都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

静岡県庁東館

2023-07-06 | 静岡県  
静岡県庁東館
所在地:静岡市葵区追手町9-6
建設年:1970(昭和45)
構造 :SRC
階数 :18+B1
設計 :日建設計(林昌二・三浦明彦)
Photo 1981.11.1

 手前は静岡県庁西館。奥には新静岡センターがわずかに見えている。


 駿府公園(現 駿府城公園)から  Photo 1981.8.27

 1970年に完成した静岡県庁東館は全国初の高層庁舎建築だそうだ。上写真の時点では静岡市役所の新館(1987年完成)が出来ておらず、この時点でも県庁東館は市街中心部では唯一の高層建築だった。


 駿府公園から県庁東館と、静岡市役所新館  Photo 1989.3.28

 駿府公園では1989年に「SUNPU博'89」が行われた。写真手前は博覧会会場の入口になっていた部分。
 県庁別館がない頃には駿府公園からは東館と市役所の新館が並んで見えていた。


 駿府城外濠・城代橋と県庁東館  Photo 1995.4.15

 上写真の時点でもまだ新しい別館はできておらず、静岡県庁の建物のなかでは東館が最も高い建物だった。


 県庁東館と別館  Photo 2011.9.22

 1996年に別館(21階建て・最高高さ約110m)が竣工したため、東館はいくぶん小さく見えるようになったが、H型の平面をした建物は個性的で、相変わらず存在感のある姿になっている。また、1999年に制震改修を行って、二列の棟の相互を大型のトラス型の制震ブレースで繋いだため、更に独特の外観となった。

静岡県庁舎 - Wikipedia

静岡の建築・土木構築物
#古い建物 静岡県  #高層ビル  #官公庁  #林昌二(日建設計) 
#昭和戦後期  #モダニズム  ブログ内タグ一覧
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トップセンタービル(旧メディアシティ静岡)

2021-08-28 | 静岡県  
メディアシティ静岡 吹き抜け
メディアシティ静岡 吹き抜け
所在地:静岡市葵区 伝馬町8
建設年:1994(平成6)
構造 :SRC
階数 :14F・B2F・RF
高さ :78.6m
備考 :現在の名称はトップセンタービル
Photo 1995.1.3

 現在はメガネトップの本社で同社所有だが、完成当初はテレビ静岡の所有でメディアシティ静岡という名だった。
 バブル期に計画された建物でもあり、下層階には吹き抜けがあった。物珍しさもあったので竣工後に訪れてみたら、この時は自動車の展示が行われていた。ただ、申し訳ないが最初からあまり賑わっている雰囲気ではなかったことが記憶に残っている。

 メガネトップの所有になってからは建物内に入ったことがないので、現在も吹き抜けがあるかどうかは知らず。

トップセンタービル
 トップセンタービル、新静岡センターバスターミナルから
 Photo 2009.2.8

 市内の高層ビルとしては初期のものだが、敷地がさほど広くないので、かなり細くロケット型の建物になっている。

トップセンタービル
 トップセンタービル、伝馬町通りから
 Photo 2009.2.8

トップセンタービル - Wikipedia

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #商業系  #オフィス 
#高層ビル  #吹き抜け・アトリウム 
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ロックフェラー大学の大学病院から

2021-05-03 | アメリカ 
ニューヨーク、ロックフェラー大学の大学病院から西南方向
Photo 1961

 半世紀以上前に父が撮った写真(リバーサルスライドから)。下2枚は上写真の部分拡大。
 Google Mapなどで確認したところ、手前左の四角い高層ビルも、手前右のセットバックした少し古めかしいビルも共に現存するようだ。

 1枚目写真の遠方のビル群、左側がクライスラービル、中央がエンパイアステートビル、 そのエンパイアステートビルを隠している足場・鉄骨はパンナムビル(1963年完成)の建設現場。パンナムビルは1991年からはメットライフビルという名だそうだ。

 1枚目写真の遠方のビル群、右の方にはRCAビル(当時)などが見えている。
 RCAビルはGEビルになり、現在はコムキャストビルディングと名を変えている。

両親がアメリカで撮った街並み
#街並み 海外  #古い建物 海外  #高層ビル  #眺望 
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三菱倉庫江戸橋倉庫

2021-03-29 | 中央区  
三菱倉庫江戸橋倉庫
所在地:中央区 日本橋1-19
構造・階数:RC・6F+B1F+塔屋
建設年:1930(昭和5)
改築年:2011.10〜2014.8(平成23〜26)
備考 :東京都選定歴史的建造物。
    外観の7割を保存しながら建て替え。
Photo 1988.12.20

 表現派風のデザインといわれる倉庫建築で、流れるような線を用いた形が特徴的。倉庫ではあるが立派な建物。頂部の塔屋は船橋をモチーフとしているという。


 江戸橋側から  Photo 2011.1.26

 1、2階は重厚な石張り。昭和通り側のファサードは窓が小さいが、日本橋川に面した部分の東側は横連窓で開口部が大きい。


 日本橋川の船上から  Photo 1998.10.31

 かつては川からの荷揚げがされていて、日本橋川の側にはホイストと呼ばれる巻上げ機が、東側の楓川の側にはテルファーと呼ばれるクレーンが設置されていたそうだ。


 西南側コーナーの入口  Photo 2011.1.26

 モダニズムに至る過渡期の建物なので、様式建築的なデザインはないが魅力的な姿になっている。


 南側の搬入・搬出口  Photo 2011.1.26


日本橋ダイヤビルディング
所在地:中央区 日本橋1-19
構造 :高層部S造、低層階SRC造・一部RC造 階数 :18F+B1F
建設年:2014(平成26).9
備考 :高さ約90m、2〜5Fトランクルーム+本店事務所、6〜17F賃貸オフィス
Photo 2019.7.17

 2011年から4年近くをかけて建て替え。全て壊して外側に壁を張ったのかと思っていたが、改めて調べたところ、外側は多くの部分を壊さずに残したそうだ。内側の超高層化する部分だけは壊して建て替えたが、その新しいビルには古い建物も構造的に繋がっているという。一部が残っているのは、JPビル(旧東京中央郵便局)と似たような方法だが、中をくり抜くように解体して建て替えるのはなかなか難しかっただろうと思う。


 南側壁面  Photo 2019.7.17

 南側壁面は多くがガラス張りになっており、低層部でもここは様子がかなり変わっているが、他の外観はかなりの部分が残されている。耐震性があり、規模がそれなりに大きな建物では、建て替えをする場合でもこのような方法があるのだな。

日本橋ダイヤビルディング - 不動産開発・賃貸|三菱倉庫株式会社
歴史を継承、日本橋ダイヤビルの快挙 | 成毛眞の技術探険 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
三菱倉庫/日本橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #古い建物 中央区  #倉庫・蔵 
#近代建築  #高層ビル  #オフィス   タグ一覧
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馬場先濠と丸の内

2019-12-22 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1988/2019) No.072 馬場先濠と丸の内

Photo 1988.2.28(ノーマル時)、 Photo 2019.12.3(マウスオン

 皇居外苑馬場先濠、丸の内2丁目〜有楽町方面。31年ぶりに同じ場所から撮ってみた。

 とある講義でかつての建物高さ規制(百尺、戦後は31m)について話していて、丸の内界隈の街並み写真(1枚目)をお見せして、昔はこのあたりで揃っていたけれど、諸々の事情で容積率制に変わって、高さ面での統一感は失われている的な話をしたりしているのだが、ふと、これ1988年の写真じゃないか、現在の様子も出さなくちゃと気づき(気付くのが遅すぎるけど。。)、先日、大嘗宮の一般参観のついでに同じ場所から撮ってみた次第。

 予想はしてたけど、やはり予想以上でした。画角内の空の面積が3割程度減った感じ。

 1988年の時点では第一生命館も明治生命館も高層化はされていなかった。奥の方に三信ビルや日比谷三井ビルも見えている。赤白の塔は東京電力の通信塔。奥の方の超高層は左が帝国ホテル新館、右が第一勧業銀行(現みずほ銀行)。 百尺規制がなくなって約四半世紀が経った時点の写真だが、まだ丸の内三井ビル〜第一生命館あたりまでは当時の痕跡を残していた。三信ビル〜日生ビルも当時の名残。

 2019年の写真に写っている高層ビルは、手前から丸の内My Plaza(明治生命館)、丸の内二重橋ビル、DNタワー21、ザ・ペニンシュラ東京、そして最近、東京ミッドタウン日比谷が奥の方にドンと建った。
 帝国ホテルの新館や東電の通信塔が隠れてしまうとは思ってもみなかった。日比谷シャンテなんてほとんど見えない。

 今回の撮影、建物の重なり具合を同定できる場所があまりなく、第一生命館と日比谷シャンテと帝国ホテル新館の重なり具合から撮影位置を判定したのだが、3つのビルが遠くにあったため、現場でも視認しづらく、誤差がやや出てしまった。あと1mほど左で撮ればよかったのかもしれない。

都市徘徊blog東京商工会議所ビル  東京會舘  第一生命館
   三信ビル その1その2その3日比谷三井ビル

Tokyo Lost Architecture  
#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #海・川・池 
#オフィス  #高層ビル 

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東京中央郵便局

2019-11-16 | 千代田区 


 Photo 1997.3.27

東京中央郵便局 所在地:千代田区丸の内 2-7
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:SRC・5F
設計 :吉田鉄郎(逓信省営繕課)
備考 :DOCOMOMOの日本の近代建築20選。2005再開発の意向が表面化
解体年:2009(平成21)

 東京駅周辺に残る近代建築はこの東京中央郵便局と東京駅だけになってしまった。端正なファサードを持つ美しいモダニズム建築が、日本の中央駅の駅前にあることは、非常に意義深いことだと思う。


 Photo 2003.3.26

 丸ビルの展望室から見下ろすと光庭のある建物だということがよく判る。
 中央奥に見えるのは東京ビル。撮影時(2003年3月下旬)には存在していたが、その後、あっという間に取り壊され、2年半程度の短期間で再開発され、2005年11月に新しいビルに生まれ変わった。取り壊しから超高層ビル完成まで2年半というのは、にわかには信じられない速さだ。


 Photo 2007.3.21


2009.03追記
 民営化された日本郵政により再開発事業が開始された。2009年2月頃から解体工事が本格化。当初案では北側正面部分のみの部分的な保存復元とされていた。この保存は、いちど解体してから外壁の一部をパネル的に貼り付けて保存したこととするもの。銀行倶楽部や大手町野村ビルのような、いわゆる「腰巻き保存」といわれる類のものである模様。
 しかし保存要望の高まりなどを受け、妥協案を探る動きが再度始まっているという。東側部分も保存することになり、表面だけでなく少し内側の方まで躯体ごと残されて、登録文化財となる方向だとも言われるが、詳細はまだ確定していない模様。西面も保存されるのだろうか。空中権の移転による全面的な保存が望ましいのは確かだが、どうしてもそれをやりたくないということなら、なんとか少しでも多く残すことができる方策を考えて貰いたいものだ。

 ところで、コンクリートモダニズム建築など文化財ではなく、全く保存には値しないなどと、時代錯誤的で相当見当違いなことを雑誌上で堂々とお書きになる「文化人」と呼ばれる方もおられるようだ。誰とは言わないが、全く驚き呆れ、その知識・見識・理解力のなさと精神的貧しさをひどく哀れに思う。文化を毀損する害悪のような方が表舞台から早く消えて下さることを願わずにいられない。


2019.09追記
 その後、結局、外壁をパネル状に張り付けるやり方ではなく、前面側の一部を残して後方に超高層ビルを建設する方式で再開発が行われた。東京駅に近い側は道路整備の関係でそのままだとまずかったらしく、角度をわずかに変えるべく曳き家をしたという。また、低層部の屋上は緑化され公開されている。低層部の中央にはアトリウムも設けられ、そこそこ魅力的な商業施設になっている。

JPタワー
所在地:千代田区丸の内 2-7
竣工年:2012(平成24)
構造 :S・一部SRC
階数 :38F・B4F・R3F
高さ :200m
Photo 2013.4.25

 当初の建物の全体が保存されることはなかったが、現在の日本・東京の状況と、日本の法制度、保存に掛かる金銭的な状況を考えると、このあたりで妥協せざるを得ないのかもしれない。その中で、結果的に工夫をして、そこそこ受け容れられる施設ができた。これはひとえに設計側、計画の現場担当者の努力の結果であって、決して経営者側や上層部の手柄ではない。その後も結局諸問題が生じているのを見るにつけ、結局、経営者とその周辺の体質に問題があることは明らかだ。この建物の一部が残っても保存などに関する状況はほとんど変わっていない。

Wikipedia > 東京中央郵便局

東京中央郵便局/丸の内2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#官公庁  #高層ビル  #モダニズム  #登録有形文化財 
#docomomo japan  #近代建築  #郵便局 

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丸ノ内ビルヂング(丸ビル) その1

2019-11-12 | 千代田区 

 正面(東側)の堂々とした外観  Photo 1997.3.27
丸ビル(丸ノ内ビルヂング)
所在地:千代田区丸の内 2-4
建設年:1926(大正15)
構造・階数:SRC・8F
備考 :1997(平成9)閉館
解体年:1999(平成11)

 東京駅前に建っていた日本初のアメリカ式の大型オフィスビル。昔は「丸ビル何杯分」と数えられた象徴的な建築物で、詩や歌にも詠まれた。何杯分の基準はその後、霞ヶ関ビル、東京ドームと移り変わっていった。

 建設当時はいわゆる絶対高さ規制だったため、軒高は百尺(約30.3m)になっていた。戦後はメートル法になり軒高は最高31mになったが、昭和30年代まで高さ規制があったため、丸の内界隈の建物は皆、軒高がおよそ揃った状態になっていた。


 中央が丸ビル、手前右は新丸ビル、奥は八重洲ビル  Photo 1993.11.21

 明治〜大正期には煉瓦造のオフィスビル群が並び、一丁ロンドンと呼ばれていた丸の内界隈は、関東大震災後には丸ビルその他が立ち並び、一丁ニューヨークと称されたという。


 中央左 JPタワー、右 丸ビル、右端 新丸ビル  Photo 2018.8.6

丸の内ビルディング
所在地:千代田区丸の内 2-4
竣工年:2002(平成14)
構造 :S・一部SRC
階数 :37F・B4F
高さ :約180m

 新しい丸の内ビルディングは2002(平成14)年9月に完成。建て替えにあたって名前は「丸ノ内ビルヂング」から「丸の内ビルディング」に変更された。

 またこの丸ビルの建て替えをきっかけとして、その後、界隈では多くの建て替えが行われ、丸の内は高層ビルが林立する街並みに変貌した。

丸ノ内ビルヂング その2

Wikipedia > 丸ノ内ビルヂング新丸ノ内ビルヂング
      丸の内ビルディング新丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション丸ビル

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JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)

2019-11-10 | 千代田区 


 Photo 1994.1.23

JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)
所在地:千代田区丸の内 1-6
建設年:1938(昭和13)
構造・階数:SRC・8F
解体年:1998(平成10)

 鉄道省、国鉄、JRと移り変わった建物。装飾も少なくやや地味なデザインだったこともあって、遠くから撮っただけで終わってしまった。1・2Fは重厚な石張り、7Fと8Fの間に一つ軒庇をまわして、基部、本体、頂部の三層構成の外観としていた。


 Photo 1997.3.27

 築60年で解体され、隣接地のビルを含む一街区全体が丸の内オアゾとして再開発された。丸の内近辺は8〜9階建て、軒高100尺(30.3m、戦後は31m)のビルが建ち並ぶ街並みだったが、丸ビルをはじめとして次々と建て替えが進み、100〜200mの超高層ビルが建ち並ぶ街に変貌している。

廃景録国鉄本社 その1
ぼくの近代建築コレクション国鉄本社

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新丸ノ内ビルヂング

2019-11-08 | 千代田区 
新丸ノ内ビルヂング
所在地:千代田区丸の内 1-5
建設年:1952(昭和27)
構造・階数:SRC・8F
解体年:2005(平成17)
Photo 1993.11.21

 丸ビルに続いて新丸ビルも建て替えられた。丸の内界隈は、いつのまにか200m近いビルが林立する地区になった。20年ほど前、まるで墓石が並ぶような「丸の内マンハッタン計画」なるものの計画図を見て、げっ、と思っていたが、まさか数年でそれが眼前に現れるとは当時は全く予想できなかった。いま思えば、地主も少なく、借り手も協力的なグループ企業中心。建て替えが他の所より早く進んでもおかしくないのだった。


 Photo 2000.2.11

 跡地には、新丸の内ビルディングが2007.4.27にオープンした。丸ビルよりも大きな容積率を獲得したとかで、それもあってか、建物の形状が異なることになっている。完成前は同じ形で双子にしたらよいのにと思っていたが、出来上がってみると、違う形になったのもまあ良いかなと思うようになった。丸ビルと新丸ビルはただでさえ間違えやすいので、デザインぐらいは多少違っている方が良いのかもしれない。

 取り壊された二つの建物は、丸ノ内ビルヂングと新丸ノ内ビルヂング。
 新しくできた二つの建物は、丸の内ビルディングと新丸の内ビルディング。
 丸ノ内→丸の内、ビルヂング→ビルディング、と名称が微妙に変化している。

Wikipedia > 新丸ノ内ビルヂング新丸の内ビルディング
      丸ノ内ビルヂング丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション新丸ビル

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日本工業倶楽部

2019-11-06 | 千代田区 
日本工業倶楽部
所在地:千代田区丸の内1-4
建設年:1920(大正9)
構造・階数:RC(一部S)・5
ファサード設計:松井貴太郎(横河工務所)
備考 :保存再生
Photo 1998.10.31


 建て替え後の日本工業倶楽部会館部分 Photo 2003.3.26

 隣接のビルと併せて一体的に再開発された。当初は存続自体が危ぶまれたが、重要な部分を保存し、一部はレプリカ的に保存しながら超高層ビルとなった。背後の高層ビルは全面ガラス張りで、大きな違和感はない。もちろん本物を残すという意味では、惜しまれる部分も多々あるのだろうが、超高層ビル化の圧力が強い場所で、街並み景観をそれなりに存続させたことには、一定の評価がされてよいのではないかと思われる。
 ただし、超高層ビルを林立させること自体が富裕の象徴かどうかには、いろいろと疑問があるが・・・。

日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル
(完成当初は三菱信託銀行本店ビル)
建設年:2003(平成15)
構造 :S(一部SRC)
階数 :30・B4・R2
Photo 2004.11.24


 Photo 2003.3.26

 中央の屋上には殖産興業の象徴としての塑像が飾られていたが、これはリフレッシュされて真っ白で美しいものになった。

Wikipedia > 日本工業倶楽部

廃景録日本工業倶楽部
近代建築ホームページ日本工業倶楽部
日本工業倶楽部会館/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所)  #登録有形文化財

2012.2.25
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