都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

山岡家住宅

2024-07-09 | 港区   
山岡家住宅
所在地:港区 南麻布3-3-33
構造・階数:木・2
建設年:1860(安政7)
解体年:2020(令和2)
備考 :後方の母屋は1933(昭和8)築
    集合住宅「鶯啼居」に建て替え。旧建物の一部を保存復元。
Photo 2011.3.29

 仙台坂上交差点から南へ、薬園坂へと向かう道の途中にあった土蔵造りの家。屋根はトタン葺きだったが、いわゆる店蔵の構えで立派な建物だった。
 この撮影時は隣接地の建物が解体されて更地になっており、後方の建物も見えていた。その時点では奥の建物が通り沿いのものと関連があるのかどうかも知らなかったが、そちらも古そうな木造家屋だなと思っていた。

 正面から。2階には小さな窓が一つあるだけで、これも密閉できるもの。1階はガラス戸の引き戸などで、大きな開口部を持つが、両側の壁は厚い。この界隈では他に同様のものがなく珍しかった。

 南側から見ると、後方の建物は瓦屋根だが洋風下見板張りだったことが分かる。
 きれいに手入れされていたので残り続けることを期待していたのだが、残念ながら2020年に解体された。

 さて、Google Mapでこの場所を見ると、現在も「山岡家住宅」としてピンが建てられている。不思議に思って改めてネット検索したところ、下記の記事やサイトを見ることができた。

山岡嘉彌デザイン事務所
【商人の息づかいを残す】建築家・山岡嘉彌氏に聞く
  旧江戸御府内最古の店蔵保存再生への道 | 建設通信新聞Digital

ザ・AZABU > No.27(2014.3.18)、 No.58(2022.3.17)

 一連の記事によれば、これまで建物を所有して維持していたのは、上記サイトの建築家の方だそうだ。山岡家は近江から江戸に来て、近くにあった仙台藩下屋敷の出入り商人として、薬、米、炭、雑貨などを扱っていたという。かつてはこの道沿いには同様の店が建ち並んでいたというが、次第に減ってしまったそうだ。

 そのような経緯もあって、同氏はこの建物をずっと残して行きたいと考えていたそうだが、近年の台風などで傷みが激しくなって維持が困難になり、建て替えを決断したという。

 通り沿いの店蔵の建物は約160年前に建てられたもので。安政7(1860)年の墨書が残っていたそうだ。店蔵の建物としては、かつての江戸市中エリアに残る最古のものだったという。港区が解体前に行った調査では、部材の多くがもっと前の宝暦年間(1751~64)のものであることが分かったという。山岡家が近江から江戸に来てここに居を構えた時期の建物が、姿を変えてはいるのかもしれないが残されていたようだ。

 また、店蔵の後方の建物は居住棟で、こちらも90年近く前の1933(昭和8)年に建てられたものだったという。

 解体後の跡地には「鶯啼居」(おうていきょ)という5軒からなる集合住宅が建てられているが、上記のような経緯もあったことから、同氏は旧建物の部材などを保存し、新しい建物の1階に一部を復元したそうだ。現在は関係者以外は見ることができないが、かつての建物の部材や施工技術は、将来にも受け継がれていくことになったようだ。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #土蔵造り  #和風住宅 
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柳沢邸・沽柳堂

2023-08-15 | 長野県  
柳沢邸・沽柳堂
所在地:東御市 田中211
構造、階数:木、2・3
解体年代:1999〜2001(平成11〜13)
Photo 1994.8.28

 信越本線(1997年10月以降はしなの鉄道)田中駅の駅前にあった木造家屋。手前は2階、奥は3階建ての大型建物だった。

 手前側の建物は2階にベランダが巡らされていて、モルタルで洋風の装飾が施されていた。結構華やかなデザインなのだが、逆にどういう用途の建物だったのかよく分からない代物。

 一方、奥の3階建て家屋の戸袋には、漆喰で「沽柳堂」と書かれていた。かつてはなにかの店だったのだろう。駅前の3階建ては旅館のようにも見えるが、「沽柳堂」は旅館名としてはちょっと違う気もする。

 両方とも撮影時には既に仕舞屋で人の気配もなかった。古い住宅地図にも店名などの記載はなく、昔の用途は結局分からずじまい。田中駅前では2000年頃に駅前広場の整備が行われたため、この建物も写真の後しばらくして解体されてしまった。

古い建物と街並みをもとめて: 三階建ての旅館

日本国内の建物や街並み
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旧 喜久屋

2023-08-09 | 長野県  
旧 喜久屋
所在地:須坂市 須坂常盤町 723
構造・階数:木・2
解体年:2004〜08(平成16〜20)
Photo 1994.7.31

 須坂市内、旧上高井郡役所の近くにあった建物。撮影当時の住宅地図では個人宅として記されていたが、大型の2階建てだったので、もともとは旅館か料亭だったようだ。1971年の住宅地図には個人宅としての名の他に「喜久屋」と記されている。

 須坂市では大光楼があった浮世小路、豊よ松周辺が花街(三業地)だったそうだ。この建物はそのエリアからは少し離れた場所にあったので、どちらかというと旅館だった可能性の方が高い気がするが、本当のことは昔を知る地元の方に尋ねてみないと分からない。

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市島邸 その2

2022-07-10 | 文京区  
市島邸
所在地:文京区 千駄木3-14
構造・階数:木・1
建設年:明治期(大正期に移築)
解体年:2020(令和2).8
備考 :市島邸 その1
Photo 2013.12.10

 その1でも記したように、この住宅は早大図書館の設立に貢献した「早稲田の四尊」故市島謙吉の遠戚にあたる市島宗家、故市島信氏の遺族から早大に寄付されたもの。鶴見にあった市島本家の建物(明治期に建設)の一部を大正時代に千駄木へ移築したもので、最初に建てられた時からだと100年以上、移築後でも80年以上経っていた。
 老朽化のため2020年に解体され、史料や一部の部材等は新潟県新発田市の市島家に寄贈されたという。
 以下の写真も、早大オープンカレッジ講座の巡見で邸内を見学した時のもの。


 Photo 2011.10.18


 Photo 2015.3.5

 修復すればそれなりに美しく立派になるのではないかと思われたが、残念ながら放置状態だった。


 Photo 2010.10.12

 市島家は新発田藩主となった溝口氏に仕えて新潟に移り住み、地域を発展させた豪農という。それもあって床の間の障子には溝口氏の家紋である五階菱があしらわれていた(写真は障子の位置が内外逆になっていて正しくないので五階菱に見えない。)。
 折り畳みの長机やゴミ箱が置かれてしまっていたのもちょっと・・・。


 縁側の廊下 Photo 2015.3.5

 網戸が嵌っているのは生活感のある感じ。

千駄木菜園: 市島邸の解体、高村光雲邸跡地の今
SOPvol.96 東京・林町市島邸に五階菱 | 新発田オレンジプレス

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#失われた建物 文京区  #住宅系  #戸建て住宅 
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市島邸 その1

2022-07-01 | 文京区  
市島邸
所在地:文京区 千駄木3-14
構造・階数:木・1
建設年:明治期(大正期に移築)
解体年:2020(令和2).8
Photo 2010.1.10

 早大図書館の設立に貢献した市島謙吉(「早稲田の四尊」と呼ばれる方の一人)の遠戚にあたる市島宗家、故市島信氏の遺族から早大に寄付された住宅。鶴見にあった市島本家の建物(明治期に建設)の一部を大正時代に千駄木へ移築したもので、最初に建てられた時からだと100年以上、移築後でも80年以上経っていた。
 老朽化のため2020年に解体され、史料や一部の部材等は新潟県新発田市の市島家に寄贈されたという。

 千駄木界隈には古くからの邸宅が点在している。そのなかで市島邸は比較的敷地が大きく樹木も多く、昔ながらの雰囲気を残した家だった。また道の反対側には武者小路千家の東京稽古場(邸内の茶室、半床庵は都指定文化財)もあり、落ち着いた静かな一角となっていた。

 邸内は基本的に非公開だったが、早大の研究室がゼミなどの活動でときどき利用していた。以下の写真は、早大オープンカレッジ講座の巡見で邸内を見学した時のもの。


 Photo 2015.3.5

 門を入り、庭木の間を西へ抜けて玄関へ向かう。樹木や草の手入れは多少はされていたが、きれいな庭園とするほどのことはされていなかった。ふだんは無人だったこともあり、若干荒れた感じという方が合っていたかもしれない。


 アプローチの通路から家屋の全景  Photo 2015.3.5


 庭から  Photo 2010.10.12

 縁側の庇はやや傾いていたようだ。


 同じく庭側から  Photo 2010.10.12

 木立がやや鬱蒼とする中、電灯の明かりで照らされた室内が印象的。


 Photo 2013.12.10

 2013年に訪れた時は晩秋で、紅葉がきれいだった。

千駄木菜園: 市島邸の解体、高村光雲邸跡地の今
SOPvol.96 東京・林町市島邸に五階菱 | 新発田オレンジプレス

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大村邸

2019-10-07 | 静岡県  
大村邸
所在地:静岡市葵区平野
建設年:1865年(江戸時代末期)
備考 :国登録有形文化財。静岡市景観重要建造物
Photo 2016.1.5

 静岡市葵区の山間部に残る、かぶと造りの民家。
 安倍川左岸、急斜面の山地に石垣を築いて壇をつくり、大型の茅葺き屋根の家屋が造られている。
 かぶと造りは関東甲信越東北南部に多く、この家はかぶと造りの南限と言われているそうだ。養蚕の作業を考えて造られた形なので、確かに静岡では見掛けない珍しい建物。

静岡市 > 景観重要建造物第1号 大村家住宅

 石段を上り、農家にしては立派な門をくぐって庭に上がる。
 温暖な静岡では冬場でも午後の日射しは明るく暖かい。

 個人所有で現在も居住者がおられるので、事前に許可を得ないと敷地内には立ち入れない。2mほどの石垣の上に家屋が建つ敷地があるため、かぶと造りの特徴的な姿はなかなか拝むことができないが、山地を背景に聳える姿はなかなかの迫力。

 家屋が建つ敷地を支える石垣。石垣の下には水路があり、山からの冷たい水が勢いよく流れている。

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #山  #住宅系  #和風住宅  #登録有形文化財 
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高畠邸

2014-06-15 | 千代田区 

 御茶ノ水駅から約200m。周辺は次々に高層ビルになっているが、その中に一軒だけ古い立派なお家が残っている。

高畠邸
所在地:千代田区神田駿河台4-2  Google Map
建設年:昭和初期(1930年頃)
Photo 2014.2.21

 右奥はニコライ堂。左は御茶ノ水NKビル(名倉医院)。すぐ西側の敷地でもビル建設が進行中。

 新宿の伊勢丹は昭和初期まで現在の外神田1丁目にあったそうだが、この家はその役員の屋敷としてつくられたのだそうだ。

 石垣の上にはぐるっと塀が巡らされている。その石垣の間にある門も立派。

千代田区ホームページ
   > 千代田区景観まちづくり重要物件指定一覧表
   > 高畠宅
ぼくの近代建築コレクション高畠家住宅/神田駿河台4丁目
#古い建物 千代田区  #住宅系  #和風住宅 
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富士見の木造家屋群

2013-05-18 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1994/2012) No.048 千代田区富士見の木造家屋群

木造家屋群
所在地:千代田区富士見2-1
構造・階数:木2
備考 :2008年に再開発により解体
Photo 1994.7.16(ノーマル)、 Photo 2012.12.8(マウスオン)

 東京大神宮のそばに、木造2階建て家屋ばかりが数棟建つ一角が数年前まであった。2007年にはまだ全ての建物が残っていたが、2008年4月頃から順次解体されて、2009年にはそれらの跡地に一棟の9階建ての共同住宅が造られた。

 その後、一連の工事が終わったので、以前と同じ所からの撮影を試みた。画面内に残る建物がほとんど無いので位置取りが難航したが、だいたいこのような感じではないかと思う。

大木がある木造家屋
Photo 2006.5.14(ノーマル)、 Photo 2009.11.28(マウスオン)

 黒い板塀に囲まれた住宅には大木があり、家屋がその陰にひっそりと建っていたのが印象的だった。家の解体時には枝が全て落とされて幹だけになったが、伐採はされず一本だけ残された。木造住居の街並みが完全に消えたのは残念だったが、樹木が残されたのは、この大木が保存樹などになっていて、自治体が保存を要請したり指導したのかもしれない。もしくは、開発者が環境や歴史について少し考えたのか、その緑がウリになると考えたからか・・・。

Tokyo Lost Architecture
#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #街並み 千代田区  #和風住宅 
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旧平櫛田中邸

2013-01-19 | 台東区  
旧平櫛田中邸
所在地:台東区上野桜木2-20
Photo 2012.12.19

 谷中・上野桜木界隈はまちあるきの人々が多く歩いているが、寛永寺と谷中霊園の間あたりは訪れる人があまり多くない。彫刻家・平櫛田中の旧宅(住居とアトリエ)はそんな上野桜木2丁目、谷中霊園を背にして小路の奥にひっそり建っている。

 ここは、私も最近まで知らなかった。袋小路突き当たりの門から見えるのは玄関先と西側部分だけで、東側、そして西北側にも木造家屋があり、意外に規模が大きい。

 現在はNPOの「たいとう歴史都市研究会」が管理しておられるようだ(非公開)。

たいとう歴史都市研究会平櫛田中邸
#古い建物 台東区  #和風住宅 
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旧朝倉家住宅 3

2009-09-06 | 渋谷区  
旧朝倉家住宅
所在地:渋谷区猿楽町29
建設年:1919(大正8)
備考 :重要文化財
Photo 2009.08.30

 広々として風通しも良さそう。夏でも涼しそうなうらやましい空間。

 ごろっと横になってうたた寝をしたくなる。でも冬はどうなのかなぁ。

Photo 2009.08.30

 長い廊下。垂直と水平、障子の桟が美しい。

 木造和風住宅だけれど、モダンな空間にも見える。

#古い建物 渋谷区  #和風住宅  #重要文化財 
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