都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

新富1丁目のモルタル看板建築群

2024-04-03 | 中央区  
トミー・リーアル・アドバイザー、Y邸、中央金属
所在地:中央区 新富1-4-3
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:手前2棟は1998〜2000(平成10〜12)
   :中央金属は2016〜17(平成28〜29)
Photo 1995.6.20

 新富町1−4の北東角から南方向に撮ったもの。下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事の2枚目写真とほぼ同じ向きで、私の方はその約1年後のもの。
 角からトミー・リーアル・アドバイザー、その隣がY邸、その奥は新光貨物株式会社のビル、その奥が中央金属(2F)。新光貨物株式会社は5F建てだが、その他は木造2階のモルタル看板建築だった。

 角地のモルタル看板建築は、1973年の住宅地図ではコーヒーマンダリン、その後、1980年代以降はトミー・リーアル・アドバイザーという会社だったが、1998〜2000年の時期に解体された。またY邸も角地の建物と同時期に解体され、その後、両者の跡地はまとめられて7階建てのビルが建てられている。


 Butterfly Stroke Inc.(旧 中央金属) Photo 2013.10.13

 一方、奥に写っている中央金属の方は、Googleストリートビューの画像を見ると、2000年代後半にはきれいに改装され、Ruffy Tuffy Inc.という小規模事務所になっており、2010年代にはButterfly Stroke Inc.になっていた。また、いつ頃からかは分からないが、この頃には外壁がツタで覆われていた。
 しかし2016〜17年頃に解体され、その後はコインパーキング、現在はホテルになっている。

 1990年代頃までは都心でも看板建築が建ち並ぶ街並みがそこそこあったが、その後次第にそれらは建て替えられ、現在はやはりかなり少なくなっている。

トミー・リーアル・アドバイザー/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
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呉服町通りの街並み3

2023-11-14 | 静岡県  

 呉服町2-5  Photo 1995.4.15

 静岡市の中心部、呉服町商店街は1990年頃にアーケードが改修され、華やかで明るいものになった。府中の歴史を示す街路灯が置かれ、街路樹も植えられ、電線の地中化もされて賑やか。パーキングチケットによる駐車が認められ便利ではあるが、いつもやや混雑している。


 呉服町2-6、2-7  Photo 1995.4.15

 大半の人はバスで訪れたり、周辺の駐車場に停めてここを訪れる。お金を払っても十分に魅力的なコンテンツ(ここでは品揃えとか食べ物の良さとか)が存在するためにここはあまり衰退せずに済んでいる。ある意味、ブランドストリート化もしており、静岡ではここでしか買えないものも多く、それがまた固定客を生んでいる。そんな呉服町だが最近は県外資本が増加して元気がないという。

 写真中、銀座ワシントンは既にない。イケダヤは伊勢丹そばの札の辻クロスに移転。呉服町の様子も次第に変わっているようだ。


 西武百貨店静岡店など 紺屋町6  Photo 1992.11.21

 駅に近い部分には地下街がある。1980年のガス爆発後に地下街は改修がされた。地上出口を余裕を持って確保するために車道は蛇行することになり、結果的に地上部はコミュニティ道路的な形態になっている。駅の近くには金融系の店舗やオフィスが多い。

 写真奥には長崎屋がわずかに見えているが、その一角は再開発されて葵タワーが完成している。この葵タワーには戸田書店が大型店を開設していたが、2020年に撤退。写真右には西武静岡店が写っているがこれも2006年に閉店。現在は静岡パルコになっている。


 札の辻交差点 呉服町2-1  Photo 2000.11.1

 札の辻交差点は東南方向から来た東海道が、駿府城の大手門前にあたる南西側で90度向きを変えて南西へ向かう場所。昔は御触書などの高札が掲げられた場所だったといわれ、そこから札の辻と呼ばれている。現在は呉服町通りと七間町通りが交差する場所で、戦後しばらくの間は市内で最も賑やかな場所だったようだ。JRの駅からは離れているため、一時は人通りが減ってしまっていたが、七間町の街並みがきれいになり、服飾系の店舗が増加した。90年代には一角にあった建物が建て替えられ、コンビニなどになっている。

Rewritten in 2022.3
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ジュビロード

2023-11-12 | 静岡県  
ジュビロード商店街の共同建物
所在地:磐田市中泉375・381
構造・階数:RC・3F
備考 :再開発により2005〜06に解体
Photo 2000.1.1

 磐田市内、JR磐田駅の北側には、かつては断続的に水色のアーケードが道の両側に設置されていた。地元のJリーグチーム、ジュビロ磐田にちなんだジュビロードという商店街。安直な名のようだが、一度聞いたら忘れない呼び名だから案外良いのかもしれない。
 このときはアーケードの天井から、ユニホームを模した水色のお店の看板が沢山ぶら下がっていた。でもなんだかアーケードに水色のTシャツを干しているみたいで、またアーケードの老朽化とも相俟って今ひとつ冴えない感じだった。他の地方都市の商店街同様に衰退してしまった印象を受けてしまう。

 写真の建物は商店街の中でも駅寄りにあったもので、3階建ての共同建物。戦後の昭和30年代頃に防火建築帯として建てられたものだったのかもしれない。通り沿いに壁面が続くようすじたいはモダンで悪くなかったので、アーケード庇を造り替えるか撤去して、電柱・電線も地中化すればきれいな感じになるのにと思うのだった。

 その後、この一角は「磐田駅前地区第一種市街地再開発事業」によって再開発され、16階建ての住宅棟(ブライトタウン磐田駅前)と4階建ての駐車場棟が2007年に完成した(リベーラ磐田)。1階道路沿いは店舗。再開発に際してジュビロードの通りは拡幅されたようで歩道も広くなっている。
 また、道の反対側(東側)でも市街地再開発が行われ、14階建ての住宅棟と公共施設などが入居する4階建てのビルが2003年に完成している。更に、その後方の広い範囲では土地区画整理も行われており、駅周辺のようすは20年ほど前とは様変わりしているようだ。

 Googleストリートビューで現在の同所を見ると、車道も歩道も広々していてそこに背の高いマンションがいくつか建っている状況。個人的にはこのスケール感のエリアは駅前のあたりだけで十分。そこから少し離れると、建物も小規模になるし、歩く人も少なくなるので、道幅がオーバーサイズになってしまいスカスカな印象になってしまう。駅周辺でも自動車の交通量はさほどないので、道幅、車線数はあまり要らない。むしろ歩道を少し拡げる方が良い感じになるのではないかと思う。

磐田駅前地区第一種市街地再開発事業【リベーラ磐田】|一般財団法人民間都市開発推進機構
-にぎわいのある街へ- 磐田駅前地区市街地再開発 - わが街ウオッチング けんせつ静岡 No.223

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上土手町商店街振興組合事務局 ほか

2023-04-30 | 青森県  
上土手町商店街振興組合事務局 ほか
所在地:弘前市 土手町151
構造・階数:木・2
解体年:1998〜03
備考 :道路拡幅に伴い解体
Photo 1998.8.25

 土手町の通りは訪れた頃に道路拡幅事業が始まっていて、この後、沿道の建物は建て替えられていった。
 上写真左側のモルタル看板建築には、撮影当時、上土手町商店街振興組合の事務局が入居していた。建設当初は振興組合の事務局ではなく、なんらかの店舗だったのだろうと思って調べてみたら、1980年代から90年代前半は自民党の弘前支部で、その後、商店街振興組合事務局・町会事務局・まちづくりステーションになっていた。ただそれ以前の使われ方は結局よく分からなかった。

 一方、右側の建物には撮影当時2軒ほどの店が入っていたようだ。元の写真を拡大すると、左から「おしゃれの店レディ」「手芸ノ店ネージュ」の文字が見える。いつ頃に建てられたものか分からないが、戦前期からあったのなら伊藤文具店だったのかもしれない(モルタル看板建築の方が伊藤文具店だった可能性もあるけれど・・・)。1980年代の住宅地図では「弘前緑屋信用販売」とあった。写真では小店の庇から赤い暖簾状のものが下がっていて、屋号の後半の「用販売」の文字だけが見えている。


 南側から

 左端奥に見える高層建物は紀伊國屋書店も入居していたホテル法華クラブの建物。左端の3階建ては「毛糸のマツヤ」。その右側の茶色の2階建ては「鶴屋ボタン店」。電柱の陰が商店街振興組合で、いちばん手前が旧「弘前緑屋信用販売」。マツヤと鶴屋は1980年の住宅地図にも載っているお店だが、昭和初期の地図には見当たらず、いつ頃からの店かは不明。


 通り沿いに掲出されていた整備イメージの看板

 モルタル看板建築の場所は、現在はPizzaHutの店舗になっている。また商店街振興組合は、右隣の弘前緑屋信用販売があった場所にある。2つの建物は隣りあっていて、かつてのモルタル看板建築のデザインを想起させる装飾を付けたファサードにされている。

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青森駅前

2023-03-06 | 青森県  
JR青森駅 駅前広場
所在地:青森市 新町1-3
Photo 1998.8.24

 JR青森駅の駅舎前から駅前広場を北東方向に見た写真。1998年のこの撮影以後は訪れていないが、四半世紀が経過しているので、Googleストリートビューで確認してみると駅前広場の町並みの様子はかなり変わっているようだ。

 写真奥の斜張橋は青森ベイブリッジ。その右側のホテルニュームラコシと左側の小田島ビルは2022年9月時点で現存している。ただ小田島ビル上部の広告塔には広告が付いておらず、小田島歯科の看板も現在はない。
 一方、小田島ビルの左側の伯養軒は2011年時点で既に消失。写真右側奥の青森グランドホテルも2015〜17年に解体されている。

 広場内のレイアウトも変わったようで、現在は広場の北側はタクシープールとされているようだ。

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ひかり町

2023-01-24 | 豊島区  
ひかり町
所在地:豊島区 東池袋1-14
建設年:戦後
解体時期:2006〜07(平成18〜19)
Photo 2004.10.10

 東池袋にいくつかあった戦後の闇市由来の飲み屋街のひとつ。戦後、池袋駅周辺には多くの闇市ができたが、それらは次第に整理されていった。ひかり町は、池袋駅東口界隈で戦災復興土地区画整理事業が行われ、現在のような街区に整理される過程で、元闇市の店舗が移転してできたもの。2000年頃まではひかり町の他にも、人世横丁、栄町通り、美久仁小路が東池袋界隈には存在していたが、人世横丁も2008年頃になくなり、現在は栄町通りと美久仁小路のみになっている。


 Photo 2004.10.10

 横丁の道は街区を南北に貫いている。写真は南側から北向きに見たもの。建物は2階もしくは3階建てがほとんどだったようだ。


 横丁の中ほどから  Photo 2003.10.15

 小さな路地なので雨水が流れる溝は中央部に一筋通されている。


 Photo 2003.10.15

 南北に通された小路に対して、東側から入る短い道も造られていた。最後の写真は南北の道に丁字に取り付いた小路部分。

 ネット上には、ひかり町のとある店が2006年頃に閉店したことが記されている。また2008年発行の住宅地図ではこの場所は既に駐車場になっている。その後しばらくして、跡地には「池袋スクエア」が2012年12月にオープンした。

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新静岡センター南側

2021-08-22 | 静岡県  
新静岡センター南側の一角
所在地:静岡市葵区御幸町3
構造・階数:木造・2F
Photo 1995.4.15

 新静岡センター(現セノバ)の南側の道沿い、静鉄タクシーの乗り場近くの様子。新静岡センターの建て替え後は、この道を路線バスも通るようになった。

 写真の建物群はこの少し後に全て解体され、ペガサートという複合高層ビルになっている。
 何方の所有だったかなどは知らないが、朽ちかけた土蔵が印象的だった。また、画像内のラーメン店(駿河らーめんフジメン)とカレー店(CBカレー)は、この再開発ビルに入居した(CBカレーはその後、閉店)。

 20年ほど前まで市街地中心部にこのような土蔵が残されていたのはちょっと驚きでもある。

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ミユキ銀座・伝馬町通り側

2021-08-19 | 静岡県  
伝馬町通り・江川町交差点付近
所在地:静岡市葵区御幸町3
構造・階数:木造・2F
Photo 1995.4.15

 写真は伝馬町通り側のかつての様子。こちら側までミユキ銀座と呼ばれていたかどうか分からないが、一連の店舗群は北街道側の店舗群から角を挟んでつながるように並んでいた。

 手もとに1974(昭和49)年の住宅地図があるが、上の写真とは20年の時間差があるので、多くの店が入れ替わっている。1974年と変わっていないのは、理容クニナカとその右隣の中村印舗。他も建物はそれなりに古いものだったのではないだろうか。

 奥に側面が見えているホテルシティオまでの一連の建物は全て解体され、2000(平成12)年から御幸町伝馬町第一地区第一種市街地再開発事業が行われ、2004(平成16)年にペガサートビルが竣工している。

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いわらや本店

2021-08-16 | 静岡県  
いわらや本店
所在地:静岡市葵区御幸町3
階数 :4F
Photo 2000.11.1

 北街道沿い、新静岡センター南側の一角。現在は再開発ビルのペガサート(2004年竣工)が建っている場所。

 街中の学校に通っていたので、この界隈はしばしば通っていたはずだが、あまり記憶はない。子供の頃でここで買い物をしたりしなかったからだろう。改めて写真を拡大してみると、いわらや本店は和菓子などを扱う店だったようだ。
 ただ「いわらや」という店名は気になっていた。井原屋だったのだろうか?、お店と縁がなかったのでその辺はいまだに知らないままだ。なお、いわらやは現在も鷹匠1丁目にあり、営業を続けている。

 個人的には、上階の窓が外壁に細かく配されたルーバーで隠されていたのが印象的だった。奥行きがあまりない、薄い建物だったことも記憶に残っている。


 Photo 1995.4.15

 地下があったのだろうか。いわらやの左に青い庇があり、「こーひーるーむ潤」と書かれている。また、2階には「OZ-ONE」という美容室があり、3階には「上野美顔センター」が入居していた。4階もなんらかの店舗だったようだが、左端の看板は読めず。

 再開発事業を行うことになり、2001年頃、奥のミユキ銀座などと共にこのビルは解体された。

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ミユキ銀座・北街道側

2021-08-13 | 静岡県  
所在地:静岡市葵区御幸町3
構造・階数:木造・2F
Photo 1995.4.15

 歩道部分にアーケードが架かった片側商店街。今回、写真を拡大してみて初めて、ミユキ銀座という名だったことを知った。


 ミユキ銀座 北街道側  Photo 2000.11.1

 再開発直前の段階でどのような店舗があったのか、正確なところは把握していないが、写真を見る限りこの時点でもいくつかの店は営業していたようだ。
 少し年代が異なるが、1974年の住宅地図で見てみると、左端は石谷タバコ店(自販機のみが見えている)。ひとつおいて黄色の看板は新勝園(肉まん・餃子)、右端は袋物店(「天狗や」?)。


 ミユキ銀座 北街道側  Photo 2000.11.1

 上写真の右端からの続きで、左端は袋物店、その右は洋品店(「デューラー」?)、写真中央は浅井屋(食堂か居酒屋)、その右は保手伊屋(食堂)、右端は不明。江川町交差点の角から伝馬町通りに入った側にも店舗は並んでいた(この部分についてはまた後日)。

 この一角では、2000(平成12)年から御幸町伝馬町第一地区第一種市街地再開発事業が行われ、2004(平成16)年にペガサートビルが竣工した。

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