都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

パレット玩具店

2023-05-06 | 宮城県・福島県
パレット玩具店
所在地:宮城県柴田町 西船迫2-2-2
構造・階数:S・1
設計 :石山修武+ダムダン空間工作室
建設年:1988(昭和63)
解体年:2021(令和3)
Photo 1991.9.14

 宮城県南部の柴田町、国道4号線バイパス沿いにあったおもちゃ店。早大の教授だった石山修武先生が設計したもの。学生時代に石山先生の講義も受けていたので、学会の帰りに研究室のメンバーと訪れた。

 入口の前にドーナツ型の庇があり、その中を貫いて鉄骨製の斜めな塔が建っているのが目を引く。
 塔やドーナツ型の庇は、おもちゃを売ることにはほぼ関係がなく、幹線道路沿いで目立つための広告塔的なもの。ただ、それを普通の広告塔にはしなかったところがミソで、通り掛かる人々にあれはなんだ?と思わせる仕掛け。子供だけでなく大人もなんだろう?と思ってしまい、おもちゃ店として記憶に残るものになっていた。

 塔を思いきり斜めにしたことで、見る向きによってかなり印象が変わるあたりもおもしろい。

 内部は一転して簡素で倉庫のようなつくりだが、天窓があって明るい。天井が高いので開放感があり、空中に吊り物を出すこともできるようになっていた。
 通路もゆったりして気持ちよい空間。ただ、大量のおもちゃが所狭しと並んでいてどれにしようか迷うという、おもちゃ店にありがちな迷宮的な感じではなかった。妙に見通しがよいので、少し歩き回ると全体像が把握できてしまう。それが良いことだったのかどうかは、ちょっと微妙な感じではあった。

 その後、ここを訪れたことはない。最近になってネットで調べたところ、2002時点ではカラオケ店になっていたという。Googleストリートビューでも、2019年6月時点でカラオケ店だったことが確認できるが、ドーナツ型の庇や斜めの塔はなくなっており、その外観はかなり替えられていた(もう一つの塔は残っていた)。この内部空間をどうやってカラオケボックス化していたのかも気になるところではあったが。。

 更にその後、2021年4月のストリートビュー画像では解体中で、2022年3月時点では更地になっていた。いわゆるポストモダン建築と称されるタイプの建物は短命なものが残念ながら多いが、この建物も築30年あまりで失われてしまったのだった。

PALETTE TOYSHOP
新建築1989年1月号
パレット玩具店-石山修武
パレット玩具店 宮城県柴田郡柴田町 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター

日本国内の建物や街並み
#失われた建物 宮城県  #商業系  #現代建築  #ポストモダン  #石山修武 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本平夢テラス

2021-08-10 | 静岡県  

 日本平デジタルタワーの周囲に造られたドーナツ状の屋外展望回廊と、3階建ての展望展示施設。
 ベースとなる構造は鉄骨造だが、内装などに県産木材が多用されている。竣工の約2ヶ月後に訪れたので、木はまだ真新しい感じだった。屋外のデッキ部分は雨ざらしなので、3年弱が経過した現在はもう少し渋い色合いになっているかもしれない。

日本平夢テラス
所在地:静岡市清水区草薙600-1
構造 :S造(木材で化粧)
設計 :隈研吾
建設年:2018
Photo 2019.1.7

 展示・展望施設の3階から、テレビの送信塔の周囲に造られたデッキへ行くことができる。木造っぽく見えるが、建物を支える構造としては鉄骨造。 深い庇を支えている部分は木製のようだった。


 展望施設、軒庇を支える木組み

 たぶん在来の工法で組んでいるのではないかと思うのだが、そのへんの解説はぱっと見では見当たらなかった。そのあたりをアピールしても良いのにと、ちょと思う。


 展示施設外部のベランダ

 左中央にうっすら富士山が見えているが、静岡のお正月は暖かいので、午後は既に春霞のような状態。


 展望デッキ、下からの見上げ

 太い二本の鋼材を中心とした井桁が渡されていて、その上下に木材が組まれている。素人目には木造っぽく見えてしまうが、木造的に見える化粧木組みとでも言うべきか。 ボルトや釘の類は使わずに組んでいるようだ。

 展望回廊を地上から見上げる。 ロープウェイ前の駐車場からアクセスすると、展望回廊を下から見上げながら施設へ接近することになるので、回廊の裏側のお化粧も大事、ということなんだろうな。


 展望回廊の木製柵

 ここでも釘やボルトはほとんど使われていないようだ。


 展示・展望施設内部、3階。

 中央は吹き抜けの階段スペースになっている。 この部分も角材が複雑に組まれていておもしろい。 周囲の鉄骨柱で建物は支持されているが、それに木の小屋組を載せているようだ。


 駐車場から日本平デジタルタワー

 以前は在静各テレビ局の送信塔がそれぞれに建っていたが、地デジ化に際して一元化され、一本の大型鉄塔に替わった。大きくてシンボリックだけれど、昔の様子を知ってる者としては、塔が一つだけだとちょっともの足りなかったりもする。


 展望回廊部分

 右端にデジタルタワー(TV送信塔)のパラボラがちょっと見えている。武骨な塔の側は木製ルーバーで視線を遮り、周囲を見渡せるようになっている。 デッキの床面も木材(木質プラスチック?)のようだったが、このあたり、経年変化でどうなっていくだろうか。渋くなっていくならそれはそれで良いのだけれど。


 展示施設内部

 階段にも角材が使われているが、このスタイルの階段が角材だけで支持できるハズがないので、見えないところに鉄骨を入れて支えているのだろう。


 横山大観の『群青富士』をベースにして造られたステンドグラス


 2階ラウンジ

 この日はあいにく雲が少し掛かっていたが、お天気なら正面に富士山と駿河湾・清水港が見える。

日本平夢テラス
静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #眺望  #山  #塔  #橋  #現代建築 
#屋内階段  #隈研吾 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本長期信用銀行本店ビル

2018-08-27 | 千代田区 
日本長期信用銀行本店ビル(新生銀行本店ビル)
所在地:千代田区 内幸町2-1
建築年:1993(平成5)
構造 :S+SRC
階数 :22F+B5F
高さ :130m
設計 :日建設計
備考 :2013.9〜解体
Photo 2007.1.28

 日比谷公園の南側にあった独特な高層ビル。巨大なT字型の立面をした珍しい形のオフィスビルだった。なぜそのような形にしたかったのかは知らず。ぱっと見では奇妙な形だとはあまり気付かないかもしれないが、よく見るとかなりアクロバティックな形状なのが分かる。

 建物は前側に大きく突き出している。単純で小さな庇などではなく、上に居室があって重量が掛かる場合や、片持ちの張り出しが大きい場合は、柱寄り(根元側)の厚みを厚くしたり、下から斜材で支えたり、上から斜材やワイヤーで吊ったりして支える。この建物の場合は壁面に見える三角形の部分に斜材が入っていたのだろう。張り出し部分の大半はそれでもって下から支えられ、また上からも半ば吊られるような形になっていた。下側の三角形の部分より下の、ガラス張りのスペースは上部の片持梁から吊された構造だった。


 Photo 2007.1.28

 実は、上写真の時点では既に日本長期信用銀行(長銀)本店ビルではなくなっており、新生銀行本店ビルになっていた。

 建物が設計・建設されたのは、バブル経済末期から破綻の頃。バブルの勢いに乗って、派手目な超高層オフィスビルとして企画されたわけで、超高層でもこんなアクロバティックな建物を造れますよという見本のようになっていたのだろう。しかし、完成直後あたりから経営不安が囁かれるような状況になっていたそうで、完成後5年で長銀が破綻してしまったのはなんとも皮肉なことだ。


 Photo 2011.9.7

 巨大な片持梁構造の下の部分は、これまた巨大なガラス張りのアトリウムになっていた。これも外から見るとガラス面が連続するような形で、窓枠が無いかのような造りになっていた。内側の柱梁の外側にガラスを固定する当時としては新しい仕組みで、かつ巨大だったのが目新しかったように記憶している。

新生銀行本店ビル - Wikipedia

 日本長期信用銀行(長銀)はこの建物を本店としてから5年後の1998(平成10)に破綻。2000(平成12)に新生銀行となり、この建物も新生銀行本店ビルとなった。そして、2010(平成22)に新生銀行が移転してからは空きビルとなっていた。従って上の2011年の写真は空きビルだった時代のもの。


 Photo 2014.4.6

 2013(平成25)年9月から解体が始まったそうなので、上写真はそれから半年ほど経った頃のもの。高さが100mを超える超高層ビルだったが、売却された後、竣工から20年であっさり解体されてしまった。この後、同所には日比谷パークフロントというオフィスビルが2017(平成29)に竣工している。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #現代建築  #オフィス  #銀行・保険  #高層ビル 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田辺エージェンシー本社ビル

2018-07-09 | 目黒区  
田辺エージェンシー本社ビル
所在地:目黒区青葉台2-21
建設年:1984(昭和59)
構造・階数:S・3F
設計 :石井和紘
備考 :2010〜11解体
Photo 2007.4.21

 わざわざ建築家に依頼した建物をいとも簡単に建て替えてしまうなんて、と思ったのだが、実は山手通りの拡幅事業のため建て替えざるを得なくなったようだ。確かに撮影当時、両側のビルは既に建て替えられて後退していたが、この建物だけはまだ残っており、前に出っ張った状態になっていた。

 ただ、山手通りの拡幅の計画は昔からあったはずなので、拡幅が事業化されたら建て替えもやむなし、という心づもりで建てられた建物だったのかもしれない。

 鉄橋のような外観が印象的な建物だった。設計した石井和紘氏は当時、橋をモチーフとした建物をいくつか設計しており、この建物もその一つだったそうだ。写真の頃には両側をビルなどに挟まれてよく分からなくなっていたが、隣地が空き地だった頃は、橋のような外観がよくわかり印象的だったそうだ。

 新しいビルは2011年4月着工で、同年12月に竣工ということなので、旧本社ビルは2010年〜2011年初め頃に解体されたようだ。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 目黒区  #現代建築  #ポストモダン  #オフィス  #石井和紘 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーヴェル赤羽台

2014-03-13 | 北区   
UR都市機構ヌーヴェル赤羽台2号棟(中央)・1号棟(右)
所在地:赤羽台2-3   Google Map
建設年:2006(平成18)
Photo 2013.9.9

 マンションの完成予想図か広告みたいな写真になってしまった・・・。

 赤羽台団地は建て替えでみんなこんな感じになっていくのかしらん。

UR都市機構ヌーヴェル赤羽台2号棟 中庭
Photo 2013.9.9

 完成から7年が経ち、中庭の木々も大きくなったが、ヤブ蚊もたくさんになっていた。

#住宅系  #集合住宅  #街並み 北区  #パノラマ  #現代建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌーヴェル赤羽台

2011-07-20 | 北区   
ヌーヴェル赤羽台 5号棟
所在地:北区赤羽台2-4
Photo 2011.6.25

 赤羽台団地は老朽化のため、徐々に建て替えが進んでいる。新しい建物群の名称はヌーヴェル赤羽台。ヌーヴェルはたぶんフランス語の「新しい」のことなんだろう。以前の建物は8階建て以下で5階建てが多かったが、新建物は12階建て程度で、一棟あたりの規模も大きい。団地に限らず民間のマンションも最近はかなり大きいことが多いので、そういうものなのかなぁと思う。以前はほとんどの住棟は東南向きに平行に建っていたが、新建物はL字型の住棟を組み合わせて中庭を取り囲むタイプになっている。

 一連の新建物のうち、一棟だけは各階通路の手摺が青と緑の透明パネルになっている。グループなどでここを訪れると、皆一様に「あれって、もう完成済みなの?」と口にする。まだ工事中で傷が付かないように保護シートが貼られているのだろうかと思ってしまうのだ。私自身、完成直後に訪れた時はあれっ?と思った。そしてその後、入居が進んだのに同じ状態なのを見て、ようやくあれが「完成型」なのだと確信した。

 アーティスティックなことはよく分からないので、建築デザインについての良否についてはコメントしない。住んでいるわけではないので、間取りとか使い勝手も分からないわけだし・・・。ただ、見る者が皆、未完成型なのかと勘違いしそうになる、という事実は指摘しても良いだろう。そういうデザインなのだ。そして多くの人が変な建物だねぇと言っているのも事実だ。

 さて、現段階で新棟は7棟だが、それらの大半はモノトーンかシルバー系。その中で、一つだけにグリーンとブルーの透明パネルが部分的に付いているわけで、変な建物だとは言われているが、ある意味、エリアの中でワンポイントのランドマークになっていると言えなくもない。一見するとちょっとビックリするデザインなのだが、何度か見ているとこういうのも"あり"なのかもしれないなぁと思えてくる。

Wikipedia > 赤羽台団地

#新しい建物 北区  #街並み 北区  #高層ビル  #住宅系 

#集合住宅  #現代建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北区立中央図書館

2011-06-29 | 北区   
北区立中央図書館・1Fホール・受付
所在地:北区十条台1-2
建設年:1919(大正8) 東京第一陸軍造兵廠275号棟として建設。
    2008(平成20) 保存措置が講じられ図書館となる。
Photo 2011.6.11

 東京第一陸軍造兵廠275号棟として建てられた煉瓦の建物。一時は取り壊される見込だったらしいが、住民等の保存要望により、保存処置がされた。

 煉瓦造のままでは耐震性に不安があるため、内側に鉄筋コンクリートの壁を造り、煉瓦壁は構造的には関係がない状態にし、屋根も張り直したという。切妻屋根が二つ並ぶ形だったが、その旧建物を取り込む形で大型の図書館が建設されている。東側の壁以外は屋外から見ることができ、残る東側の壁は、写真のように図書館内部の受付ホールと開架書庫を区切るものとなっている。

#古い建物 北区  #新しい建物 北区  #近代建築  #現代建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイヴィトンの昼と夜

2006-02-25 | 中央区  

 最近の銀座にはちょっと面白い建物が増えている。一昨年、銀座にできたルイヴィトン並木通り店もその一つ。

所在地:中央区銀座7-6
建設年:2004.9
設計:青木淳
Photo 2005.6.12

 昼間に訪れると窓がほとんどない白っぽい箱のように見える。付近には飲食店やバーなどの袖看板が多く取り付けられた雑居ビルが多く建ち並ぶ。しかしこの建物には、LOUIS VUITTONというロゴ文字以外には文字が全くない。また、玄関と1Fのショーウィンドウの他には、数カ所に四角い窓があるが、この他にはほとんど装飾らしいものが見あたらない。

 壁面の中には白く四角い部分がところどころにある。小さく白い斑点のようなものもたくさんあるのだが、何だろうこれ? という感じ。ただ、このある意味のっぺりしたシンプルな外観は、周辺の雑居ビル群とは異質であるので、逆にかなり目立っている。

Photo 2005.4.10

 しかし、夜になると、この白い箱は不思議な灯りの箱へと表情を変える。建築設計上の詳しいことはよく知らないのだが、excite.ism内の記事によるとこの壁はGRCという石のように見える素材でできていて、その中に透過性のある天然石が嵌め込まれているらしい。そのため内側からの光を通す天然石部分が光ってみえる。光を通す部分も、通さない部分も共に白っぽく、また窓枠もなく、表面がフラットになっているため、昼間はただの白い箱に見えているのだが、夜になると、光がちりばめられた箱になるのだ。ぼんやりと光るさまは形を変えた行燈のようでもある。

 全ての壁面を白いパネルとして、そこにランダムに窓を穿ったあたりは、モダニズムで言うところの「自由な立面」の一つの新しい解釈でもあり、現代的モダニズム建築なのかもしれないなと勝手に思った。

GRC=Glass Fiber Reinforced Concrete(ガラス繊維強化セメントコンクリート)
Photo 2005.4.10

 建物は面白いなーと思うけど、残念ながら、個人的には今のところ全くご縁がないお店です、ハイ。だから内装の方は全然知らないんだな、これが。

 1階には、上の方の窓と同じような大きさの、小さなショーウィンドウがあり、ここにも展示がされている。小さな窓なので、つい近づいて覗き込んでしまうようになっているところがミソ。

Photo 2005.4.10

 新聞その他でも取り上げられているが、近年の建築の一つの流れとして、外観の見た目の新しさ勝負みたいなところがあるようだ。内部空間の利用形態とか、そこでの空間の体感を中心にして、そこから外観が出来上がって来るというのが、今までは一つの設計手法として重要視されていたように思う。またそれが「正しい」考え方なのだという信念のようなものがあったのではないだろうか。もちろん今でもそれは大切だとは思われているのだろうけれど、一方で、人目を引く外観に力点を置いた建物も店舗などを中心に増えてきた。銀座や表参道などの場合、建物の外観はブランドイメージをアピールし強化する、一つの媒体として、近年は非常に重要視されている。このため、他よりも高級感がありつつ、上品でなおかつ目立つという、ある意味、明快な目的=デザイン方針を持った建物が生まれるようになった。

 そして銀座という、大正期以降にブランド化した場所に、これらの店舗が集中したことによって、銀座は建築的にも面白いものが多く見られる街になったのである。

#新しい建物 中央区  #商業系  #夕景・夜景  #青木淳  #現代建築  #21世紀  #平成期 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポンピドゥーセンター・フォーラムデアール

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 17:54 RER・C線、オルセー方面行きに乗る。少し揺れるが快適。

 18:30 St.Michel着。駅を出ると既に夕暮れ。ヴェルサイユよりパリは少し暖かいような気がした。街中だからだろうか?

セーヌ川とノートルダム・ド・パリ

 カルチェラタンの方角へ少し歩き、小さな土産物を買う。その後、ポンピドゥー・センター(Wikipedia)へ行く。

ポンピドゥー・センター(Pompidou Centre)

 夜のポンピドゥー・センターもきれいだった。レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの設計により1977年に開館した、ハイテクモダンのはしりともいわれる建物。鉄骨の柱梁やブレース材、電気・ガス・空調などの配管ダクト類が前面にむき出しになっており、工場建築のようでもあり、機能性や合理性を追求してそれを表現した姿。

 東京とかだとベースになる街並みが明瞭ではなく、どんな建物デザインでもありなので、さほどの衝撃はないのだろうが、300年程前の石造りの建物が建ち並ぶ昔ながらの街並みを持つパリでは、このデザインは超モダンで今でも目立つ。建設当初、賛否両論があったのも頷けるもので、パリで新しいデザインの建物を建てる場合にはその中で新しいデザインを問う覚悟が求められるのだろうなと、周囲を見渡した時に感じたのだった。

 アプローチのエスカレーターも建物外側に設置され、敢えて機械感を前面に出している。展望を楽しめるようにもなっており、センター自体に入館せずとも建築の一端に触れることができるのも、他の旧来の美術館などとは異なり魅力的。

ポンピドゥー・センターからパリ市街

 エスカレーターで上に上ると、パリの夜景を眺めることもできる。中心部で夜景を楽しめる場所はあまり多くないようなので、これはうれしい。街中は全体に落ち着いた街灯りに覆われていて、ランドマークになるような教会や塔がライトアップされて目立っている。既存のストックを夜景においても上手く活用しているのが印象的だ。

フォーラム・デ・アール(Forum des Halles)

 ポンピドゥー・センターからあまり遠くない場所にある商業施設、フォーラム・デ・アールへも行ってみる。

 フォーラム・デ・アールは、中央市場(レ・アール)の場所を1969年に再開発したものだそうだ。20年以上経った建物としては比較的きれいだったし、1960年代としてはなかなか斬新で面白い建物だなと思った。しかしちょっと裏へ回るとやや薄暗い雰囲気で、その点はあまり好感が持てなかった。

 20年以上経った2015年になって改めて検索してみたところ、なんとこの建物は既になくなっていた。2016年に向けて再々開発中なんだとか。老朽化した建物の更新と、やや雰囲気が悪くなってしまったこの地区のイメージを刷新するためらしく、計画では商業施設群の上にドーム状の屋根を造り、その上に土を載せて緑地をつくるらしい。

 パリの街なかに建つ石造りの建物は、200年以上経っているものも多いが、一方で50年もしないうちに取り壊されて建て替えられるものもやはりあるようだ。現代建築の方が建物の一生が短いのだろうかと考えさせられる話でもある。

フォーラム・デ・アール付近の街

 フォーラム・デ・アール付近は、車が基本的に入らない歩行者専用のモール空間になっており、路上にカフェやレストランが張り出して夜まで賑やか。冬場なので路上の席に夜間座る人は少なかったが、暖色系の照明と大きな庇が賑わい感を演出している。

 フランスを出てスイスへ向かう夜行列車に乗るため、メトロで東駅へ行く。

 20:00 東駅でK氏と待ち合わせ。

 20:15 K氏到着。Invalidsでたまたま日本人学生の財布を拾い、Deffenceのホテルまで届けに行ったが、会えなかったという。二人で夕食をとることにし、駅近くの店でピザを食べる。

 22:00 S君と落ち合う。駅の切符売り場でスイス行きを探していた、法学部1年のH君という学生に会い、しばらく行動を共にすることにする。やや自意識過剰でお喋りな学生で、私などはどちらかというと敬遠してしまうのだった。

 22:40 発車ホームが分からず右往左往したため、間一髪で列車に乗る。危なく列車を逃すところだった。

 クシェット(couchett)と呼ばれる寝台は、3段ベッドの6人部屋で、とにかく狭い。足下に荷物を置いて、中段で少しだけ寝る。

 長距離鉄道での移動は今回の旅では初めて。寝ている間にフランスからスイスへ国境を越えるため、車掌にパスポートを預けるというのも初めての体験。途中駅で下車するので、到着少し前に車掌が起こしに来てくれるのだそうだ。こういう体験をするとヨーロッパを旅しているのだなと思うし、やはり広いのだなと思う。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#眺望  #教会  #夕景・夜景  #新しい建物 海外  #ミュージアム 
#現代建築  #リチャード・ロジャース  #レンゾ・ピアノ 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーヴル美術館

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 08:30 起床。
 09:00 朝食。
 10:00 出発。

 10:30 東駅にて切符の予約をしようとするがストライキで予約できず。そんなのありかよという感じだが、仕方がないので、荷物だけコインロッカーに預ける。S君は早速ヴェルサイユへ向かう。K氏と私はルーヴル美術館へ。

 11:00 ルーヴル美術館(Wikipedia)着。

ルーヴル美術館 ガラスピラミッド内の入口

 ガラスピラミッドの中に入ると螺旋階段があり、これで地階に下りるとチケット売場。当時はまだ全体が完成していなかったが、それでもそこから各時代のエリアに行かれるような仕組みが既にできていた。

 さすがにルーヴル美術館(ルーヴル美術館公式ページ)は人出が多い。私たちと同様の卒業旅行と思しき日本人も多数。日本語のガイドリーフレットもちゃんとある。音声ガイドもあったが、そちらには手を出さず。

 例によって、短時間でいろいろ見て回る特急ガイドを中心にして見て回る。ルーヴル美術館や大英博物館は一つ一つ丹念に見ると絶対一日では終わらないので、短期の旅行の場合に特急モードになるのは致し方ないことだ。

サモトラケのニケ

 サモトラケのニケ(Wikipedia)など、美術の教科書などに出てくるような有名なものがあちこちにある。大英博物館に行った時にも感じたが、ああ、これはルーヴル美術館にあるものだったのか、ということが何度もあるのだった。

 彫刻や絵画は、教科書や図集などで見ると大きさが分からないことが多い。もちろん、像高や絵のサイズが欄外に記されていたりもするのだが、それでも感覚的に大きさを把握していないことが多く、実際に現場で見ると、あれ?、こんなに大きいのか!とか、逆に、意外に小さいのだな~、と感ずることがしばしば。作品の記録写真としては他の見学者がいない方が良い写真になるのだろうが、見学者が写っている方が実際の大きさや高さがよく分かる。サモトラケのニケが、こんなに見上げるような位置どりで置かれているのも知らなかった。

 観光客が多いせいもあって、館内はややガサガサした雰囲気。

 常設展エリアでは、ストロボを用いなければほぼ写真撮影がOKだった。私自身はほぼどこでもストロボOFFなのだが、おばちゃん観光客などはオートでいつも撮っていてストロボOFFのやり方が分からず、ストロボをバンバンたいていたりする。人が多い状況ではいちいち注意をしている余裕もないのか、館員もなんだかお手上げみたいな感じ。

 広い館内でコンパクトカメラの小さなストロボを使っても、後方が真っ暗になって見た目と全然違う状態になるだけので、ストロボを使う気には全くなれない。自然光を上手く取り入れたりしているので、館内は比較的明るい。ISO400のフィルムを使えば、コンパクトカメラであっても、カメラをしっかりホールドして息を止めてそっとシャッターを押せば、それほどぶれずに撮れる。ただフィルムの場合、デジカメと違って現像してプリントしてみるまで手ブレしたかどうかは分からない。海外旅行などの場合、結果は帰国してからになり撮り直しもきかないので、ちゃんと撮れたか心配になることも多かった。

 昔からあった展示スタイルらしいのだが、絵が上下二段に並べられたりしていたのには、ちょっと驚いた。日本のように、恭しく一つ一つ並べて間を開けて・・・、なんてことがなく、どんどん並べてしまっている。たくさんの収蔵品があるので、出来るだけたくさん見られるように、ということなのだろうか? その辺のポリシーがよくわからん。

 後になって調べてみたら、昔は絵の展示は天井付近までびっしりということもあったようだ。「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」(ヴィレム・ファン・ハーヒト)という絵などを見ると、壁全面を埋めるように絵が飾ってあって、ちょっと気持ち悪い感じさえする。ルーヴルの場合、敢えて昔のスタイルで展示しているのかもしれない。美術史などを専攻している人なら知っているのかもしれないが、そのあたりを知らずにいると、なんだか展示物の物量に圧倒されて、それだけでちょっともう疲れてしまうのだった。

 もともとが宮殿建築なので、展示されている絵画以外にも壁画や彫刻があり、そちらもなかなかのもの。西洋の古い絵画はこういう場所で鑑賞することが前提になっているのだなと改めて思う。しかし、部屋と部屋をつなぐ通路の上方、頭上高くに絵が展示されているのは、日本では見たことがない。高い壁面を見上げて鑑賞するというのはかなり意外な体験。

「カナの婚礼」ヴェロネーゼ(Wikipedia

 絵画の本などには、実際の大きさも情報として記されているが、ヨコ6mとかの巨大な絵画になってくると、なかなか写真では想像が付かない。現場で見ると、うわっでかいんだなぁと改めて思う。ルーヴルの場合、そういう絵がなんだか無造作に飾られている感じで、それにもちょっと驚かされる。

「7月28日-民衆を導く自由の女神」ドラクロワ(Wikipedia

 モナ・リザ(Wikipedia)なども見たのだが、周囲がやたら混雑していた印象しかない。絵自体はいろんなメディアを通して見ているせいか、「とにかく見たぞ」的な感じで、確認したというか、スタンプラリーでハンコを押して一段落、みたいな感じになってしまった。だから写真は撮っていない。

 ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は超有名物件だが、この時はなぜかその周辺が空いていたので一枚。あと、記憶に割合はっきりと残っているのは、「ナポレオン1世の戴冠」(ダヴィド)や、「グランド・オダリスク」(アングル)あたりだろうか。

ミロのヴィーナス(Wikipedia

 今はどうか知らないが、1990年代に訪れた時は、ミロのヴィーナスもなんだか素っ気ない感じで展示されていた。有名な彫刻なのにこんな近くで見ても良いのかしら? という感じ。日本だと、地震で倒れたら大変、みたいな感じもあって、近くにも寄れないのだが・・・。でもこれ、レプリカ展示だったのかな?

 K氏は特急で見学。12時過ぎにルーヴルを出てしまう。私は少しのんびりして、13:30にルーヴルを出る。といっても私の滞在も2時間半弱。じっくり見たとはとても言えない。

 ルーヴル美術館から絵はがきを出したりもする。送料7.5FFr。意外に安かったので船便なのかもしれないとも思ったが、後で確認したらエアメールは3.7FFrだった。2通で7.4なので、0.1計算が合わないが、たぶんOKだ。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#新しい建物 海外  #古い建物 海外  #城・宮殿 
#吹き抜け・アトリウム  #屋内階段  #ミュージアム 
#現代建築  #I・M・ペイ  #世界遺産 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする