアシャフトを造っておいて、現在のカプセルをトラックで運んで、クレーンで取り付ける。これこそメタボリズムの真価発揮。もし実行されたらちょっとしたイベントではないだろうか。

 新陳代謝する建築は、増改築や修繕がしやすい建物、定期的なメンテナンスや交換がしやすい建物として、現在では一般化している。カプセルを丸ごと取り替えてしまうのではなく、更に部分、部分を更新できるわけで、より緻密な新陳代謝だし、リユースやリサイクルの観点からすれば、よりエコなシステムが構築できてきたことになる。

 でもカプセルタワーは、建てたらそれっきりになりがちだった近代建築に、新陳代謝や使い続けながら更新するという発想を、形は違うが意識的に取り入れたわけで、大きな意義を持つ建物なんだろうなと思う。

 授業でカプセルタワーの考え方、発想について解説すると、多くの学生が関心を持つ。40年近く前にそのような先駆的建物が日本人建築家によって建てられたことに、今の若者も感心するらしい。メタボリズムもまだまだ捨てたものではないなと改めて思う。

中銀カプセルタワービル - Wikipedia

注1)2016.1.13追記
 その後、マンションを建築する予定だった業者が倒産しため、建て替え決議は無効になったという。建て替え賛成派と反対派の割合は変動しているようで、2015年末時点でも今後の方針は決まっていない。


2022.8.21 追記
 2021年に解体が決定し、2022年4月解体開始。

Tokyo Lost Architecture
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ソフィテル東京

2007-02-10 | 台東区  

 新聞に、不忍池そばの有名な建物の解体が決まったとの記事が出たので、久々に見学に行く。

ソフィテル東京(旧法華クラブ、ホテルCOSIMA)
所在地:台東区池之端2-1
設計 :菊竹清訓
構造・階数・高さ:SRC・26F・110.2m
建設年:1994.6
備考 :営業終了:2006.12 解体・建て替え決定:2007.1
    解体工事:2007.2~2008.5
    右は、ルネッサンスタワー上野池之端(38F、136.5m、2005.3建設)
Photo 2007.1.21

 わずか12年間あまりしか存続しなかった建物だという。昨年末にホテルが閉鎖され、三井不動産が購入したが、部屋数が83しかなく、マンションなどへの用途変更が難しかったらしく、解体して再開発することになったのだそうだ。設計者の菊竹先生は年明けにそれを知り、他の用途への転用もできなくはないのに相談もなしに一方的に決めたと憤慨したという。

 設計者の立場からすれば憤慨はごもっとも。性急な解体決定にも疑問はある。本当に使い道を一所懸命に検討した末の結論なのかなぁ。変な形の建物だし、使い勝手が悪そうだから、壊して再開発しちゃえー、という結論が先にあったんじゃないのかなぁとも思う。

 今回の解体決定報道は、微妙なトーンで語られていた気がする。不忍池の畔で独特の姿を見せ、良くも悪くも話題になっていた建物が、わずか12年で解体されることになってしまったという事実関係が述べられていて、不動産側など関連当事者のコメントなどが載るが、新聞として、また市民の声として、残念だとかいう意見は書かれていない。もちろん、無くなるのは良かった、などというあからさまな言い方はされていないが、特に思い入れがあるわけではなく、あまり残念そうでもない。論争を巻き起こした建物だったとは書いてあったが、それ以上の見解はなく、短命に終わった哀れさだけが目に付く書き方だった。解体決定によって池之端の景観の美醜に関する議論は既に終わったことになったのだろうか。たしかに解体決定によって、議論は奇妙な結末をひとまず迎えてしまったのかもしれない。

 ソフィテル東京(旧ホテルCOSIMA)は、モミの木に似せたといわれる。だが当初から、不忍池ごしに見えるこの景観については賛否があった。反対する人々が問題だとする点には二種類があると思う。

 1)建物のデザインが良くない、イヤだ、気持ち悪い、恐いなど、建物の形に関する反対。2)広がりを持つ不忍池の風景の中に、一つだけ背の高い建物が建って目立ちすぎているという、建物の高さに関する反対。(当時はルネッサンスタワーはまだ無かった。)

 2)の場合は、池の畔に背の高い建物が建つ限り、解決はない。今回、ソフィテル東京が解体されても、ルネッサンスタワーが残るので問題は残る。一方、1)の場合は、形がおとなしければ許容されるので、ソフィテルが無くなれば、ひとまず解決ということになる。

 周辺との調和を重んじる立場からすれば、どちらも問題で、仮に解体後の再開発によって普通の超高層マンションが建つとしたら、それもだめ。だが、東京ではあちこちに超高層マンションが建ってしまっているので、私は正直なところ次第に諦め始めている。低層の街並みの向こうに超高層が建つ風景に対して、怒るより慣れようとしている自分がいる。

 それでも、この建物の景色は気持ち悪かった。慣れることが出来ないままだった。頂部と肩の部分に、航空障害灯の赤色ランプが取り付けられていて、夕暮れになるとそれが点滅し出す。夕焼けの中、シルエット状に佇む姿が、巨大な仏像のようでもあり、なんだか薄気味悪くさえ感じられることもあった。不忍池を訪れた人なら必ずといって良いほど、あの建物はなんだ??と思う奇抜なデザイン。

 目立ちたいという自己顕示欲は達成されたのだろうが、果たして本当に良い意味で目立ったのだろうか? あの形が原因で、高級ホテルだとは思わず、いかがわしいホテルだと勘違いしていた人も多い。気持ち悪いと感じた人も私だけではない。高さやボリュームだけならともかく、デザインが奇抜過ぎたために、話題にはなったが、当初から不利な立場に立たされてしまい、あまり愛されない建物になってしまったのではないかと思う。

谷中・朝倉彫塑館屋上から
Photo 1994.1.30

 90年代に、アームストロングさんというオーストラリア人建築家を案内して谷中を歩いたことがある。アームストロング氏は80年代に日本に留学した後、母国に帰って設計活動をしており、約10年ぶりに東京を訪問したのだった。谷中の寺町を歩き、日本家屋や路地のある風景を堪能した後、朝倉彫塑館を訪れ、屋上に上った。

 屋上から上野の方を見ると、竣工間近の例の異形の建物が見えた。アームストロング氏は驚き、「ああ!、あの建物は何ですか?」と私たちに問うた。菊竹先生が設計された、ホテルCOSIMAですと申し上げると、「昔、先生の自邸などを知って感激したけど、あれはどういうことですか。菊竹先生はどうしちゃったのですか??」と言われてしまった。不忍池のそばにあのような建物を設計するとは信じられない、といった言い方だった。私たちは「いやぁ、どうしちゃったんでしょうねぇ」と苦笑するほかなかった。

 もちろん外国人から見た日本は、多分にジャポニズムが強調されていて、それは日本人の持つイメージとは異なる。だが外国人の目には、東京のランドスケープはあの建物で乱されていると映ったようだった。

 さて、菊竹先生は、1960年代に日本で興ったメタボリズム運動の主導的立場におられた方。メタボリズム(Metabolism)は、もともと生物学の用語で、新陳代謝の意。都市や建築を生物体と捉えたわけで、メタボリズム建築は、新陳代謝する建築ということになる。

 最近あちこちで聞くメタボリック・シンドローム(代謝症候群)は、新陳代謝不全症みたいな意味だが、そのメタボリックと語源的には同根。樹木などは、秋になると古い葉を落とし、春になれば若葉を出し、新陳代謝をして生き続ける。建築も、老朽化したり使い勝手が悪くなった部分が出てきたら、それを外して新しいモノに付け替えることで生き続けるものにしようという発想なんだそうだ。老朽化したら、改修や改築をして使い回すというのはよくあることだが、メタボリズムではその辺が強調され、可視化されているところが特徴であるように思う。その後、他の建築家はメタボリズムから次第に離れていったが、菊竹先生はその後もメタボリズム的な思想を表現しようとし続けているらしい。

 ただ、なんて言うのかな、よくわからんが、メタボリズムは大阪万博を頂点とする、高度経済成長期的なイケイケドンドン的発想に連動しており、それがもろに具象化しているところがあり、後年はなぜか巨大化の道を歩んでしまっている。

 メタボリズムの本質である「新陳代謝」を中心に考えれば、リフォーム、リニューアル、リユースなど、今ある建物を補強したりしながら使い回す方法が指向されるべきなのだが、どこかの段階から、表現者・アーティストとしての建築家魂が前面に出て、巨大オブジェのようで彫刻的な「作品」の実体化が、主たる目的にすり替わっているような気もする。

 そう、なにも新しく巨大建築を建設することを考えなくても良いハズなのだ。しかし結果的に、新陳代謝の表現よりも、メガロマニアなどとも呼ばれる、巨大構造体指向が前面に出てしまった。特に菊竹先生の、ホテルCOSIMA、江戸東京博物館、昭和館では、その傾向が顕著だった。

 そこでは周辺の状況は顧みられず、超大型のモニュメンタルな建築物が構想された。異形でド迫力の形態を既存の都市内に持ち込むところは、穏やかで調和的な景観を指向する人々から考えると、景観の破壊者に映る。

 緊張感や活力があり、刺激的な都市景観こそが東京風景だと思えば、江戸東京博物館もソフィテル東京も、まったりとした下町風景に投げ込まれた刺激物だということになる。でも下手すれば、あれは劇薬。あの二粒で下町の風景は無茶苦茶になるとも言える。実際、あのような建物が建って下町の風景イメージは混乱した。下町と聞いて、長屋が建つ路地などをイメージしていると、バカでかい建物に遭遇して腰を抜かすことになる。

文京区弥生2丁目から
Photo 2007.2.3

 ソフィテル東京は、直接的な形態でもってメタボリズムが表現されてしまった建物。でもモミの木のように、枝葉が落ちて新陳代謝するわけではなく、外観が似てるだけ。メタボリズムというよりやはりメガロマニア(巨大趣味)で、どう見ても、新陳代謝=改修はしにくそうだった。ご本人はそう思っておられないかもしれないが、外見だけで判断すると、どう見ても巨大オブジェ指向で、末期的メタボリ。で、ソフィテルも江戸東京博物館も、周辺の建物群に比べると、ずば抜けて巨大で、違和感ありまくり。

 あの建物が、不忍池の畔ではなく、奇抜な形の超高層ビルが次々に建っている上海とか、昔から高層ビルが林立して混沌としている香港とか、台湾、シンガポールなどに建設されたら、違和感は少なかっただろう。アラブ首長国連邦のドバイなんかもオイルマネーでとんでもない形の建物が建っているので、メガロマニア系の建物には適している。

 東京でも、お台場とか西新宿の超高層ビル群の中だったら、意外に違和感なく溶け込めたかもしれないなとは思う。お台場ならまわりも大きくて新しい建物ばかりで、フジテレビみたいなキワモノもある。西新宿なら沢山ある超高層ビルの中に埋もれてしまえる。

 東京もいろんなデザインを自由に試せる都市なんだ、東京にもそうなって欲しいという人々もいる。でも東京の場合、江戸以来の歴史があるのだから、奇抜な形の超高層ビルが競い立つ都市になるべきではないと思っている人も一方で多くて、そこには考え方の激しい対立が存在する。 そう考えると、不忍池の畔という低層で広がりがある穏やかな風景のところに高層で奇抜なデザインを持ち込んだという、二重の違和感が、やはりまずかったのかもしれない。

 純粋にあの形だけを考えると、たしかに奇抜で面白い形の建物だとは思う。でも、デザインとして、格好良いかと言われると、そうは思わない。もっと端正な容姿にできたはずだと思う。構造・設備コアから自由になった居室空間という意図、内部空間からの要請を強調するあまり、外観はスッキリしなくなった。宇宙ステーションのように不格好に居室が取り付く姿にも見える。鉄とコンクリートで、モミの木を造る発想自体、そのまんま過ぎないか?? 目立ちたいだけなのか、無邪気にもほどがある。

 だいたい、新陳代謝する建築は、その「新陳代謝」によって長いこと生き続けるハズで、メタボリズム建築は、改修などの新陳代謝がしやすい建築のハズ。なのに、ソフィテル東京はそれが出来なくって、終焉を迎えてしまった。あの建物はメタボリックシンドロームだったのかもしれないな。皮肉な話だけど・・・。

 ところで、超高層ビルの専門家じゃないので、本当かどうかはちょっと怪しいが、この建物の解体は、日本における超高層ビルの解体第一号なんじゃないかと思う。もちろん鉄塔や煙突など、超高層構築物の解体は今までにもあるし、浅草十二階(凌雲閣)の倒壊、大昔の東大寺七重塔や、安土城、江戸城などの炎上倒壊というのはある。15階建て程度のオフィスビルやマンションの解体もあるかもしれない。でも、20階以上、100mを超す超高層ビルの解体は、日本では今まで無かったんじゃないかと思う。

 解体工事期間が、2008年5月までの1年4ヶ月となっているのにも驚いた。そんなに時間が掛かっても建て替えた方が採算が合うのか・・・。よほど嫌われちゃったのね。

 あの建物は、愛されなかった君だ。ソフィテル東京というホテルが愛されなかったわけでは決してなく、あくまであの建物のモンダイ。だいたいソフィテルも三井不動産もあの建物を見限ったわけだし・・・。

 だから今回の解体決定は不思議とそれほど残念ではない。逆説的だが、あの怪しい風景も見納めかーとは思った。もっと言うなら、どうやって解体するのかなーと、そっちの方が楽しみ。建てるときは次第にクレーンを小さくしていくけど、解体の時は、逆に次第にクレーンを大きくするのかしら??

 どんな出自であれ、今あるものを壊すのは残念だという言い方もあるかもしれない。たしかにスクラップ&ビルドは、資源的にも環境的にも問題で、改修できればそれに越したことはないという考えも理解できる。

 でも、私たちは自分たちが快適に暮らすため、動植物を食べる。木を燃やして暖を取る。快適に暮らすためにはある程度、何かを破壊して生息環境を確保する闘争が必要だ。今回の経緯はともかく、あの建物は、私たちが快適に暮らすためには解体され除去されるべき建物だったのだと私は考えたい。もちろんあの建物は、様々な思惑の中で失われていく犠牲者だ。でも今のままでは状況は変わらない。うまいこと生まれ変わってくれることを願う。

 初見ではギョッとする建物も、何年もすると慣れてしまうところがある。美人は三日で飽きるが、ナントカは三日で慣れる、というのに近いのか? それはともかく、慣れてしまうと、それが失われるときに喪失感も生まれてしまう。立て籠もり犯に人質が次第に同情して共感してしまう心理に近いのかな? それも変なたとえだけど。あの建物にも10年もすると慣れ始めていた。70年くらいは建ち続けるだろうから仕方ないと諦めたりもしていた。それなら、妙な建物がある風景を楽しんじゃえとさえ思ったりもした。

 でもそれは危険なことかもしれない。景色を乱しても、抵抗があるのは最初だけで、見慣れたら文句は出なくなると思われたら、その積み重ねで、都市の景色は無茶苦茶になる。まあ、明治以来、そういうのの積み重ねだったわけだが・・・。やはりイヤなものはイヤと粘り強く抵抗し続けないとイカンのだろう。

 今回のことで、風景や景観は、そうなってしまうのではなくて、創っていけるかもしれないとちょっと思った。今ある風景が恒久的なものだと思うと、嘆くしかな くなるが、変えていける、場合によっては新しく創っていけると思うと、まだ救いがある。

 でも、実は今後のこともまだ問題だ。不動産会社は跡地に新しい建物を必ず建てるだろう。その時、その形や大きさをどう判断するのか。旧ソフィテルのそばにはルネッサンスタワーという超高層マンションも建っている。超高層マンション案が発表された場合、それが建つのを認めるのだろうか。現行法規では認めざるを得ないはずだ。

 不忍池畔の景観の議論は、高さやボリュームではなく、デザインの美醜の問題だったのだろうか。仏像にも似たモミの木型はイヤだけど、四角柱だったらOKということなのか、それとも根本的に高くて大きいのがダメなのか。そのへんは今後も気になる。

関連記事:解体の現場(2007.7.22)
Tokyo Lost Architecture  
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1992-01-10 | 記事一覧 
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静岡の建築・土木構築物
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