都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ArchitectS Office/旧イクタツ

2024-04-27 | 中央区  
ArchitectS Office
所在地:中央区 日本橋小網町16-16
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)頃
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.5.6

 かつての東掘留川沿いに面して建てられていた建物。

 下記リンク先の記事によると、最初はワコールの前身の和江商事が倉庫(兼事務所?)として建てたものだったそうだ。川沿いだったので荷揚げ設備もあったという。

 戦後、建物裏の川は戦災で生じた瓦礫の処分のため埋められたが、建物はその後もいくつかのオフィス兼倉庫として利用されていたようだ。写真の時期は建築家の方がリフォームして設計事務所兼ギャラリーカフェとして利用していた。

 外観は装飾もほとんどない地味な建物。それぞれの窓の下に四角い凹みがデザインされているのと、屋上のパラペットにも穴が開けられているあたりが数少ない特徴。またそのパラペットはわずかに外に開いていて、外壁の雨だれ汚れを低減するデザインだったようだ。この他、撮影時は全体が白っぽく塗られていたが、1階はタイル張りで、2、3階はモルタル塗装だった。

 この後、2022年に解体され、少し前に解体された南側の建物(写真左手前)の敷地と合わせて新しいビルが建てられた。
 中央区のサイトには平成23年から3ヶ年にわたって行われた近代建築調査によって調査された建物について記したページがあるが、そこに掲載されている約90の建物のうち25軒ほどは現在までの期間に解体・消失しており、残っているのは約7割になっている。

中央区ホームページ/中央区近代建築物調査
中央区ホームページ/ArchitectS Office
川がない橋が秘めた東京の履歴│47号 つなぐ橋:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
イクタツ(現・ArchitectS Office)/日本橋小網町 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #オフィス  #倉庫・蔵  
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永楽屋

2024-04-24 | 中央区  
永楽屋
所在地:中央区 日本橋蛎殻町1-6-5
構造・階数:木・2
建設年:1925(大正14)
解体年:2022(令和4)
備考 :2021(令和3)末に廃業
Photo 2014.5.6

 新大橋通り、蛎殻町交差点のそばにあったワイシャツの仕立て屋。通り掛かったのが休業日だったためこの時は閉まっていたが、3年ほど前まで営業していたそうだ。しかし2021年末に廃業し、その約1年後の2022年末に建物も解体されてしまった。

 モルタル看板建築だがファサードは平面的ではなく、2階の窓まわりを後退させて柱を付けるなどして立体的に見せる工夫がされている。店名看板もおしゃれにデザインされていた(改装などの際に新調されたものだったのかもしれない)。

 1階の扉は観音開きで店の名が金文字で画かれていた。ショーウィンドウが張り出していて、見せ方にもちょっとした工夫がされた建物デザインだった。ただ、営業時の写真をネットで見たところ、ディスプレイはきれいだとは言い難い感じだった。

永楽屋、他/蛎殻町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #看板建築 #モルタル看板建築 
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Coffee Shop Cotto、旧日比野運輸

2024-04-21 | 中央区  
Coffee Shop Cotto、旧日比野運輸
所在地:中央区 日本橋大伝馬町9-2
構造・階数:木・2
解体年:Cotto 2017(平成29)、日比野運輸 2013(平成25)
Photo 2011.1.26

 昔の日光街道・奥州街道のひとつ北側の通りにあった看板建築。角地にある喫茶店コットは1970年代の住宅地図にもその名が記されていた店。1990年代末の住宅地図では、コーナー部はスナックコット、その左側がコーヒーコットで、角地にある一つの建物に異なる業態の同名の店があったようだ。そのためか写真でも入口が2ヶ所あったが、写真の時点では喫茶店だけになっていたようで、コーナー部は入口ではなくなっていた。

 一方その右隣は、かつて運送会社だった看板建築。写真の時点では既に仕舞屋だったが、2000年発行の住宅地図では日比野運輸と記されている。また、下記「ぼくの近代建築コレクション」では1988年の写真を見ることができ、こちらでは軒先に社名の看板が掲げられている。またこの時点と上写真では2階の外壁の様子も異なる。

 喫茶店コットはモルタル看板建築だが装飾は少なく、コーナー部壁面のレリーフとギザギザになったパラペット上端部だけ。日比野運輸の方は外壁が改修されているのでよく分からないが、金属板張りの看板建築で上端部のデザインはコットと似ていた。

 二つの建物は共にこの写真の数年後に解体され、現在、跡地には10階建てマンションが建てられている。

コット、フジスター/日本橋大伝馬町 - ぼくの近代建築コレクション

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月島2丁目、清澄通り沿いの看板建築群

2024-04-18 | 中央区  
月島2丁目、清澄通り沿いの看板建築群
所在地:中央区 月島2-13-10〜12
構造・階数:木・2
建設年:戦前、戦後まもなく
解体年:1998(平成10)
Photo 1996.5.25

 清澄通りの北側から、南側に並ぶ建物群を撮ったもの。

 写真左から、旧荒井喜久蔵商店、酒場ハクツル、旧築地運送、路地の右側が須藤モータース、旧喫茶・スナック「ブレイク」。荒井喜久蔵商店は出桁造り町屋。その他はモルタル看板建築。築地運送の建物は70年代は月島運送事業協同組合、80年代は月島将棋クラブなどになっていた。また、1992年に都営地下鉄大江戸線の環状部の建設が始まったため、道路上には仮設の柵がたくさん並べられている。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」では、この写真の数年前(1980年代末)の写真を見られるが、そちらでは荒井喜久蔵商店がまだ営業中で、軒先に看板が掲げられていることも確認できる。

 月島は2000年に大江戸線が開通したこともあって、この頃から高層マンションがどんどん造られた。写真の建物群も1997〜98年頃に解体され、跡地には12階建ての高層マンションが建てられている。

酒場ハクツル/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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旧 白石パン店

2024-04-15 | 中央区  
旧 白石パン店
所在地:中央区 月島2-3-10
構造・階数:木・2
建設年:戦前
解体年:2005(平成17)
Photo 1996.5.25

 月島2丁目、朝潮運河に近い通り沿いにあった銅板張り看板建築。
 下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事によれば、戦後の1950年頃の火災保険特殊地図には「白石パン店」と記されているという。ただ、1970年代以降の住宅地図ではパン屋という記載はない。パン屋さんだったのは戦後しばらくの間だけだったようだ。

 1995年にこの写真を撮って以降は訪れていない。2006年の住宅地図では既に建物がなくなっており、2010年撮影のGoogleストリートビュー画像では駐車場になっていて、その状態が最新の2022年9月の画像まで続いている。

 なお、写真左端の銅板張り看板建築町屋は、2022年9月時点のストリートビュー画像にも写っている。

楽々、他/月島2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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五軒長屋

2024-04-12 | 中央区  
月島1丁目の五軒長屋
所在地:中央区 月島1-4-4〜5
構造・階数:木・2
建設年:戦前
解体年:1997〜98(平成9〜10)
Photo 1996.5.25

 下記、「ぼくの近代建築コレクション」では、七軒長屋として掲載されているもの。
 写真左端を見ると、南側の二軒との間に隙間がある。その南側二軒は一体の出桁造り町屋。一方、本写真のものは、銅板張りでファサードデザインも共通の五軒。このうち南端の一軒だけ棟がわずかに高いのがちょっと不思議だが、構造的には恐らく一体の五軒だったようだ。

 1990年代までは月島にもこのような長屋がいくつかあったが、90年代後半からマンションが増え、その後、高層化も進んだためこのような街並みはほぼなくなった。

 ここも写真の少し後に解体されて12階建てマンションになった。その後、それも壊されて、2015年には53階建ての超高層マンションが完成している。その際、月島1-4と1-5の街区が統合されたため、現在、月島1-4街区はない。

七軒長屋/月島1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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須田商店・石川家

2024-04-09 | 中央区  
須田商店・石川家
所在地:中央区 築地3-4-7
構造・階数:木・2
建設年:大正末期?
解体年:2018(平成30)
Photo 2006.4.7

 東京メトロ日比谷線 築地駅の東側出口のそば、新大橋通りからひとつ東南に入ったところの角地にあった銅板張り看板建築。
 下記、中央区のサイトの解説文にもあるように、看板建築ではあるが瓦屋根が見えているタイプのもの。建物を囲うように「看板」を立ててビルのようにした、というわけではなく、木造瓦葺の2階屋を簡易防火を意図して銅板張りにしたものだったようだ。

 築地会隈は明石町の聖路加国際病院に近く、戦災を免れたため、戦前の銅板張り看板建築が多く残っているが、さすがに最近は数が少なくなってきている。


 Photo 2013.10.14

 銅板張りなのは通りに面している側のみ。

中央区ホームページ/須田商店・石川家
【×】須田商店・石川家 - ずぼら堂懐古録

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フレッシュフルーツ水作、理容サン

2024-04-06 | 中央区  
フレッシュフルーツ水作(水作果実店)/理容サン
所在地:中央区 築地2-10-8
構造・階数:木・3
建設年:戦前
解体年:フレッシュフルーツ水作:2013(平成25)
    理容サン:2006〜09(平成18〜21)
Photo 2001.4.22

 新大橋通りの角にあった果物店と理髪店。関東大震災後、戦前期に建てられた木造3階建てで背が高い店舗が並んでいた。

 水作果実店の方はトタン張りで、看板建築と言ってよいかどうか微妙な建物。理容サンは一部銅板張りのギャンブレル屋根平入りだった。


 Photo 2006.4.7

 建てられてから80〜90年が経った頃に2棟とも解体。跡地は最近まで更地になっていたが、Googleストリートビュー画像によれば、昨年秋にはなんらかの建物の建設が始まっているようだ。
 水作果実店左奥の銅板張り看板建築の福市だんごも同時期に解体された。界隈には数軒の古い商店建築が建ち並んでいたが、やはり徐々に減少している。

水作果物店/築地2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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新富1丁目のモルタル看板建築群

2024-04-03 | 中央区  
トミー・リーアル・アドバイザー、Y邸、中央金属
所在地:中央区 新富1-4-3
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:手前2棟は1998〜2000(平成10〜12)
   :中央金属は2016〜17(平成28〜29)
Photo 1995.6.20

 新富町1−4の北東角から南方向に撮ったもの。下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事の2枚目写真とほぼ同じ向きで、私の方はその約1年後のもの。
 角からトミー・リーアル・アドバイザー、その隣がY邸、その奥は新光貨物株式会社のビル、その奥が中央金属(2F)。新光貨物株式会社は5F建てだが、その他は木造2階のモルタル看板建築だった。

 角地のモルタル看板建築は、1973年の住宅地図ではコーヒーマンダリン、その後、1980年代以降はトミー・リーアル・アドバイザーという会社だったが、1998〜2000年の時期に解体された。またY邸も角地の建物と同時期に解体され、その後、両者の跡地はまとめられて7階建てのビルが建てられている。


 Butterfly Stroke Inc.(旧 中央金属) Photo 2013.10.13

 一方、奥に写っている中央金属の方は、Googleストリートビューの画像を見ると、2000年代後半にはきれいに改装され、Ruffy Tuffy Inc.という小規模事務所になっており、2010年代にはButterfly Stroke Inc.になっていた。また、いつ頃からかは分からないが、この頃には外壁がツタで覆われていた。
 しかし2016〜17年頃に解体され、その後はコインパーキング、現在はホテルになっている。

 1990年代頃までは都心でも看板建築が建ち並ぶ街並みがそこそこあったが、その後次第にそれらは建て替えられ、現在はやはりかなり少なくなっている。

トミー・リーアル・アドバイザー/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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