先週の土曜日に、大学の学生を連れて丸の内へ行った。
今までにも二度ほど引率したルート。東京駅に集合して、丸の内のオフィス街を見てから、有楽町、銀座方面の繁華街へと抜ける。まずは大手町あたりを少しまわって、それから丸ビルへ。エレベーターに乗って無料展望コーナーへ上がる。なにげなく窓際へ近寄って、愕然。
丸ビル展望ロビーより
Photo 2006.11.18
丸ノ内八重洲ビル、古河総合ビル、三菱商事ビル、三棟の解体が進んでいた。通りから見ると、解体用足場が立ち上がっているので、変化はあまりよく分からなかった。しかし高いところに上ったら、解体現場をそっくり上から覗き込むことになってしまったのだった。以前「秋葉OLの楽しみ探し」の方に、上から見れば様子が分かりますよなどと書き込みをしていたのだが、それをすっかり忘れたころに、いきなり自らが見ることになってしまった。
八重洲ビルは以前にも取り上げたことがある。塔屋が可愛らしい近代建築だった。玄関ホールの姿もなかなか美しかった。
丸ノ内八重洲ビルヂング1 丸ノ内八重洲ビルヂング2
それが、あっさり取り壊されている。秋葉OLの楽しみ探し>「哀愁ビルヂング(11/22)」にも書かれているが、確かに建物は既に外側の皮一枚の状態になっている。解体の順番を考えたとき、最初は内側から解体して、道路に面した部分を最後に内側に倒し込むのが安全なのは、冷静に考えてみれば当然かもしれない。しかし路上から見たときにはまだあると思っていた建物が、実は既にがらんどうだというのは、かなりショッキングなことだ。
学生が、「なんか東京って感じで凄いですね~。」と言ったので、「えっ、どのへんが東京って感じなの?」と尋ねたら、「あの解体現場ですよ。でかい建物が内側からガンガン壊されてるのなんて、凄いっすね~。かっこいいっすよ。」と言われた。「ああ。あれねー。」などと、努めて冷静に話していたが、内心はかなり悄然としていた。かっこいい・・・か。
中に入ったことはあまり無かったけど、あの建物(特に八重洲ビル)は、私にとってもそれなりに愛着のある建物だった。だが学生にとっては単なる巨大な解体現場だったのだろう。数台の解体用機械が忙しく動き回り、床や柱を引き倒していく姿は、傍目にはダイナミックで格好良かったのかもしれない。展望室から見ていると、解体用機械の音も、建物が崩れる音もほとんど聞こえない。天空から音のしない下界の映像を眺めているような気分で、解体という事実にも現実感があまり無い。生々しい現場を見るというより、テレビを見ているような感覚に近かったのかもしれない。
学生に対する今回の課題は「「東京のイメージ」を表現する。」というもの。日頃それほど東京都心部を訪れない学生たちにとって、東京は、建設も破壊もダイナミックに行われる都市として映ったのだろうか。なんだか間違ったものを見せてしまったような気がした。しかし一方で、極めてリアルで旬な姿を見てもらったのかもしれないとも思った。
aneppeさんは、「意気消沈しました。確かめにいったりはしないよ。」と書いていた。私だって、見たくて行ったわけじゃなかった。ぼんやりしていて、たまたま見てしまった。見てしまったら、何らかの形で残すしかない。この写真をaneppeさんは見るだろうか。余計なお節介をしてしまったかもしれない。でも敢えて今回は「現在の東京・丸の内」の一断面をご報告することにした。
#失われた建物 千代田区 #街並み 千代田区 #眺望 #オフィス
都営浅草線泉岳寺駅そば、高輪大木戸跡のそばに知る人ぞ知る異空間がある。
高輪橋架道橋下
所在地:港区港南2丁目と芝浦4丁目の境(Google Map)
JR山手線、新幹線、品川操車場の下を潜り抜ける長さ200mほどのガード。
ここが特異な空間になっている最大の理由は、写真で見れば一目瞭然、ガードの高さが極端に低いのだ。車輌の通行制限高さは1.5m。多少、余裕を見ているので、ガードの高さじたいが1.5mというわけではないが、それでもかなりの圧迫感。特に東側150mぐらいの区間の天井高がかなり低い。身長170cmの私もここでは頭がぶつかってしまうので、最低高は160~165cm程度ではないだろうか。
ネットで調べてみると「提灯殺しのガード」という、すごい異名がついているという。提灯というのは、タクシーの屋根に付いているランプのこと。このガードがあまりにも低いため、その提灯が天井に引っ掛かって壊れてしまうのだそうだ。このエリアを走るタクシーは、ここのガードに合わせて、あらかじめ低い提灯を使っているという話さえある。確かにタクシーの提灯は天井すれすれをかすめるように駆け抜けていく。たまに見かける、大きな三角形の広告パネルを付けたタクシーなどは、絶対に無理。
提灯の明かりや、ブレーキランプの明かりが、天井に反射して映り込むガードって、そうそうない。
途中に何カ所か路面の凹凸があるのだが、ここでは多くの車が少し減速する。凹凸で車が上下して、万一天井に擦るといけないと思うかららしい。しかしその他の部分では一方通行であることもあって、皆かなりの速度で走っていく。天井の圧迫感から一刻も早く抜け出したいという心理もあるのかもしれない。地震で万一崩れたら、逃げ場もなくペシャンコになってしまうんだろうなという嫌な想像が頭をよぎる。
一番西側では頻繁に山手線の電車が行き交う。頭上2mぐらいのところを、何トンもある車輌が疾走し、雷のような大音響がガード内に響き渡るのはかなり恐い。音と振動で思わず首をすくめてしまう。そんなことしてもどうにもならないのはわかっているのだが。
天井高が低いので照明が側面に付けられ、ナトリウムランプで車内が激しく照らし出される。
今までここの名前は知らなかった。所在地をもとにGoogleで検索してみたら、高輪橋架道橋という名前だった。長くてトンネルのようになっているので、隧道かともちょっと思ったのだが、地面を掘って造ったものではないので、やはりトンネルや隧道ではなく、道路に架かる橋という扱いになっていた。現場で見落としていたのだが、ガードの梁にちゃんと高輪橋架道橋と書いてあるらしい。
ただ、架道橋はJRの橋のことを指すはずなので、道路の方は正確には架道橋下道路ということに恐らくなる。またこの架道橋は、いくつかの橋の複合体なのだが、幅が200m以上、それに対して長さは6~8m程度という、非常に変則的な「橋」でもある。
品川駅周辺はJRを東西に横切る道が極めて少ない。北は田町に近い札の辻橋、南は品川駅より南側の八ツ山橋、そしてこの高輪橋架道橋。この三つしか車や自転車が往来できる道がない。歩行者は、現在は品川駅構内に東西自由通路が完成したので、随分便利になったが、以前は徒歩でこちらまで迂回する人もいたらしい。
さて、この高輪橋架道橋という名称でGoogle検索してみると、あるわあるわ・・・。かなり多くのBlogやサイトで取り上げられている。テレビでも取り上げられたり、映画のロケ地にもなっているらしい。
自転車に乗る人も身をかがめる。
ところで「高輪橋」ってなんだろう? 高輪架道橋でよさそうなものなのに、高輪橋架道橋になっているところからすると、高輪橋って地名だろうか?。「たかなわばし」というところにある架道橋。あれ? そうなると高輪橋っていう橋はあるの? 住宅地図で調べてみたが、近辺には高輪橋は無かった。気になりだして、昔の地図を出してみる。
御存知の方も多いだろうが、東海道線は昔は高輪あたりで、海の上を走っていた。少なくとも明治の終わり頃までは、陸地に近い浅瀬に築かれた土手の上を汽車は走っていた。その後、埋め立てが進み昭和初期には内陸化してしまったようだが、昔は線路の西側、すなわち高輪側に河岸があったようだ。明治末(1909)の1/10,000地図を見ると、車町河岸という名が記されている。河岸があったのなら、当然東海道線の堤防にも切れ目があって、そこから船が入ってきていたのだろう。昭和12年(1937)の地図では、ちょうどこのガードの箇所に、国鉄の下を潜り高輪大木戸近くの小さな船溜まりへつながる水路が残されていることが分かる。
古い地図を見て言ってるだけなので、確証はないのだが、高輪橋架道橋はもともとは、海に架かる高輪橋という鉄道橋だったのではないだろうか。土手の堤の上を走る汽車はそこで鉄橋を渡っていた。鉄橋の下は河岸へつながる水路だった。
戦後になり、ここでの荷揚げが無くなり、水路の必要性は失われた。その一方で、海側の埋め立てが進み、鉄道を挟んだ東西交通の必要性が増した。そこで水路を閉鎖し水を抜き、そこに道路を造ったのではないだろうか? 高輪橋はその時、道路に架かる架道橋になったが、橋自体は変わらなかったので、高輪橋という名はそのままに、高輪橋架道橋という名になった。水路とこの道路の位置が一致するのと、そうすれば鉄橋を架け替える必要性が無いことから考えると、この推測はあながち外れていないように思われる。
天井高が低い理由はあまりよく分からない。人や乗用車が通れれば良いと考えたからという他に、地下に下水管などの埋設物があって、これ以上掘り下げられないからでもあるようだ。海に近いので、昔の技術だと、これ以上掘ると水が出て大変だったのかもしれない。
なぜ鉄道をもっと高い位置にしなかったのかとも言われるが、もともと海だったところに造った堤だったことを考えると、当時は高架にする必要性が無かったことも想像に難くない。海沿いの陸地とだいたい同じ高さにしておけば、潮をかぶることも多くはないし、高くしようとすればするほど大規模な堤を造らなければならなくなって建設費がかさむ。そのようないくつかの理由から現在の高さは決められたのだろう。
低いガードは他にも数々あり、もっと低いものもあるようだが、徐々に改良されて減っているらしい。確かに少々不便ではあるのだが、ちょっとぐらいこういう場所があってもいい。天井高が低いだけで、こんなにも空間の印象は変わるものなんだなと、改めて感心させられてしまう。天井が高くて清々しく圧倒されるスペースは最近増えていて、それはそれでよろしいことだが、一方で、潰されてしまいそうなぐらいの圧迫感を感じるこの空間も、新鮮な驚きや、緊張感をもたらす。百聞は一見に如かずというが、この空間から得られる感触は写真で見ただけではダメで、やはり現場で体験しないと、体感的に理解できないものだろう。
#街並み 港区 #夕景・夜景 #道 #鉄道
JR川越駅から蔵造りの街並みへ向かってクレアモールを歩く。
川越・クレアモール
Photo 2006.11.03
クレアモールは川越で最も賑やかな商店街。最近はチェーン店が増えてきたが、駅から700m程度に渡って商店が立ち並び、休日ともなれば多くの人が行き交う。
川越にある大学で非常勤講師をしているので、しばしばこのモールは通っているのだが、最近になって初めて妙なことに気が付いた。
袖看板の張り出し方がすごい!
両側の建物からグイッと腕が出て、縦長の看板が取り付けられている。手前の袖看板の陰に隠れて見えなくなるのを避けるために、より長い腕を付けたのだろうか。大きな看板が、広くはないモールの上空に掲げられている。
宝飾店ヤマザキの看板は腕が長い上に、やや根元が錆びてる感じ。おいおい、地震とか台風の時、大丈夫なんだろうな~。よく見ると、水平の腕木の他に、ワイヤーを斜めに懸けたりして補強しながら、張り出していることも分かる。それでも下を歩くのはちょっと恐いかも。
クレアモールの袖看板
Photo 2006.11.03
「月の庵」看板を支持する骨組みは、全くもってご苦労様な造り。建物壁面にはもともとの腕木の跡とおぼしき黒い四角い鉄骨材が見えている。以前はここに看板が付いていたのだろうが、お店が変わって、張り出し型の看板に替えられのではないかと思う。
「ワンダフル商会」は、もっと出っ張って目立っている。よく見ると、この看板は「月の庵」にくっついていて、支持する骨組みも一緒。親亀子亀状態でより中央に出ているという寸法なのだ。二重駐車ならぬ二重看板。そんなのアリかよ!
「中華そば日高屋」の看板も、なかなかすごい。建物3階がセットバックしているので、上側のアームの長さが2m以上ある。
こんなに看板がせり出しているのは、クレアモールの中でもほんの一部で、長い商店街の大半のお店は、普通の袖看板を付けている。何故かこの一角だけ競うようにせり出してしまっているのだ。どこか一つのお店が張り出したのをきっかけにして、それならウチも・・・、という感じで、こうなったのだろうか。
モールにはデザインされたポール状の街灯が道路際に設置されている。右の写真のカラオケ館のサインの後ろに見えている茶色っぽい柱がその街灯なのだが、お店の看板類の方が大きくせり出しているため、陰に隠れて目立たなくなってしまっている。
私は屋外広告物の規制に関する法律?や条例には詳しくないが、これって合法なんだろうか? もちろん、商店街のゲートなど道路を跨ぐ形の設置物もあるし、街灯も信号類も道路上空に掲げられている。許可さえ取れば、道路上空にモノを掲げるのは違法ではないはず。それに銀座でも新宿でも、ビルには袖看板がたくさん付いていて、それらは歩道上空に掲げられている。だから、一定の範囲内なら、歩道上空にせり出す袖看板は認められているのだろう。
でも個別の店舗の広告看板が、ここまで大きく張り出すのはアリなのかしら? 街灯や信号とは違って、路上工作物ではない、つまり道路内に基礎がある工作物ではなく、建物壁面(道路外の敷地内)に基礎がある工作物である袖看板が、こんなに張り出して良いのかな? 看板の落下も恐いが、火災時などに消防活動の支障になったりしないだろうか?
でもこうしてみると、日本の商店街の看板って、意外に一定の範囲内に収まっているのかもしれないと、逆に思えてくる。それとも、私が事例をあまり知らないだけなのか?? 全国にはこんなものはたくさんあるんでしょうか。
こういうのがエスカレートすると、香港みたいなことになるんだろうか? 川越のクレアモールは今後、商業地景観の一つの妙な発展形を見せてくれるのだろうか。無責任に言うなら、それはそれでちょっと楽しみ~。
#街並み #商業系 #道