都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

秋田接骨院・珈琲の店びいんず

2024-01-27 | 千代田区 
秋田接骨院・珈琲の店びいんず
所在地:千代田区 神田須田町1-10
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2014(平成26).4
Photo 2011.10.9

 2軒の店が入った妻入りのモルタル看板建築。戦後まもなくの時期に建てられたのではないかと思うが、戦前の可能性もあり詳細は不明。昼間の写真を撮り損ねてしまったため、手もとにあるのはこの一枚のみ。

 撮影した時期には接骨院と喫茶店になっていたが、ここの店舗はずっと同じだったわけではなかったようだ。戦前の1935年の火保図では小林医院?、戦後の1950年の火保図では水谷歯科、1954年作成・1959年修正の火保図では菊地歯科と信濃デンキと記されており、戦前から戦後にかけて医院がいろいろ替わっている。

 その後、1973年には大京印刷・オクムラネーム店、1982年にはコーヒーびいんず・オクムラネーム店と記されている。びいんずという喫茶店はこの頃からのもののようだ。

旧村木商店、びいんず/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 
#夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田多町通りの看板建築

2024-01-24 | 千代田区 
多町通りの看板建築
所在地:千代田区 神田須田町1-10
構造・階数:木・2/3
建設年:戦前?
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2011.10.9

 靖国通りから南に入る多町大通り沿いにあった一連の木造店舗群。これも日中の写真を撮りそびれてしまった。撮影時点で既に「建築計画のお知らせ」看板が設置されていて解体間近だった。ただ、その際はまだ詳細が決まっていなかったらしく、実際の解体は翌年以降だったようだ。

 拙ブログの写真では画像が暗くてよく分からないが、下記「ぼくの近代建築コレクション」内の写真によれば、右端の「COFFEE AIKO」とその左隣、「EDWARD'S」の看板庇のある平入り2階建ての建物は、2階が銅板張りの看板建築だったようだ。「中華料理 支那」も銅板張りかトタン張りの平入り看板建築。

 銅板張りの看板建築だったなら、関東大震災後の大正末期から戦前期に建てられたものだったのかもしれない。消失前の時点の店が最初の頃からあったわけではなく、戦後の火保図や住宅地図を見ると、戦後すぐの頃はゴザ屋や菓子店だったりして、その後の様子とはかなり異なる。

 一方、写真の中華料理の支那は1980年代から、またEDWARD'Sも1990年代から営業していた。右端の喫茶店AIKOは1950年代には相子という菓子店、80年代頃からは同名の喫茶店になったようで、業態は異なるがこちらは60年程度に渡って営業していたようだ。

支那、相子/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #木造店舗 #看板建築 
#夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本平のテレビ送信塔群

2023-11-30 | 静岡県  
日本平のテレビ送信塔群
所在地:静岡市清水区草薙(日本平頂上付近)
構造 :S
建設年:1957〜79(昭和32〜54)
解体年:2012(平成24)
Photo 1993.12.9

 地上デジタルテレビ放送は2005年から始まった。静岡では日本平の頂上に2004年に日本平デジタルタワーが造られ、現在はここからNHKのテレビ2局と民放テレビ4局、FM2局が送信されている。だが、地上波アナログ放送が2011年に終了して停波するまでは、日本平の頂上付近には各局の送信アンテナがそれぞれ建てられていた。

 上写真は山頂吟望台付近からのもの。左から、NHK総合、NHK教育・NHK-FM、静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ(共用)、奥 テレビ静岡、右方 SBS(静岡放送)×2基(含 FM静岡)、日本平観光天文センター(プラネタリウム・天文台)

 Wikipediaによれば、日本平観光天文センターは1959(昭和34)に建設された、店舗、プラネタリウム、天文台(望遠鏡ドーム)のある建物。アナログ放送の送信塔よりも一足早い2000年に閉鎖され、その後解体されたという。


 日本平デジタルタワー完成後  Photo 2008.12.28

 2枚目の写真も1枚目の近くから撮ったもの。日本平デジタルタワーが完成している一方、日本平観光天文センターは既に解体されてなくなっている。

 静岡のテレビ、FMの開局年代等は以下(コミュニティFMは除外)。

 1957(昭和32) NHK静岡放送局、総合テレビの放送開始
 1958(昭和33) 静岡放送、本放送開始
 1962(昭和37) NHK静岡、教育テレビ(Eテレ)本放送開始
 1964(昭和39) NHK静岡、FM実験放送開始
 1968(昭和43) テレビ静岡開局、本放送開始
 1969(昭和44) NHK静岡、FM本放送開始
 1978(昭和53) 静岡県民放送(現 静岡朝日テレビ)開局、本放送開始
 1979(昭和54) 静岡第一テレビ開局、本放送開始
 1983(昭和58) 静岡エフエム放送開局、FM本放送開始
 2011(平成23) アナログ標準テレビ5局6波が廃止。
 2012(平成24) アナログ標準テレビ5局6波の送信設備が撤去される。


 日本平デジタルタワー完成後  Photo 2008.12.28
 日本平ロープウェイ前の駐車場から

 左から、テレビ静岡(先端のみ)、静岡朝日テレビ・静岡第一テレビ(共用)、NHK総合、NHK教育・FM、奥 SBS(静岡放送)、日本平デジタルタワー

 日本平の頂上には多くの送信塔が建っていて、それぞれ少しずつ異なる姿形をしていて、それはある意味壮観だった。だが上にもあるように、2011年にアナログ標準テレビ5局6波が廃止され、赤白で塗り分けられたアナログ放送の送信塔群は使われなくなった。このため、各局の送信塔は2012(平成24)年に撤去され、現在はそれらより遙かに背の高い日本平デジタルタワー(高さ95.5m)のみが建っている。

 大きな送信塔一基だけになったので頂上付近の景観はすっきりしたものになった。市内から見ても頂上付近に高い塔が一つ聳えている姿は分かりやすい。ただ、塔があちこちに建っていて、歩くにつれてそれらの見え方が変わっていた時代を知る者にとっては、各局の施設をまとめた高い塔は合理的・機能的で良いことは分かっていても、ちょっと単調に感じてしまうことも事実だ。

日本平テレビ・FM放送所 - Wikipedia
日本平デジタルタワー - Wikipedia
日本平観光天文センター - Wikipedia

静岡の建築・土木構築物 
#失われた建物 静岡県  #塔  #山  #眺望  #夕景・夜景 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松代駅

2023-09-21 | 長野県  
長野電鉄 松代駅
所在地:長野市 松代町松代70(殿町)
構造・階数:木・1
建設年:1922(大正11)?
廃止年:2012(平成24)
備考 :屋代線の廃止に伴い駅も廃止されたが駅舎は現存
Photo 1994.8.28

 松代駅は大正時代に河東鉄道という鉄道の駅として開業、後にそれが長野電鉄の駅になり2012年まで営業していた。

 私はこの日、信越本線(後のしなの鉄道)で軽井沢方面から田中駅へ行き、海野宿を見て大屋駅まで歩き、また信越本線に乗り戸倉駅で下車。駅周辺を見て、また信越本線で屋代へ。
 ここから長野電鉄河東線(1994年当時:後には屋代線)で松代へ行くつもりだった。だが、この年の夏は屋代−松代間が工事のため運休になっており、代行バスで松代へ向かったのだった。
 松代を見て回った後は、長野電鉄須坂経由で長野へ向かった。


 改札口にて


 駅西側の踏切から駅方面


 駅夕景


 出札口と改札


 ホーム夜景。
 停車中の電車はかつて地下鉄日比谷線で使われていた車輌

 2012年に屋代線が廃止された後、レールや架線は撤去されたそうだ。ただ駅舎と一部のホームは残されているという。


日本国内の建物や街並み
#古い建物 長野県  #夕景・夜景  #鉄道 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界平から

2021-07-26 | 静岡県  
世界平からの眺望
所在地:静岡市清水区山原
Photo 1997.4.20

 20年前、リバーサルフィルムで撮った写真。清水区山原(やんばら)、俗称 世界平から、茶畑と市街地の夕景。

 茶畑の中の農道と、清水区押切近辺の街。上方を横切っているのは東名高速。
 日没後の薄暗い中、小さな三脚を立てて撮ったが、露出が難しくやや昼間のように写ってしまった。

静岡の街並み
#パノラマ  #眺望  #街並み 静岡県  #山  #夕景・夜景 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工場街夜景

2021-07-23 | 静岡県  
日本軽金属清水工場の渡船のりば付近から
所在地:静岡市清水区三保
Photo 1997.4.20

 20年前のリバーサルフィルム写真

 左側は日本軽金属清水工場、右側は中部電力新清水火力発電所。

 周辺は工場ばかりで、この道も渡船のりばへの行き止まり道なので、車も人もほとんど通らない。夜間にこの場所で三脚を立てて撮影してるのはほぼ不審者。よく通報されなかったものだ。近年は部外者の立入は不可の模様。
 右側の火力発電所は今はもう無く、ライトアップされた煙突も既に無い。

 この頃、既に都市景観愛好者には工場の夜景は話題に上っていたが、まだ大手を振って好きだとか格好いいとは言いにくい状況だったような記憶がある。工場萌えって言葉もまだ流布してなかったはず。

 やはり大山顕さんの登場で変わったのか、時代がそのように変化したのか・・・。

静岡の街並み
#街並み 静岡県  #夕景・夜景  #塔  #工場 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーコンコルド

2021-07-20 | 静岡県  
スーパーコンコルド静岡曲金店
所在地:静岡市駿河区曲金7-8
建設年:2014(平成26)
Photo 2015.3.30

 奇妙なCMで静岡県民にはお馴染みのコンコルド。東京23区内ではこういう郊外型のパチンコ屋はあまり見掛けない。巨大な屋外駐車場と自走式の屋上駐車場を併設して、大きな電飾看板を道路ぎわに出して、建物自体も派手な外観にしている。


 夜景  Photo 2016.2.14

 JR東静岡駅近くの店舗は外観もかなり個性的。夜になると外壁のLED照明がさまざまな色に発光し、ちょっと宇宙船っぽいようすになる。

 東京だと歩いて来る人がほとんどだが、郊外型では自動車で来る人がほとんど。見ていると次々に乗用車が駐車場に入っていく。郊外都市のライフスタイルと、高密度市街地のそれはかなり異なっている。。

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #商業系  #遊興施設  #夕景・夜景 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野百貨店(西郷会館)

2019-04-06 | 台東区  
上野百貨店(西郷会館)
所在地:台東区上野公園1
構造・階数:RC・3F
建設年:1952(昭和27)?
解体年:2010(平成22)
Photo 1998.5.16

 手前が上野百貨店(西郷会館)、右手奥は上野松竹デパート・上野セントラル、そのさらに奥が上野東宝劇場・上野宝塚劇場。


 Photo 2003.12.7

 上野百貨店(西郷会館)は、上野公園のある丘の東側斜面に高低差を利用して建てられていた。1Fは土産物店など、2、3Fはレストラン。建物内の階段を屋上まで上ると、西郷隆盛像のある広場に出られるようになっていた。


 西郷隆盛像のある広場に出る階段室 Photo 2007.1.21


 屋上から下りる階段 Photo 2007.1.21


 3F Photo 2007.1.21

 老朽化のため取り壊されると新聞記事にもなっていたが、2007年時点ではまだ残っており、2Fのレストラン聚楽台は営業していた。ただ、1Fの店舗は閉店して退去済、3Fも閉鎖されていたようだった。


 Photo 2008.3.11

 2Fのレストラン聚楽台は、上写真の約1ヶ月後の2008年4月21日に閉店。


 Photo 2008.6.1

 建物はその後も残されていたが、2010年9月頃から解体・建て替えが始まり、2012年に「UENO3153」が完成した。

上野松竹デパート/上野公園 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #商業系  #夕景・夜景 
#デパート・百貨店  #屋内階段  ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝鬨橋から浜松町方面

2018-12-14 | 中央区  

東京新旧写真比較(1988/2018) No.071 勝鬨橋から浜松町方面

勝鬨橋から浜松町方面
Photo 1988.2.28(マウスオフ
Photo 2018.9.23(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 東京新旧写真比較。前回と同じく勝鬨橋から浜松町・芝浦方面。逆光なので全部シルエット。太陽を正面に見る写真は撮りたくなかったが、東京タワーを入れるため前回の写真より少し西方向を写したもの。今回の撮影に際しては、iPhoneのPerfect BAというアプリを使用して、およその位置確認を行った。シルエット写真ではあるが、3棟の超高層ビルと東京タワーが見えているため、撮影位置は比較的よく一致している。

 30年前は高層ビルがまだ少なかったのだなと改めて感じる。前回の写真同様、東京ガスビルと世界貿易センタービルはほとんど隠されてしまい、東京タワーも汐留近辺のビルによって半分以上が隠されてしまった。

 1988年時点の東京タワーは上の方がそのまま細くなっている。特別展望台の上に地デジ関連の設備が設置されて上部が大きくなったが、それから既に15年ほどが経って今のタワーの姿に慣れたため、昔の姿は却って新鮮だ。

Site Y.M. 建築・都市徘徊Cityscape of Tokyo

#東京新旧写真比較  #東京新旧写真比較 中央区 
#街並み 中央区  #眺望  #海・川・池  #橋 
#オフィス  #高層ビル  #夕景・夜景  タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝鬨橋から芝浦方面

2018-12-11 | 中央区  

東京新旧写真比較(1988/2018) No.070 勝鬨橋から芝浦方面

勝鬨橋から芝浦方面
Photo 1988.2.28(マウスオフ
Photo 2018.9.23(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 勝鬨橋から隅田川河口方向を見る。1988年の写真がシルエットであるため、位置の特定がしにくく適当に撮影してみたら、実際はもっと築地寄りの地点から撮影したもので、川沿いの築地市場などは上手く一致しなかった。

 1988年当時、この方向に見えていた超高層ビルは3棟だけ。左から東芝の東芝ビル(1984年竣工、現 浜松町ビルディング)、中央に鉄塔がある東京ガスビル(1984年竣工)、右が世界貿易センタービル(1970年竣工)。

 それなりに背の高いビルなのでビル自体は見えるだろうとたかをくくって現地へ行ってみると、驚くべきことに東芝ビル以外はほとんど見えなくなってしまっていた。東京ガスビルはビルの隙間に見える壁面と、屋上のアンテナの先端だけ。世界貿易センタービルも白くライトアップされた屋上階しか見えない。竹芝埠頭近辺に高層ビルが多く建って隠されてしまったのだった。

 築地大橋ができたのも予想外だった。こうして30年前と比較してみると、隅田川はかなり都会的な景色の中を流れる川に変わったのだった。高層ビルは既に建ってはいたが、今と比べると30年前の川の景色はのどかなものだったのだなと思う。

Site Y.M. 建築・都市徘徊Cityscape of Tokyo

#東京新旧写真比較  #東京新旧写真比較 中央区 
#街並み 中央区  #眺望  #海・川・池  #橋 
#オフィス  #高層ビル  #夕景・夜景  タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする