都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東京第一陸軍造兵廠 275号棟

2018-03-31 | 北区   
東京第一陸軍造兵廠275号棟(北東側から)
所在地:北区十条台1-2
建設年:1919(大正8) 東京第一陸軍造兵廠275号棟として建設
構造 :煉瓦、屋根小屋は鉄骨造
階数 :1F
規模 :54×27m
備考 :現在は北区立中央図書館「赤レンガ図書館」の一部
Photo 2002.9.29

 東南側から Photo 2002.9.29

 一帯の陸軍施設は組織の改編などに伴い、以下のように名前を変えた。また戦後の一時期は米軍に接収され、返還後は陸上自衛隊の施設等になった。

 1923(大正12)陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所
 1936(昭和11)陸軍造兵廠東京工廠銃砲製造所
 1940(昭和15)東京第一陸軍造兵廠第一製造所
 1945(昭和20)終戦
 1947(昭和22)米国陸軍に接収され、TOD(Tokyo Ordnance Depot:東京兵器補給廠)第四地区となる。
 1958(昭和33)第四地区の一部が日本に返還される。
 1959(昭和34)陸上自衛隊武器補給処十条支所となる。また、返還された施設の一部は民間会社に貸し出され、275号棟は東洋ゴムが運営していたタイヤ再生施設として利用された。
 1989(平成元) 東洋ゴムのタイヤ再生施設が閉鎖される。
 2008(平成20)北区の新中央図書館となる。


 再生前の様子 Photo 2002.9.29

 この写真を撮影した2002年当時は、何にも使われておらず廃墟状態だった。既に自衛隊の敷地ではなかったようだが、立入禁止で鉄条網や柵越しに眺めるしかなく、遠くからむりやり撮った写真しかない。撮影当時は解体の気配が濃厚だったので、見納めかもしれないと思いつつ、柵越しに一所懸命に撮ったものだ。

 だがその後、北区の中央図書館として保存しながら使うという展開になったために、現在は建物の中にさえもあっさり入れるようになっている。


 北区立中央図書館 Photo 2011.6.11

 赤煉瓦倉庫の本体を残しつつ、上側に被せるように新しい建物を建てている。


 東南側から Photo 2002.9.29

 図書館になって多くの人が使うようになったのは喜ばしいことで、赤煉瓦建物の歴史を多くの人が知ることになったのも良いことなのだが、個人的には雑草の原の向こうに建っていた廃墟状態の時の景色も懐かしい。明日にも壊されてしまうかもしれないという様子には哀愁が漂う。こんなボロボロの状態だった建物が、再生されてきれいな文化施設になったということも記憶に留めておきたい。


 北区立中央図書館 北西側から Photo 2017.1.23

 図書館になる前は、近づくことができなかったし、西側からも見ることができなかったので、北西側から見ることができるようになったのは感慨深い。この方向からだと煉瓦倉庫全体を残しながら図書館にしたことがよくわかる。


 北区立中央図書館・ホール Photo 2002.9.29

 図書館内部では窓などを取り払っており、往時の壁を通り抜けて開架書庫へ向かうことができるようになっている。


 北区立中央図書館・カフェテラス Photo 2002.9.29

 煉瓦造の倉庫でそのままでは耐震性に問題があるため、内側にRC造の壁をもう一つ建てて建物を支持しており、現在は煉瓦壁には構造的な負荷が掛かっていないのだそうだ。


 Photo 2002.9.29

 上層に新建物が載っていない場所には、昔からの鉄骨の小屋組が残されている。

関連記事 > 『東京人』都市出版社刊、2008年5月号、p.52
都市徘徊blog > 北区立中央図書館
Tokyo Lost Architecture
#古い建物 北区  #新しい建物 北区  #近代建築 
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手嶋商店

2017-02-10 | 北区   

 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿いの建物は、都道補助73号線の事業化による拡幅で軒並みなくなったが、こちらはどうやら大幅に改築されて残されているようだ。

手嶋商店
所在地:北区赤羽西2−1
構造・階数:木造2F
備考 :2014年に改築?(Google SVによる確認)
Photo 2011.1.19

 2階の壁面に※印が大書され、それが目立っていたモルタル看板建築商店。1F軒先のシャッターケースには「米と灯油 手嶋商店」と書かれていた。

 窓の様子などから考えると、1階の階高は普通よりやや高かったようだ。

 Google SVで確認したところ、真新しい建物が写っていたので、解体されて建て替えられたものと思ったのだが、よく見ると通り側に衝立状に壁面が立ち上がっている切妻屋根で、以前の建物とプロポーションが似ていて、新築としてはなんだか妙だ。

都道460号線 - Google マップ

 現代において新築の住宅で看板建築状に通り側に壁面を立てる理由が見当たらない。そう考えると、現在の建物は以前のこの看板建築を大幅に改築したものだと考える方が良さそうだ。無くなったわけではないが、面影はほとんどないということである。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 北区  #古い建物 北区  #看板建築  #モルタル看板建築  #旧街道 
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旧金龍堂書店

2015-02-23 | 北区   

旧金龍堂書店、谷内六郎の絵にもとづくモザイク壁画「砂山」
所在地:北区赤羽1-54
設置年:50年ほど前(1960年代)
Photo 2014.11.4


 赤羽岩淵駅そばの本屋さん(旧金龍堂書店)の建物に設置されたモザイク壁画。


 週刊新潮の表紙絵でも知られた、谷内六郎の絵にもとづくモザイク壁画としては、表参道と青山通りの交差点にある山陽堂書店のものが有名だが、赤羽にもややひっそりとモザイク壁画はあるのだった。


 金龍堂書店の店主が、山陽堂書店のモザイク壁画を気に入って新潮社に依頼したのだそうだ。同じようなモザイク壁画が造られているのには何か訳があるのではと思っていたが、やはりそういう関係があったのだった。経緯については下記に詳しいので、リンク先を御覧下さい。



青山〜赤羽、谷内六郎壁画めぐり - Excite Bit コネタ



Tokyo Lost Architecture

#古い建物 北区

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赤羽台団地

2014-03-09 | 北区   

 赤羽台団地再訪。

UR都市機構赤羽台団地49号棟
所在地:北区赤羽台1-4   Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9

 8棟あったスターハウスの内、半数が2013年に解体された。残るは赤羽台トンネルのすぐ上に見える49号棟と西側の42~44号棟。老朽化は否めないのでこれらも数年の内に解体されてしまうのかもしれない。

UR都市機構赤羽台団地50号棟(左)・51号棟(右)
所在地:北区赤羽台1-6   Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9

 4棟で中庭を囲んでいた50~53号棟は既に封鎖され、中庭に行くこともできなかった。これらの棟には1階に商店が入居していて、2年前に訪れた時はまだ数軒が営業していたが、既に全く人の気配がなかった。訪ねたのは昨秋なので、既に解体されてしまったかもしれない。

UR都市機構赤羽台団地33号棟
所在地:北区赤羽台2-1   Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9

 久々に近くを通りかかったが、33号棟も築50年を経て閉鎖されていた。

 廊下があるのは3Fと6Fのみで、他の階の部屋には3Fか6Fの廊下から階段で上り下りしてアプローチするものだった。廊下のない階では通風や採光、プライバシー面で優れ、エレベーターの効率も良いとされたが、バリアフリー面での問題もあり事例は少ないという。

 赤羽台団地が造られたのは日本住宅公団の時代。団地の在り方が模索され、住棟も様々なスタイルでデザインされたようだ。今の公団住宅とは全く異なるが、昔の団地建物も興味深い。

#古い建物 北区  #失われた建物 北区  #街並み 北区 
#公営・公団・公社・公立住宅  #集合住宅 
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赤羽台4丁目の木造家屋

2013-08-28 | 北区   
赤羽台4丁目の木造家屋
所在地:赤羽台4-12   Google Map
Photo 2013.7.3

 赤羽台4丁目の5~15番地のあたりは街区が碁盤の目のようになっており、かなり古い建物も建っている。

 この近辺は、終戦時までは近衛工兵第一連隊と第一師団工兵第一連隊、両工兵連隊の練兵場だった場所で、戦時中の航空写真を見ると原っぱになっている。

 戦後すぐ(1947年頃)に宅地化され、当初は都営住宅地だったようだ。復員者などが増えて住宅難になったため、応急的に造られた木造住宅団地らしく、その辺の経緯は戸山ハイツなどとも似ているが、ここの住宅地は集合住宅団地にはならず、現在も戸建てが密集する宅地になっている。

 スリバチ本の地図には同潤会住宅地と記されているが、ここは戦時中は練兵場だったので、これは著者の錯誤かと思われる。

 スリバチ・フィールドワークで御一緒した際、もしここが同潤会住宅地なら当時の建物かもしれないとは思ったのだが、後からよく見ると、なんだか違うような気がして気になっていた。

 分譲住宅地だとしたら、言ってはなんだが、ややしょぼい。また、2階部分が相対的に小さいプロポーションは普通住宅地の2戸連続の長屋形式に似るが、ここでは戸建てなのが気になっていた。裏路地的な細道が配されているあたりは、かなり同潤会住宅地っぽいのだが、昭和12年の地図で練兵場と書かれ、また昭和20年の地図では真っ白に表記されている場所に、戦前に同潤会住宅地ができてそれが残っていることは、まず考えられない。

 現在、北区赤羽近辺の同潤会住宅地としては、赤羽普通住宅地が赤羽西4丁目(旧王子区稲付町4丁目)に、また、赤羽分譲住宅地が西が丘1丁目(旧稲付西町)にある。あと、少し南には十条普通住宅地が十条仲原3丁目(旧上十条町)にあり、いずれにもわずかな数、当初からと思しき木造家屋が残っている。

#古い建物 北区  #公営・公団・公社・公立住宅 
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赤羽1丁目 一番街シルクロード

2013-07-31 | 北区   
赤羽1丁目 一番街シルクロード
所在地:北区赤羽1-22   Google Map
Photo 2013.7.3

 平日の昼下がりからおでんを食す人あり。
 暑いから逆におでんなのかな。

#古い建物 北区  #街並み 北区  #商業系  #路地  #アーケード 
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滝野川あたり

2013-07-02 | 北区   
滝野川八幡通り商店街
所在地:北区滝野川5-21   Google Map
Photo 2013.5.19

 電線がすごい・・・。

 電気、電話、有線、光ケーブル、街灯の電線がたくさん。電柱を立てずに途中から線を曲げたりすることもやっていて、そのための補助的なケーブルもあって、なんだかもうくちゃくちゃ。狭い商店街なので地下化も簡単ではなさそうで、さてはて。

所在地:北区滝野川3-44
Photo 2013.5.19

 商店街わきの横丁を見やるとそちらも電線の嵐。よく見ると、切れて垂れ下がっているようなものも。なんだか危なっかしい。

所在地:北区滝野川4-9   Google Map
Photo 2013.6.1

 滝野川住宅という集合住宅の敷地入口にある謎のコンクリートの塊。ネットで見たところでは、旧東京第二陸軍造兵廠の動力室というものらしいが、詳細は不明。

 見るからに厚そうなコンクリートで、開口部もほとんどなく、妙に迫力がある。

#古い建物 北区  #街並み 北区
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滝野川八幡神社

2013-07-01 | 北区   
滝野川八幡神社 神楽殿
所在地:北区滝野川5-26   Google Map
Photo 2013.5.19

 かなりはっきりしたむくり屋根になっていて、軒下の垂木までカーブを描いている。

 むくり屋根は東日本にはあまり多くないと言われている。西日本では住宅などの屋根でも使われているが、東日本ではあまり見掛けない。数寄屋建築や神社の神楽殿、大きな住宅の入口部分(式台)など、優しげな感じ、暖かみを出したい場合などに用いられるらしい。

滝野川八幡神社 木造鳥居の継ぎ手
建設年:1870(明治3)年
Photo 2013.5.19

 鳥居の柱は金輪継(かなわつぎ)と呼ばれる伝統的木造継ぎ手技法で上下に繋がれている。複雑な立体的形状を造ってそれを噛み合わせ、最後に込み栓と呼ばれる木片を中央に差し込むと二つの部材ががっちり噛み合って動かなくなる。昔の人が考え出した独特な構造法だ。木造継手を明瞭に間近に見ることができるのは珍しい。

 土台の石には「明治三 庚午 年八月」と記されている。庚午(かのえうま)は十干十二支による年号表記。後の時代に柱を修理する際に金輪継を行った可能性もあるが、そうでなければ140年余り前に造られた継ぎ手だということになる。

#古い建物 北区  #神社 
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レール製の上屋

2012-06-29 | 荒川区  

 南千住へ行こうとして日暮里駅で山手線から常磐線へ乗換。

JR常磐線日暮里駅ホーム   Google Map
Photo 2012.6.12

 新装された跨線橋を渡って常磐線のホームへ下りようとしたとき、上屋の構造がおもしろいことに初めて気がついた。

 鉄道駅の昔の上屋は、しばしば古レールを転用して造られていることは知っていたのだが、日暮里駅の常磐線ホームの上屋は、島状ホームとその両側の線路を一跨ぎするように造られている。両側の柱と中央部の三本のレールを繋いでアーチを造っており、ホーム上には柱がない。また、レール以外で造られたトラスなどを補強用に使っていないのも特徴的だ。

 鉄道駅の上屋に詳しいわけではないので、他にも同様のものがあるのかもしれないが、ちょっと気になったので、手持ちの写真の中から、レール製上屋の写真をいくつか引っ張り出してみた。

JR田端駅
Photo 2010.11.28

 田端駅はホーム上に小アーチがあり、V字型の屋根を持つ上屋になっている。

JR田端駅
Photo 2006.12.3

 ホームとホームの間は、レール製アーチと円形パイプからなるデザインになっている。

JR水道橋駅
Photo 2006.10.24

 JR水道橋駅はホーム後方と上下線の間に柱があり、Y字型の柱が並んでいるのが印象的だ。

西武新宿線 新井薬師前駅
Photo 2009.8.24

 実は地元の新井薬師前駅もレール製。急カーブ部分に駅があるので、ここの柱はきれいに並んで見える。

 駅のホームもいろいろなので、上屋の方も様々なデザインがあるようだ。昔の鉄道事業者が古レールを再利用して、いろいろな形の駅を設計していたことに改めて気付かされた。

 また、写真を探してみて初めて、自分が意外に駅ホームの写真を撮っていないことに気付いた。徐々にこういう駅は減ってるみたいなので、機会があったらこれからはチェックしていこうと思う。

#鉄道  #古い建物 千代田区  #古い建物 中野区 
#古い建物 北区  #古い建物 荒川区 
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夜の看板建築

2011-07-29 | 北区   
東十条のモルタル看板建築
所在地:北区東十条4-6
Photo 2011.7.3

 岸町界隈を歩いて東十条駅北口界隈で休憩。帰る頃にはすっかり夜になっていた。

 北口界隈の商店街をぶらついていたら、商店街のはずれでモルタル看板建築を発見。夜間なので色がよく分からなかったが、どうやら緑色と白色系の縞々のようだ。鶯色とえんじ色の縞々などはたまに見かけるが、このようにコントラストがある縞々模様のモルタル看板建築はあまり多くない。窓の戸袋にも同じ色が使われているが、こちらは大きな長方形の四隅に小さな正方形を配したデザイン。実はこの模様もあまり他での記憶がない。現場では、おや、モルタル看板建築だ、という程度の気分で撮っておいたのだが、帰宅してからよく見るうちに、なんだか意外に珍しいような気もしてきて、気になるのだった。

 1F左は陶器店、右はスナック(やってるかどうかは不明。)、Google Mapでみたら○○荘とあるので、店舗付き集合住宅のようだ。

#看板建築  #モルタル看板建築  #夕景・夜景  #古い建物 北区 
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