都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

京品ホテル

2024-06-30 | 港区   
京品ホテル
所在地:港区 高輪4-10-20
構造・階数:RC・4
建設年:1930(昭和5)
解体年:2010(平成22)
備考 :1973(昭和48)頃に大幅に改築?
    ホテルは2008(平成20)に廃業
Photo 2006.11.5

 品川駅前にあったホテル。下記Wikipediaにもあるように、名前の「京品」は東京と品川から一字ずつをとったものとのこと。近くに京浜急行があるが、京急グループとは関係がなかったという。

 建物は戦前の1930(昭和5)年に建てられたものだったそうだ。ただ昔の写真とはだいぶ様子が異なっており、1973(昭和48)年頃に外観も含めて大幅に改装されていたようだ。この頃の住宅地図では(建)となっていて、地図の調査時には建て替えのように思われたのかもしれない。

 ところで、下記、港区の写真サイトには、「廃止前の京品ホテル」と題して1967(昭和42)年撮影の写真が掲載されているが、ここで言っている「廃止」は、品川駅前の都電の廃止のことで、ホテルの廃止ではない。また、写真中、奥のトンガリ屋根は京浜電鉄の高輪駅ビル(1925年築、RC造、3階)で、これは後に建て替えられてウィング高輪になっている。

 下記オークションサイトには、建物の昔の様子を写した絵はがきが出品されている(落札されてページが消える可能性あり)。

京品ホテル - Wikipedia
港区ホームページ/No.250 廃止前の京品ホテル
WinterGarten・二十面相の館 
rx-29300【戦前絵葉書】 京品ホテル全景(東京品川駅前) /// 検)高輪建築街並宿泊観光京浜急行の落札情報詳細 - ヤフオク落札価格検索 オークフリー

Tokyo Lost Architecture  
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旅館 鴻生館

2024-05-03 | 中央区  
旅館 鴻生館
所在地:中央区 日本橋人形町1-16-1
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前
解体年:2007(平成19)
備考 :2007頃廃業
Photo 1995.11.18

 人形町の表通りのひとつ裏側の道に面していた旅館。木造モルタル看板建築で屋根裏3Fもあったようだ。モルタル看板建築だが、2階ベランダの手摺や軒先のデザインは和風。
 いつも見ている下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事には、旅館経営者の親族がコメントを付けているが、創業年や建物の建設年についてはコメントしていないためその詳細は不明。

 左隣の銅板張り看板建築は中島米店(日本橋人形町1-16-2)で、明治中期に創業したというお店。鴻生館と同じ頃に廃業したが、Googleストリートビューによればこちらの建物は2022年9月時点でまだ残っている。

鴻生館、中島米店/人形町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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東京ビル

2024-02-27 | 千代田区 
東京ビル
所在地:千代田区 神田司町2-2-1
構造・階数:RC・3
建設年:戦後まもなく?
解体年:1997(平成9)
Photo 1996.2.20

 角地にあった3階建てビル。戦前のものなのか、戦後まもなくのものだったのかはわからない。下記「ぼくの近代建築コレクション」にもあるように、「『乱歩と東京』松山巌、1984年、PARCO出版」に南からの写真が掲載されていて、かつてはコリント式柱頭の付け柱を持つ建物だったようだ。戦前の火保図(1935年)では、中央商会(業種は不明)。

 戦後の1950年代の火保図では「東京ホテル」と記されている。3階建ての小規模なビルが東京ビルと名乗って、そこに東京ホテルがあった事はちょっと驚き。1960年代以降、1階はパーラー、ネクタイ屋、釣具店、洋品店、立ち食いそばなど、いろいろなお店になっていたようだ。また90年代、2階はカラオケだったようだ。

 ただ撮影時、それらは全て閉店しており、この翌年には解体されてしまった。その後は2002年までコインパーキング、2004年以降はオフィスビルになっている。

東京ビル/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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中屋旅館、日本通運上田支店田中営業所

2023-08-12 | 長野県  
日本通運上田支店田中営業所(左奥)/中屋旅館(手前)
所在地:東御市 田中280/281
構造・階数:木・2
解体年代:1999(平成11)頃
Photo 1994.8.28

 JR信越本線田中駅(1997年10月からは、しなの鉄道の駅)の駅前にあった旅館と、日本通運の田中営業所。これらの建物は駅前広場の整備に伴い1999年頃に消失した。

 ところで、私が田中駅で下車したのは8月下旬のある日の午後。駅から出た人はわずかで、駅前にはタクシーが1、2台いただけで、バスも普通の自動車もいなかった。当時の駅前がバスが転回できないほど狭かったような記憶もない。地方都市には本当に必要なんだろうかと思ってしまうような道路整備がときどきある。建物が無くなったのが惜しくて言うわけではなく、結局、間延びした駅前広場ができてしまっただけで、整備効果があまりなかったような気がするのだ。
 狭い旧街道を少し拡げて車の往来を便利にして、歩行者の安全を確保するのには意味があるが、人も車も少ない駅前広場をやたらに大きくするのは、街の密度を下げてしまい余計に過疎な雰囲気を生んでしまう。もっと賑やかになる将来予想の下で整備したのかもしれないが、もう少し冷静に時代を考えた方が良かったのではないかと気になることがしばしばだ。

古い建物と街並みをもとめて: 駅前日通

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旧 喜久屋

2023-08-09 | 長野県  
旧 喜久屋
所在地:須坂市 須坂常盤町 723
構造・階数:木・2
解体年:2004〜08(平成16〜20)
Photo 1994.7.31

 須坂市内、旧上高井郡役所の近くにあった建物。撮影当時の住宅地図では個人宅として記されていたが、大型の2階建てだったので、もともとは旅館か料亭だったようだ。1971年の住宅地図には個人宅としての名の他に「喜久屋」と記されている。

 須坂市では大光楼があった浮世小路、豊よ松周辺が花街(三業地)だったそうだ。この建物はそのエリアからは少し離れた場所にあったので、どちらかというと旅館だった可能性の方が高い気がするが、本当のことは昔を知る地元の方に尋ねてみないと分からない。

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天山旅館

2023-05-24 | 埼玉県  
天山旅館
所在地:川越市 西小仙波町1-12
構造・階数:木・2
解体年:2011〜15(平成23〜27)
Photo 2004.12.3

 川越名所の喜多院の西側には、かつて遊廓があった。現在は旅館や料亭が数軒ある静かな場所になっている。

 埼玉県では1928(昭和3)年に公娼廃止決議案が可決され、1930(昭和5)年には遊廓に自発的な廃業を求めたそうだ。以後それらは「乙種料理店(達磨屋)」というものになったが、その実態はあまり変わらなかったそうで、戦後の売春防止法施行まで営業が続いたという。
 その後それらの建物は、改修・転用して旅館や料亭となったり、普通の住宅やアパートになったようだ。現在では建て替えも進み、かつての面影はわずかでしかない。

 旅館の看板を掲げていたこの建物が、その乙種料理店(達磨屋)だったかどうかは確証がない。ただ板塀や門柱、玄関の唐破風の庇などにはそれらしい雰囲気が残されていた。外壁がモルタル塗りなのは戦後のどこかの時点で改修されたためではないだろうか。
 撮影時はまだ旅館として営業していたようだったが、いつのまにかなくなっていた。建物の消失と共に街の記憶も次第に薄れていく。

川越市西小仙波町・喜多院裏の遊郭跡 - 東京DEEP案内

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あけぼの荘

2023-02-21 | 足立区  
あけぼの荘/旧曙楼・旧旅館光楽
所在地:足立区 千住柳町19
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2001〜03(平成13〜15)
Photo 2001.5.27

 赤線時代は曙楼として営業していたという建物。赤線でなくなった後は「光楽」という旅館だったようだ(注)。
 旅館としての営業がいつごろまで続いていたのかは未把握。撮影時は「あけぼの荘」というアパートで、表通り側の1階には居酒屋とスナックが入居していた。
 遊廓系建築でしばしばある左右対称のデザインではなかったが、左右2ヶ所に入口があるあたりはその系統と言えなくもない。軒先に白い円があるが、往時はここに屋号かなにかが記されていたのではないだろうか。

 千住柳町には90年代までは赤線時代の建物が数軒残っていたが、現在はほぼなくなっている。この建物も撮影後数年のうちに解体されたらしく、2004年版の住宅地図では既に月極駐車場になっている。

  注)東京都全住宅案内地図帳 足立区(1962発行?)による。

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朝陽館

2022-07-22 | 文京区  
朝陽館
所在地:文京区 本郷1-28
構造・階数:木・2
解体年:2016〜17(平成28〜29)
備考 :1904(明治37)創業、2016(平成28)廃業
Photo 2014.7.15

 明治後期創業の本郷の老舗旅館。創業時当初は下宿屋と兼業だったそうで、戦後、旅館専業になったという。
 関東大震災でも戦災でも焼失を免れたそうで、古い部分は昔のままだったという。旧弓町界隈は関東大震災でも部分的に被災したし、戦災でも被災したところが多いが、朝陽館は運が良かったのだろう。増改築やリフォームはされているが、創業期の様子も一部留めていたという。

 東京大学にも近いエリアなので、昔から本郷界隈には下宿屋が多く、それが旅館も経営したことから近辺には旅館が多かった。戦後になると修学旅行の学生がそこに泊まるようになり、菊坂下の通りなどには手配されたバスがたくさん並んだという。戦前・戦後の火災保険特殊地図には、朝陽館を含め多くの旅館が記されている。

 数寄屋造風でむくり屋根が印象的。右端の石燈籠は、跡地に建てられたマンションの外構部分に移設されている。

 通り側は一部を除いて瓦が載った塀で囲まれていた。建物壁面はモルタル塗り。これは恐らく戦後の改修時にそうしたのだろう。
 1950年代には手塚治虫が缶詰めになったりしたという話でも知られ、同氏のエッセーにも「本郷の旅館」として記されているという。またここに逗留して執筆した作家も多くいたという。缶詰めは嫌だが、こういう旅館に逗留してゆったり書き物ができたら良いなと思ったりする。

 西側の道路沿いには複数の形が異なる塀が長く連なっていた。複数の建物がつながった大きな旅館だったが、1934〜39年に測図された火災保険特殊地図では、後に「ふじや旅館」となった北隣の場所(写真左外)も朝陽館別館になっており、戦前はもっと大きかったようだ。

 建物が老朽化し修繕が難しくなってきたことなどから、朝陽館は2016(平成28)年3月に廃業。
 跡地にはザ・パークハウス本郷という14階建てマンションが2018年11月に竣工している。

朝陽館本家 - Wikipedia
本郷の老舗旅館「朝陽館」が112年の歴史に幕 手塚治虫が宿泊した部屋も現存 - 文京経済新聞
手塚治虫さんも宿泊 本郷の老舗旅館「朝陽館」廃業へ - YouTube/TOKYO MX TV
手塚治虫も愛した都内の老舗旅館が閉館 本郷の『朝陽館本家』一般公開レポート | ガジェット通信 GetNews
本郷 朝陽館本家 松の間(360°映像)
朝陽館本家 大浴場(360°映像)

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旧 六本木プリンスホテル

2022-05-14 | 港区   
六本木プリンスホテル/ホテルヴィラフォンテーヌ六本木アネックス
所在地:港区 六本木3-2-7
構造・階数:SRC・9
設計 :黒川紀章
建設年:1984(昭和59)
解体年:2012(平成24)
Photo 2007.2.11

 バブル期の直前ないしは、バブル期の初めに造られたシティホテル。
 ロの字型の平面で、中庭にプールがあったことで知られた。プールの水面が高く設定され、側面の一部がアクリルガラス製で、泳ぐ人が横から見えると評判だった。

 このホテルが人気だった当時、私自身は学生だったので、ここには全く縁がなく、結局、建物内にも入らずじまいに終わってしまった。 プリンスホテルとしての営業時にいちど訪れておけばよかったと時々思う。

 六本木プリンスホテルとしては2006年12月末に営業終了し、住友不動産に売却された。その後、ホテルヴィラフォンテーヌ六本木ANNEXとして期間限定で営業したが、これも2011年11月に閉館した。

 写真は、ホテルヴィラフォンテーヌ アネックスだった頃のもの。後方に見えている日本IBM本社と合わせて再開発され、住友不動産六本木グランドタワーが2016年秋に完成している。

 内部空間は面白い作りになっていたようだが、外観はモダニズムの箱型で、横連窓はオフィスビルのようにも見えた。窓ガラスと壁面が同一のいわゆるツライチ。最上階の上部の壁面が薄くシャープな印象ではあるが、外観上は正直言ってあまり特徴はない。時期的にはポストモダン建築が多く建てられるようになった頃だが、その外観は無駄のないデザインだった。まあ、タクシーや車で乗り付けるならば、 外観はどうでもいいともいえるが・・・。
 ポストモダン的な遊び心のあるデザインは、やはり中庭のプールまわりだったのだろう。今にして思えば、この建物を表すには、中庭空間とプールが写った写真を用いないとあまり意味がないのかもしれない。

六本木プリンスホテル - Wikipedia
六本木プリンスホテル
旧六本木プリンスホテルが解体へ | kinoiekoubou日誌

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大光楼

2022-03-21 | 長野県  
大光楼
所在地:須坂市 須坂上中町192
構造・階数:木・2
解体年:1996〜2000(平成8〜12)頃
Photo 1994.7.31

 旧料亭、旅館。明治期の建物だったらしい。界隈は明治末期から大正期にかけて形成された花街。大光楼わきの浮世小路は入口に大光楼があるので、大光楼小路とも呼ばれたという。

 現在は建て替えられて一般の住宅になっているが、玄関部分のむくり屋根と「大光楼」の看板が移設されており、往時の雰囲気をわずかに残している。

町並み漫歩館須坂
須坂の裏道散歩2 - 食・彩園s倶楽部

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